阻まれるウワサ
登校時間、いつもと同じ。
「それでね、会長があんまりはしゃぐから、吉川先輩が注意したの。そしたらね、会長、なんて言ったと思う?」
態度も特に変化は見られず。
「…………? どうしたの、克樹くん」
服装にも乱れなし。怪我も無いようだ。
「もしもし、克樹くーん?」
うーん……特に何もないなあ。聞こうにも聞けないんだろうし、やっぱり周りから話を聞く方が早いか……
「……克樹くんっ!」
「おわっ!? な、なんだよ梓、いきなり大声だして!?」
「さっきから人のこと無視しまくっといて、なんだよ、じゃないでしょ!」
「……え、あ、マジで?」
俺の間抜けな応答にため息をつくと、梓は顔をしかめて言った。
「さっきから凄い深刻な表情してると思ったら……何か考え事でもあるの?」
「えっと、ま、まぁそんな感じかな」
俺がどもりながら返すと、梓の表情の中に不思議さが混じった。
「はっきりしないなあ。なんか変だよ、克樹くん? 悩み事あるなら、相談してくれたらいいのに」
「あー、うん、ありがとう。でも本当、大丈夫だから……」
梓の言葉に取り敢えず反応しながら、俺は心の中で呟く。
心配してくれるのはありがたいんだけど……これは梓にどうにかできる事柄じゃないんだよなあ。
俺は、昨日の生徒会室でのやりとりを思い出してみる。
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「警護……ですか?」
呆気にとられる俺を尻目に、桐原先輩は平然と頷いた。
「そう。君にはしばらくの間、玉章くんのナイトになって欲しいんだ」
言いながら、目の前に置かれたチェスボードから騎士の駒を取り出し、テーブルの上に置く。
先輩方三人からの、俺への頼み事。それは、梓を警護してほしい、というものだった。
「でも、なんでまた警護なんて……」
「例の噂」
俺の言葉を、茅野先輩の声が遮った。先輩は腕を組み、目を閉じたまま話を続ける。
「お前の耳にも入っているだろう?」
俺は頷くほかなかった。そうだとは思っていたけど、やっぱりか。
「でも、まだ噂じゃないですか。本人がそうだって言うまでは、あんまり首を突っ込むのは……」
「お前、噂の内容全部知らないのか?」
「い、いや……そうじゃないですけど……」
茅野先輩が言っているのは、何らかの力が働いているとしか思えない、あの現象についてだろう。俺もさっき、目の前でそれを目の当たりにしたわけだが……それでも、まだ完全に信じる気にはなれない。
「まあ、信じたくない気持ちもよく分かるんだけどね」
口を開いたのは、それまで騎士の駒を弄んでいた桐原先輩だった。今は俺を見据えていて、その表情は一目みて分かるほどに真剣だ。
「僕たちも、噂がストーキングだけならこんな風に君に頼んだりしないさ。……便宜上”口止め現象”とでも言おうか。これがなければね」
「……”口止め現象”……」
「そう。事態は、君の考えているよりもずっと深刻なんだ」
桐原先輩は、自分の顔の前で手を絡ませる。そうしていつもの微笑を作ると、締めくくりとばかりに言った。
「そういう訳だからよろしく頼むよ、八神くん」
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よろしく、って言われてもなあ……
教室の机に鞄を置いて、口の中だけで呟く。あの後も危ない場面が何度かあったが、一応登校までは隠し通せた。でも、これから先もうまくやっていける自身が全くない。というか、具体的な指示が一切ないってのはどうなんですか先輩。本当、大変な仕事を任されたなあ、俺。
朝からどうしようもなく疲労感が溢れてきて、長いため息をついていると、
「おうおう八神クン、なんか浮かない顔してますなあ」
吉左右が声をかけてきた。俺は普通に挨拶を返そうとしたが、しかし。
「おぅ……そういうお前は元気そうだな」
ものすごいしわがれ声が出てしまった。当然、吉左右は不審な顔をするわけで。
「……大丈夫かお前? 元気出せよ、いい情報教えてやるから」
「情報?」
「ああ」
そう言ってから、吉左右は俺に顔を近づけて耳打ちした。
「例の噂の件、俺も協力することんなった」
「え……?」
「副会長サマから頼まれたのさ。八神くんを助けてやってくれ、ってな」
そう言って顔を離すと、吉左右はニヤリと笑った。
「ま、そーいう事だから、何かあったら俺にも相談しろよ。あと、気になる情報があったら俺にも流してくれよな」
じゃあな、と最後に締めくくって、吉左右は離れて行った。
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時間は流れて、昼休み。
俺はいつも通り吉左右と向かいあって____ではなく、ひとりで黙々と飯を食っていた。吉左右は何やら忙しくしていたし、何より人と飯を食えるほどの心の余裕が、今の俺にはなかった。
購買のホットドッグを咀嚼しては齧り、齧っては咀嚼しながら、俺はぐるぐると思考を巡らせる。
朝から今まで、ずっと梓を観察していたけど、いつもと一緒だった。まあ、噂の話をされるまでまったく気づかなかったんだし、それは当然だろう。
周囲にも多少気を配ってはみたけど、これもいつも通り。変わっていたことといったら、新聞部の伊勢谷がマスクをつけて登校してきたことくらいのものだ。それも昨日の怪我が原因だろうから、順当だ。
教師に関しても、変わったところは特になかった(変わり者は多いけど)。
通学路も、廊下も、教室も、普段とは変わりなし。とすると、ほかに考えられる要因は…………
「んあーーーー! わかんねぇ!」
俺の張り上げた大声にクラスの何人かがこちらを振り向いた気がしたが、俺の意識は考えることに注がれていた。後から思えば、行き詰まっていたとはいえ、この時の思考回路はかなり乱暴だったと思う。
そもそも、俺が梓の警護なんて頼まれた原因は何だ? ……そうだよ、梓がストーキングされてることに気づいてないからじゃないか。
だったら話は早い。そのことを梓に教えてやればいいんだ。
そう考えて教室を見回すが、梓の姿がない。そこで、梓とよく話している女子に歩み寄り、
「なあ、梓はどこにいる?」
「ふぇ!? え、えーっと……」
この時は、かなり無愛想な言い方だっただろうな。表情もキツかったろうし。
いきなり声をかけられて混乱したのか、その女子はしどろもどろしながら答えた。
「お、屋上じゃないかな? 梓ちゃん、ここにいない時はだいたい……」
「屋上か。ありがとう」
俺は返事が終わる前に駆け出した。教室を出て、階段を一段飛ばしで駆け上がる。屋上、というのは恐らく、高等部棟の屋上だ。すぐに着くには着くが、昼休みは短い。内容を全部話すのにはかなり時間がいる。急がないと。
そう考えているうちに、俺は屋上に出る扉の前に立っていた。迷わずノブに手をかけて開き、その向こうでこちらを振り向く人影____梓を確認する。それ以外に人はいない。
「あれ、克樹くん? ……どうしたの、そんなに慌てて」
梓の言葉には答えず、俺は事実を伝えるべく口を開いた。
「……梓。俺はお前に、言わなきゃいけない事があるんだ」
「言わなきゃいけない、こと?」
「ああ。どうしてもお前に知ってもらわなくちゃいけない、大切なことだ」
それを聞いて、梓も表情を改める。
「……かなり真剣な話みたいだね」
「ああ」
「それで、一体何なの?」
「ああ、それは」
この時の俺は、例の噂の、”口止め現象”について一切考えていなかった。故に、こんなことになるとは思いもしなかった。
「お前がここ最近、誰かに……ッ!?」
突然、俺の身体が大きく左に傾いだ。階段を一気に上がって足がもつれたわけじゃない。原因はわからない。ただ誰かが、梓でも、俺自身でもない、そこにいるはずのない何者かが、俺をドンと突き飛ばした。そんな感覚があったのだけを、鮮明に覚えている。
そのまま俺は、屋上のフェンスに寄りかかる。どちらかというと、突っ込むといったほうが正しいかったかもしれない。そして、よくは分からないが助かった、と安心した次の瞬間、
ばきっ。
何か金属質のものが外れたような音が、俺の鼓膜を叩いた。次いで、身体が大きくバランスを崩す。
「克樹くんーーーー!」
「ぅ、うわああぁあぁあぁぁ!」
梓と自分自身の叫び声を聞き、同時にフェンスが壊れたことを俺が認識したのは、宙に放り出された後だった。