ウワサへの依頼
「さっきは話が途中やめになっちゃったけどさ。克樹くん、本当に部活とか入らないの?」
中央塔に続く強化ガラスの廊下を渡りながら、少し前を歩く男の子に声をかける。すると男の子、八神 克樹くんは、少しだけ首を傾げながら答えた。
「いや、俺のことばっかり言ってるけど、そういう梓だって入ってないじゃん」
ぐっ、痛いところを……。
私は仕方なく説明することにする。本当は言いたくなかったんだけどなあ。
「……私は高等部に進級した時に、桐原先輩にルーシェに入れって言われたの」
正確に言えば、『君が良ければぜひ』とか言われたような気がするけど、先輩は入らざるを得ない感じの空気を醸し出していたから、そういうことにしとく。
「え、そうなの!? ……の割りには、あんまり顔出してない感じだけど」
「こっちが呼んだ時以外は好きな時だけ来てくれればいいって言われたから、その言葉通りにしてるだけよ」
進級式と同じように、克樹くんに言葉を返しながら、私は他のことを考えていた。
最近、何かがおかしい。
なんとなくだけど、そんな気がする。
ごくごく少しだけど、みんなの思考の「流れ」が淀んできている感じがする。みんなが同じことを考えているのに、やりたいことがあるのに、それができない。そんな感情が流れてくる。でも、そのやりたいことがなんなのか、それだけが全く「流れ」に乗ってこない。
いや、違う。
流れては来ているんだ。けど、途中で遮断されている。きっとそうだ。そうでなければ、最近「流れ」に混じって聞こえてくる、今までなかったノイズの説明がつかない。でも、そうするとノイズの発生源は……
____んんー、なぁに? また考え事?
突然頭の中で、眠そうな声が響いた。私のじゃない。でも、私はこの声の主を知っている。私はひとまず、思考だけでその声に反応することにした。
『あ、起きてたんだ。今日は早いんだね』
____むぅー、どういうことよそれ。その言い方だと、アタシがねぼすけみたいじゃないのぉ。
『あはは、ごめんごめん』
怒っているんだろうけど、のんびりした口調のせいで全然そんな感じがしない。私は表情の方でも笑ってしまいそうになって、ギリギリでこらえた。克樹くんに見られたら変なやつだと思われるだろうし。
____にしても、またピリピリしてるのねぇ、アズサ。あの三人のところにいくの?
『うん、まあ、そんなとこ』
____ほんとにアズサは、あの三人苦手なのねー。何もしてこないし、そんなに警戒することないのになぁ。
『三人、っていうよりは、男二人の方だけどね。……何かしてきてからじゃ遅いでしょ? case-by-caseって言うし、注意するに越した事ないよ』
____うーん、そんなものかなぁ?
今でこそこんな風に自然に話せているけど、最初の頃はすごく怖かったのを今だに覚えている。自分はおかしいんじゃないかって、真剣に何度も考えたこともあった。でもそのうち、彼女の方から色々話してくれて落ち着いたんだっけ。それから、私からも色々話して、頭の中だけで会話する練習も沢山して。今みたいにすごせるようになったのはたしか、中等部の後半くらいだった。彼女本人によれば、彼女は私よりもずっと年上らしいけど、関係自体は普通の友達みたいなものだ。普通の友達と一つ違うのは、いろんな秘密を共有できること。
____でも……んふふ。
『ん? どうかしたの?』
____まさかアズサが、男のコを連れて歩く日がくるなんてねぇー。んふふ、おねーさん嬉しいわぁ。
『……え、ちょ、ちょっと!? 茶化さないでよ! 克樹くんとはただの友達だってば!』
____んんー? 怪しいぞぉ、ほんとかなぁー?
『本当だってば! ……もうっ、まだ疲れてるんでしょ、さっさと寝ちゃってよ!』
____きゃあ、怖いこわぁい。まあでも、それじゃあお言葉に甘えて、おやすみなさぁい。んふふ……
すぐに寝息が聞こえてきて、それも次の瞬間には頭の中から消える。彼女のこういうところには、いつまでたっても慣れないなぁ。というか、いい加減少しは自重してほしい。
「……まったくもう」
「え? 何、どうかした?」
あ、しまった。つい声に出ちゃった。
「うぅん、ごめん、ひとりごと。なんでもないよ」
「え、ああ、ならいいけど……」
……危なかった。
本当、秘密を隠し続けるのって大変。でも、絶対に隠し通さなくちゃいけない。大好きな今を、日常を、失わないために。
######
「失礼します」
「しゃーっす」
「やあ、よく来てくれたね」
「早かったな」
「あら、いらっしゃい。お茶を用意しなくちゃね」
さて。
生徒会室に到着した俺たち二人を待っていたのは、いつもの三人____副会長で眼鏡紳士の桐原先輩、庶務で日焼け学ランの茅野先輩、会計でゴスロリ美女の吉川先輩。それに加えて、
「あ、かつきとあずさだ!」
「うっす。お、会長もいるのか」
赤毛のちびっ子、もとい生徒会長の伊集院 玲那も居た。
「はい、二人のぶんのお紅茶ね」
「ありがとうございます」
「あ、すんません」
俺と梓は、ティーカップを持って来てくれた吉川先輩にお礼を言いながら席に着く。最初のうちこそ緊張してはいたが、今ではすっかり、この生徒会室も見慣れたものだ。
ルーシェに呼び出されるのは、俺に、いや、より正確には、俺たちにとってはもはや習慣となっている。とは言っても、別に大したことじゃない。やることといったら____
「あ、今日の紅茶、美味しい……」
「まあ、嬉しいわ。梓ちゃんのお口に合うように、色々考えてみたの」
「あ、ありがとうございます」
「あやのー、お菓子! お菓子ちょうだーい!」
「はいはい。もう、会長はわがままなんだから……」
「今日、○○先生が……っていうことがあって……」
「おいおい、それマジか八神?」
「はははは、先生も災難だったね」
こんな風に、お茶を飲み、お菓子を食べながら談笑することくらいだ。
なぜ俺たちばかり、という疑問は今だに残ってはいる。そしてそれに対する回答も、今だに得られていない。だが、梓がどうなのかはともかく、俺は最近そのことについてはさほど気にならなくなった。なぜって、俺にここに来る目的、というか、楽しみが出来たからだ。いつもの調子で、俺はそれを提案することにした。
「桐原先輩、あれ、やりましょう」
「ん、ああ、構わないよ。しかし、今日はいやに自信があるみたいだね」
バレたか。どうやら表情に自信が滲み出てしまっていたらしい。けど実際にそうなのだから、別に隠す必要もないか。と判断して、俺は桐原先輩に挑戦的な目を向ける。不敵な笑みも忘れない。
「まあ、そっすね。今日こそ先輩に、黒星つけて差し上げますよ」
「はは、お手柔らかに頼むよ」
そう言うと桐原先輩は立ち上がって、窓際の棚から、薄い板のようなものと、少し大きめの豪華な装飾の施された箱を持ってくる。そしてそれを机に置くと、いつもの手順に従って、箱を開け、板を開き、箱の中から取り出したものを板の上にのせていく。精巧に作られた塔、馬、王冠____。そう、チェスだ。
ぶっちゃけて言うと、麗飛学園に入学、もとい転入するまで、俺はチェスに関しては完全など素人だった。それどころか、将棋すら数える程しかやったことがなかったのだ。多分、何度目かに生徒会室に来た折、偶然目についたこれを見せてもらったのが始まりだったんだろう。
はじめのうちは、独特の質感と存在感を持つ駒を見ているだけで、十分退屈しないで済んだ。でも、桐原先輩から、駒の動き方や役割、それの意味するところを教えてもらううちに、気付いたら、実際にやってみたい、と思うようになっていた。
そして今。俺は既に、茅野先輩や吉川先輩を打ち負かすことが出来るほどの実力を身につけていた。二人ともそこそこ自信があったらしいけど、どうやら俺の飲み込みが勝ったようだ。高校生の割に妙に大人びた雰囲気のある先輩たちが自分に負た時の驚きの表情を見た時は、思わず吹き出してしまった。
しかし、桐原先輩だけはそうはいかなかった。現在の戦績は全戦全敗。圧倒的な強さだった。でも俺は逆に、負ければ負けるほどに俄然やる気が出るタイプなので、懲りずに何度も、こうして挑み続けているわけだ。
準備も完了し、いざ対局、というところで、それまで吉川先輩と話していた会長がこちらの様子に気付いたのか、桐原先輩に向かって言葉を投げる。
「まこと、またチェスやるの?」
「はい。会長もご覧になりますか?」
桐原先輩は冗談めかして言う。こういうのってかなり詳しくないと、横から見てても面白くないんだよな。
「う〜〜ん……いいや。それより、あずさ! 一緒に遊びにいこ!」
「へっ? わ、私?」
椅子から飛び降りると、梓の手を取って無理やり引っ張って連れて行こうとする会長。そして、いきなり白羽の矢を立てられてたじろぐ梓。っていうか、遊びに行く、か。一体何をするんだろう?
「うん! ショッピングモールでお買いもの! いいでしょ?」
ああ、なるほど。小学生でもやっぱ、女の子の遊びってそういうもんなんだな。
「べ、別にいいですけど、でも……」
梓はなぜか食い下がる。会長と二人なのが不安なんだろうか。すると、今までそれを見ていた吉川先輩が立ち上がって、微笑みながら言った。
「ふふ。それじゃあ、私もご一緒しようかしら。梓ちゃんに合う服も探してあげるわよ?」
「え、いいんですか?」
「ええ、大丈夫よ。それじゃあ、行きましょうか」
「わーい! あやのもいっしょだ!」
結局、女三人で買い物に行くことになったようで、梓たちは談笑しながら生徒会室から出ていく。なんだかんだ言って、梓って意外と吉川先輩のこと好きだよな。先輩として。
と、扉を閉める直前、吉川先輩がちらりと顔を覗かせ、こんなことを言った。
「……じゃあ、二人とも。お願いね」
ぱたん、と、扉が閉じる。
「____そうだな」
「うん、やはり、そうすべきかな」
先輩二人が、ぼそりと呟いた。
「え?」
「……八神くん、対局前に、君に話さなければならないことがある」
今までにないほどに静かな口調で、桐原先輩は言葉を続ける。
「いや、話すべきこと、というよりは、頼みに近いかな。君に一つ、頼まれてほしいことがあるんだ」
「な、なんですか……?」
少し沈黙した後、桐原先輩は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「それは______」