大人になるとき
『「大人になったな」と感じるのはどんな時ですか?』
こんなありきたりな質問でも、即答出来る人は少ないだろう。しかし私はすぐにこう答えることが出来る。
『流れ星を見ている時だ』と。
ロマンチストかと笑われるかもしれないが、理由はどちらかと言えば悲観的なものだ。
一体いつ、星には五つの突起があり、均整のとれた形ではないと知ったのだろうか。
一体いつ、流れ星はただの小石のようなものだと知ったのだろうか。
そしていつ、流れ星に願いを込めても、意味が無い事を知ったのだろうか。
私は流れ星を見るたびにそんな事を思ってしまう。
ほとんどの出来事はそういうものなのかもしれない。この世に生まれ、幾年月を過ごしていく間に、いつの間にかそれを知り、理解や発見の感動も無いまま“日常”になっていく。
なんてつまらないだろう。
なんて悲しいのだろう。
かつて願いを込めた星の形も、その美しい姿も、願いを込めるその意味も、知らないうちに失ってしまったというのか。
そんな事が、大人になるという事だったのか。
どれほど思い出そうとしても、いつから流れ星の真実を知ったかなど一向に思い出せない。ただ、純粋に願いを掛けていた頃の記憶は微かにあった。それは、幼い頃に、珍しく父と星を見に行った時の記憶だ。
星空を見ながら、私は父に言った。家族三人でいつまでも幸せに暮らせるように、流れ星に願うのだと。父はそれを聞いて、優しそうに笑っていた。仕事が忙しくたまにしか家に居なかった父との、数少ない思い出だ。
そこまで思い出して、笑顔の父の記憶はもうそれしか覚えていない事に気が付いた。父は普段あまり笑う人ではなかった。そんな父も、もうこの世にはいない。
私も決して明るい人間ではない。こんな事ばかり考えて、きっと今の自分は、かつての父のような仏頂面をしているのだろう。それでも、父ほど大人にはなれていない。そう思う。
頭上で星が流れる。今の私は、その流れていく星の正体を知っている。
それでも、星の正体を知らなかった頃と――父が隣にいた頃と変わらずに美しく煌めき、そして消えていく。
何が変わってしまったのか。
何が変わらずに在るのか。
その中で、何が大切なのか。
それを知ることが、大人になるという事なのだろう。きっと。
父が笑みを返してくれたように、見上げた空にまた星が流れた。