第七話 奔流
細かい予定を立てずに出てきてしまったが、まずは地図上では最短距離になる南を目指そうと思う。だが実際のところ、本当に最短なのかはかなり疑わしい。
目の前にそびえ立つのは、高い山。この山を越えて平原を歩き、森を抜ければ海に出る。そうすれば町があるから、そこで泥棒を捕まえればいいだろう。この山を越えさえすればあとは簡単といっても過言ではないとクライドは思う。実際に歩いたことはないけれど。
しかし、ここで一つ大きな問題がある。思わずため息が出るぐらい高い山にたどり着くためには、大きな川を越えていかなければならない。川幅は裕に六、七メートルくらいはあるだろう。かつて橋がかけてあったような形跡はあるが、流されて久しいらしい。『危険、渡るな』と読み取りづらい古いフォントで書かれた、看板の残骸が川の傍で朽ちている。
正面突破するとか走り幅跳びの要領で越えるなどという考えは、絶対に捨てた方がいい。身長も高くて運動神経抜群のグレンなら棒高跳びの要素を加えれば越えられるかもしれないが、問題はアンソニーやノエルだ。自分だって越えられるかどうか解らない。というより、こんな川を跳び越えるのはやはりグレンでさえ無理かもしれない。轟音を立てて流れるこの奔流の中に落ちたら、もう命はないだろう。
この町から出るための交通手段は、本来であれば飛行機が一般的だ。町民の殆どがバケーションシーズン以外では使わない代物だが、アンシェントタウンには空を飛ぶ以外にこの山脈を越える方法が無い。何故頻繁に使われないのかと言うと、搭乗の手続きに二週間かかる上に、その手続きを踏んだ上で隣のスウェント空港への便が一ヶ月に一度しか飛ばないからだ。利用者の人数によっては、そもそも飛ばないこともある。バケーションシーズンだけ、普段一ヶ月に一度の飛行機の便数が三倍に増える。だから、殆どの人が夏と冬にしか飛行機を使わない。
一ヶ月に一度の飛行機だが、徒歩で山を越えるより安全なのは間違いない。毎月一回の飛行機を待てば良いじゃないかという気持ちになるが、それはできないのが現状だ。二月ごろにエンジントラブルに起因する墜落事故があり、飛行場と機体の破損によって便数以前に空港が稼動していない。夏の休暇シーズンまでに直せるかどうかすら見通しが立たないのだと、一昨日のニュースで見た。クライドはそもそも貧乏で街の外へ旅行になんて行けないから、全くの他人事だと思ってそのニュースを聞いていたのだった。
どうしても山を越えたい大人たちは、郵便局か病院のヘリポートを借りてヘリをチャーターするらしい。ただ、そうなると渡航手続きに二ヵ月半はかかるという。
利用頻度の低い空港に人員やコストを割けないので便数も増やせず、壊れたとしても修復工事の費用も捻出できず、財務のやりくりに苦労しているというのもニュースでやっていた。思ってみれば、あの町長は鐘以外にもたくさん問題を抱えている。
クライドが考え込む傍ら、体力が有り余っているらしいグレンは軽く助走をつけて走り幅跳びの算段をつけているようだ。恐ろしいことを考えている。
「おいおい、無理だろ」
「足場がもうちょいまともだったら行けそうなんだけどな」
「クライドも行けそうだよね、運動神経すっごくいいもん」
「トニー、さすがにこれは無理。上流まで歩いて、川幅が細くなっているところを探すか?」
言いながら、町長から預かった地図を広げた。アンソニーは重たい荷物を地面に降ろす。そして、痛そうな表情で肩を摩った。地図を見るに、この川の上流は暫くこの調子で太い川になっている。やや細くなるところまで、三十キロくらいあった。落胆する。
「クライドの想像で何とかならないの? だって泥棒を焼いたし、風で飛ばしたじゃん」
小首を傾げるアンソニー。クライドは強い風で四人が川の向こうまで飛ばされるところを想像したのだが、背中から少し風を感じただけだった。それに、想像をすると鐘楼を元に戻そうとしたときに感じた頭痛が酷くなる。こころなしか、足元がふらつくように感じた。これは貧血の症状だろうか。
「俺の魔法、移動には使えないらしい。想像したとおりにならないんだ」
「連続で使うとまずいんじゃないのかい? 形はなくても君の力だ。何かしら、源はあるんだと思う」
ノエルの言う通りだ。少し使いすぎたのかもしれないと思い、クライドはその場に腰を下ろした。グレンも隣にすわり、地図を覗き込んで唸っている。
「本当、俺ら今までこんな辺鄙な場所でよく生きてこられたな」
意味無く横から地図を見ながら、陰鬱に笑うしかなかった。早くも八方塞だ。体調も良くないし、もしかしなくてもこれは幸先の悪いスタートではないのだろうかとクライドは思う。
「山岳民族もあながち外れてないかもな。胸を張って名乗ろうぜクライド」
「認めたくないけどな」
グレンと軽口を叩いて笑いあって、こみ上げる吐き気を堪えた。体が重い。頭が痛いし視界が霞む。少し目を閉じていよう。
「本当ならヘリがいいんだろうけど、知り合いのパイロットがいるわけでもないからな。なあノエル、お前そういう知り合いいねえの? ていうか、ノエルの父さんよく町から出るだろ。自家用ヘリとかねえの」
「知り合いは残念ながら医者ばっかりだよ。うちは結構裕福だって自覚はあるけど、ヘリはさすがにない。父さんは毎回、飛行機の予約を綿密にスケジューリングしているんだ。それでもダメなときは郵便局のヘリポートを借りるみたいだけど、それだって今日電話してすぐ使えるわけじゃない」
目を閉じたままグレンとノエルの会話を聞いて、すっかり道がなくなっていることを思い知らされる。
「反対側の山から回るよりいくぶんマシだろ。歩くぞ皆、三十キロだか四十キロだか知らないけど。その間に本当の山岳民族がいれば、橋もあるだろ」
「それしかないみたいだね、グレン。インドア派にはきついよ」
気が遠くなる。魔法を使いたいが、どうすれば有効な魔法が成立するのかまったく見当がつかない。山を越えたらまずは魔法を使い慣れた大人に志願して、使い方を教えてもらうところから始めたほうがいい気がしてきた。目を開けて立ち上がろうとすると、アンソニーがクライドの目の前でリュックをがさがさと探っているのが見えた。中に何か使えそうなものが入っているようだ。
「あった! ねえ、クライド? これをあの木に結び付けて、『密林の長』みたいに行けばいいと思うよ!」
彼がリュックの中から取り出したのは二十メートルぐらいあるという長いワイヤーだ。ワイヤーといっても釣り糸のようなものではなく、建築現場で使うような鉄鋼のものだ。結構太さがあるので、強度的には何の問題もないだろう。お菓子屋のアンソニーの家で、このワイヤーを何に使っていたのかは不明だ。
ワイヤーを調べるクライドの隣で、あの木だよ、といってアンソニーは川の向こうに聳え立つ山を指差した。山肌から木が突き出るように生えている。そのうちの何本かは枝がかなり多い。ワイヤーを絡めても折れないぐらい太い枝は、たくさんありそうだ。そこなら高さがあるので、ぶら下がれば振り子のように向こう側へ着地できるだろう。
しかし、そんなに高いところにどうやってワイヤーを結わえ付けるのだろう?
「へえ、悪くないアイディアだな。但し、あの木に手が届けばだけど」
グレンは片眉を上げてそう言って、宙に手を伸ばした。届くはずもない大木。見えているのに手は触れない。何とも歯がゆい状態だ。木の枝を掴もうとするかのように、グレンは何もない宙を掴んだ。
すると、グレンの表情が変わった。明らかに、何かに驚愕している様子だ。まさか、何かまずいことを発見したのだろうか?
「どうしたんだ、グレン?」
「な、なあ。見ててくれよこれ……」
ひきつった笑みを浮かべたグレンは、クライドを見下ろしてワイヤーを示して見せた。何をするのかと思い、クライドは真剣にそれを見つめる。グレンの手によって、ワイヤーは彼の肩の高さまで持ち上げられた。そこで、グレンはゆっくり手を離す。しかし、ワイヤーが落ちてこない。不可解な顔をするノエルとクライド。そして、面白そうに見つめるアンソニー。
次に起こったことに、クライドは思わず声を上げた。何と、クライドの見ている前でワイヤーはするすると宙へ伸び、一本の木にしっかりと結びついたのだ。
クライドは目の前の光景を受け入れられずに唖然とした。アンソニーの口から、驚喜の声が漏れる。
「信じられるか、クライド。俺がやったんだ」
そういうと、グレンはクライドを肩越しに振り返る。すると同時に、何もないのにクライドの髪が誰かの手で撫でられた。温かみは感じられない空疎な感覚だったが、この撫で方は間違いなく手だろう。
「どういうことだ?」
気味悪く思い、自分の髪を触るクライド。明らかに手の感触だったし、指がクライドの跳ねた金髪を掻き分けたのもわかった。体が重いが立ち上がって、グレンに向き合う。
彼はしばらく目を泳がせていたが、やがていつものようににやりと笑った。何を思いついたのかと訝ると、クライドの後ろにいたアンソニーが突然笑い転げ始めた。彼の服が捲れて白い腹が丸出しになっている。くすぐっているらしい。
「触れたらいいな、ぐらいに思って手を伸ばしたらさ。届いちまった。なあクライド、これって魔法の一種なのか?」
再び、クライドの頭が撫でられた。今度は、グレンがやっているのだと実感できた。グレンは困ったように笑っていた。アンソニーがひいひい言いながら、目に浮かんだ涙を拭っている。ノエルはそれを、驚いたように見ていた。
これが魔法なのかどうかは、クライドが断定できることではない。しかし、どう考えても魔法だ。そうでなければ、一体どう説明がつけられよう。
「グレンまで魔法が使えるようになったっていうのかい?」
目の前で起きた光景に目を奪われて立ち尽くしていたノエルが、そういってグレンを見つめた。グレンは頷いた。そして、ノエルの眼鏡を取ってみせる。クライドからすれば、眼鏡は宙に浮いているようにしか見えない。しかし、グレンはその眼鏡を掴んでいる感覚だと言っている。
ずっとワイヤーを握っていたグレンだが、結わえ付けたワイヤーが向こう岸に行かぬようにノエルにワイヤーの端を握っていてもらうことにしたようだ。
「ほら、返すよ」
そう言って、グレンはノエルに眼鏡を返した。もちろん、実際に手は使っていない。クライドと同じように、ノエルも気味悪そうに眼鏡の縁を触っていた。
「魔法だとしたら、ちょっと特殊な魔法だな。クライドみたいに、想像すれば何でもできるわけじゃないんだ。あくまで手だけ、幽体離脱したみたいに遠隔操作ができる。普通に手を動かしてる感覚と変わりないんだけど、動いてる手が実物じゃない。そうだな…… 動かせる範囲は、肘から先全部」
グレンは、ノエルの問いにそう答えた。アンソニーには理解できていないようだったが、クライドはこの言葉で何となく理解できた。多分、ノエルもそうだろう。グレンにも魔法が使えるようになった。クライドにとって、これはかなり良いことだ。
「ゆうたいりだつって何?」
きょとんとした声で、アンソニーが言う。そこかよ! とグレンが突っ込み、クライドは耐えきれず吹き出した。
クライドとグレンが顔を見合わせてどちらが説明するのか相談しようとしたとき、すでにノエルが説明してやっていた。ついでにグレンの能力についても簡単な説明を加えてやっている。その説明で実にあっさりとアンソニーは納得した。
いつも思うが、ノエルは人にものを教えるのが上手だ。ノエルは大学で医学を学んでいたが、医者ではなく教師になっても問題なくやっていけるのではないだろうか。
「とにかく向こう岸に渡ろう。俺が最初に行く」
そういって、グレンがノエルからワイヤーの端を受け取った。グレンは握っているうちに手からワイヤーが抜けてしまわないように、手首から腕にかけてを二、三度まいてからワイヤーをきつく握っている。
しかし、このままだと川面とワイヤーが垂直になったときに着水してしまうだろう。もう少し上の方を握らなければいけない。そのためには踏み台が必要だ。クライドが辺りを見回すと、丁度良いぐらいの大きさの岩があった。グレンに声をかけると、彼はそこに登って手首にワイヤーを巻きなおした。
「じゃ、いってくる! 荷物はあとから俺が運んでやるから心配すんな」
爽やかな笑顔でそういい残すと、グレンは颯爽と飛んだ。長い金髪がさらさらと風に靡いていて優雅だ。後姿にも美しさを感じる。
数秒で川を渡り終え、グレンは実に見事なフォームで向こう岸に着地した。そしてワイヤーを手から離した。だがワイヤー自体が軽いのか、もしくは長すぎるのか、振り子のようにこちら側の岸ににワイヤーが渡ることはなかった。こういうときこそ、グレンの出番だとクライドは思った。見えない手を使って、グレンはクライドにワイヤーをパスしてくれる。
「おい! クライド! これ素手でやらないほうがいい! タオルか何か巻け!」
川の向こうからグレンがそう言うので、クライドはワイヤーの高めの位置を一度結んでこぶをつくってから、荷物からハンドタオルを出して固く結び付けた。そして岩の上に立ち、ワイヤーのこぶとタオルの結び目が緩んでいないことを確認する。深呼吸をして気分を落ち着けて、クライドは次の瞬間ワイヤーに全体重を預けた。
全身を風がかすめていく。すぐ下に流れる川が、底なしの激流に見える。揺れと加速度でまたあの頭痛が酷くなった。がんがん痛む頭を抱えようとするが、手にはワイヤーをしっかり握っているため頭は抱えられない。
もう限界だと思って手を離そうとすると、丁度向こう岸に着いた。タイミングよくワイヤーを腕から離す。今回も、グレンがワイヤーを向こう岸に送った。
痛い手首をさすりながら、クライドは向こう岸の二人を見た。今度は、アンソニーが挑戦するようだ。
「クライド、グレン! かっこよかったよ! すごーい!」
そういって、岩の上で飛び跳ねているアンソニー。グレンは呆れたように、早くこいよと呟いた。その呟きが聞こえているはずはなかったが、アンソニーはすぐにこちらに渡ってきた。全く迷いの無いジャンプに、クライドは感心する。
途中で手がすべって川に落ちそうになったが、彼はどうにか落ちずに川を渡りきった。そして、手を離して着地する。しかし落ちそうになったときのせいで大きく軌道が変わっていたため、バランスを崩して地面に投げ出された。
うつ伏せに倒れたままのアンソニーを見て、クライドとグレンは駆け出す。対岸では、ノエルが青ざめた顔でそれを見ていた。アンソニーは顔面から地面に突っ込んだのだ。
「トニー、トニー! 大丈夫か!」
小さな少年の身体を揺すり、グレンが叫んだ。クライドも必死にアンソニーの名を叫ぶ。揺すられたアンソニーはうう、と唸り、起き上がった。彼が頭を上げたとき、地面に何か滴った。不思議な顔をして、アンソニーはそれに触れている。それは、血だった。
はっとした様子で、アンソニーは自分の鼻を触った。彼は顔から地面に突っ込んだのだ。だから鼻血が出ているのはクライドにも十分予想できる事態ではあったが、実際に見るとその赤にくらりとした。結構な量の血が出ているらしく、彼の手のひらを伝って鼻血が手首の方にまで垂れている。
「うっわ、鼻血っ! どうりで鼻が痛いわけだよ」
嘆きながら、アンソニーは服の袖で乱暴に鼻を擦った。白かった服の袖はすぐに汚れ、赤く染みになった。
「ああっ、そんな所で拭くな! ハンカチもってたのに」
アンソニーが鼻を擦るよりも一瞬遅く、クライドはハンカチを差し出しながらそう言った。鼻血だけですんだことに安堵を覚えたのか、グレンはいつもどおりの優雅な動作で長い髪をかき上げている。
一方、アンソニーの着地失敗を見てノエルは怖気づいたようだ。ワイヤーを握る手が震えているのが、対岸からでも見て取れた。確かに、ノエルよりも運動のできるアンソニーが失敗したのだから、怖気づくのも無理は無いと思う。ノエルはバランス感覚は悪くないが、体力も筋力もない。
今のこの調子でノエルがあの岩を蹴ったら、次の瞬間から彼は冷たい水の中で空気を求めてもがいているような気がする。彼が川面を眺める表情は、明らかに恐怖に満ちていた。ノエルがあんなに何かを怖がっているところなんて、見たことが無い。
川を眺める顔を上げ、ノエルは蒼白な顔で前を見た。目が合ったので、クライドはノエルを手招いた。しかし、彼は首を横に振る。
「ノエル、石を蹴れ。一瞬で済む。それにお前、泳ぐのだけは得意だろ。平気だ」
張りのある声で指示を飛ばしながら、グレンは見えない手を使うかどうかクライドに判断を迫ってきた。背中を押しさえすれば、ノエルは嫌でも川を渡ることになる。しかしそれは急激にかかる遠心力に耐えるだけの腕力があればの話で、あの骨ばった腕で体重を支えきることが出来なければノエルは落水するだろう。
確かにグレンの言う通り、ノエルは水泳だけは得意だ。それはクライドも知っている。だが、スイミングスクールの温水プールで自在に泳げたとしても、こんな急流に落ちたら普通は助からない。
クライドはグレンに、手を使うのはやめた方が良いと告げる。グレンは黙って首を横に振ると、諦めて説得にシフトするのかノエルに声をかけ続けた。
「だめだ、僕は跳べない」
数分間説得が続いたが、ノエルはあきらめてついにワイヤーを離した。しかし、このワイヤーを使わなかったら川を越えられない。一体どうするつもりだろう?
「大丈夫だ、ノエル。手首がちょっと痛くなるけど、やってできないことはないから!」
クライドはそう言って、何とかノエルの川越えを助長しようとする。だが、ノエルは一向にワイヤーを掴もうとしなかった。ただ黙って首を横に振るばかりである。
「ひとりで遠回りする。今からでもヘリを申請するよ。大学病院の医療用ヘリに同乗させてもらえないか掛け合ってみる。君達は先に行って、後で追いつく」
「ああ、もう! 馬鹿いうな、何ヶ月かかるんだよ! ノエル、後で怒るんじゃねえぞ!」
頭をかき回しながらグレンが叫んだ次の瞬間、ノエルの身体が宙に浮いた。驚いて声も出せないノエルは、徐々にこちら側の岸に近づいてくる。
一瞬遅れて、クライドにはこれがグレンの見えない手の力なのだと理解できた。ごうごうと轟く川を越え、ノエルはついにこちら側に渡ってきた。彼を運んだグレンは腕をさすっている。重さを感じるのは実際にある彼の腕なのだろう。
流石に、十六歳の少年をずっと高い位置に抱き上げ続けるのには骨が折れただろうとクライドは思う。ノエルは軽いのでまだ良いだろうが、もっと筋肉質な少年だったらきっと抱き上げるのなんて無理だったに違いない。
「さて、荷物もこっち側に運ばないといけないだろう?」
そういうと、グレンは一番軽いだろうと思われるクライドの荷物から順に向こう岸から運んでくる。アンソニーの大荷物にはさすがに苦戦したようだが、ようやくこちら側に人と荷物が全部集まった。良かった、とアンソニーが呟く。
「グレン、ありがとう」
ノエルはそう言って微笑を浮かべた。少し照れているようでもある。グレンは軽く笑って彼の肩を叩く。二人のやり取りを見て、クライドは深く安堵していた。よかった、一時はどうなることかと思った。
「礼なんて言うなよ。お前、軽いから楽勝」
そう言って、グレンは楽しげに笑った。クライドはそんなグレンを見て、何となく一緒に笑いたくなって微笑んだ。今頃になってようやく鼻血の止まったアンソニーは、大きな荷物を持って山のてっぺんを仰ぐ。
「ああー、疲れそうだねノエル」
山登りが苦手な彼らは、顔を見合わせて苦笑する。
「そうだね、でも山頂を目指すわけじゃない。きっと大丈夫だよ、今またひとつ、不可能が可能になったんだから」
そう言うと、ノエルは山を見上げた。彼がそういうなら、きっとやってできないことはないとクライドは思った。ノエルの言うことは、いちいち信憑性が高い。
グレンは見えない手を操ってワイヤーを木からはずしていた。そしてそれを丸めると、アンソニーに渡した。重たい荷物にさらに重たいワイヤーが戻ってきたので、アンソニーは渋面を作った。
「さて、行こうか」
挑戦的な視線で山を睨み、クライドは山への一歩を踏み出す。その後に続き、仲間達もはじめの一歩を踏み出した。
少しゆっくりとしたペースで始まる登山。クライドたちが山の向こうを見られる日は、いつになるのだろう。