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第六十五話 闇を照らす希望の光

 動けるようになったのか、クライドの視界の端にシェリーの赤い髪が翻る。

「人間界に出てきてよかった。皆のためになら、あたし、全てを使い果たしてもいい」

 帝王を見つめて、シェリーはそういった。そして、飛ばされた魔弾をするりと避ける。そのままシェリーは帝王に駆け寄って、至近距離から彼の腹に雷撃を与える。

 効果はあまりないように見えた。だが、すぐさま帝王の後ろからアンソニーが短剣を突き出した。

 クライドは剣を引きずりながら走って、帝王の首から腰にかけてを斜めにばっさりと斬った。魔力を封じるために使っているから、実際に帝王が真っ二つになることはないのだが。

「うわ」

 グレンの声が聞こえた。クライドは帝王を二人に任せ、グレンのほうへ向かう。グレンは起き上がってきたジャスパーとジェイコブの二人に押さえつけられ、壁際で短剣を突きつけられていた。ノエルが必死で何かしようとしているが、彼は魔力を使いすぎて床に倒れているためグレンを助けられないようだ。

 クライドはジェイコブの背中に剣を刺した。引き抜きながら、ジャスパーの背中にも刺す。そうして二人の魔力を奪うと、グレンとノエルの手を掴んでジャスパーとジェイコブから遠ざける。

 ジャスパーとジェイコブは起き上がって、まだ追ってこようとした。

 だが、帝王がいきなり二人の行く手に立ちふさがって彼らの腹部にそれぞれ右手と左手を貫通させる。鋭利な爪のせいか、帝王の手は信じられないぐらいにあっさりと二人の腹部に刺さっていた。

「……え?」

 クライドには、何が起きたのか理解できなかった。

 ジャスパーもジェイコブも絶叫し、帝王の腕の上に崩れ落ちる。何かの冗談かと思った。

 帝王は腕をすっと彼らの腹部から抜いて、まずはジャスパーの方から甚振り始めた。ジャスパーの傍らにしゃがみこみ、そっと彼に手を伸ばす。空気に嫌なよどんだ力が満ちるのを感じる。帝王は、二人の腹の傷口から魔力を吸収しているようだ。もしも魔力が有機物なら、今のこの状態は『腐敗』というほかない。息をするのも気持ち悪くなる、淀んだ空気は次第に濃くなる。

 帝王はまだ若い男の姿をしたジャスパーの、若者の顔をしたままの頬に、文字でも書くように気楽に十字型の傷跡をつける。そして、まぶたを無理矢理こじ開けてそこに長い爪を差し入れたりした。ジャスパーの頬を、あふれ出てきた血が伝う。

 ジャスパーは声も出せないほど弱っていたようなのに、それによって弱弱しくもがき始めた。だが帝王は、それすらさせないようにジャスパーの首を爪で掻ききった。どっと溢れてくる大量の血液。眼窩からあふれ出す血液もまだ止まってはいない。

 思わず吐きそうになり、クライドはその場にうずくまって咽た。一体、何の意味があってそんなに酷いことをするのだろう。仲間ではなかったのか? 敵は自分たちの方ではなかったのか?

 なのに何故、帝王は敵である自分たちに背を向けて仲間だったはずのジャスパーを甚振っているのだろう。

「興醒めだ、貴様らにはもう飽きた」

 ジャスパーの潰れた眼球を彼の眼窩から取り出して玩びながら、実につまらなそうに帝王は言った。帝王の長い髪は部分的に血で真っ赤に汚れていた。皇帝紫のシルクのような色合いだった髪に真っ赤な液体が付着しているのは、何とも嫌な光景だった。

「飽きた? あんた、それ自分の手下だろ?」

「そうだ、だから有効活用してやっている。こやつらにとっては最上の喜びであるぞ」

 シェリーの呆然としたような発言に、別に何も疑問に思っていないような口調でぞんざいに答える帝王。クライドはこみ上げてくる胃液を寸でのところで留め、胸を押さえながら起き上がる。咽たせいで胸の傷が痛くなってきた。息をして肺が動くたび、痛くなる。

 ジャスパーは無残にも、血塗れで顔の原型が解らなくなっている。これがあの五体満足の若い男だったとは、到底思えない。

 帝王はジェイコブの傍らに片膝をついて、悪魔の微笑を浮かべる。

「ジェイコブ、そなたもだ。喜びたまえ」

「ぐっ…… どうか、お赦しを」

 ジェイコブは半身を起こし、酷い怪我をしている腹部を抑えて懇願する。だが帝王は、彼の願いを聞き入れなかった。

 さっと薙がれる帝王の爪。切り裂かれたのは、起き上がろうとして身体を支えていた右肩。ジェイコブは一度起こした半身を再び床に横たえ、くぐもった声で呻く。

「ふん、魔力が殆ど残っていない。つまらぬ男よ」

 帝王は興味をなくしたようにそういって、ジェイコブを冷たい目で見下ろした。クライドは剣を引きずり、一歩ずつ帝王に歩み寄る。

 さっさと倒してしまいたい。このおぞましい男と、一分一秒でも早く別れたい。

「ウォル、何か呪文ない? 爆発とか地割れとか、一発でやっつけられるような」

「やってもいいが、それは呪文を使うよりお前が直接想像した方が身体への負担が軽くすむぞ」

「そうか、想像か……」

 頭の中で会話をし、クライドは帝王を見据えた。そして、剣を振り上げて突進する。

 刺され! 心の中で叫び、帝王の心臓辺りを貫く。貫きながら、想像する。帝王が氷づけになり、剣を抜いた瞬間に倒れこむところを。

 剣を帝王の胸から抜いた。冷気が頬を撫でる。クライドはそのまま後ろに何歩か下がり、帝王をにらみつけた。帝王は前に倒れる。上手くいったのだろうか。

「……気分が悪い」

 上手くいってなどいなかった。帝王はすぐに起き上がり、自分の手や髪を弄った。

 上手くいってはいなかったが効果はあったようで、帝王の髪は彼が動いてもさらさらと揺れたりしない。固まっているのだ。

「実に気分が悪い…… だが、これでもう終りだ」

 帝王は氷づけの身体のまま、王座を駆け上がった。クライドも剣をもったまま、後を追って走る。帝王は王座に飛び乗って、それからあろうことか鐘に手を伸ばした。クライドはまだ、階段の真ん中あたりだ。

「させるか!」

「愚かな混血め。私はこの広間で貴様の血をいくらか浴びた、下準備はもう整っているのだ」

 思い切り叫んでみると、帝王は狂ったように笑ってクライドを蔑むような視線を投げかけてきた。凍ったままの彼の筋肉が、ぴきぴきとひび割れる音がする。クライドは残りの数段を駆け上がり、帝王の手を魔力を込めた剣で切ろうとした。だが。

 かっと閃光が閃いて、世界が白一色に包まれた。眩しさに目がくらむ。夢中で自分の腕を目に押し付けると、遠く聴覚の隅で剣が床に落ちる金属音をとらえた。

 帝王は鐘の封印を解いてしまうのだ。解かれてしまったら、もうどうしようもない。

「ウォルっ! どうすればいい? 俺は何したらいい? どうやったら止められる? なあっ」

 不甲斐なくも、こんな場合なのに泣きそうになる。解かれてしまったら、全てが終わってしまう。それを阻止したいのに、クライドは何の手立ても思いつけない。頭の中がぐちゃぐちゃで、思考回路がうまく繋がらない。

「手を貸せクライド、前に突き出せ! 呪文を唱える。お前の全ての魔力を俺に預けてくれ!」

 頭の中で怒鳴られ、クライドは手を前に突き出した。目をあけると、まぶしい閃光の中に帝王がいるのが見える。鐘は白く輝きながら重く響く音色を出し、宙に浮こうとしている。急がなければ、帝王が封印を解き終わってしまう。鐘のなる音に、神経を集中させる。するとウルフガングは、古代語の呪文を唱え始めた。

 クライドはひたすら耐えた。自分の血が活性化して、体じゅうを不快なほどに駆け巡っているのをひたすら我慢する。そのうち血が足りなくなってきたのか足元がふらついたが、ひたすら我慢する。胸がまた痛み出したが、それもひたすら我慢する。泣きたくなるのも我慢する。

「クライドっ」

 誰かがクライドを呼んだ。クライドは振り返らず、帝王と鐘だけを見据えて手を突き出し続けていた。すると誰かは、クライドの肩に手を乗せて魔力を分け与えてくれる。誰だろう、と思うまでもなく、触られた手の大きさで解った。グレンだ。

「大丈夫。最後まで傍にいるのは、いつだって、俺だろ。だから頑張って、帝王を、倒せ!」

 息を切らすグレンに、クライドも頷いて応じる。そして、両手を前に突き出したまま後ろにふらりと倒れそうになる。倒れそうになったクライドの身体を、また誰かの手が助けてくれる。この骨っぽい感触は、ノエルだろう。

「もう少しで、帰れるよ」

 ノエルはそういって、あいている方の肩に手を乗せてくれた。決して多くはないけれど、強力な魔力が流れ込んでくる。これはきっと、ノエルの意志をそのまま反映させているような魔力なのだろう。

「生きて帰ろうね。きっと、一仕事終わったあとの、ケーキ…… 美味しいからさ」

 手を下ろしかけてしまったクライドの右ひじを、アンソニーが掴んでそういってくれた。クライドは頷いて、帝王を見据えた。帝王を見据えながら、体内で呪文を唱え続けているウルフガングの声に耳を傾ける。

 頭がふらついてきた。ぼうっとする視界に、眩しく輝く太陽のような鐘と、鐘から魔力を奪おうとしてクライドのように両手を前に突き出している帝王が見える。

「使って、あたしの力」

 そう呟きながら、クライドの左ひじをシェリーが掴んでくれる。それも、両手でだ。驚いてシェリーを見ると、弱弱しく微笑んでくれる。彼女の血がクライドの腕を通って指先に向う。

 ぱちん、と何かがはじける音がした。前方を見ると、帝王の長い爪が一本折れて、彼の背後へと吹き飛んでいるところだった。鐘から受ける膨大な魔力の影響だろう。

 クライドの腕も血管がくっきりと浮かび上がっていて、よく見れば数本を残して爪も殆ど全部が割れていた。そんなことにも気づかないくらい、クライドは神経を集中させていたらしい。

 割れた爪は、酷い場合は三つくらいに分かれていた。その割れ目の間から、血がほとばしっている。大切な魔力を無駄にしてはいけない。そう思って、クライドは想像で爪を元に戻した。

「クライド、最後になるかもしれないから、言わせてくれ」

 グレンの声が耳元で聞こえた。最後だなんて考えたくなかった。だが、クライドは頷いた。本当に、最後になるかもしれない。

「ありがとう。お前の、友達のまま死ねるんだったら、上等だ、俺の人生」

 クライドは頷いて、頷いてから溢れてきそうになる涙を必死にこらえた。最後になってまで、グレンは嬉しいことを言ってくれる。クライドは声も出せないくらいの魔力の圧力に負け、グレンの言葉に返事は返せなかった。

 穏やかでゆっくりとした、ノエルの声も耳元で聞こえる。

「僕にも、言わせて。ありがとう、君に出会えて、よかった」

 頷いた。何度も頷いた。頷くしかなかった。君に出会えてよかった、そんなことを思ってもらえるほど自分は立派な人間ではないと思う。けれど純粋に嬉しかった。ついてきてくれた仲間たちに心の底から感謝する。肩とひじに感じる、仲間たちのぬくもり。それを感じて、クライドは激痛と息苦しさのなかでも精一杯目を開く。手を突き出して魔力を放っているせいで頬を伝う涙をぬぐえず、少し困った。

「僕、クライドの、友達でほんとによかった! 生きてて、よかったっ」

 アンソニーの声が聞こえた。彼の声は、嬉しそうだったけれど半分泣き声になっていた。クライドは、彼に泣き顔を見せるのも嫌だったし彼も泣き顔を見られたくないだろうから、ずっと前を見たままでいた。

 生きてて良かった、死にそうなこの時にこんなことを思うなんて可笑しいかもしれないが。泣きながら笑って、クライドは帝王を見据えた。

 胸が苦しい。息が吸えない。皆の言葉に返答できない。彼の両手の爪はもう既になく、彼の手は血で赤く汚れていた。自分の手だって同じような状況になりつつあるが、痛みは全く感じない。感覚がないのだ。

「大丈夫、絶対、上手くいく」

 シェリーの言葉に何度も頷いて、クライドはまたこみ上げてきた涙をごまかすために下を向いた。肩口で涙をぬぐおうと思っても、ノエルとグレンの手があるから無理なのだ。彼らの手も随分とぼろぼろになっていて、見ていて痛々しかった。それでも彼らは、クライドに感謝の言葉を述べてくれるのだ。その健気さがとても嬉しく、おまけに悲しくて、泣けた。

 そうして気を抜いたとたん、ウルフガングの呪文が唐突に終わった。

 爆風にも似た衝撃が、クライドの両腕を襲った。感覚が一気に戻ってきて、腕どころか体じゅうが燃えるように熱くなる。

 一瞬にして魔力が全開になり、クライドは両腕に力を入れて手をこれ以上開けないくらいに開いた。そうしていないと、腕が千切れ飛びそうなくらいに痛いのだ。血管が何本も破裂していき、クライドの腕は血塗れになった。痛みに叫び声をあげそうになるが、こらえる。踏みとどまり、血まみれの腕から想像で血を戻す。

 クライドの両手から放たれる魔力も、鐘と同じように閃光を帯びて太陽のように燦々と輝いた。クライドは目を閉じ、想像した。活気付いた街を、小鳥の飛び交う空を。柔らかな風に包まれる森を。海辺の楽しそうな町民と、豊漁祭の様子を。

 平和な世界で、共に喜びを分かち合う愛する人々を。そして、五人そろった自分たちの姿を。

「これで終わりだ!」

 気合を込めて叫ぶ。すると、魔力の輝きがどんどん増した気がした。クライドは全身の力を魔力に変えた。人間としての魔力も、血の魔力も、すべて鐘と帝王に向けた。胸が潰れる。目を開けていられない。

 ――いい友達を持ったな。

 ウルフガングの声がした。クライドは頷いて、すべての力を一気に解放した。

 爆発でも起こったのかと錯覚した。手足どころか胴体まで残らず粉々になったのだと思った。それくらい強い魔力が、鐘と帝王に放射されて全てを包み込んだ。そして、帝王の断末魔の絶叫が聞こえて……

 聴覚はその働きを急激に放棄し、無音の世界がクライドを包んだ。鐘の光がどんどん鐘の内側に吸収され、その中にクライドたちの魔力も混じっていく。すーっと光の尾を引いて、魔力が完全に鐘に吸収された。帝王の姿は、もうどこにもない。

「終わった。帝王は鐘の中だ」

 ウルフガングの声が聞こえた。それを聞くと、ふっと糸が切れたように、クライドは後ろに倒れこんだ。そしてそのまま、息を荒げる。血が、魔力が、全てが足りない。クライドは何度か深呼吸し、それから痛む肺を押さえながら気を失った。

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