第六十四話 闇の古代魔術
膨大な魔力が手の中にあるのを感じた。自分の魔力と、ウルフガングの魔力が混ざっているのだろう。
ウルフガングの呪文を頭の中で聞きながら、クライドはどんどん膨らんでいく魔力を完全に制御するために必死だった。食料が足りなくなって釣りに興じたことを思い出す。今のクライドの手の中にある魔力は、生きた魚のようだった。しっかり制御しないと、どこかへ飛んでいってしまう。
「先に謝っておく、すまない」
「何で謝るんだ?」
唐突に謝られ、クライドは一瞬集中力をなくしそうになった。だがすぐに気を取り直し、弾けてしまいそうな魔力を必死に両腕で制御した。
「俺が憑依することで、術後の疲労がかなり大きくなる。出来る限り俺のほうで何とかするから、我慢してくれ」
頷きつつ、クライドは帝王をにらみつけた。帝王はまだグレンとシェリーを相手に楽しそうに攻撃を繰り出していた。力量の差は明らかで、二人は帝王に遊ばれているように見える。早く、早く助けてやらなければ。
「いくぞクライド。闇の封印呪文だ」
流れる魔力が大きくなった。これ以上大きくなったらもう一人では制御出来ない。かっと目を見開いて、クライドは呪文の最後の一節を叫んだ。
「汝が俊足、遥か碧落へ失せたまえ!」
何だか、『ちちんぷいぷい』とそんなに変わらないような内容の呪文だった。ちなみにこれはディアダ語ではなく、現代では使われることの無い古代の言葉だった。古代の言葉の、さらに古臭い言い回しの呪文だ。多分、アンシェント・クロニクルを書いた千年前の言葉だろう。
叫んだ瞬間、変化がおきた。体中を流れる魔力の、血の温度が急激に上昇したのだ。クライドは耳が熱いのを感じながら、帝王を睨みつけて魔力を両手で押し出した。帝王の身体には、 クライドとウルフガングの魔力が纏わりつく。一瞬置いて、帝王は両手を掻くようにして周りに突き出した。この魔力から逃れたいのだろう。
あっという間のことだった。帝王の身体に纏わりついたクライドとウルフガングの魔力は、もがく彼の中にどんどん吸収されていく。
まさか、失敗してしまったのか? 帝王は、クライドたちの魔力を奪おうとしているのだろうか?
だが、魔力を吸収し終わった瞬間には帝王は床に膝をつき、長い髪を床に垂らしてぜえぜえと喘いでいた。少したって、暖かい力が指先から徐々に浸透してくる。これが帝王の魔力を奪った感覚なのかもしれない。
「おのれ、小癪なっ…… 下賎の者め、亡霊を引き連れているな?」
どうやら、上手くいったようだ。グレンとシェリーの無事を確認して安堵したとたん、クライドは帝王と同じように床に膝をついた。立っていられなくなったのだ。
頭に血が上る。のぼせたときのように、鼓動の音がはっきり聞こえるようになる。ぼうっとした頭の中で、ウルフガングが申し訳なさそうに囁いた。
「疲れたろ。なるだけ障壁を作ってお前を護る」
「いや、攻撃のためにとっておいて。頑張るから」
「わかった、苦しくなったら言え」
頭の中だけでそんな会話をし、クライドは膝をついたまま帝王を見据えた。目を閉じると少しだけ楽になったような気がし、クライドは全身を駆け巡る血液がだんだん穏やかになっていくのを感じていた。
そっと右足に力を入れた。そして、隣に駆け寄ってきてくれたアンソニーの手を借りて立ち上がる。
「グレン、頼む」
復讐心に燃えた目をしたグレンに、そういって弱く微笑みかける。するとグレンは帝王を睨みつけたままクライドに向かって、いつもどおり優しい声で言った。
「ああ、ちょっと休んでろ」
そういわれても、休んでいる訳には行かないのが現状なのだが。
クライドはあたりを見回し、シェリーにふと目を留めた。そして、あることを頼んでみる。
「シェリー、漁船につんであった剣って取れるか?」
「やってみる、どんな剣だ?」
「結構大振りの、こんな剣」
クライドは初めて、想像した内容を他人と共有した。思い描いた映像を、シェリーがわかってくれたところを想像するのだ。クライドは思い描いた映像をシェリーに転送した。
シェリーはクライドが想像した内容をしっかりキャッチしてくれたようで、軽く頷いてくれる。
そして数秒後、シェリーは宙に手を伸ばした。すると、彼女の手の中に大振りの剣が振ってきた。しかしシェリーは血をたくさん使ってしまったのか、ふらりと前に倒れこむ。
クライドは辛うじて彼女の身体を抱きとめて、背中を幾度か叩いてみたが彼女は起き上がらない。
「ありがとうシェリー、大丈夫か? ごめんな」
クライドの肩にもたれかかってぐったりとしたシェリーに向かって、クライドは言った。この言葉にシェリーは自力で動こうとし、出来ずにクライドの胸に再度もたれかかる。
「あたしこそごめん、ほんと、動けない」
「待って。ちょっとやってみたいことがある」
クライドはシェリーの肩をそっと触って、微笑を浮かべた。シェリーは不思議そうにこちらを見ていたが、やがて表情を変える。
クライドは、自らの血をシェリーに分けたのだ。血は魔力に変換せず、血のままで与えた。シェリーは人間ではないから、血自体をどうにかしてやらなければならないだろう。人間流の魔法を使えるのなら魔力をそのまま受け継いでも大丈夫だろうが、エルフの場合は魔力の根源はすべて血なのだ。
そっと顔を上げてみると、帝王とグレンが対峙しているのが目に入った。グレンは明らかに苛々した様子で帝王を睨みつけ、こちらを時々ちらりと一瞥する。
まずい、グレンを怒らせてしまったようだ。それもそうだろう、傍目に見たら今のクライドたちは完全に抱きしめ合っていた。
「ほら、憎悪するがいい。あやつは女を奪おうとしているぞ!」
帝王は嘲笑を浮かべながらグレンの肩に長い爪を突きたてようとした。だがグレンはそんな帝王の手首を掴み、ひねりあげる。
「クライドはシェリーを助けただけだ」
グレンが低い声でそういって、ひねった手首をもっと強くひねりあげる。しかし帝王はひねられた手首を気にも留めず、グレンの頬に一筋傷をつけた。そして、唇を近づける。血を飲もうとしているのだろう、シェリーのときと同じように。ぞわっと鳥肌が立つのを感じる。
「やめろっ、気色悪い!」
まず反応したのは、当然グレンだった。アンソニーとノエルは起き上がってきたジャスパーとジェイコブの相手をしだしたので、グレンに構っている暇がないようだ。
「その剣は…… シモンの剣じゃないか」
頭の中でウルフガングの声がした。
「そうだよ、タジャールで謎のおっさんに託された」
「シモンの剣で斬れば、少しずつだが帝王の魔力をこちらのものにできる。でかしたぞ、シェリー、クライド」
床に寝たまま、シェリーは弱々しく笑う。クライドは剣を引きずるようにして走った。クライドが移動した後は、引きずった剣のせいで絨毯が切れてしまっている。
「グレンを離せっ!」
クライドは重たい剣を振り上げ、帝王の左肩に向かって振り下ろした。剣はまるで実体の無い幻像のように帝王の左肩を貫通し、それと同時に帝王の左手が動きを失ってだらりと垂れ下がる。
クライドは、想像と剣を一体化させたのだ。この剣の魔力であれば、帝王の腕を使えなくするのも訳のないことだとクライドは感じていた。
おそらく帝王は、魔力で動いているのではないだろうか。だから剣によって斬られると、動かなくなるのだろう。
常人は千年もの間生きながらえることなど不可能だし、大体帝王はいつから生きているのか定かではないのだ。彼の動力源は、きっと魔力だ。クライドはそう確信する。
「不届き者よ。私に勝とうなど」
「とっとと鐘返せよ、不届き者!」
帝王と不毛な言い合いをし、クライドは再度剣を振り上げて帝王の胴体を狙った。だが帝王にかわされた上に、帝王はクライドが狙った場所に笑みを浮かべながらグレンを引っ張ってきた。
あっと思った瞬間、クライドの中で刃に込める思いが変わった。この剣に治癒力を持たせてみよう。クライドはそう思いつつ、そのままグレンの胴体を薙いだ。
「うああっ!」
わざとらしい声を上げて、グレンは床に伏した。床に伏したグレンの頬の傷が、どんどん治っていくのがクライドの位置からだとよく解る。
そしてクライドは、スピードを封じたのにまだ十分すばやい動きをしている帝王よりももっと早く、帝王の懐に飛び込んで剣を振るった。
帝王は仰向けに倒れた。
かと思いきや後ろに宙返りして、もといた場所よりも数歩下がった位置にすらりと着地した。
「浅はかなものよ。準備運動にもならぬ」
嘲笑混じりにそう言われ、帝王の魔弾が肩をかする。直後に、帝王の爪がクライドの胸の辺りを斜めに切り裂いた。鋭い痛みに声を上げかけると、帝王の肩口で変化が起こった。爆発が起きたのだ。
痛みに顔をしかめながら振り返ると、ノエルがアンソニーの肩を借りて立ちながら帝王に向かって右手を差し出していた。
帝王は仰向けに倒れたが、すぐに復活して不敵な微笑を浮かべる。クライドは剣を握りなおし、帝王を睨みつける。どうすれば、帝王を倒すことが出来るのだろう?
明らかに帝王はこちらを舐めている。脅威になどなっていない。絶望的になってきた。もう、生きて帰れないかもしれない。世界は滅びてしまうのかもしれない。
「もう一回、撃とうか」
ふらつきながらも、ノエルは笑顔を取り繕ってそういった。そして、帝王を見つめながらもう一度爆発を起こそうとするノエル。魔力も体力もないくせに、どうしてそこまで頑張ってくれようとするのだろう。もう、終わってしまうかもしれないのに。
だが、よく注意してみれば、帝王の髪にはちゃんとこげた跡があった。爆発の規模からしてみればあり得ないほど少ない範囲にだが、確かに跡がある。
「僕たちには可能性がある。魔法は無限だ。諦めないで、クライド」
力強い言葉にはっとした。そうだ、まだ望みは残っている。最後まで諦めずに、力尽きるまで戦い通そう。何度も何度も同じことを繰り返すだけで良い。それだけでいいから、着実に帝王の力を削いでいこう。
「残念だったな帝王、お前に持ち得ないモノ、俺らは抱えきれないほど持ってるぞ。力ってのは、大事なもん守るために生まれるんだよ!」
グレンは起き上がりながら、そういって帝王を睨みつける。
――たとえ人間じゃなくたって、俺はずっとクライドの友達だ。
いつかの言葉を思いだす。
そうだ、大切な者を守ろうとする気持ちが全てなのだ。人間ではない自分を認めてくれたグレン、ノエル、アンソニー。意地っ張りで強がりだけど本当はやさしいシェリー。今もアンシェントタウンで頑張っている町長。いつだって優しかった母親。よき理解者だった祖母。海辺の従姉、ブリジット。最後の最後に世界を守りたいと言ってくれたイノセント。まるで昔からの友達のように、別れを悲しんでくれたサラ。強く逞しい漁師たち。そして、今はもういないレイチェルと、狂ってしまったハビ。
今まで出会ってきたすべての優しさを噛みしめて、クライドは帝王を見据えた。そうだ、皆を守りたいからここにきたのだ。守りたいと思う気持ちを持ち続けている限り、戦い続けなければ。
「皆、絶対一緒に帰ろうね」
ノエルを支えているアンソニーが、凛とした声でそう宣言した。クライドも大いに頷く。
そうだ、アンソニーだって自分を大切に思ってくれている。世界を大切に思ってくれている。いつもクライドが守ろうとしてきたこの少年が、今ではクライドを、世界を守るために頑張ってくれている。
ここで自分が力を出さなくてどうするのか。自分が諦めてしまってどうするのか。
大好きな仲間を、大好きな世界を、帝王なんかのために失くしたくない。その想いがあったからこそ、ここにきたのだ。大好きな仲間と共に、今日まで歩んでこれたのだ。
勇気を少し、もらえた気がした。
少しどころか、かなりたくさん。