表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/69

第六十ニ話 闇を統べる者

 孤島の断崖絶壁の下には、洞窟のような場所があった。まずはそこに入るらしく、クライドたちは船から下りるのを少しためらった。

 何せここは、暗い上に足場が悪い。なおかつジャスパーが滑って無様に転んだところを目にしてしまったので、自分もそんな風に転びたくはないと思ったのだ。

 慎重に船から降りると、靴の裏で水を踏んだ音がした。よく耳を澄ませば、ところどころで水が滴り落ちる音がする。

 ここには二人の衛兵がいて、迷彩柄の軍服を着て手に長い槍を構えてこちらを睨んでいる。松明に照らされた彼らは、察するに中年になりかけた三十代後半の男らだ。少ない明かりの中で見る顔には、かなり物々しい形相を浮かべている。

「通せ」

 イノセントが発した単語だけの一言で、男らはすぐにどいた。そして、イノセントたちに向かって跪いた。イノセントはそれを興味のないような目で見つめ、ふうと軽くため息をついた。

「お帰りなさいませ、イノセント殿、ジャスパー殿、ジェイコブ殿」

 衛兵の二人は声を揃えてそういって、深く頭を下げた。どうやらこの島では、イノセントも大きな権力をもっているらしい。だが監督に向かっての挨拶がないということは、監督だけは身分が下なのかもしれない。

「我らの帰還を我が君に伝えろ」

「畏まりました、しかし恐れ多くも申し上げますが……」

 ジャスパーが威厳に満ちた口調でそういうと、衛兵はなにやら口ごもって上目遣いにジャスパーを見上げた。なにか不都合があるようだ。

「何だ。言ってみろ」

「内乱です。原因はオーディー、兵士の三分の二が絶えました。今行かれては危険かと」

 内乱とは、仲間割れか何かのことなのだろうか。そして、オーディーとは何だろう? おそらくここだけで通じる隠語か暗号なのだろうが、少し知ってみたくなった。その混乱に乗じてずらかる作戦が適応できるかもしれない。

「気にするな、内乱などいつものことだろう」

 いつもどおりの冷淡な声でジェイコブは言って、跪いた衛兵の横を特に何を気にする様子もなく通り過ぎた。その後ろに監督も続いていくが、彼は明らかに表情を曇らせている。イノセントとジャスパーは、クライドたちが歩き出すのを待ってクライドたちの後ろから来た。完全に包囲されているようで少し気分が悪い。

「ジェイコブ、内乱だってよ」

「どうやら我らが帝王は機嫌がよろしくないらしい…… あばらの一本や二本は覚悟しておけ、ジャスパー」

「何で俺なんだよ、というか、いつも俺だよな」

 先頭を歩くジェイコブと、最後尾を歩くジャスパーが会話している。何故か、帝王の機嫌が良くない場合には内乱が起きるらしい。変わったヒミツ基地だ、とクライドは思う。

「足元に気をつけろ、時々穴があいている」

 監督がこちらを振り向き、足元に目を落とした。見ると、本当に直径一メートルくらいの穴が所々開いている。もう一度目を凝らしてみると、穴はそこらじゅうにあいていた。直径が数センチくらいの穴もたくさんある。

「石灰質で脆いのだろう、整備するよう指示しておく」

「俺がしておこう、イノセント。臣下の権力をそんな無駄なことに使うんじゃない。また内乱の原因になるぞ」

「前回の内乱は生物兵器プラントの不手際だ。俺たち臣下の起こした問題ではない」

「ここにはお前以上に気難しい連中が多いし、城以外の世界を知らない者さえいる。ある程度臣下らしく振舞って、長いものには巻かれてやって、無用な争いを避けることだ。そのほうが、お前の今後をもう少しマトモにできるだろう」

「今日はよく口が回るな」

「今更になって、オリバーの気持ちが良く分かるよ。お前には未来があるんだ、イノセント」

 イノセントと監督がそんな会話を交わし、それきり一行は無言になる。暫く歩くと、こんな洞窟の内部に扉があった。扉をくぐれば、暗い洞窟内から一変して明るいエントランス・ホールに出る。

「何だここ」

 後ろの方で、グレンのうんざりしたような呟きが聞こえた。確かに彼の呟きもよく解る。何故にこんな辺鄙な野性味たっぷりの地下洞窟に、豪華絢爛と言うほかない華美なエントランス・ホールがあるのだろう。どこか西の国の特産品である最高級の絨毯に、白い大理石の柱。大きな鏡がかけられているが、その縁取りは純金を使った彫金で飾り立てられている。そこには大げさに誇張された優雅さを主張するエントランスと、よれた制服の少年がうんざりした顔で佇んでいるのが映っていた。思わず跳ねた金髪を撫で付ける。

 振り返ればドアの横に、女神をかたどったような美しい裸婦の像が一対並んでいた。こういう分かりやすい貴族趣味が帝王の趣味なのだとしたら、相当の変人だとクライドは思う。

「最上階までだ」

 先頭を歩いていたジェイコブが、先ほどの衛兵よりも随分と優雅な服装をした衛兵に声をかけている。彼は白っぽい軍服のようなデザインの衣服に身を包み、腰にサーベルをさしていた。

「謁見ですね」

 優雅な動作で一礼してから、彼はジェイコブにそういった。ジェイコブは冷たい態度で頷いたきりだった。衛兵はポケットから鍵の束を取り出し、先に立って歩き始めた。

 エントランス・ホールの奥にはエレベーターがあった。歴史の教科書に載っていそうなゴージャスな城の様相はそのままに、重厚な扉に豪奢な彫刻が施してある。ボタンのところだけどうしてもやや近代的な感じがするが、デザイナーが上手にこの前時代の王族が好んだような室内にエレベーターを溶け込ませていた。

 衛兵はその重厚な扉に鍵を差込んだ。彫刻の一部に上手に紛れ、そこが鍵穴なのかと驚くようなところに鍵穴があった。しかし、扉は開かない。彼は何本か試して、やっと正解にいきついて鍵を開けた。

「五分十二秒。前回より悪いぞ」

 ジャスパーは、本来の姿より随分と細くなった手首に巻かれた腕時計を指差して言う。クライドは彼を見て、それから衛兵を見た。衛兵は申し訳なさそうな顔で、下を向いていた。

 ジェイコブは彼に対しては何の興味も示さず、エレベーターに乗り込んでいる。監督、ノエル、シェリー、アンソニー、そしてイノセントが乗り込んだ。クライドも置いていかれないように乗り込む。エレベーターは意外と広く、装飾が豪華だった。確かに、『王』の住まう城という感じがする。

 最後にグレンとジャスパーが乗り込んで、エレベーターのドアが閉まった。定員は何名なのだろう。今は九人乗っているが、大して重さなどないようなスピードでエレベーターはぐんぐん上へ上がっていく。

 もしもジャスパーが本来の姿のまま乗っていたとしたら、定員オーバーで彼だけ降ろされる運命にあったかもしれない。エフリッシュ系のすらっとした青年に姿を変えている彼は、やっぱり若くてそこそこ良い見た目なのに何となく冴えない感じがした。

 一旦停止したエレベーターのドアが開いて、なにやら騒がしいフロアに着いたがジェイコブがすぐボタンを押してドアを閉めた。それを見て、小さくジャスパーが溜息をついたのが見える。風に乗って届いた火薬の臭いに、胸がざわつく。さっき言っていた内乱とは、帝王の手下たちの争いに間違いないだろう。

「あとどのくらいなんだい?」

「すぐだ」

 ノエルとジェイコブがそんな会話を交わし、またエレベーターが動き出した。

 ゆっくりと進むエレベーターはおそらく五分と動いていなかったのだろうが、クライドにはその移動時間が三十分くらいに感じられた。

 やがて、ドアが開いた。ドアの前には、広い廊下が延々と続いている。この廊下に続いているのは、エレベーターだけらしい。階段はないのだろうか。

「降りろ」

 ジェイコブの酷く事務的な声が聞こえた。クライドはそっとエレベーターから脚を踏み出したが、廊下には上質の赤い絨毯が敷き詰められていたので少し踏むのをためらった。

 だが、ここは敵の本拠地なのだ。汚したって構うものか。そんな子供じみた考えで、クライドはしっかりと真紅のベルベットの絨毯を踏んだ。むしろ踏みにじった。

 城の内部はとても精緻なデザインの調度品で飾られていて、照明はすべて硝子細工が際立つきらきらしたシャンデリアだ。ただ、エントランスホールは笑いを取ろうとしているのかと思うほどごてごての貴族趣味だったのが、この階になるとやや現代的な感じがして、普通に金持ちの豪邸にいるような気持ちになる。どちらにしても、冴えない格好の自分はかなり浮いているとクライドは感じた。

 隣ではアンソニーが限りなく無防備さを感じさせる表情で、ものめずらしげにあたりを眺めていた。

「廊下の奥が王の間だ、俺はここで別れる。並みの兵士が陛下に会っていいのは陛下の許可が下りたときだけなんだ。陛下がお前らに何をするのか、ちょっと見たかったんだがな。映画のいいネタになりそうだから」

 監督はそう言って、ジャスパーとジェイコブとイノセントに軽く礼をした。イノセントたちを名前で呼んでいたことからすると、ここで出会った衛兵たちに比べれば監督もそれなりに位が上なのかもしれない。だがやはり、イノセントたちは別格ということだろう。

「じゃあな監督。俺、敵だって知らなかったときの監督は気に入ってたから」

 グレンはディアダ語でそういって、監督に手を差し出した。監督は笑みを浮かべて、グレンの手をしっかり握った。どうやら、言われた意味については解っているようだ。魔法なのかそれとも彼自身の語学力なのかはクライドにもわからない。

「生きていたらまた映画に出てくれ。今度はお前らを足止めさせるためじゃなくて、本気で演技を評価する。お前、見込みはあるからな」

 その言葉を最後に、監督はエレベーターの方に向かった。クライドはそれをディアダ語に通訳しながら、グレンと一緒に監督の行き先を目で追った。よく見てみると通路の奥にちゃんと階段への入り口があった。監督は歩くスピードより少し遅いペースで階段を下りていく。

 これで、彼と会う事はもう二度とないだろう。グレンもそう思ったのか、少しの間だけ寂しそうな顔をしていたがすぐに笑顔に戻って前を向いた。

 クライドも前を向いた。前を向いて、廊下の先にある扉を見据える。扉の両脇には二人の衛兵がいた。衛兵の二人は、エレベーターの鍵を開けた衛兵と同じように白を基調にした軍服を着て、長いサーベルを扉の前で交差させるようにして立っていた。格好としてはなかなか良いと思うが、疲れそうだ。

「そういえばジェイク、内乱はいいのか?」

「止まらんだろう。だがそれでも、あいつは止めに行った」

 呟いたジャスパーに向かって、階段の方を軽く親指で示すジェイコブ。グレンが少しの間、目を伏せた。彼はきっと無事ではすまないだろうと、火薬の臭いを思い出しながらクライドも思った。

 イノセントとジェイコブが並んで歩き始めたので、クライドたちも歩き始めた。長身の二人が前にいるせいで衛兵の姿は隠れて見えないが、扉の上のほうは見える。

 蛇をかたどった金色の飾りが扉の上部についているのが解る。豪華で精巧な飾りだがいかんせんモチーフが悪い。あからさまに悪の親玉めいているのが、非常に悪趣味だ。イノセントが小さく鼻を鳴らし、衛兵に向って命令する。

「開けろ」

「はっ」

 短く威勢の良い返事をして、二人の衛兵はサーベルを腰の鞘に戻して取っ手を引いた。扉の取っ手も金の蛇で出来ている。帝王はつくづく蛇が好きらしい。もしかすると、金運を気にして蛇をたくさん取り入れているのかもしれないなどと考えて緊張をごまかす。この世界の大抵の国では、蛇は金運の象徴なのだ。

「入りたまえ」

 王の間の奥から、ウルフガングの声に少し似た感じのバリトンボイスが聞こえてきた。これが、帝王の声なのだ。アンシェント・クロニクルでは古語を喋っていたが、帝王は今ちゃんと現代のディアダ語を喋っている。

 緊張で喉が渇いてきた。声の主のことを思うと、体の中にいるウルフガングの感情の動きがよく解った。かなり怒っている。クライドの中で、ウルフガングの憎悪の感情がどす黒く渦巻いているように感じた。

 イノセントが歩き出した。ジャスパーとジェイコブも歩き出す。クライドは歩きたくなかった。歩けば帝王に近寄ることになる。あの残虐な皇帝紫の男と、ついに相見えるのだ。もちろん怖い。だが、帝王よりクライドの中にいるウルフガングのほうがもっと怖い。

「そう臆せずとも良い…… 歩み寄るのだ」

 帝王の口調おかしい。

 クライドがそう思うと、ウルフガングの感情が少し和らいだ。そして、『そうだな』と同調する声が頭の中で聞こえた。現代語の習得が難しかったんだろうと声をかけて見れば、ウルフガングは笑う。

 クライドはウルフガングから少しだけ勇気を貰ったので、歩み始めた。イノセントたち三人は、帝王の王座の前で跪いて頭を垂れている。

 この部屋の天井は物凄く高い。通常の住宅の五階分くらいはあるんじゃないかとクライドは思った。王座は天井を五階分の高さだと考えると、丁度半分位の高さの位置にある。そこまでは細い階段が一本続いているだけで、王座は宙に浮くようにして存在していた。皇帝紫の男は長い髪を優雅に遊ばせ、王座にふんぞり返っている。意を決して、帝王の顔をちゃんと見た。一瞬息をするのを忘れた。瞬きなどできなかった。

 金色の目は蛇を思わせた。その目でにらまれたらきっと胃がよじれるような緊張感が走るのだろうと、横顔を見て思うほどだ。美しい顔立ちは宗教画に描かれるような神を思わせた。シルクのような皇帝紫の長い髪を、帝王は黒い長い爪でかきあげる。

 帝王がその身に纏っているのは、黒い長い外套だ。裏地が灰色で、装飾が多いインナーの衣服に青を使っているところに苛立ちを覚える。まるでウルフガングを意識したようなカラーリングだ。ウルフガングがクライドの中で怒りを露にしている。それを表に出さないよう、クライドは逆に冷静になることができた。

 外套の肩や胸元を飾る金モールは軍服のようでもあったが、百年ぐらい前の現代的ではないデザインだった。ウルフガングが現代の人間が着ていそうなシンプルな服をチョイスしているのと同じように、帝王もあのアンシェント・クロニクルに描かれた服とは違う姿で存在している。

 王座の肘掛を背もたれにして、ついでにもう片方の肘掛に足を乗せて、帝王はとても退屈そうだ。その足元には、捜し求めていた鐘があった。本来よりやや小さくはあるが、もうジェイコブが持ち去ったときのミニチュアではなくなっている。

 帝王は王座の肘掛から脚を下ろしたかと思えば、鐘の上に足を乗せたりした。捜し求めていた鐘の悲惨な姿に、クライドは頭に血が上るのを感じた。今やあの鐘は、完全に帝王の私物状態だ。この鐘がないから、市役所に集った魔道士たちが今も必死に魔法をかけているというのに。

 無意識に胸に手をやった。エルフのお守りが手に触れ、大丈夫だと囁いてくれたような気がした。

 こんなに気だるそうな姿勢をしていても、帝王は十分に威厳と美しさを兼ね備えた人だった。外見で言うならまだ青年だが、青年とは思えないような威厳と貫禄に満ちた何かが彼の持つ独特の雰囲気だった。

 クライドが帝王に圧倒されていると、不意に彼がクライドを見て笑った。美しく、それだけに空恐ろしい笑みだ。

「我の臣下の眼を奪ったのは貴様か」

「ああ」

 思わずはいと言いそうになり、クライドは帝王の質問から数秒置いて普通の口調で答えた。

 無論、“王”と呼ばれる人物は、大体が偉い人物なのだろう。さもなくば、凄い特技を持っている、並の人間とは違う者だったりするのかもしれない。だが、クライドにとって王として忠誠を誓えるのははラジェルナの国王だけで、この奇妙なほど美しい帝王ではないのだ。

 いくら威厳に満ちていても、クライドには関係のないことである。帝王は敵で、敵以外の何者でもない。あえていうなら変人だ。

「貴様を私の臣下にしてやろう。私の時代を作ることに貢献し、この鐘の忌々しい封印を解きたまえ」

「断る」

 即答した。後ろでアンソニーがひっと小さく声を上げ、グレンにたしなめられている。クライドは王座をゆっくりと見上げた。帝王は髪を指に絡めたりして玩びながら、クライドの次の言葉を待っているようだった。

 やってやろうじゃないか。唐突にそう思った。クライドは帝王を睨みつけ、自分なりに開戦を宣言した。

「俺達の鐘を返せ、ドロボウ!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ