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第六十一話 ヒミツ基地

 それから監視されつつも平穏に船旅を進め、ついに孤島にたどり着いた。イノセントの言うとおり、ちゃんと十日でここまで来られた。

 しかし、ここで行く手を阻んだのが奇怪な潮流だ。まるでこの孤島を守るかのようにうねる荒波が、クライドたちを阻んだ。クライドたちも船を動かす知識があるから、この荒れ方の海は何かおかしいと直感できた。少し考えて、クライドは荷物を探る。

何か持っていたはずだ、と思った直感は当たった。クライドは町長とウルフガングからもらった二枚の地図を貼った地図帳を開いた。妙な記号の入った謎の地図を、そういえば受け取っていたのを思い出したのだ。この矢印は、多分潮流を表しているのだと思う。ジェイコブが頭をかきながら操舵室に向かったので、それを見せてやったら彼はぶっきらぼうに礼を言った。

「地図をなくしたんだ。長いこと戻っていない」

「あれ? 一度盗んだ鐘を届けに戻ったんじゃないのか」

「あの時は、途中から別の乗組員がいた」

 言い訳がましくそういったジェイコブは、クライドが渡した地図をみながら舵を取っている。それを見届けてから、クライドは揺れる甲板に両脚を踏ん張って前方に見える孤島を見つめた。

 ついに来てしまった。ここで死ぬかもしれない。

 そう思うと、自然に恐怖が胸を満たした。それでも、レイチェルがついていてくれる。それに、グレンとノエルとアンソニーがいるではないか。うまく出し抜いて鐘を奪い返し、平和な町を取り戻そう。

 クライドはふと空を見上げた。この空と同じ色をした目の、灰色の髪の英雄を思い出す。千年前に帝王を一度封印した男だ。あの人がいれば大いに力になってくれるだろう。

「ウォル」

 目を閉じ、小さな声で呼んでみた。そして念じる。脳裏に、海のそばに立った埃っぽい小さな小屋を思い描く。

 すると、隣に空疎な感覚が現れたので目を開ける。灰色の髪のウルフガングは、クライドの肩に手を添えながら真っ直ぐ前方を見つめていた。

「怖いか」

「少し」

 短く会話を交わし、それきり無言になった。荒波と風の音が、耳障りなほど大きく聞こえ出す。

「タダで帰してくれる相手ではない。死ぬかもしれないぞ、戻るなら今だ。町長もお前に、鐘を取り返せとまでは命じていないだろう?」

 静かに低い声で、ウルフガングは言った。今更選択を迫られたところで、答えはもう決まっている。

 まだ十六年と少ししか生きていない。まだレイチェルの元には行けない。それでも、結界を守りきれなくなったらアンシェントタウンから順番に世界が滅びていくのだ。

 そんなことはさせない。

「戻らない。俺はアンシェントタウンを、世界を救う」

「その意気だ!」

 ウルフガングは笑顔で肩を叩いてくれて、クライドを船室に入るよう促してくれる。クライドは頷いて、ウルフガングの後を追って船室に入った。

 ウルフガングの登場に、グレンたちは気づいた。しかしイノセントと監督は全く見えていない様子で、ウルフガングの方を見向きもしない。やはりウルフガングは幽霊だからなのだろうか。

「今は、魔力がある奴にだけ俺の姿が見える」

 ウルフガングはそう呟いて、イノセントのほうを見た。そしてグレンを見て、何かわかったように何度か頷く。クライドは彼のその仕草を見て、軽く笑みを漏らした。

「あ、そうか。エルフも魔力がある人にしか見えないんだよな、確か」

 グレンはそういって、ぽんと手を叩いた。しかしクライドにとって、これは少し奇妙な話だ。エルフは、人間には見えない。そう言われたのは随分前のことだったのに、今まで全く疑問に思っていなかった。父と母についてだ。

 何故最初にシェリーから聞いたときに、気づくことができなかったのだろう。エルフは魔力を持たない人間には見えない。ならば、魔力の無い(と思われる)母は父の姿を見ることが出来なかったはずだ。

「なんで母さんは父さんと結婚できたんだろう……」

「ハーヴェイは自分を人間化する魔法をかけたんだ。集落を出たらどうしても人間界で暮らすことになるから、脱走するときに自分を人間化した。中途半端な人間化で、耳がまだとがっているが」

 事もなげにクライドの疑問に答え、飄々とした態度で軽く笑うウルフガング。何故彼は、そんなに楽天的でいられるのだろう。これから死ににいくかもしれないのに。ああ、そうか。ウルフガングは死ぬことがないから、平気なのかもしれない。

 ウルフガングはふとノエルに目を留め、彼が腕にしていたバングルに目をやってから顔を上げて首をかしげた。港町を出る時に買っていた、サラとおそろいのものだ。

「ノエル。サラに手紙を書かないのか? 無事に帰れる保証はないぞ」

「心配をかけたくありません。何も言わずに行きますよ」

 怜悧な表情で、ノエルはきっぱりと言った。本当に、言わなくていいのだろうか。

 だが、そう思う一方でノエルの気持ちも良くわかる。漁師町を出てきたとき、サラは泣きじゃくっていた。あんな彼女の姿を見てしまったら、無駄な心配などかけられなくなるだろう。ノエルは優しい人だから、余計にそうなのではないかとクライドは思った。

「グレン。お前は。呼ぶなら今なんじゃないのか」

 ウルフガングはなんというかかなり鋭くて、ここにきてグレンがエルフについて言及したときから完璧にその真意を見抜いているようだった。平静を装っているグレンだが、本当は彼はいつでもシェリーのことを気にかけているのだ。その証拠にグレンは、胸に下げた勾玉の形をしたお守りを、暇さえあれば手で握り締めて物思いにふけっている。ウルフガングは、それに気づいているのかもしれない。

「そう、だな。これを使えば、あいつはここに来るんだろう? けど、いいのかこんなことして。あいつは相当な覚悟で俺らを見送った。最後になるかもなんて言ってこんなところに呼び出して、本当に最後になったらどうしたらいい?」

 ウルフガングは黙って選択を委ねる気なのか、答えずにグレンを見ている。クライドは小さく笑った。

「らしくねえな。自分の気持ちに素直になれ、会わなくてお前は大丈夫なのか?」

 そう返すとグレンは黙り込んだ。そして、胸元に手をやって勾玉を軽く握る。とても不安そうな仕草だった。頼りなげな姿だった。つかのま、彼は迷子になった無垢な子供のような目をしていた。

「大丈夫じゃ、ねえな」

「それじゃ、この状態のまま帝王と戦った時、お前は真っ先にやられるな。断言できる」

 クライドがそういってみると暫く考え込む仕草をしたグレンだが、そっとお守りを首から外して手首に紐を絡めた。そして軽く目を閉じて、お守りを握り締める。何か、小さな声で呟いたのが聞こえた。辺りがすっと静かになり、潮騒も遠のいていく。

 一瞬何も起きないかと思ったが次の瞬間に眩い閃光が走り、クライドは思わず目を腕で覆った。おそるおそる目の上から手をどけてみると、グレンの目の前に懐かしい少女の姿があった。ところどころ擦り切れたチュニックと、怪我をした右手にすぐ気がつく。

「シェリー」

 心から嬉しそうな、グレンの呟きが聞こえる。グレンは今こちらに背中を向けているので表情は解らないが、おそらく穏やかな微笑を浮かべていると思う。グレンを見つめるシェリーの瞳が潤んだ。

「グレン、なのか」

 クライドの位置からでも、シェリーの唇が震えているのが見て取れた。グレンはおそらく、今度こそ満面の笑みを浮かべたと思う。彼はそのまま彼女に歩み寄り、その小さな身体をそっと自分の腕で包み込んだ。

「馬鹿、俺だよ。俺に決まってるだろ。こんな格好良い男が俺以外の誰だっていうんだよ!」

「自分で言うな」

「冗談に決まってるだろ」

「知ってるし。見えるから」

 そのやり取りこそ二人らしいが、その態度はエルフの集落で出会ったときの喧嘩っぽかった二人からは遠くかけ離れていた。

 心から嬉しそうに、優しい顔をして二人は視線と微笑を交わしている。邪魔してはいけないと思い、クライドは自分が今いる場所から数歩後退した。

「我侭を赦してくれ、シェリー。会いたかったんだ、あれを最後にはしたくなかった」

 申し訳なさそうにそう言いつつも、グレンはシェリーを離そうとしなかった。離れていた時間を埋めようとするかのように、二人はぎゅっと抱きしめあっていた。

 身長差があるせいでなんともアンバランスな抱きしめ方で、シェリーがグレンにすがり付いているように見えなくもない。だが、おそらく縋りつきたいのはグレンのほうなのだろう。

 あんな、悲しみと苦しみをごっちゃにしたような作り笑いを浮かべているグレンなんて、そうそう見られるものではない。

「いろいろあったんだね、あたしの家から出てったあと。何も言わないでいいよ、全部わかってる。お疲れ様」

 シェリーがグレンを泣きそうな顔で宥めようとしている。グレンは彼女のその表情を見て、もともと悲しそうに見えた笑顔をもっと悲しそうな笑みに変えた。

「一緒に行くよ、グレン。一人でも仲間が多い方が、早く平和が戻ってくるから」

 シェリーは泣きそうな表情でそういいながら、グレンの腕にそっと自分の手を絡めた。クライドは少し逡巡したあと、もう少し後退して船室の壁に背中をついた。

 ふと横を見れば、ノエルの姿もあった。ノエルはクライドが後退して来たことに気づいたのか、目配せして小さく口角を上げる。アンソニーはというと、部屋の隅で昼寝したまままだ起きてきていない。

「……ダメだ、だってお前がもしも」

「あたしだって、あんたにもしものことがあったら困る。黙って送り出して一人で安全なところに隠れていろっていうのか? 馬鹿にしてるだろ。半端な気持ちであんたを送り出したんじゃない」

 グレンが思いつめたような声で反論すると、シェリーはいつものように少し強めの口調でグレンを叱咤するかのようにそういった。

 シェリーが来るか来ないかは、彼女に任せたいと思う。本当はシェリーまで危険な目に遭う必要など無いはずだから、ついてきて欲しくはない。だが、それでもシェリーが望んで共にいたいというならここにいて欲しい。今のクライドたちは、負けるわけにはいかないのだ。彼女の言うとおり、戦力は少しでも多い方がいい。

「クライド。あたしも、一緒に行っていい?」

 不意にシェリーがグレンの手を離して振り向いて、クライドに訊ねた。燃えるような赤い髪が日差しに煌いて、エルフのシェリーは神々しい戦の女神を思わせた。その一切の迷いの無い姿を見て、クライドは頷くしかなかった。

「なるべくだったらシェリーが帝王なんかと戦わないですむ方が俺としては嬉しい。あの日、クロニクルを俺の過去を通して読んだろ。ならどれだけヤバそうな奴かってのもきっとわかるだろ? あれの続きも、きっとまた俺の過去を見れば分かる。見た上で決めてくれ」

「さっき見えちゃった。相当、手ごわそうだよね」

「負けるわけにはいかないんだ。力を貸してくれ」

「ありがとうクライド! あんたの信頼は、あたしの大きな力になる…… 絶対、皆で帰ろう」

 シェリーは本当に嬉しそうな顔でクライドに微笑みかけてくれた。そして、目の前に立っているグレンの顔を気遣わしげに見上げる。

「あのね、グレン。戦いが終わったら、人間界で暮らしたいんだけど」

 突然の申し出にグレンは一瞬動きを止めた後、すぐ嬉しそうにした。二つ返事で頷いている。

「歓迎だ。当面は兄貴が使ってた部屋でいいか?」

 クライドは思わず船室の方にいると思われるイノセントの姿を探してしまった。ドアが閉まっているのでここからは見えないが、イノセントは魔法を使えないからシェリーの姿が見えないはずだ。イノセントがアンシェントに戻ることは一生なさそうだが、万が一戻ってきたらどうするのだろう。

「どこでもいい、グレンの近くなら。あたし、エルフの世界にはもう戻らないよ」

 クライドの心配をよそに、シェリーは満足そうにグレンを見上げて微笑む。グレンはその場に腰を下ろし、シェリーにも座るよう促した。

「じゃあ尚更、絶対皆で帰らなきゃな。家に着くまでが遠足だ」

 優しい希望に満ち溢れた、グレンの軽口がとても重く感じた。

 しばらく船に揺られて、やがて船の動きは止まった。急に心拍数が上がる。イノセントをはじめとする帝王の手下たちは何の気負いもなく船から下りようとしているが、クライドたちにとってこれはかなりの重圧だった。

 今から、この島で一番偉い人に会って、鐘を取り戻すのだ。ウルフガングはそっとクライドの肩を叩き、大丈夫だといった。頷くと何故か徐々に肩が重くなってきた。悪寒がする。ウルフガングは何をしているのだろう。

「ちょっと憑依させてくれ」

「ええっ!」

 まるでちょっとペンとメモ用紙でも貸してもらうときのように気軽にそう言われたが、さすがに幽霊に取りつかれるのには抵抗があった。しかし拒む間もなく、ウルフガングは憑依を続ける。

 暫くして寒気も肩の重みもなくなった。それでも身体の中がぞわぞわして何だか変な感じがする。

「クライド」

 頭の中で声が聞こえた。耳で聞くというよりかは、頭に直接響いてくるような声だ。クライドは思わず両耳を塞いで外界の雑音をシャットアウトした。そうしなければ、ウルフガングの声と外部の声が混ざってしまいそうだった。

「大丈夫だ、俺の声が最優先に届くようになってるはずだから。耳を塞がなくても、普通に聞こえる。ここにいればお前の心を読むなんて容易いことだ、声を出さなくても考えるだけで会話が出来る」

 心の中で頷くと、ウルフガングは快活に笑った。しかしその笑い声も五月蝿いというわけではなく、あくまでいつもどおり隣で話しているような、そんな感覚だった。

「堂々としていろ。ここにいれば俺はお前の魔力を適正に使い、帝王に最もダメージを与える方法を瞬時に判断できる。肉体を持たない状態でいると、あいつに取り込まれる可能性もあるからな」

「ありがとうございます」

 そうか、そういう意図があってウルフガングは自分に憑依したのか。クライドは納得し、微笑んだ。こんなに強い味方がいれば、自分は負けることなんてないだろう。

「それから、俺はお前の親父の友達だ。堅苦しいことは思わなくて良いから、自然体で俺に接してくれ。おそらく最後になるだろうから、最後まで敬遠されてるのは嫌だしな」

 最後になる。それはどういう意味なのだろう。クライドが死ぬという意味か? それとも、ウルフガング自身がどこかにいってしまうのだろうか。ひょっとして、消えるつもりなのか?

「どういう意味?」

「そのままの意味だ。ほら、さっさと降りないとグレンの兄貴が怒るぞ」

 見事にはぐらかされた。クライドはイノセントのほうをちらりと盗み見てみる。確かに、イノセントはかなり怒ったようにこちらを見ていた。

 クライドは肩をすくめ、後ろを振り返って仲間たちを見た。そして五人でうなずきあい、船から下りようとした。だがクライドは忘れ物に気づき、一人で船に引き返して荷物を探って写真を出してきた。父の写真だ。それをワイシャツの胸のポケットに忍ばせて、クライドは前を向いた。

 クライドは今日、アンシェント学園の制服を着て帝王に会おうと思っている。

 単に着替えがなくなってしまったというのもあるが、早く平和な世界に戻って学校に行きたいと思う気持ちを服に表してみたのだ。一番気合が入る格好で、クライドは鐘泥棒の親玉と対峙する。

 クライドはそっと胸に手を当てて、高鳴る鼓動を大人しくさせようと頑張ってみたがそれは無理だった。緊張した気分のまま、クライドは仲間たちの後を追う。

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