第六話 旅立ちのとき
祭りでにぎわう街の喧騒を遠くに聞きながら、クライドはノエルの家に向かった。そんなに遠くないはずのノエルの家が、やけに遠く感じる。図書館の横を通りながら、クライドは次第に速度を緩めてやがて足を止めた。
心の中で、自分の黒い部分が囁いている。正義感に任せて即決してしまったが、今ならまだ別の人に依頼できる。魔道士なら、今日役場にたくさんいただろう。魔法が使えるならばクライドが彼らと代わって結界を維持し、代わりに旅に出てもらえばそのほうが効率がいい気がする。
そう思う一方で、あの三人組の男達をそのままにしておけない自分がいた。調子に乗って吹き飛ばして、鐘ごと町を追い出してしまったのは自分だ。そのままにしておけば結界の力に阻まれて出られなかった可能性もあるのに、うっかりクライドが手を出してしまった。知らぬ存ぜぬという訳にはいかない。
重い足を一歩ずつ動かす。あれらを野放しにしていたら、他の街の見知らぬ善良な人々が被害を受けるかもしれない。それに、捕らえて報告すると彼らは言っていた。何もしなくても、向こうの方からクライドを探しにくるのであれば好都合だ。好機があれば鐘を奪い返し、無理なら責任もって魔道士の大人を頼りつつも孤島に向かえばいい。この役目は、きっと他の誰にもできない。
顔を上げて、残り少ない道を歩ききる。迷いは消えた。クライドは、綺麗に直ったハルフォード邸の玄関の前に立った。
「ノエル、入るから!」
家の玄関でそう叫び、返事を待たずにドアを開ける。すると、すでにもうグレンとアンソニーが来ていた。グレンは大きなショルダーバッグにいろいろ詰めてきたらしい。それでもまだアンソニーの荷物の大きさには及ばない。アンソニーは、かなりの大荷物を抱えている。
アンソニーは、登山用かと思われるぐらいの大きさのリュックサックを背中にしょっている。そして片手にクライドと同じぐらいの大きさの荷物を持ち、もう片方にはなにやら防水性の布を何回も折りたたんだようなものをもっている。その大荷物がかなり妙だと思えたクライドは、荷物についてたずねてみる。
「トニー、それなに?」
クライドを見て、アンソニーはにっこりわらった。しかしその笑みに少しの苦渋が見える。やはり、相当重いのだろう。
「えっとね、これはテント。で、こっちのバッグには骨組みが入ってるんだ。リュックには、着替えとランプと食料と、読みかけの本でしょ? それに、方位磁針と防水目覚まし時計、五、六冊のマンガの本! あと、鉛筆とノートが入ってるんだ。 卓上カレンダーももってきたよ。あと、トランプ。オセロ。それから、十メートルぐらいの長いワイヤー。きっとみんな役に立つと思う! 父さんも母さんもびっくりしてたけど、頑張ってこいって送り出してくれた。僕、二人のためにも頑張らなくちゃ」
なるほど、防水布のかたまりはテントだったのか。クライドの持ち物と同じぐらいの大きさの荷物の中には、テントを張るための骨組みが入っているらしい。骨組みは鉄かアルミでできているのだろう。だとすれば、このバッグは物凄く重いということになる。背中のリュックには、無駄なものも結構詰まっているような気がするのはクライドだけだろうか。
「ごめん、待たせたかい?」
アンソニーのような苦渋は全く窺えないような至って普通の声と同時に、家の奥からノエルが出てきた。彼の荷物は少ない方なのか、旅行用のキャリーカートのようなものを引いてくる。
旅行に最低限必要なものをなるべく軽くなるように纏めたらしい。荷物の大きさの順位で行くと、アンソニーに次いでグレンが多い。そして、ノエルとクライド。クライドたちの荷物は、せいぜい三日ほど宿泊しに行くぐらいの気楽なものだった。
それにクライドは、テントやランプにまで頭が回らなかった。余計なものを色々持ってきているアンソニーだが、テントに気づいたところは尊敬したいと思った。
「そういや、みんな武器ってあるか? 俺んち拳銃と短剣があったから、とりあえず持ってきたけど」
ノエルの足がぴたっと止まった。アンソニーはテントと骨組みを取り落とす。テントの骨組みが固い床にぶつかり、凄い音がした。
その音にびくっとしながら、クライドは固まった。グレンは完全にあの男達に武力行使を試みるつもりでいる。喧嘩っ早いグレンなら真っ先にそう思うだろうことをクライドは失念していたし、本当に武器のある家に育っていることもあまり意識していなかった。グレンの家は、この町で代々続く鍛冶屋なのだ。
確かに商品としての刀剣類は常に目に付くところにあるだろうが、グレンの父親はかなり目ざとい人なので、ひとつ消えたくらいでもすぐに気づいて怒るだろう。グレンの父は町内でも、特に頑固で短気であるということで有名だった。
「け、拳銃? うちにそんなのないよ!」
「親父から借りてきたんだ。無断でな」
グレンはにやりとした。それは持ち出したとか盗んだというのではないかとクライドは思ったが、口にするのはやめておいた。ノエルはキャリーケースを置いて、グレンを見て平然と首を傾げる。
「ナイフを持った男とやりあう可能性があるんじゃ、僕も拳銃が欲しいところだね」
「貸してやるよ。俺はあいつと、サシで刃物で戦える」
荷物に目を落として、グレンはそう言った。ノエルはそんなグレンを数秒見つめていたが、やがて小さく息をついてこちらに歩み寄ってきた。何かと思ったが、ノエルは靴箱に用があるようだ。ノエルはそれを開けて、中からナンバーロックの掛かった工具箱を出した。
ナンバーを合わせると、中から鋭く砥がれた一振りの短剣が出てくる。クライドは息を呑んだ。その短剣には、綺麗な細工がほどこしてある。工芸品のような細工の仕方からするとグレンの家で買ったものではなさそうだ。グレンの父が鍛える刃物は、実用的で装飾があまり無いものが多い。ノエルは箱の二段目に入れてあった鞘を出し、刃を仕舞うとそれをアンソニーに差し出した。
「アンソニー、君が使って」
「ええっ! そ、そんなの、僕、無理だよ」
「生身じゃもっと無理だよ、アンソニー。格闘技も習っていないし戦闘も経験したことがない僕らは、少なくとも身を護るために武器を携えたほうがいい」
言っていることは間違っていない。ただ、平和主義で争いを好まないノエルが冷静にそんな判断をするとはまさか思っていなかった。グレンと顔を見合わせる。その顔を見ればクライドとだいたい同じことを考えているのがいとも簡単に分かった。
アンソニーは腰が引けていたが、ノエルの判断を受け入れたようだった。おずおずと両手で短剣を受取っている。卒業証書の授与かよと、グレンが呟いたので思わず笑った。
「ノエルって、時々何考えてるかわかんないよ」
心なしか、引きつった顔でそういうアンソニー。クライドもその呟きに同意する。
「これからは多分、手に取るように分かるよ。意地を張るのはやめたから」
穏やかに微笑んだノエルの顔を見て、クライドは驚いた。大分角がとれている。
「え、何だよそれって」
「友達なんて要らないって、思えなかったんだ。君が独りで行くって言ったとき。もう会えないかもしれないって、思ったとき」
ここまで素直なノエルの気持ちは初めて聞いたので、クライドは何だかむずがゆい気持ちだ。ノエルはそれを照れもせずに言い切った。もともとノエルは、自分の考えや意見を論理的に説明するのが得意な人だ。論理的に表記しづらい感情の動きのことも、他人に説明するのが得意なのだろう。
「ずっと知っていたぞ、俺は。追い返そうとすんのも、いつも眉間に皺寄せてんのも、ただの照れ隠しだろ」
「君に対してだけは、本気で帰れって思ったことが何度かあるよ」
「ははは、そりゃ悪いな」
グレンとノエルの会話を聞きながら、クライドは玄関扉を開けた。重そうな荷物を引きずるようにしてアンソニーが出てきて、グレンはノエルをからかいながらショルダーバッグを肩に掛けなおし、ノエルはどこか吹っ切れたようなすっきりした顔で最後に出てきた。
恐ろしいはずの旅の始まりは、まるで四人でどこかに遊びに行くかのようなリラックス感に包まれていた。