第五十四話 寄り道
頼まれた買い物は、角砂糖やコーヒーに入れるミルク、それから缶詰のさくらんぼだった。このさくらんぼは、クリームソーダに使うものらしい。これからの時期、クリームソーダの注文が比較的増えるので買っておいて欲しいとのことだった。
「あら? 見て、クライド。映画をとっているわよ」
言われて前方を見ると、大型のカメラや長い柄のついたふさふさのマイク、大きな反射板などを使って二人の人物を撮影しているところだった。
そのうち一人は黒髪の華奢な女性で、もう一人は茶髪を整髪料で固めて逆立てた崩れた感じの男だった。二人とも、年はクライドよりも少し上ぐらいに見える。
少し離れたところにキャンプで使うような折り畳み椅子がいくつかあり、その一つに座っていたのがさきほど店に来た男だった。男の周りには忙しそうに走り回るスタッフらしき人が何人もいたが、男はどちらかというとそれを統括する立場にあるらしく、不機嫌そうに貧乏ゆすりをしていた。
「さっきのお客さんがいるな」
そういってみると、レイチェルは猫を連想させるアーモンド形の目をぱちぱちと二度ほど瞬き、男の姿を見てにこりと笑う。
「あれ、きっとカントクよ。だって態度が大きすぎるもの!」
二人で笑いあう。確かに、男は携帯用のパイプ椅子にすわって偉そうにふんぞり返って怒号を飛ばしている。レイチェルの言うとおり、多分彼は映画の監督だ。
「デパートはもう開いてるかな」
ふとアンソニーを思い出し、そういってみた。買い物の行先は指定されていなかったのだ、様子見がてらデパートに行きたい。
「ええ、多分ね。行ってみる?」
レイチェルがそういうので、クライドはしっかりと頷いた。そして、ふとあることを思いつく。
「そうしようか。ついでに近くの書店によってもいいか?」
髪を切りたい。だから、ノエルの仕事仲間に予約をしておきたい。ノエルにも話をしておきたい。細かな情報も全て教えておけば、何かあったときの対策になるだろう。
「もう、寄り道はだめよ。…… ハビには黙っておいてあげるわ」
レイチェルは仕方ないなという風に肩をすくめて苦笑した。
騒がしく人通りが多い町で、並んで歩く二人の格好はかなり浮いていた。特に、レイチェルのメイド風ドレスが現代的な街の雰囲気に何ともそぐわない。
「あの子、服可愛いね。リュヴェルド邸のメイドさんかな?」
「知らないの? あれカフェ・ロジェッタの制服だよ。今度連れて行ってあげる」
「ありがとう、楽しみ! あの二人、付き合ってるのかなあ」
「そうなんじゃない?」
「羨ましい。私もあんな金髪の彼氏欲しい」
「えー、あたしロード・レンティーノ=リュヴェルドみたいなハニーブランのほうが好み」
すれ違った学生らしい二人の少女が、そんな会話をしながら通り過ぎていく。クライドとレイチェルの格好はそれなりに宣伝になっているようなので、浮いている方が好都合なのかもしれない。
レイチェルは今まで手首に黒いリボンを結んでいたが、何を思ったかそれを解いてクライドの手首に結んだ。驚くクライドを悪戯っぽく笑う瞳で見つめ、レイチェルはクライドの手をとって目線の高さまで上げた。
「よく見て? ただのリボンじゃないの」
そういわれてクライドは、綺麗に蝶結びにされたリボンを注視する。すると、よく見れば流れるような灰色の文字でカフェ・ロジェッタと刺繍されている。こんなに器用な技を誰が持っているのだろう。
「凄いと思わない? ハビも褒めていたわ、ミアのこと」
ミアというのは、クライドをこの店まで案内したあのウェイトレスのことだ。クライドは、ウェイトレス同士で呼び合っている名を少しだけなら覚えていたので、ミアといわれてすぐ彼女の顔が思い出せた。
「持っていて。貴方がこの店を離れても、また戻ってきたくなるように」
いつも邪魔に思えるほど元気なレイチェルが、少し寂しそうな声色でそういうのでクライドは焦った。レイチェルを見ると、彼女のイメージには全くそぐわないぐらいの寂しそうな顔をしていた。
「ああ」
強く頷いておいた。ハビやレイチェルがいる限り、クライドは何度でもこの島に足を運ぶだろう。だが、その前に片付けなければならない問題がある。
待っていてくれる人が増えた。この仕事をクライドに託した町長。自宅で待たせている祖母や母、そしてクラスメイト。エルフの集落のシェリー。漁師町のサラやエディやスタンリー、そして漁師たち。ブリジットも待たせている。ウルフガングもだ。それに加え、レイチェルやハビ。二人はクライドを心から信頼してくれている。
クライドは大きく深呼吸した。肩の荷は重い。だが、だからこそやり遂げなければならない。レイチェルは悲しそうな表情を崩し、もとの笑顔に戻った。そして、デパートを見て言った。
「あいてるわ、大丈夫。いきましょ」
クライドは頷いて、デパートに足を向ける。
デパートの営業時間は十時からで、クライドたちが行くとちょうど開店直後だった。店に入ってみると、クーラーの涼しい風が頬を撫でる。レイチェルはメモを見ながら、細い人差し指を唇に当てた。
「一階で全部揃えられるかしら。角砂糖の売り場はどこ?」
このデパートでは一階と二階に食料品売り場が分割されていて、物によっては階を移動しないと買えないものもあるようだ。ちょっと買い物がしづらい店だ。
クライドは辺りを見回し、バイトの少年を見つけた。金髪に碧眼の、アンソニーだ。
「ちょっと聞いてみる。トニー?」
クライドはアンソニーに向かって声をかけてみる。アンソニーは何かを陳列しているところだったが、クライドの声に気がついたのか腰を上げてあたりを見回す。そして、こちらに気づく。クライドはアンソニーに手を振りながら近づいた。
「クライド。どうしたの?」
当然のようにディアダ語で喋りかけてきたので、おそらく魔法がかけられていないのだろうと思った。クライドはなるべく自然に見えるようにアンソニーの肩に手を置いて、あまり唇を動かさずに呪文を唱える。
「角砂糖って何処で手に入る?」
詠唱を終えた後、笑顔でそういってみる。アンソニーは、今度はエフリッシュ語で元気良く
「コーヒーのコーナーかお菓子作りのコーナーにあるよ。両方とも二階だよ、エスカレーターを上がってすぐのところに専門店がある」
と答えてくれた。
ほっとするのと同時に貧血で体がふらりと前のめりになったが、倒れそうになるクライドをアンソニーがさりげなく支えてくれた。
「ありがとな」
教えて貰ったことと支えてもらったこと両方への礼を言い、クライドはそのままレイチェルのそばに戻る。それから二人でエスカレーターを使って、二階の食料品売り場に来た。
アンソニーに教えられたとおり、エスカレーターを上がってすぐのところにハンドメイドの製菓材料を扱う店があった。見えるところにコーヒーや砂糖のコーナーがある。真っ直ぐにそこを目指した。
目当てのものは、探すまでもなくすぐに見つかった。レイチェルは目ざとく色々なものをみつけるので、洞察力の優れたところは本の校正や探偵なんかに向いているかもしれないとクライドは勝手に思った。クライドが見落としたさくらんぼの缶詰も、レイチェルはすぐにみつけて買い物かごに入れたのだ。
「ふう、全部揃えられたわ。意外と時間がかからなかったわね、少し遊んでいかない?」
全ての買い物を終えた後も、レイチェルはまだ名残惜しそうにデパートの中をうろついていた。クライドは制服を着ている手前早く帰ったほうが良いと思い、買い物袋を火傷の治りきらない右手にぶら下げながらレイチェルをたしなめた。
「仕事中だぞ。まあ、これから寄り道する俺が言うことじゃないけどさ」
レイチェルの方を振り返り、微笑んでみる。するとレイチェルも嬉しそうに微笑んで、クライドの隣に少し近寄ってくる。
そんなことがあっても、今では前ほど悪い気がしない。よく見ていれば、レイチェルも片想いの彼女に重なる何かを持っているのだと、クライドは今日気づいた。打ち解ければさりげない気遣いをしてくれて、気づいたら今までずっと一緒だったような錯覚に陥っている。白状してしまえば、見た目も結構可愛い。
クライドとレイチェルは二人でデパートを後にし、書店の方へ向かった。活気付き始めた商店街を歩き、書店に行くとノエルがこちらに気づいて顔を上げた。ノエルは書店の名前がプリントされたエプロンをして、両腕で本を五冊ほど抱えている。今日は眼鏡をしていないが、ちゃんと見えているだろうか?
「おはようクライド。何か探し物かい?」
ノエルはディアダ語でそういった後、エフリッシュ語でちゃんとレイチェルにも『いらっしゃいませ』と挨拶をした。クライドは手短に話してしまうことにし、ノエルに話しかけた。
「美容師志望の人がいるっていったろ? 今日の夜になって時間空いてたら、髪切ってもらおうと思って」
長くなった髪を軽く掴みながら、クライドはそう言ってみた。するとノエルは、いつもどおり穏やかに微笑みながら、クライドの後ろに視線を向けた。
「彼だよ」
振り返ってみれば、グレンと同じくらいの身長の男性が立っていた。男は推定すると二十歳前半ぐらいで、第一印象は冴えない感じの風貌だった。
髪も目も黒で、一目でこの島国の者だと解るような典型的な顔立ちをしている。それ以外にはとりたて何の印象もない、ごく普通の男だった。もう少し気取った感じの男を想像していたので、軽く拍子抜けしてしまう。
「おはよう、ノエル。友達?」
高くも低くもない、ごく普通な声で喋る男。男の手には、何故か何本か黒いヘアゴムがかけてあった。彼の髪は短いため、おそらく結べないだろうと思われる。
それでもヘアゴムをもっているのは、おそらくクライドのようにひょっこり客が現れたときのためなのだろう。ひょっとしたら、新しいファッションかもしれない。
「おはよう。彼は髪を切って欲しいんだって。どうだい、セルジ?」
ノエルはクライドを見て、それからセルジと呼ばれた男を見た。セルジはクライドを見て、嬉しそうに笑みを浮かべた。そして、クライドに向かって笑いかけてくる。
「嬉しいな、僕に切らせてくれるの?」
人のよさそうな青年だ。クライドもセルジに向かって微笑みながら頷く。
「お願いできますか?」
自分の髪を少しつまみ上げながら、そういってみた。セルジは何度も頷きながら、クライドの隣に歩み寄ってくる。そして、クライドの跳ねた髪にさらりと指を通した。
「勿論だよ。綺麗な金髪だね…… こういうお客さん、初めてだ。丁度いま時間があいてるから、これからでいい?」
クライドは少し迷い、書店の入り口に立ったままのレイチェルを振りかえる。きょとんとするレイチェルはこのまま髪を切ってもらえと言いそうではあったが、勤務中だ。さすがに事業主の許可がいると思う。
「勤務中なので、予約だけお願いします」
「ロジェッタのバイトの子でしょ? 僕、ハビの髪も切ったことがあるよ。お店に電話してあげようか」
そう提案され、クライドは悩んだ。もしハビの許可が降りるのであれば、今切ってしまって帰る方がカフェの従業員としての身だしなみをきちんとできて良い気がする。
「レイチェル、先に帰っていてくれるか?」
クライドは、レイチェルを先に帰らせることにした。そうすれば、昼の忙しい時間にハビが困ることもないだろう。
だが、レイチェルは素直に応じてくれなかった。
「嫌よ。クライドが髪を切るところ、見たいもの」
あからさまに不服そうな顔でそういわれ、クライドはため息をつきつつ肩をすくめた。仕方ないか。そんなに時間がかかりそうもないし、レイチェルもここにいてもらおう。
「しょうがないな」
そう答えてやると、レイチェルは嬉しそうに笑った。セルジが携帯を使ってカフェに電話をするので、クライドはそれを聞いていた。
「あ、もしもし。ジョアン=ミラーニャ書店のセルジですが、マスターは? 代わって下さい」
しばらくののち、ハビが電話の向こうに出たようだ。
「やあ、しばらくぶりだねハビ。君のところの金髪のウェイターくん、どうしても今髪を切らせてほしいんだけどダメかな? 可愛いメイドのお嬢さんと一緒に、たぶん買い出しの帰りだと思うんだけど」
電話の向こうで笑う声が聞こえる。セルジはハビとは仲が良さそうだ。
「いいよ、今閑散としているから。レイチェルもクライドを待たせて、一緒に帰して。一人にしておきたくない」
漏れ聞こえる声を聞いて、レイチェルはにやっとした。クライドもつられてにやっとし、セルジが電話を切るのを待った。電話のあとは早速髪を切ることとなり、クライドは店の外に連れ出された。
とってもわき道にそれてますね、話が。
ですが、全ては終結に向かってひっそりと進んでいます。