第五十一話 アルバイト風景
カラン、と古びたドアチャイムが鳴る。顔を上げると同年代ぐらいの女の子が入ってくるところだった。どことなく、クライドが町に残してきた片想いの女の子に似ている。
店長が対応中だったのでクライドが彼女の席まで行って注文を取った。彼女は金髪で銀の目をしたクライドを見て少し驚いたようだが、すぐさま笑顔を浮かべる。
「チョコレートケーキをひとつと、ちょっと濃いヴェロッツァ・ティーをお願い」
かしこまりました、と軽く礼をして、茶を淹れる準備をした。女の子は少し照れたように笑って目を逸らし、その顔を見てクライドは街で日常を送っているであろうヴァレリーを想った。彼女はクールだから、ちょっといい感じだったクライドが長いこと留守にしていても、ひょっとしたら何も思わないかもしれない。
気を取り直して仕事に戻る。この銘柄の茶ははじめて見たが、どうやらこれはこの辺りで好まれる名産品らしい。
茶を淹れるときは、カウンターの後ろにある透明なガラス瓶から茶葉を取り出す。そのガラス瓶には店長がひとつひとつ丁寧に手書きで説明書きをつけておいてくれてある。
何だか、茶を淹れるたびに知識が増えていくようで嬉しい。この茶の瓶に貼ってある説明書きを見てみると、原産国がジュノアになっていた。
ジュノアという単語を見た瞬間、浮かんでくるのはサラとノエルだ。二人がこの店で、この茶を飲みながら会話を出来たらどんなにいいだろう。サラが泣きじゃくる声と、悲しみを押し殺したノエルの声がよみがえってくる。
「熱っ」
注意力散漫だったせいで、ポットの湯が手にかかった。
ひりりと痛む指先を水で冷やし、クライドは淹れたてのヴェロッツァ・ティーを少女のテーブルに運んだ。片想いのヴァレリーに似た少女は、にっこりとそれを受け取ってクライドに礼を言った。
「カルヴァート君、気をつけて。もう火傷しないようにね」
カウンターに戻ると、店長が氷嚢を手にのせてくれた。クライドは顔を上げ、心配と迷惑をかけてしまったことに対して謝る。
「すみません、店長さん。ちょっと上の空で」
店長は困ったように笑みを浮かべ、クライドの頭を大きな手で軽く撫でた。
すると、同時に客が入ってきた。両方女性で、おそらくどこかの学生だ。このあたりでよく見かける制服を着ている。
「いらっしゃい」
店長が二人に微笑むと、二人の視線がクライドに向けられた。二人とも、黒髪に黒い目をしている。
ここの店長もそうだし、レイチェルもそうだ。クライドの他にいる従業員のなかには一人だけ金髪の女性がいたが、彼女は髪を染めているようだった。髪の生え際が、数ミリ黒くなっている。
クライドは、この空間の中ではかなり異質だった。少しだけ、自分がエルフだということを再認識する。別にエルフだから金髪だというわけではない。だが自分だけが他人と違うという感覚には、初めてエルフの存在を知ったときの疎外感に近しいものがあった。
「ハビさん、その人」
少女が問う。彼女の質問の内容は、容易に予測できる。クライドと同じくそれを予測できているのか、店長は少女の言葉をさえぎってクライドの紹介をした。
「うちの店で新しく働くことになった、カルヴァート君だよ」
「ふうん、変わった苗字だね」
クライドは客には愛想よくした方がいいと思い、少女たちに微笑みかける。すると一人は明後日のほうを向き、もう一人は頬を赤らめた。
二人は紅茶とケーキを注文し、窓際の席に腰を下ろした。クライドは注文された紅茶を淹れ、二人のもとへと運んでいく。少女たちは照れたようにもじもじと礼を言い、互いに目配せしあっている。何か話しかけられそうになったとき店長と目が合ったので、クライドは二人に『ごゆっくり』と言い置いてテーブルを離れた。
「さて、早いけど夕食休憩にする? 疲れたでしょ」
店長はクライドを見下ろして笑う。どこまでも不思議な人だ。言われた通り小腹が空いていたし休憩にしたいと思っていたから、本当に心を見透かされたような気分になる。
しかし、この人に魔力はないだろうというのがクライドの答えだった。仲間たちやウルフガングからは、空気を通して魔力が伝わってくるような感覚があるが、店長はいたって普通だ。そういった魔力の『流れ』は、ちらりとも感じなかった。
「はい」
遅すぎる返事をつぶやいて、クライドはカウンターの奥に引っ込んだ。
「嫌いじゃないといいけど。食べる?」
そういわれて顔を上げる。クライドを見下ろす店長の手には、大き目の皿が乗っていた。真っ白で何の飾り気もないその皿の上に、サンドイッチが載せられている。具には、ハムと卵とレタス、それから多分マヨネーズも使われているだろう。店長の気遣いが嬉しかったので素直に受け取った。
「足りなかったらもっとあるから、遠慮しないでね」
店長は屈託のない笑みを浮かべ、店に戻っていった。残されたクライドは、店長から貰ったサンドウィッチを味わって食べた。妙な味のするスパイスが使われていたが、多分この国ではこの味付けが普通なのだろう。食べられない味ではないし、食べているうちにだんだん好きになってきた。
クライドは時計を見上げる。この島に上陸してからそろそろ五時間たった頃だ。
ずっとエフリッシュ語を喋ったり聞いたりしていたせいで、少し疲れてきた。それでもまだ立っていられるのだから、血の魔力を使って会話することにも慣れてきたのだといえよう。以前のクライドは、きっとこんなに長い間異国の言葉を使って働いていられなかった。
ほっと気を抜くと、頭の中にちらりと金髪が翻る。イノセントの真っ直ぐな髪だ。
イノセントは、帝王がそろそろ行動を起こすといっていた。こうしている場合ではないのに、こうするしかない。己の無力さを、強く感じた。
「クライド!」
聞きなれた、澄んだ声で顔を上げる。いつもより緊迫感の漂う声だった。店のほうに顔を出すと、グレンがいた。クライドを目ざとく見つけると、グレンはつかつか入ってきて早口にまくし立てる。
「エフリッシュ語が喋れなくなった! カントクが言ってることもさっぱり解らねえ、だから仮病で抜けてきた! クライド、何とかしてくれ!」
グレンは必死なのだろうが、ここは店だ。客が唖然とした顔でこちらの様子を窺っているので、クライドはとりあえず苦笑を返しておく。
そして、グレンを店の外に引っ張っていく。グレンはやがて落ち着きを取り戻したようで、小さく首を振りながらため息をついた。
「魔法かけるまえにひとつ言いたいことがある」
グレンの顔を見ていると、イノセントが思い浮かぶ。顔が似ているからだろうか。早急に例の件を伝えなければならない。ノエルやアンソニーにもだ。
「何だ」
怪訝そうな顔でそういうグレンをみつめ、クライドは暫く口を開けずにいた。どういえばいいだろう。
暫くしてクライドは、率直に要件だけを伝えることにした。誰から聞いたのか、それは確かな情報なのか、きっとあとでグレンのほうから質問してくるだろう。
「帝王が行動を開始する、鐘はもうあっちの手にある。俺は、帝王に追われているらしい」
その一言で、ぴたりと動きを止めるグレン。クライドは黙ったまま、グレンの反応を待った。少しの間固まっていたグレンだが、やがて口を開いた。
「詳しいことは、四人で集まったときに話してくれ。兄貴だろ?」
真っ先に質問をぶつけてくるだろうと予想していたグレンのこの言葉は、少し以外だった。クライドは驚いて二度ほどまばたきして、恐る恐る切り出す。
「何でそれを?」
するとグレンは呆れたような笑みを浮かべた。
「帝王つながりの人間なんて、兄貴ぐらいしかいないだろ」
確かに、それもそうだ。ジャスパーやジェイコブが優しく忠告しにくるわけがない。クライドはグレンの肩を引き寄せ、くすくす笑いながら呪文をつぶやいた。
呪文が終わったとたんに膝の力が抜けて、クライドは地面に跪く。しかし、グレンがちゃんとエフリッシュ語を喋っているので安心した。エフリッシュ語を喋れるように戻ったグレンは、起き上がろうとするクライドに手を貸してくれた。
「帰ってくるまでに、できる範囲で薬の材料探しとくからな」
頷きながら立ち上がってみると、また少しふらついた。目の前から色がなくなり、一瞬だけ闇の底に突き落とされるような錯覚に陥る。だがそれはあくまで一瞬であり、次の瞬間にはまた光の世界に戻ってくる。
世界に色が戻ってくる一瞬、目や鼻の奥に痛みと不快感を覚える。頭が重たく感じる。一般的に言う、立ちくらみの症状だ。
「ありがとう」
やっとのことでそれだけいうと、クライドは店に引き返していった。グレンが送ろうかと申し出てくれたが、やめておく。彼は早く撮影現場に戻らなければならない。クライドは店の中に着けば、きっと少しはましになるだろう。
よろけながら店の中に戻ると、客や従業員からたくさんの視線を浴びた。それでもクライドは何も答えず、店長に水を一杯もらって飲んだ。
とにかく貧血の症状がひどすぎて何もいえなかったのである。水を飲んだら、少しは楽になったような気がする。
「すみません。貧血になりやすい体質で」
店長にそういって、クライドは頭を下げた。折角雇ってもらえたのに、もう解雇されてしまったのでは話にならない。ここは結構良い仕事場だ。逃してしまっては、後に困ることになるだろう。
「大丈夫? 貧血にきく薬ならあるから、あとでおいで」
店長はとんでもない失態を演じたクライドを、叱るどころか心配してくれた。どこまでも優しい人だ。胸の奥のほうがじんと熱くなる。
「ありがとうございます、本当にすみません」
そういって空いた席に放置されたグラスを片付けに行くと、店長に呼び止められた。肩越しに振り返ってみると、店長はにこりと笑みを浮かべる。
「笑って。君の笑顔は、とても綺麗だ」
クライドは頷く代わりに、笑顔を浮かべて見せた。