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第五十話 カフェ・ロジェッタ

 クライドが入ってくると、長身の店長は表情を和らげる。

「おかえり。早速着替えて」

 彼は爽やかな笑みを浮かべ、クライドを見やった。身長が高いので人と話すときにはいつも伏目がちだ。カウンターの下のスペースから、店長はクリーニングの返却後すぐだと思われるビニール入りの制服を一式出して渡してくれる。サイズは店長の目分量で合いそうなものを用意してくれたようだが、大抵Sサイズで通しているのでたぶん問題ない。

 店の奥の従業員スペースに通してもらうと、クライドはロッカーを開けてまずはTシャツを脱いだ。ハンガーにかかった状態のワイシャツからビニールを外していると、部屋の奥で物音がした。びくりと肩が跳ねる。

「あなたが新入りさんね」

 まさか着替え中に声をかけられると思わなかったので、タンクトップ一枚の上半身を気にしながら肩越しに振り返る。同年代ぐらいの少女が、スツールに腰掛けた状態で笑みを浮かべてクライドを見ていた。

 なんとなく猫のように見えるのはきっと、彼女の目が原因だろう。それなりに可愛い顔をしているのに、纏う雰囲気がやや近寄りがたい感じのする少女だった。喋り方が原因かもしれない。猫の鳴きまねをしているわけではないが、気取った雰囲気というか生意気そうな口調というか、そういうものが何となく彼女を遠く感じさせる。

「着替えるんで、出て行ってもらえませんかね」

 初対面で生意気そうな口をきかれて少しむっとして、クライドの反応もつっけんどんなものになった。きっと、お互いに第一印象は最悪だ。

 少女は、もとは真っ直ぐであっただろうと思われる黒髪を不自然な縦巻きにし、やや濃い化粧をしていた。無理矢理上品さを身に着けようとしているようで、似合わないといえば似合わなかった。もしかしたら不慣れなのかもしれない。

「可愛い。いかにも学生って感じ」

 褒め言葉にしては険がありすぎた。かちんとくる。

「そうですか」

 何となく冷たい言い方になってしまったが、こうとしか答えようがない。早く着替えたいので少女を無視し、個室を見つけて閉じこもる。

 そこはクライド以外の人からも更衣室として利用されているらしく、床を見ると黒いリボンが落ちていたりした。多分、この店のウェイトレスがアクセサリーとして使用しているものだろう。

 数分して着替え終わって個室から出ると、あの少女がじっとクライドを眺めていた。無視しようかと思ったが、とりあえず声をかけておく。明日からも一応世話になる同僚だ。

「何か。俺に用でもありますか?」

 一応世話になると思って話しかけたはずだったが、実際に口から出たのは明日からも世話になる同僚に対する言葉ではなかった。少女はそれでも気にした様子がなく、クライドを見つめて気取ったしぐさで不自然な巻き髪をいじる。

「レイチェルよ。あなたは」

「クライド」

 短絡的な自己紹介だ。名前以外はなにも紹介しあっていない。クライドは早く会話を切って少女の元を去りたかったが、彼女はまだ話したそうにしている。

「いくつなの?」

 そういいながら寄ってくるレイチェル。なんだか、その仕草まで猫っぽい。バレエの経験でもあるのだろうか、彼女は歩くときにとてもしなやかな足使いをするのでヒールを履いているのに足音がほとんど聞こえない。

 半歩退いて、クライドは朝からまだ一度も櫛を通していない金髪に指を絡ませた。グレンに櫛を借りておくべきだったと、頭の隅のほうでちらりと考えた。

「後にして下さい」

 見たところ、レイチェルはクライドと同じか、それより下ぐらいだった。だが、あえて語調を丁寧にしてみる。そうすることで、彼女と距離をおきたかった。

「そう。それじゃ待ってるわ、クライド」

 楽しそうにそういって、レイチェルはクライドに背を向けた。別に待っていて欲しいと頼んだわけではないのに。クライドは小さくため息をつきながら店に出て、とりあえず店長のところに行った。

「あの」

 長身の店長を見上げる。すると、店長は爽やかな笑みを湛えながら棚のグラスに手を伸ばし、乾いた布でそれをぬぐった。そして、カウンターにあるアイスペールから氷を取り出した。

「お客さんが来たら挨拶をするんだよ。目があったらちゃんと注文を取りに行くように。ああ、それと話し相手になって欲しいって言う人もいるから、そういう場合は他のお客さんを気にしながら会話に応じてあげて」

 クライドは店長の話を聞きながら、店長が用意している飲み物に見惚れていた。何のジュースだろう。喫茶店でこんな昼間から酒を出すというのはあり得ないと思うので、ジュースだと言ってみた。けれど、絶対にアルコールの匂いがする。

 何なのかは解らないが、とにかく夕焼けの色をした透明な液体。それを先ほどの氷入りグラスに注ぎながら、店長はクライドを見下ろした。

 クライドは先ほどの話に返事をするつもりで頷き、店長の手元を見つづける。

「これ、持っていって。そこのお客さん。実はこれ、シークレットメニューなんだよ。中身は内緒」

 笑顔でそういいながら、店長は視線で奥のテーブルを示す。店長につられてクライドも視線をそちらに向け、驚いて声が出た。

 なんということだろう、イノセントがいる。あの眉間のしわと仏頂面は、間違いようもなくイノセントだ。

 クライドは、そばにあったトレーに夕焼けの色をしたグラスを載せると、真っ直ぐにイノセントの元へむかった。

「ジュースなんて飲むんだ? 意外」

 グラスをテーブルに置きながら、クライドはなるべく自然にそう聞こえるように言った。本当はどう喋っていいのか解らずに、緊張していたのだが。

 イノセントは普通だった。全くいつもどおりの、睨むような視線だ。前回見たときの怪我はまだ完治しているはずがなく、しっかりと着込まれた黒衣の下には白い布と赤い染みが見えた。頬には、薄いが新しい傷痕がいくつかあるのが見える。

 クライドがトレーを返しに行こうとすると、服の袖を引っ張られた。振り返るとイノセントは露骨に嫌そうな顔をしていて、しぶしぶと言った様子だが口を開いた。

「言っておくがそれは酒だ、かなり弱いがアルコールが入っている。座れ」

 そういわれたので、少し待ってもらう。トレーを置いてから戻ってくると、イノセントは相変わらず仏頂面でクライドを見つめていた。

 このままだとイノセントは何も喋ってくれないだろう。だから、クライドから話しかけてみた。

「どうしてここに?」

 尋ねてみると、すぐに返事が返ってきた。平板へいばんでなんの感情も見出せない声だ。彼は激昂しても感情の激しさがあまり口調には表れない人間なので、これぐらいが通常のトーンなのだろう。

「お前を探し回った。伝えなければならないことがあったからだ。漁船の位置をジャスパーに探らせながら追ってきた」

 イノセントは、椅子の背もたれに体重を預けて足を組みながらクライドを見ている。

 ぞっとする。ジャスパーはあまり強くはないと思っていたが、クライドがのんびり海の上でくつろいだり、謎の剣を発見したり、ダイヤモンド事件で散々な目に遭ったときにも彼らは追って来ていたのだ。あの鐘を盗める実力があったジャスパーを見くびっていたことを思い知らされる。

 彼が今言った伝えなければならないこととは、一体何なのだろう。ブリジットに何かあったのだろうか? それとも、帝王のもとから逃げてきたとでも言うのだろうか? 前者は絶対に嫌だが、後者なら嬉しい。

「うん、わかった。話して」

「俺たちが盗んだあの鐘はすでに帝王のもとにある。だが、鐘の創造者が鐘を封じた魔法があまりに強力だったため、帝王はまだ鐘の魔力を使っていない。帝王は千年前の戦いで衰えていて、魔力を提供する生贄を探している。今のところ、候補は貴様だ。血の力が強いからだ」

 いきなり話し出された話題は、あまりにも重かった。

 帝王は、ウルフガングが遺した鐘の魔力を使おうとしている。あれを使われてしまったら、町はどうなってしまうのだろう。きっと、町長たちが張っている結界などいともたやすく破られてしまう。絶望的だ。

 青くなるクライドを横目に見ながら、イノセントは夕焼けの色をした液体を一気に呷った。そして、細いため息を漏らす。

「あと一月もすれば、あの古代の魔道士がかけた護りが解かれるだろう。場合によっては、もっと早まる。悠長にしている暇は無い」

 それだけいうと、イノセントはクライドに金貨を放ってよこした。夕焼け色をした酒の代金だ。クライドはそれを、テーブルに落ちる前に空中でキャッチした。普通は酒の一杯ぐらい、銀貨が一枚あればのめるだろう。

「釣りはいらない」

 呻くように一言つぶやくと、イノセントはぎこちない動作で席を立つ。怪我がまだ痛むのだろう。酒を飲んで酔ったのではないと思う。

 手を貸してやろうとするが、振り払われた。だが、このままだとイノセントが倒れてしまいそうで怖い。

「クライド」

 もう一度手を出そうかとしたとき、低い声で名を呼ばれた。そういえば、イノセントに名前を呼ばれたのなんて初めてかもしれない。

 そっと顔を上げると、目の前で錦糸のような美しい金髪が揺れた。刹那、見えたのは氷のような蒼の瞳。目が合った刹那、胃の奥を締め上げてくるような緊張感が走った。射るような視線だが、目をそらすことが出来ない。彼の真剣さがそう思わせるのだろう。

 いつもなら身長差があるためにクライドを見下ろしているイノセントの視線が近かったのは、彼が少し前かがみになっているせいだ。

 彼は腹の辺りに手をやって、ほんのわずかに眉間の皺を深めていた。おそらくそれは、痛みをこらえる表情だろう。彼はその傷を抱えたままで、ここまできてくれた。大丈夫だろうか。

「ブリジットをもう泣かせるな。今日俺とここで会ったことは、幻覚だったと思え。……お前ならば、止められる」

 イノセントはそう言った。まさか彼に背中を押されるなんて思っていなかったが、こみ上げる嬉しさが勝手に頬を緩ませた。クライドは、イノセントに向って大きく頷いて見せた。イノセントはそれきり、振り返らず店を出て行こうとする。

 そうだ、まだ言っていないことがある。クライドはイノセントの後を追いかけ、軽く彼の肩を掴んで振り向かせる。振り向いた彼に向かって、やわらかく笑んでみせた。

「グレンが映画に出るんだ。代役だけど主演。完成したら見てやれよ」

「そうか」

 イノセントはそれだけ言い残して、店を出て行った。彼のこんなに優しげな声を聞いたのは、初めてだ。そして、彼の横顔が少し笑っていたように見えたのは気のせいではないと思う。

 金貨をにぎりしめ、クライドは先ほどまでイノセントがいたテーブルに戻った。何だか気分がいい。

 グラスをさげて金貨を店長に渡してから、絞ったタオルでテーブルを拭く。汚れてなどいないのだが、客がひとり使うごとにテーブルをふくのは暗黙のルールとなっているようだからだ。

「カルヴァート君、ここでずっとウェイターやったら? 僕が指示しないことまでやってくれるし」

 カウンターからそういって、店長は楽しそうに笑っている。そしてクライドを手招くと、湯気の立つココアを差し出した。誰に渡せばいいのかと訊ねると、客に渡すためのものではないと言われた。

「君の分だよ、飲んで。ココアは嫌い?」

「いえ、いただきます」

 温かいココアを飲む。喉の辺りがあたたかくなり、口の中には甘みが広がっていった。

 思わずため息をついてしまう。ココアを飲むとほっとする。よく母が作ってくれたのを思い出すからだろうか。町に帰ればあたりまえのようにそんな日常が待っていると思っていたが、本当にまた日常がもどってくるのだろうか。ジェイコブはもう、帝王にたどり着いてしまった。

「疲れた顔をしているね」

 優しい声が上からふってくる。一息ついてみると、とんでもない目的のために異国でアルバイトを始めた自分の境遇に対する思いが、重くのしかかってくる。

「君の肩の上には、いろいろ重たいものが乗っかってるよ」

 冗談めかした口調で店長はそういい、クライドの肩に両手を乗せた。ずっしりと重たい手だ。首だけで後ろを振り向くと、店長は笑顔でクライドの顔を覗き込んできた。

「ほら、リラックス、リラックス」

 むに、と頬をつままれる。思わず笑ってしまった。優しい人だ。こういう人を友達にしておくと、もっと楽に人生を歩めるのかもしれない。悩み事は折半で、それから楽しいことは二倍になる。きっと、そんな関係が作れそうだ。

 別に、グレンやアンソニーやノエルに不満があるわけではない。クライドが自ら悩み事を話さないせいで、こうして一人で抱え込むことになるのだから。彼らに心配をかけたくないという心理が、クライドの中にいろいろな問題をためていった。

 店長には、全てを見透かされているような気がする。だから彼には、きっと隠し事などしたくてもできない。それは少し困った問題だと、クライドは思った。

「ちょっと色々ありました。でも、大丈夫です」

 何が大丈夫なのだろう。本当は、ちっとも大丈夫なんかじゃない気がしてきた。

 敵がそろそろ動き始める。なのに自分達は、一週間ここを動けない。一週間ここで過ごして金を稼がなければ、燃料切れで島にたどりつけない。敵の拠点までは、まだ遠いのだ。

「辛くなる前に声をかけて。君が壊れてしまわないように、僕で良かったらいくらでも力を貸すからね」

 店長はそういい残して、おいしそうな赤いイチゴの乗ったショートケーキを客のところに運んでいった。クライドはしばらく無言でいたが、客と目が合ったのでそこに向かった。注文をとり、紅茶を一杯持っていく。

 それきりクライドは、暇をもてあましていた。すでに五分以上、なにもせずにカウンターの内側の椅子に座っている。

 どの客も、自分ひとりかあるいは友達と二人でなにか楽しめることをしている。読書だったり、インターネットだったり、方法はさまざまだ。共通していえる事は、クライドと話す必要がないことだけだった。ぼんやりと佇みながら、店内を気にするだけの時間が過ぎる。

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