第四十四話 タジャール上陸
ラジェルナ領の最南端に位置する、タジャールという小さな島に上陸する。食料の買出しと燃料の追加をし、折角なので気分転換に町の様子を見て回ることにした。
リヴェリナの港を出た時点で、買い物の資金はほとんどノエルとグレン頼りになっていた。それだって燃料費にほとんど消えていく。この先も旅を続けるのなら、稼ぐか盗むかの二択だ。後者はありえないので、なるべく節約しながら最終的には日雇いバイトなどで金を得ようという方針に決まった。
この島は熱帯とまでは言わないまでも、ラジェルナよりだいぶ暖かかった。人々の行き交う港では、半数くらいの人達が鮮やかな染物の民族衣装を着ている。女性は胸元のあいたパフスリーブとロングスカート、男性はオフショルダーの半袖のトップスに濃い色の七分丈パンツだ。それぞれ襟ぐりや裾のところに特徴的な波型の模様が入っている。一見して白人はあまりいない。褐色の肌と鮮やかな衣服のコントラストは芸術的だ。
足元は籐で編まれた素朴なサンダルで、女性達のパフスリーブは風にそよそよ揺れるほどの誇張気味な大きさだった。真っ青か菜の花の黄色が多いが、中には鮮烈な赤を着こなしている女性もいる。大振りな貝細工らしきピアスと相まって、派手で異国情緒があっていい。
暑い風に、即座にノエル以外は袖をまくった。グレンに至ってはシャツを脱いで、鮮やかなブルーのタンクトップになっている。その姿は、島を歩く芸術的な民族衣装の人達と、なんだか調和していた。
まずは市場に向かう。小麦粉を仕入れてホームメイドでパンを焼くのは決定事項だ。肉がないと育ち盛りの少年たちには辛いので、ベーコンなどの保存が効くものを中心に仕入れる。卵も多めに買った。あらかた食料を仕入れると、ノエルとグレンが漁具を吟味しに行った。クライドとアンソニーは燃料を仕入れることにして、船着場に戻る。先に買った食料を船に置いて、人目を気にしてからそっと船を下りる。
「なあアンソニー、漁船の見た目を変えて見せることはできるか」
「目くらまし発展版で、あの船をこの辺の船っぽく見せるってことだよね? できるよ!」
「よし、じゃあ俺この辺の人っぽい服装するな」
「お願い! 船に魔法かけたら持ってくるよ」
クライドは目を閉じて想像する。さっきすれ違った男の服装は、鎖骨の出るオフショルダーのゆったりした麻のトップスだった。色は鮮やかな菜の花色、袖や裾に波を象ったような模様もついていた。パンツは濃い緑色の七分丈で、タールのようなもので少し汚れていた。一人で船を動かすアンソニーは、操舵室から楽しそうな顔で手を振ってくれる。相変わらず天真爛漫なアンソニーだが、船を一人で動かせるまでになったことで今までよりも大人っぽく見える。
停泊した船はこの辺りの木造船のように見える魔法がかけられていて、クライドの目にはいつもの漁船に見えるが島の人達が見ると木造船に見えるという。
燃料スタンドでグレンから預かっていた金を使って燃料を買う時も、特に怪しまれなかった。この辺りでは珍しい白い肌も金髪も、老齢のスタンド店員には特異に映らなかったらしい。通貨がウェルツ(エナーク圏に多い)とデラ(クライドたちが今持っている通貨だ)の両方使えるという珍しい島なので、問題なくデラ紙幣で支払いが出来た。
船をまた元の場所に隠して、アンソニーが降りてくる。クライドは変装を解除し、いつもの服を思い浮かべた。よれたシャツに褪せたズボン、靴もくたびれたスニーカーだ。
「えーっ、クライド戻しちゃうの? さっきの似合ってたのに」
あからさまに落胆した様子でアンソニーが肩を落とした。彼のその姿を見て、確かにこのいつもの貧乏臭い格好に戻す必要もあまりなかったかもしれないと考える。
「あまりに着慣れない感触だったからさ。鎖骨の辺り、ずり落ちそうで」
「今度はとっておいてよクライド! グレンたち探しに行こ」
「そうしよう」
市場へ向かうと、グレンとノエルがすぐに見つかった。背の高い金髪の白人はこの島ではあまり多くないから、グレンが目立つのだ。釣具屋と話していた彼らに近づいていくと、二人もクライドに気づく。二人とも、重そうな袋を両手に二つずつぐらい下げている。
「よう、クライド」
「燃料は問題なく買えたみたいだね」
それじゃ、と有無を言わさない様子でグレンが品物を受取り、ノエルはにっこりと笑って釣具屋に会釈する。クライドも何となく連動的に挨拶し、人の良さそうな丸々太った民族衣装の店主に別れを告げる。そして、ノエルが左手に持っていた二つの紙袋を受け取って持つ。後ろから来たアンソニーは、グレンがもっていた五つの袋のうちの二つを受取っていた。彼らの買い物が終わっているようなので海の方へ引き返す。
「驚いたぞ。釣り餌用のオキアミを値切ったらノエルも便乗してくれて、目を疑った」
興奮した様子で言うグレンに、確かにクライドも驚いた。ノエルは絶対にそういうことをする性格ではない。
「この辺りの市場ではそういう文化だからいいんだよ。向こうの言い値で買うのは賢くない」
しれっとそういうノエルは、旅に出て少し大胆になったとクライドは思った。ノエルはもともと異文化をすんなり受け入れられるタイプの少年ではあるから、そういう寛容なところがより磨かれたのかもしれない。
浜を歩いて船へ戻る。荷物を積み込むと、まだ陽の高い時間にこの島を出るのが少し惜しく思えた。何せ毎日海の上で過ごし、そろそろ陸が恋しかったのだ。全員が同意見だったようで、アンソニーが真っ先に船を下りた。
「ちょっと遊ぼうよ。海ばっかりで疲れちゃった」
「賛成。けど、夜までには出ような。ホテルに泊まってるような悠長な時間はない」
クライドも船を下りる。グレンもノエルも降りてきて、ノエルは腕時計を確認していた。グレンはほどけた靴紐を結びながら、クライドを見上げてにやりと笑う。
「俺、バッティングセンターで体動かしてくるな」
「僕も行く!」
アンソニーも空色の瞳を期待に輝かせながら言った。走ったり跳んだりできない船の上がかなり退屈だったことだろう。運動不足はクライドも自覚していた。ノエルだけは普段から動かないから平気そうだったが、それでも気分転換はしたいのだろう。もう早速、町の方に身体を向けている。
「僕は図書館に行ってくるよ。離島の図書館なんてわくわくする。それから、持っている通貨をウェルツに両替してくるよ。この先の島はほぼ全部、ウェルツが流通しているから」
ノエルは島の民族資料館が併設された図書館が気になっているらしい。港からそう遠くないところにあると、案内看板には書いてある。銀行系はノエルが強そうだから、システムが良く分かっていないクライドたちは二つ返事で彼に両替を任せた。
「俺は…… ちょっと歩く」
本当はグレンたちと一緒に行きたかったが、クライドの手持ちの小遣いはゼロだ。グレンに借りるのも気が引けるし、かといって図書館は複数人で行くところではない。
「夕飯食いたくなったら船に集合な」
グレンの言葉に頷いて、クライドはあてもなく歩き始めた。