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第四十三話 揺れる大海原

 雷の音を聞いて、アンソニーが不安そうな顔をした。外にいるのがなんとなく嫌になってきたので、アンソニーをつれて船室に入ることにする。

 船室からは倉庫につながる階段が下に向かって伸びている。その薄暗い倉庫には、昨日買った食料品などの荷物を入れてあった。アンソニーの大荷物もここに入っている。

 そして、スタンリーから貰ったものも置いてある。アベルから受け取ったお守りは、全員がちゃんと身に着けていた。クライドとグレンは、エルフのお守りとあわせて首に二つお守りを下げている。

 スタンリーから貰ったものはまだ中身を見ていないため、昼ごろにでもウルフガングを交えて一緒に開封したいと思う。

 ノエルは何か探し物をするためなのか、倉庫の中に消えていった。久しぶりにのんびりとした時をすごせるので、クライドは船室の壁に身を預けて目を閉じる。そうしていると、雷の音でさえ心地よく聞こえるから不思議だ。父の日記をもう一度読み返そうと思い、開こうとしたところで壁にものをぶつけるような音がした。

「嘘だろ?」

 操舵室から声がする。顔を上げてみると、窓からグレンとウルフガングが見えた。二人とも真剣そうに何か言いあっており、互いに一歩も譲らない。何をもめているのだろう。

 何か聞こうと思って船室を出ようとし、やはり足を止めた。言い合いは落ち着いたらしい。だが、クライドは言い合いよりももっと衝撃的な光景を見てしまった。

 グレンが舵を取っている。ウルフガングは、グレンに船の動かし方を教えているらしい。唖然として立ち尽くしてしまう。

 不意にウルフガングがこちらを振り返り、手招いた。操舵室に足を運ぶと、グレンが何やら釈然としない様子で何種ものレーダーを眺めていた。メーターも複数ある。障害物を探知するシステムも導入してあった。グレンと目があうと、彼は肩をすくめて見せた。

「偽造免許ならある」

 そういって、ウルフガングはポケットから四枚カード状のものを取り出して見せた。クライドとグレン、アンソニーとノエル。四人分の偽造免許証だ。よく見ると生年月日も偽造されていて、全員二十歳から二十二歳ぐらいの設定になっている。

 どうしてそんなものが必要なのだろう。何だか、とんでもなく悪いことをしているような気がするのはクライドだけだろうか。

「その前に、何でグレンが操舵してるんですか?」

 嫌な予感に答えを当てはめる前に、クライドは最大の疑問を口にしてみた。すると、この問いにはウルフガングではなくグレンが答えてくれた。

「ウォルはあの街から離れると長時間幽体を保てなくなるんだってさ。遠くなればなるほど、魔力が薄くなるらしい。だから、いずれは俺達がこの船を操縦しなきゃいけなくなる」

 耳を疑った。嘘だ、そんなこと聞いていない。

 凍りついたように立ちすくんでいると、クライドの肩に手を置きながら、ウルフガングが寂しげな笑みを浮かべた。

「仕方ないんだ。俺は生きていてはいけないものだから、ここにいてはいけないものだから、ある程度の制約はある。使命のためとはいえ、お前らを孤島まで送ることは出来ないんだ」

 確かにそうなのだろう。だが、納得がいかない。首を横に振り、クライドはよろめいて後ろへ下がった。そばにいるだけで父親のような安心感をくれるウルフガングが船の操縦士をやってくれると聞いて、内心躍り上がる勢いで喜んでいたのに。

 彼はこられないという。意識していなかったが彼は幽霊だった。幽霊は人間と一緒には過ごさない、当たり前のことだ。彼が死んだその瞬間をクライドも見ている。彼はこの世の人間ではないと、理屈ではクライドも分かっているのだ。

 急に崖から突き落とされたように感じた。心の中に広がって行くのは、漠然とした不安だった。

「いつまでも甘ったれちゃだめだよな」

 どこか諦めたようにそう言うグレンの声で、ふと我にかえる。しかしまた、気分は深く沈んでいった。グレンの言葉が正論だと思うからこそ、自分の感情の部分がざわめくのだ。

 もう十六だ。いつまでも、周りの環境に甘えていられない。

 しかし、クライドはぼんやりとしか覚えていない父の面影に、いつのまにかウルフガングを重ねて見ていた。ウルフガングとの別れは、父との二度目の別れのような気がしてならない。

「クライド、俺は絶対に嘘をつかない。約束する、お前が助けを求めていたらすぐにでも飛んでいく」

 俯くクライドに、ウルフガングが声を掛けてくれた。弱弱しくうなずくと、ウルフガングはポケットを探り、何かの紙切れを取り出した。それをクライドに押し付け、無言で操舵室から出て行くよう促した。よろよろとした足取りで、クライドは操舵室を後にする。

 クライドは船室に戻らず、甲板についている柵にもたれて座った。座ったクライドの首あたりまで柵があるので、落ちる心配はない。暫く曇り空を見ていたが、ふと握り締めているものの存在を思い出す。何が書いてあるのだろうと思い、ウルフガングに渡された紙切れを眺めてみる。

 紙は四つ折にされていて、大きさはおよそハガキ程度だ。多少よれていて、くたびれた感じがする。開いてみる。何が書いてあるのかと期待したが、何も書いていなかった。ウルフガングは、意味もなくこの紙をクライドに押し付けたのだろうか。

 大きなため息をつき、柵から頭だけのけぞらせる。灰色の重たい曇天が、クライドの気持ちをそのまま表しているかのようだった。

「全て白紙に戻そうって意味か?」

 それはないと思う。自分で呟いてみて、自分を責めたくなった。たった今、約束してもらったばかりじゃないか。絶対に嘘をつかないと、彼はいったはずだ。自分を信じてくれている人を裏切るなんて、クライドはそんな酷いことなどできない。したくもない。

 自分が嫌になりすぎて吐き気がした。いつから自分は、信じてくれている人を平気で裏切って疑いを持てるような人間になったのだろう?

 と、急に冷たい何かが脳天に落ちてくる。思わず声を上げてしまった。

思考は打ち切られ、視線は自然と上へ向く。とうとう雨が降りだしたようだ。空を見上げるクライドの頬に、いくつも冷たいしずくが落ちてくる。船室に戻った方がよさそうだ。

 やがて、船は異常気象の起きている海域を抜けた。それとほとんど同時にウルフガングもいなくなってしまったが、クライドは甘えて引き止めたりしなかった。

 クライドにできることは、ウルフガングを引き止めてここにいさせることではない。船を前進させるために、グレンから船の操縦の仕方を教わることなのだ。そして、全員で交替しながら船を操縦すればいい。そうと決まれば、すぐ行動に移さなければ。

「グレン」

 声をかけると、グレンはクライドの気持ちを察してくれていたようで、頷きながら操舵室に手招いてくれた。計器のならぶ操舵室で、クライドとグレンは一緒に前方を見渡した。異常、なし。

 かくして、一ヶ月ぶり位の本格的な勉強が始まった。学校でする勉強なんかよりももっと具体的で、この状況で生きるためにとても必要な勉強だ。


 一週間後には、全員が船を操縦できるようになっていた。時々短い時間だけ顔を見せてくれたウルフガングが熱心に教えてくれたおかげでもあるだろうが、なによりクライドたちには熱意があった。

 現在、周りにはただ広い海原が広がっているだけで、大陸は見えない。孤島や町も見えてこない。この船の操縦は、何時間かごとに交替している。夜は全員眠るので、しかたないが自動操縦にまかせている。だがそのせいで、信じられないことに今日は二十キロも東に流されていた。今は必死でその距離をとりもどそうと船を躍起になって進めているが、あと数日のうちに燃料が切れてしまいそうなので心配になる。

 ノエルが甲板にいるのが見える。グレンは、船室の隅で昼寝している。船を操縦しているのは、アンソニーらしい。クライドは暇になり、壁にかけられたものをみた。

 それは、鮮やかな色をした大漁旗だ。スタンリーがクライドにくれたものが、これだった。包みを開けたのは、五日前のことだったと思う。中を見ようと思って、何やかんやそれどころではなかった。

 この大漁旗をみると、勇気がもらえる気がする。スタンリーたちが目の前でこの旗を大きくふりながら、勇ましく荒波に向かっていく様子がありありと頭に浮かぶ。想像の魔法は使わないように気をつけた。

 運転を交代して自分の時間をもつたびに、何度も父を思い返して日記帳を読んだ。離れていた時間が長すぎて、父の思い出はおぼろげだ。今更会ってちゃんと再会を喜べるのだろうかという思いはあったが、考えないようにした。

 さすがに日記も読み飽きて、クライドは船室の中に寝転がった。グレンと一緒に昼寝でもしようか。はじめのうちは海をながめて過ごしていたりしたが、やがて退屈になってきた。今まで本物の海を見たことがなかったのに、一週間も眺めていたら飽きてしまったのだ。

「あれえ、グレンってば寝ちゃったの?」

 呆れたような声を上げながら、アンソニーが船室に入ってきた。部屋の隅で寝ていたグレンは、ぴくりとも動かない。完璧に熟睡している。

「交代か? グレンと」

 窓から視線を動かしながらアンソニーに訊ねる。アンソニーはこちらに歩み寄ってきながら頷いた。

 クライドは、グレンを起こそうかどうか迷った。別に自分が操縦してもいいのだが、アンソニーがする前に一度やっているので本日二度目となる。集中力がもつかどうか心配だ。よそ見して岸壁にぶつかることはないだろうが、商船や貨物船などに衝突することはありえる。この船と同じような漁船がすれ違うこともあるだろう。

 どうしようかと悩んでいると、ノエルが操舵室に入っていった。何も言わずにこうして自分から何かしてくれるのは嬉しいが、少し罪悪感を覚えてしまう。クライドも操舵室に向かった。

「クライド、何かあったのかい?」

 地図と計器を同時に見ながら、いつもどおり穏やかな声でノエルが言った。少し逡巡してから、クライドはノエルが座っている操縦席の隣に移動する。

「別に、何もない。でも、ノエルが俺とグレンの代わりにこうして船を動かしてくれてるから。ありがとな」

 そういってみると、ノエルは微笑を浮かべた。そして、方位磁針を見ながら地図の向きを少し変えて持ち替え、それからクライドの方を見た。

「気にしなくていいよ。ちょっと退屈だったから、暇つぶしにもなるしね。クライド、海図を取ってくれないかい? 潮流をもとに計算したいことがあるんだ」

 言われたとおり、あたりに放置してあった海図を手に取る。やはりこの部屋で一人寂しく操舵に没頭していると、皆集中力が切れるようだ。床が結構散らかっている。

 紙飛行機や手紙など、この部屋に必要のなさそうなものまで落ちている。手紙はなんと、シェリーに宛てられたものだった。内容を少し見たが、字が汚すぎて上手く読めなかった。差出人の名はなかったが、グレン以外に誰がシェリーに手紙を書くだろう?

 窓を開けて、クライドは拾った紙飛行機を飛ばした。これを誰が折ったのかは解らない。大方、アンソニーかグレンだろう。

 紙飛行機は、しばらく風に煽られながら宙を舞っていた。しばらくすると、やがてゆっくりと吸い寄せられるように海に落ちた。波間に浮かぶ白い点をじっとみつめ、クライドは窓辺にもたれかかった。そして、グレンの書いた手紙をなんとか読解しようと頑張ってみた。やはり駄目だ。もしかすると、グレンは読まれないようにわざと汚い字でかいたのかもしれない。エルフにも読めない文字はあるというのは大きな発見だ。思わず一人で笑う。そうしていると、ノエルが海図から顔を上げて小さくため息をついた。

「問題発生か?」

「残念ながらね。計算上どうしても数日以内に他の島が見つからないんだ。通り過ぎる予定だった島で停まって、早めに燃料を補給しよう。船を隠すのに、グレンやアンソニーにも力を借りなくちゃ」

「わかった。皆起こしてくる」

 船室に入って二人を起こす。眠そうなグレンはやや不機嫌だったが、島が見えてくると見る見る元気になった。彼も退屈で気が滅入っていたのだろう。

 ノエルの発案で、接岸する前に人目につかなさそうな入り江をあらかじめ絞り込んでおいた。法的な届出は一切していないこの漁船が、堂々と入港するわけにはいかないからだ。上陸する国はかろうじてまだラジェルナ領だが、ちゃんとした免許は持っていないので密航であることには変わりない。今後別の国に上陸することがあれば尚更だろう。

 困ったときは魔法を頼ろうというアンソニーの単純明快な策により、クライドたちは上陸までの一時間あまりで呪文集を数冊読み漁った。ウルフガングにもらった魔道書から目隠しの呪文というのをみつけたので、アンソニーがグレンと協力して船を隠す。船は風景に紛れ、目にした人の意識の隅の方へ追いやられるようになり、この四人にだけ分かるようになっている。

 クライドたちはこうして、初めての陸地に上陸することになった。

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