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第四十ニ話 出航

 揺れる足場を気にしながら、漁船に乗り込む。船にはグレンとアンソニーがいた。二人はクライドに気づいて、軽く手を振ってくれた。彼らに手を振りかえしてから、クライドは荷物を抱え直す。

 船室を覗いてみると、かなりの大きさの荷物があった。四人が余裕で雑魚寝できる広さがあるので、これからの旅で寝床を心配する必要はないと思う。船室の奥には簡素なシャワールームがついていた。

 よく見ると、いたるところに漁船らしくない改造がほどこしてある。ラジオ局の人が、最初からこんな風に改造されている中古船を選んでくれたらしい。直接会って話したことはない人だが、クライドはラジオ局の人に深く感謝した。

 船室に自分の荷物を置き、クライドは甲板に出る。グレンとアンソニーがいる場所だ。そっと二人に声をかけようとしたが、少しためらわれた。二人とも、妙に切なそうにしている。甲板全体に重い雰囲気が漂っているように感じた。

 もしかしたら自分も同じ顔をしているのだろうかと思い、クライドは無理に笑うことにした。

「お別れなんだなって思うと、寂しくならないか? ほら、俺達が暮らしてきた街とかエディたちとか。ついに陸地を離れるわけだし」

 どことなく苦しげな微笑を浮かべ、グレンが言った。そうだ、そういえばエディに別れを告げていない。けれど、きっとエディは別れを告げたら泣くと思う。泣きじゃくる子供を宥めるのも、クライドにとって得意なことだとはいえない。

 アンソニーが寂しそうな顔をして、クライドを見た。

「エディ、泣いちゃった。僕のこと、本当の兄ちゃんみたいに慕ってくれてたから」

 予想通り、エディは泣いていたのか。アンソニーの表情があまりにも悲しそうだから、クライドはまさかアンソニーまで泣くのかと思った。だが、彼は泣かなかった。先月までのアンソニーだったら、きっと今頃は手に負えないほど泣いていただろう。

 この一ヶ月の旅が、アンソニーを変えたのだとクライドは悟った。そういうクライドだって、一ヶ月のうちに得たものがたくさんある。同時に、失ったものもたくさんある。

 片想いのクラスメイト、平穏なスクールライフ、そして、自分は純粋な人間だと信じて疑わなかった日々。それら全てを失ったが、引き換えに仲間との以前より強い絆や町長との約束、そして使命、人間ではなくとも自分が自分であるという自信を得た。ヒトだろうとエルフだろうと、自分は自分なのだ。

 これから初めて海に出るが、不思議と不安はない。それは、得たもののひとつである仲間との強固な絆による安心感がもたらすものだろう。

「いろんなことがあったな」

 しみじみとつぶやいてみると、アンソニーもグレンも無言で頷いた。ただでさえ明るくはなかった雰囲気が、一気に寂しいものになった。

 やがて、ノエルが戻ってきた。息を切らして、折れたままの左手を押さえながらタラップを上ってくる。グレンがノエルに手を貸してやっていた。

「ごめん、遅くなって」

 いつもと同じ微笑を浮かべ、ノエルは言った。グレンとアンソニーは微笑んでいたが、クライドはどんな顔をしていいか解らなかった。サラはどうなったのだろう。

 ノエルと目が合った。クライドは、微妙な表情のままノエルを見ていた。するとノエルは、クライドの隣に座った。

「ちゃんと泣き止んだよ。最後には笑ってくれた。街でみつけたアクセサリーをあげたんだ」

 そういうノエルの左腕には、澄んだ緑色のガラス球がはめ込まれたバングルが輝いていた。骨折が治りきっていないから、雑な扱いはできない腕だ。たぶん、ノエルはこれとお揃いか色違いのものをサラにあげたのだろう。今までノエルが装飾品をつけているところは見たことが無いし、あまり興味も持っているように見えなかった。

「たとえ僕がいなくなっても、サラがずっと笑っていられるようにね」

 柔らかに吹き去っていく薫風に乗せるように、ノエルは優しくつぶやいた。風に吹かれた鳶色の髪がノエルの表情を隠す。何と声をかけたらいいのか解らなくなって、クライドはつい黙りこんでしまった。

「そろそろいこうか」

 いつのまにか幽霊のウルフガングが操舵室にいて、こちらを振り返ってどこか懐かしげな表情を浮かべていた。胸の奥がつんと切なさに痛む。

「おーい、まてまて」

 声を掛けられ、クライドたちは四人で振り返る。ウルフガングは、操舵室にとじこもったまま前だけ見ていた。

 港に、漁師たちが集まっていた。そのなかに、泣きはらした目をしたエディも見える。世話になった礼を言わなければならないと思い、クライドは岸に向かって叫んだ。

「リンドバーグさん、ありがとうございました」

 そういうと、スタンリーは晴れ晴れと笑った。そして、見送りにきていた妻と息子を抱き寄せる。二人とも、泣いていた。また自分が泣かせてしまったように感じて、クライドは複雑な気持ちになった。

「おう、誰か降りて来い!」

 漁師の皆が口々にそう言うので、クライドが降りていった。ノエルは腕を折っているし、グレンは動こうとしない。そしてアンソニーが降りていったら今度こそ本当に泣きそうな気がしたので、クライドは自分から動いたのだった。

 まずスタンリーが、何か重たい包みを押し付けてきた。疑問に思って視線を向けてみると、『黙って受け取れ』といわれた。

 ジャックとジェシーはクライドの肩を代わる代わる抱き寄せ、笑顔でいってらっしゃいと言ってくれた。頷く。すると、ルイスとハワードが珍しく一緒にいるのが目に入った。ハワードの方が気づいて、ルイスの肩を軽く掴んで注意を向けてからこちらに歩いてきた。

「俺達が喧嘩してたから、居心地悪かっただろ? ごめんな」

 いきなり謝られて拍子抜けしていると、ルイスにも謝られた。いいんだ、と笑って見せたら、ルイスとハワードはいきなり酒の瓶をあけてクライドの頭にかけた。アルコール臭と酒のべとべとに眉をひそめると、クライドを見た漁師たちが声を合わせて笑った。

 酒をぬぐっていると、アベルが近寄ってきてクライドに小さな包みを差し出し、ぎこちないディアダ語を喋ろうとした。クライドはそんなアベルを止めて、アベルの母国語のつもりで大丈夫だと告げる。言葉が通じることに気づいたアベルは喜んで、母国語でこう言った。

「良い門出を願って、この海でとれたサメの歯を加工したお守りを君達にも授けるよ。お元気で」

 漁師のお守りを貰ったので、なんだか今まで以上に漁師たちと近づけた気がした。

 クライドは漁師たち全員に礼を言う。そして、スタンリーから受け取った包みとアベルから受け取った包みを持って、頭から酒を滴らせながら甲板に戻った。ノエルは穏やかに笑み、アンソニーは泣きそうな顔をして、グレンは寂しそうにこちらを見た。

 ウルフガングを見ると、出航するかどうか目線で尋ねられた。たくさんの思い出が頭をよぎる。離れたくないが、意を決して力強く頷いた。すると、碇が自動的にあがったのがわかった。そのまま、ゆっくりと船は岸を離れていく。見送りにきた人たちが、いっせいに手を振ってくれた。

「元気でな!」

 スタンリーの力強い声と同時に、漁師たちがいっせいにポケットから何かを取り出して振った。よくみてから、思わず泣きそうになった。

 それは、小さな大漁旗だった。漁師たちが大切にしている、祝福の旗。どれも手作りらしく、色合いが微妙に違っていた。クライドたちがスタンリーの家を出た後つくったのだろうか。

 全くの他人であることにもかかわらず、兄弟や親のように暖かく見送ってくれる漁師たちの優しさに感激した。絶対に、絶対に忘れない。そして、絶対戻ってきたい。

 港にいる人たちが、船の後を追うように走ってきている。走りながら、口々にクライドたちを送りだす言葉を叫んでいる。

「風邪ひくなよ」

「身体に気をつけろ」

「また会おうな」

「絶対に戻って来い!」

「頑張れ!」

 気づけば、いつのまにか見送りが大勢になっていた。叫ぶだけでなく、歌う声も聞こえる。豊漁を歌ったものだったが、すばらしい門出の曲だとクライドは思った。

 見送ってくれている人たちの、後ろの方にサラとブリジットも見えた。二人とも、笑顔で手を振っている。ブリジットの肩を借りて立っているイノセントもいたような気がしたが、すぐに見えなくなった。きっと見間違いではないと思う。

 街の人に手を振りながらその場に突っ立っていると、頬をなにか暖かいものが伝うのを感じた。最初は酒のしずくだろうと思ったが、違う。涙だ。ついに自分も泣いてしまったらしい。頭から酒を引っ掛けてくれた、ジャックとジェシーに感謝した。泣いているところは、人に見せたくない。

 岸が遠くなり、やがて点になるまで、クライドは甲板に立って手を振っていた。いつまでも、いつまでも手を振っていた。

「さよなら。いや、行ってきます」

 腕で酒と涙をぬぐい、クライドは晴れやかに笑う。自分の背後は決して振り返らなかった。自分の泣き顔を見られたくなかったのもあるが、今振り返ったら確実に誰かが泣いている。

 夜の海を見つめ、クライドは歌を口ずさむ。曲は名称未設定。クライドが考えた歌詞にグレンが曲をつけた、前向きな歌。

 これからの未来を型にはめてしまいたくないからと、わざとタイトルをこんな風にしたのだった。自他共に認める音痴のクライドでも思わず歌を口ずさむくらいには、感傷に浸っていた。陸地はもう見えない。静かな海原に、月の灯りだけが穏やかだ。


 気づいたら、空が明るくなっていた。いつのまにか寝ていたらしい。頬を撫でる潮風に目を覚まし、むっくり起き上がる。誰かの上着が腹の上にかけてあるのを見て、それからまた甲板に寝転がる。

 水びたしならぬ酒びたしのまま寝てしまったから、身体に酒の匂いが染み付いてしまったようだ。アルコール臭がすごい。

「おはよう」

 クライドを覗き込み、ノエルが笑った。もう一度起き上がってみると、グレンもアンソニーも甲板で寝ていた。ノエルは船室で眠ったのだろうか。彼はクライドよりも随分早く起きたらしい。もう服を着替えていたし、そのつややかな鳶色をした髪に寝癖はなかった。

「シャワーを浴びておいで、クライド」

 頷いて、腹の上に掛けられていた上着を見る。多分、ノエルのものだ。上着をノエルにかえし、クライドは自分の荷物から着替えを引っ張り出して置いてからシャワーを浴びに行った。

 驚いたことに、このシャワーから出る水は真水だ。海水を浄水器に通して真水にしているらしい。この高性能な浄水器の研究に携わっている人を、テレビで見たことがある。もちろんお湯が出るので、問題なく身体を洗えた。

 シャワー室から出ると、服を着替えて甲板に出た。先ほどまで寝ていたグレンが起き上がり、クライドを見て寝ぼけた声でおはようと言った。

 グレンに挨拶を返し、海を見てみる。昨夜は暗くて解らなかったが、海は綺麗な紺碧だ。宝石の色みたいだとクライドは思う。

「ウォルは?」

 何気なく訊ねてみる。別に、これといって返事を期待したわけでもない。彼は絶対に操舵室にいて、幽霊なので眠る必要もないだろうから起きていて、クライドがきたらおはようと言ってくれるのだ。

「操舵室にいるんじゃないかな」

 律儀にも、ちゃんとノエルが答えてくれた。操舵室を見ると、ウルフガングの灰色の髪がちらりと見えた。前しか見ていない。

「そうだ、クライド…… 君宛ての預かり物があるんだ」

 思い出したようにそういいながら、ノエルはクライドに手紙を差し出した。白い封筒で、宛名も差出人の名もない。だが、封筒にはかなりの厚みがある。小さなノートが入っているのか、何十枚もの便箋が入っているのかのどちらかだろう。

「これ、ウォルから?」

 そう訊ねてみると、ノエルは頷いた。何の気なしに開けてみて、クライドは固まった。

 出てきたのはボロボロの手帳だった。手帳と言うか日記帳だろうか。表紙には去年のレベン・ルクルス両暦が手書きで書かれていて、かすれた文字で名前も書いてある。

「ハーヴェイ・カルヴァート」

「お父さんの名前だね」

「ノエル、これ、去年の日記だよな」

「詳細は聞いてないけど、書いてあることが全てじゃないかい。僕も開いてないよ」

「ありがとう、ノエル」

 早速日記を開いた。ノエルはクライドのプライベートに立ち入ることに遠慮したのか、すっと立ち上がって船室から出て行く。クライドは声をかけることもせず、日記に目を落とす。

「今日はクライドの十五回目の誕生日だ。今頃はアリシアや母さんと誕生会だろうか。それとももう、女の子と二人で過ごしているだろうか。あんなに小さかったクライドが、もう十五か。月日が経つのは早い。早くここから、出たい」

 ページをめくる。ここには何も書かれていない。次のページには、エルフ語の羅列があった。かなり雑に書かれていて、ディアダ語かエルフ語か判別するのが難しかった。

「ここに閉じ込められてもう十二年が経った。脱出の方法は思いつく限り全て試した。死んだら運び出してもらえるだろうか。いや、それも望みが薄い。何せこの集落には、一年も前から魔力の気配がないのだから」

 目の前が暗くなった。この日記が書かれたのは去年。去年の十二年前は、今年の十三年前だ。当然であるが、そんな計算をするのが大変になるぐらい頭が混乱した。

 十三年前、それは父が旅立った頃だ。ということは、父はそれからずっとそこに閉じ込められているということなのだろう。父はどういう経緯かいつ死んでもおかしくない状況に怯えてはいるが、それでもまだ生きている。

 ページをめくった。何も書かれていないページが、延々と続く。クライドの不安はどんどん膨らんでいった。全体のページ数のちょうど半分ぐらいに当たる部分に、やっと文字を見つけた。奇妙な安心感を覚えた。書かれているのは、走り書きのような文字だ。

「ウォル」

 日付は、十月になっていた。半年前だ。父はまだ生きている。きっと生きている。クライドは夢中で日記を読み進めていった。十一月になり、十二月になり、父を取り巻く状況が少しだけ理解できた。

 父は海を渡り、祖父のいるエルフの集落へ向かい、そこで捕まった。罪状は書かれていないが重い罪で、投獄されて十年以上も狭い牢で魔法も使えずに粗末な食事で生き延びている。帰ることが出来ない状態ではあるものの、クライドや母のことを想う文章が毎日続いていた。

 その後も似た調子の日記が続いているので、何か変わったことがないかと日記帳をぺらぺらとめくっていると、急に空に影がさした。不思議に思って甲板に出ると、先ほどまで綺麗に晴れていた空が灰色の曇天に変わっている。

 驚いたクライドは、とりあえず甲板に転がっていたアンソニーを起こして船室に連れこんだ。グレンやノエルは、自分の足で船室に入ってくる。

「驚くことは無い。異常気象なんだ、このあたり」

 別段気にしてもいない風に、ウルフガングは言った。クライドは驚き、窓から空を見た。その瞬間、思わず声を上げる。

 雲を切り裂くような稲妻が、まるで意思を持ってクライドたちを狙うかのように怪しく輝いていた。

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