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第四十一話 心の故郷

 日が暮れた町を、潮風が通り抜ける。風に促されるように、クライドたちは港へ向かっていた。今後の旅費を考えるとグレンが見つけてくれたおしゃれな靴は買えなかったが、旅のあとの楽しみが増えた。

 ひょろ長い街灯に照らされたレトロな石畳の遊歩道を歩き、港に着くと見慣れない船が一隻あった。小さな船だ、行楽用の釣り船といったテイストだ。近くのベンチには、ノエルとサラが座っている。二人はクライドたちが来たことに気づくと、立ち上がって振り返る。ノエルの顔が穏やかだったので、たぶん上手く伝えてくれたのだろう。

「サラ、俺が怖い?」

 そう質問してみると、サラは首を横に振った。そして、にっこりと笑ってくれた。

「クライドの正体が何だったとしても、言葉の通じる友達が増えて嬉しい」

「本当にごめん、ノエル」

「いいんだよ。サラは魔法を使える僕を、意外とすんなり受け入れてくれたから」

 ほっとすると同時に、グレンが漁船の銀色の手すりに手をかけながら振り返る。彼はもう、乗ってみたくてうずうずしているようだ。

「なあノエル、上がっていいか」

「そうだね。僕も行く。というか、僕の家には無断で上がるのに船には許可をとってくれるんだね」

 ノエルのその返しに思わず笑ってしまった。本当にその通りだ。二人が上ったので、クライドもアルミ製の手すりに手をかけた。結構揺れて怖いが、しっかりロープで接岸してあるので目測を誤って海に落ちることはないだろう。それでもサラはスカートなのでやめておくといい、一人で待っていた。

 船は中古だというが全くそう感じない。わくわくしながら乗り込んで、そこに持っていた荷物を下ろす。長旅になるだろうから、アンソニーが来るのを待って買出しに行くことが決定した。どういう食材を何日分用意するのか、ノエルを中心にあらかじめ議論して船を下りる。そして、ノエルは先に門限の厳しいサラを家に送ってくることになった。

「それじゃあ、今度会う時はもっとゆっくり話そうな」

「うん……」

 俯いたサラは目を潤ませていた。別れの気配を感じ取ったのだろう。グレンが大丈夫だと言って彼女の肩を叩いたが、たぶん言葉が通じていない。

「何も一生のお別れじゃないぞ、サラ。帰ってきたらアンシェントに遊びに来いよ、飛行機の関係で一ヶ月はこっちに帰ってこられなくなるけど」

 ぎこちなく笑うサラは、ついに大粒の涙をこぼした。ノエルが目を伏せ、クライドとグレンは顔を見合わせる。

「行かないで」

 絞り出すようなか細い声に、クライドも胸が詰まる。ノエルが唇を噛んで、泣き出したサラの肩を迷いなく抱き寄せた。濁りの無い彼女の本心は、陸地に未練を残したクライドたちに刺さる。

「まだ全然、足りないよ…… 一緒にいたい」

 サラが言葉の壁で感じる疎外感と、クライドが銀色の目で感じてきた疎外感はきっと似ている。やっと分かり合える人が出てきたのに、すぐに離れてしまうのは辛いだろう。そして、彼女と親しいノエルがそれを理解していないわけがなかった。

 痛みに耐えるような顔をして、ノエルはサラを引き寄せた。彼女の白く細い首筋に顔を埋めたノエルは、傍目に分かるほど苦しそうだった。それもそうだろう。滅多に会えない仲のいい友達と、これが永遠の別れになる可能性だってあるのだ。

「クライド、ちょっと二人にしてやらないか」

「そうだな」

 二人で船から離れ、先にブリジットに別れを言いにいくことにした。その途中でアンソニーと合流できたので、グレンにはアンソニーと一緒に買出しに行ってもらうことにする。

 店に着くと、ドアに鍵がかかっていたので呼び鈴を鳴らした。ブリジットは店の奥にいるようで、なかなか出てこなかった。イノセントの怪我を診ているのかもしれない。

 数分して、慌ててブリジットが出てきた。クライドは微笑んで、ひらひらと手を振って見せた。

「クライド、いらっしゃい」

 クライドを見て、嬉しそうに笑うブリジット。クライドは少し寂しさを感じながら、漁船を手に入れたことをブリジットに告げた。

 それを聞くと、ブリジットは寂しそうに頷いた。そしてクライドを軽く抱きしめ、二度ほど背中を叩いてすぐに離す。優しい従姉を持って幸せだと、クライドは思った。旅から帰ってきたら、すぐに顔を見せにこよう。そして、そのときには父も一緒にいればいいと思う。

「何かあったらすぐに電話するのよ、解ったわね?」

 ブリジットはそういって、小さなメモを渡してくれた。クライドはポケットのなるべく奥の方へその紙を押し込んだ。あとで日記帳に転記しておこう。

「電話、貸してもらえるか?」

 そう訊ねてみると、ブリジットは頷いた。そして、目頭に手をやりながらカウンターを指差す。クライドはそちらへ向かい、受話器をはずした。

 泣いている女性なんてどうやって宥めたらいいかわからないし、宥める方法があったとしても今の自分では宥められないだろう。そう思い、クライドはブリジットのほうを見なかった。

「何処へ電話するの?」

 涙声で訊ねられた。クライドはその声に少しびくりとしたが、普通に答える。何だか、自分が泣かせてしまったみたいだ。責任を感じる。

 折角自分の従弟に会えたと思ったら、すぐに別れるのだ。確かに、ブリジットは寂しいだろう。彼女はイノセントに対して、肉親はクライドだけだと言った。そのクライドが、危険な旅に出かけるとなったらどうだろう。本当は引き止めたいに違いない。

「ばあちゃんと母さんに。久々に声を聞かせてやろうかなって」

 そういってみたら、何故かくすくす笑われた。ブリジットは、涙を流しながら笑っているようだった。はずしたままの受話器を置くかどうか迷い、クライドはそのまま持っていた。ブリジットの次の言葉を聞いたら、電話しよう。

 やがて、涙を含んだ声で、ブリジットはそっとこういった。

「二人の声を聞きたい、の間違いでしょう?」

 小さい子供ではあるまいし、と反論したかった。だが、確かに自分も母や祖母の声を聞きたいと強く思っていることに気づき、苦笑する。苦笑しながら、電話機に目を向けた。

 電話番号をプッシュし、単調な呼び出し音に耳を傾ける。やがて、誰かが出た。緊張の一瞬だ。

「もしもし」

 声は、母のものだった。なんと言っていいかとっさに解らなかったが、深呼吸して目を閉じる。十分に落ち着いてから目を開け、母の隣にいる気分になってつぶやいた。

「俺だよ、母さん。久しぶり」

 安心感を与えたつもりだった。精一杯優しく言ったつもりだった。しかし、電話の向こうの母の声は震えていた。クライドの心の中は、罪悪感でいっぱいになる。

「クライドなの?」

 うん、と答えると、電話の向こうから小さく鼻をすする音が聞こえた。ぎくっとして、クライドは息を呑んだ。ああ、また泣かせてしまう。

「あなたと何の言葉も交わせないまま、一ヶ月もたったのよ? 少しは考えて、クライド」

 少しは責められていたが、大半は心配されているのだとわかった。母にとって自分は大切な一人息子であり、どこかへ失踪して安否不明の父が残した唯一の形見のようなものだから、失くしたくなくて当然だ。

 あのとき、母の気持ちは全く考えずに、無鉄砲に家を出てきてしまった。今更それが悔やまれるが、引き止められているのに無理矢理出てくることができたかといえばそうではない。結果的に、あれでよかったのだろう。けれど、母にたくさん心配をかけてしまった。それは謝らなければ。

「ごめんなさい、母さん」

 誠意を込めて謝る。母の泣き声が酷くなった。胸の奥が苦しくなって、クライドは言葉につまる。何を言えば良いのか解らずに思案していると、母の震えた声が届いた。

「何も言わずに! 顔も見せずに! 帰ったら貴方はいなかったわ、何日待っても帰ってこなかった! お、お父さんだってね、出かける時にはちゃんと、行き先を告げてくれたのよ」

 やりきれないような母の叫びに、クライドは黙って耳を傾けていた。全てはクライドのせいなのだから、悪いのは一方的にクライドだ。黙って、母の悲しみの声に耳を傾け続ける。

「ごめん。本当にごめんな、母さん。でも、母さんがいなくなったら困るから、俺…… ばあちゃんから聞いたろ。母さんのことは俺が守るんだ。父さんの代わりに」

 電話の向こうから、肯定の声が返ってきた。許してくれたらしい。肩の荷が下りた気がした。ブリジットはいつのまにか隣にいて、もう泣き止んでいた。そして、笑顔でこっちを見ている。

「あなたのその正義感が強すぎるところ、お父さんにそっくりよ。携帯、買ってあげればよかったわね」

 母はまだ少し涙の混じった声で、そういった。クライドは苦笑し、電話の向こうの母の姿を想像する。

 きっと、夕飯を作っている頃だろう。母のことだから、いないクライドの分まで作っているかもしれない。そして、それを処分するたびに泣いているのだ。悪いことをしたと思った。だが、この電話をしたら母が夕飯を作りすぎることはなくなるだろう。

「まさかこんなことがあって必要になるなんて、思ってなかったしな。俺、今までほぼ門限破ったことないだろ」

 そういうと、母は電話の向こうで少し笑った。クライドも、微笑を浮かべた。離れているのに、母がリアルに感じられる。

「ところで、今どこにいるの?」

 そう訊ねられ、ありのままを答えた。

「従姉のブリジットのところ」

 答えると間髪をいれず、次の質問が来る。

「長いこと会わせてなくてごめんなさい。あなたの生い立ちについて、お父さんの血について、もっとちゃんと順を追ってあなたに説明したかった。でもいいわ、こうなってしまったものは仕方ないわね。今日は何をしたの? 話して、旅のこと」

 肯定の返事を返し、クライドは微笑む。電話の向こうの母は、先ほどまでの態度とは一変して嬉しそうだった。安堵し、クライドは心置きなく話を始める。

「ああ。今日は……」

 話すことはたくさんある。シェリーやウォルやサラに出会ったことも話したいし、一か月分の話をたくさんしたい。鐘がとられた直後のこと、ジャスパーたちのこと、魔法の力が目覚めたこと、貧血で倒れたこと、餓死しかけたこと、無事に山を越えられたこと。

 何度も一ヶ月を振り返り、笑いながら話した。大熊に遭遇したことや、アンシェントクロニクルの中身については話さなかった。母にこれ以上心配をかけたくないからだ。

 山を越えた後のことも、たくさん話した。豊漁祭のこと、何度も危ない目に遭ったが魔法や親友たちによって危機を免れたこと、そしてこれから海に出て行くこと。話題はいつまでも尽きなかった。しかし、クライドはグレンたちと合流して陸地を離れなければならない。

「ばあちゃん、もう帰ってきてる?」

「ヨハネスさんの誕生会ですって。今夜は遅くなるって言っていたわ」

「そっか、残念だな」

「……行くのね」

 言葉に詰まる。決心は揺らいでいないが、即座に肯定の声が出なかったことを自分でも意外に思った。それだけクライドは母と話したかったのだ。きっと自分が思う以上に、クライドにとって家族は大事だ。

「また電話する、絶対。約束する」

「ええ、頑張ってねクライド。頑張ってって言うしかないわ。絶対に、無事に帰ってきなさい」

「うん。大好き」

 がちゃっ。

 照れくさくなって返答を聞かないまま受話器を置き、クライドはブリジットを見た。そして借りた電話の礼をいい、別れも告げて出て行こうとした。

「待て」

 冷たく抑揚の無い声に呼び止められて振り向くと、イノセントが立っていた。立っていると表現はしたものの、彼は自立しているわけではなく、店の壁に体を預けてようやく立っている状態だ。失血も疲れも酷いものだろう。

「な、何?」

 あまりに迫力のある姿に息を呑んで立ち止まっていると、イノセントは冷ややかな目つきのまま続けた。

「ひ弱なお前のことだから行き倒れるかもしれないが、生き延びろ。そして、グレンを死なせるな」

 真摯な声で、イノセントは言った。彼の口からグレンという単語が出て来たことがそもそも嬉しいのに、守ってやれという意味の言葉をかけられたことがクライドにとっては更に嬉しかった。

「グレンに直接言ってやれよ。ありがとう」

 そう返すと、イノセントは無表情だった顔を少しゆがめた。痛いのだろうか? それとも、クライドの反応が気に入らなかったのだろうか。きっと両者だろうと思いながらクライドはイノセントのアイスブルーの瞳を見つめる。

「勘違いするな。いつか俺の手で殺そうと思っているだけだ」

 そう言っているのはきっと形だけだと、クライドは思うことにした。グレンに薬の礼を言い、ブリジットに微笑みかけているのを知ってしまったクライドは、イノセントが前ほど不愛想で無感情な人間には見えなくなっていた。敵の中核ではあるが、改心を期待してしまっている。

「大丈夫、グレンは俺が守るから。俺の大事な親友だから。任せてよ、兄さん」

 そういってみると、イノセントは無言でふいっとそっぽを向いた。それを見たブリジットが、くすくす笑っている。クライドはもう一度ブリジットに手を振ってから、店を出た。何故だか、すっきりした気分になれた。

 なんとなく、はじまりに戻ってきたのだと感じた。これから先は、果てしなく長い。終りは、まだまだ先にあるのだ。次にあの優しい従姉たちに会えるときまで、クライドの今の幸せが続いていればいい。仲間に囲まれて笑って暮らせる状況が、いつまでも続いていればいい。ブリジットもいる。そして、強くて優しい漁師たちがいる。サラもいる。この街は、クライドの心の故郷なのだ。

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