第四話 町長に会いに
祭りでにぎわう街を駆け抜け、役場を目指す。今日は祭日だが、他の祭日と違ってこの日だけはどうしてか役場が開いている。
やがて、役場に到着した。祭日とあって、やはり人は少なかったが、職員たちが不機嫌そうに仕事をしていた。大方、休日出勤に不満をもっているのだろう。折角のお祭りなのに、と言わんばかりの表情で、職員らは書類の束に目を通している。静まり返ったオフィスに、クライドの足音だけが響いた。
「あの、すみません」
窓口にいた係員に、控えめに声をかける。係員の女性は愛想を取り繕って笑い、何の御用でしょうかと丁寧に言う。
「鐘楼の鐘のことで、お知らせしたいことがあって」
「はい、お伺いします」
「えっと、三人組の不審者が鐘楼に入って…… それで、バーナーか何かで、鐘を落としたんです」
女性の笑顔が消えた。絶対に信じてもらえていない。彼女はすっと目を細め、高圧的に顎を上げる。クライドは慌てて、窓から塔の部分だけ見える鐘楼を指差す。肝心な鐘は窓に近寄らないと見えないだろうが、見てもらえればすぐに問題は解決する。
「あの、本当なんです。外を見てください」
「あのね坊や。私たちは仕事中なの。とっても集中力が要る仕事なの。くだらない冗談はやめて」
きつい一言に気持ちがひるみかけるが、クライドはその女性の青い目をしっかり見つめて嘆願する。
「でも、このままじゃ踊りに間に合わないです。担当の人を出してください」
「このオフィス、わかるでしょ。みんな死んだように静かなの。鐘が落ちたって言うなら音が聞こえるはずでしょ」
「なぜか音がしなかったんです、とにかく外を見て!」
思わず声が大きくなる。窓口の女性はうんざりした顔で後ろを振り返り、短く名前を呼びながら男性職員に目配せをした。デヴィッドと呼ばれた職員は充血した目をぎろりとこちらに向けて不機嫌そうに立ち上がり、クライドのところへ歩いてくる。
抵抗したが聞き入れられず、クライドは彼に取り押さえられた。壁に押し付けられて、後ろで両手首をまとめてつかまれる。デヴィッドは舌打ちをし、そのままクライドを引きずるようにして歩き出した。すると、視界の右の方に映る階段を降りてきた、初老の上品な男性が驚いたように男性職員に声をかけた。
「デヴィッド、どうしたんだね」
「職務の邪魔をする悪ガキを連れ出すんです、町長」
デヴィッドは体調でも悪いのか、相当苛立っているようだった。掴まれた手首に、小突くような衝撃がきた。クライドはこれがチャンスだと思い、町長を見上げて必死に訴えた。
「町長さん、聞いてください。鐘が大変なんです」
「この子を離してあげなさい、デヴィッド。私が代わりに話を聞いて、帰すよ」
グレーのスーツに包まれた腕が伸びてきて、クライドの後ろで掴まれていた手首が開放された。まだ不満そうなデヴィッドは、一歩も動かず町長に反論する。
「ですが市長」
「私の役目を知らないとは言わせない」
「……かしこまりました」
「第二段階を告げにきた。頼んだよ」
デヴィッドは渋々といった様子で、無言で頭を下げてオフィスへ戻っていく。その背中を目で追うと、先ほどの女性が心配そうにデヴィッドを見て声をかけているのが見えた。
「執務室へおいで」
町長に促され、クライドは一緒に階段を上った。整髪料の匂いのする、清潔感に満ちた男だ。権力者は大体悪い奴だというテレビドラマの影響を受けていたクライドには、誠実そうな感じのする町長の雰囲気が意外に思えた。二階には町長の執務室のほかに会議室や応接室があるようだ。町長の執務室は廊下の一番奥にあった。
「入ってくれ」
「失礼します」
少し緊張気味な声で、クライドはそう言った。町長はクライドを中に入れてドアを閉めると、ソファを示した。座って良いらしい。クライドは、柔らかそうなグリーンのファブリックのソファに腰掛けた。
「あの、率直に言います、町長さん。あの鐘が落とされました」
町長は黙って微笑んでいた。やはり彼も信じてくれていないらしい。クライドは悔しくなってソファから立ち上がった。この執務室は壁の一面が窓になっているデザインだから、クライドの位置から鐘楼はしっかり見える。布をかけて放置されていたあの鐘は角度が悪いのか見えないが、空っぽの鐘楼は間違いなく確認できるはずだ。
「見ればわかるんです、ほら」
町長のグレーのスーツの肩に手をかけて、クライドは彼を窓の方へ向かせる。微笑を湛えていた町長が、やっと笑みを崩した。
「そんな、まさか。魔幻の鐘が落とされた…… だと」
「青白い火花みたいなものを出して、音もさせずに落としたんです。それなのにみんな気づかないし、俺は何だかよく分からない力が使えるようになるし、問題が山積みなんで町長さんに託します。踊りまでの間に、なんとか修理してください。それじゃ」
誰も信じてくれないのなら、警察には不審者がうろついてるかもしれないということだけ言いに行こう。グレンとアンソニーを証人として連れて行って、三人の特徴を話せば警備ぐらいはしてくれるかもしれない。町長に背を向けようとすると、彼はクライドの肩を掴んだ。
「待ってくれ。もう少し話を聞かせてくれ。私たちが鐘がなくなったことに気がつかなかったのは、魔法の仕業だ。見知らぬ魔道士を放置しておくわけにはいかない、こんな時に」
町長は灰色の前髪に手を差し入れてぐしゃりと掴み、苦渋を顔に浮かべる。クライドは先ほどまで散々信じてもらえないことへの不信感を胸いっぱいに抱えていたのに、いざ町長が魔法の話をしだすと今度はそちらが信じられなかった。あの変な男たちは、明らかに変だったので魔法がどうのと言い出しても納得できた。しかし町を引っ張る権力者である町長が魔法の話をしだすなんて、にわかに信じがたい。
「クライド君。君の力は強い、この町の誰よりもね」
一瞬だけ、息が止まった。何故、名前を言い当てられたのだろう? 警戒するクライドを見て、町長は疲れたように笑った。そして、両手を胸の高さまで上げると、手のひらを上に向けて何かを外国語で呟く。
町長の結婚指輪がはまった左手の薬指から、這い出すようにつる草が伸びてくる。衝撃的な光景に見入っていると、小ぶりの葉をつけたつる草はどんどん伸びて反対側の右手を包み込み、その過程でいくつもの花を咲かせた。清い香りが漂う。水仙の香りに似ていた。本物の、花の香りだ。
「私はね、魔道士なんだ。私たちは魔法を使える人間のことをこう呼んでいる。魔道士はふつう、相手が魔法を使える場合、魔力を感知することもできるんだよ。魔力の感じ方は人それぞれだが、私にはそれが色に見える。君の魔力は銀色だ、その目と同じ、まばゆい銀だ」
町長の手で咲いていた花が枯れ、小さな実をつけた。そしてつる草は、さらさらと粉になって崩れていく。蝶の鱗粉のように輝く粉は空中で溶けるようにして消え、床に至るまでにそのすべてが消滅していく。町長は手をパンパンとはたき、クライドを青い瞳でじっと見た。
「君の魔法は少し特殊だ。だからこそ、君は自分の力に気づいていなかったんだよ。それもそうだ、この街では魔法が使えてはいけないのだから」
町長は当たり前のように、魔法を使って見せたし魔法の存在を認めていた。幻覚を見ているのでないとすれば、魔法の存在を認めない限りクライドが今日出会ったさまざまな現象に説明がつかない。これは嘘ではない、夢でもないのだ。魔法だ。
クライドは高揚する。何もかもを意のままにできる力が、何故か誕生日に発現したのだ。この町では、十六歳になると魔法が使えるようになっているのだろうか。最高じゃないか。
「少し話をしよう。今から話すのは、この町では今日出勤している町役場の職員たちしか知らないことだ。大切な話だよ」
ソファをすすめられ、クライドは従った。町長は向かいのソファに座り、ゆったりと足を組む。上品なスーツと高そうな革靴の間から見える黒い靴下に包まれた足首に、銀色のアンクレットがついているのが見える。電気が走るように時々青白く輝くので、多分魔法の装置か何かだろう。
「千年前から続く魔法だ。鐘楼塔を中心にして、この町全体に破魔の結界を張ってあるんだよ。あの鐘を一年に一度鳴らすのは、結界の効力を高めるためなんだ。今日は、一年のうちで一番結界が薄まる日だ。だから敵が侵入することを許してしまったんだろうね、結界は」
「どうして職員の人しか知らないんですか」
「結界の補助をしているんだ。彼らは普通の経理課や福祉課などの他に、魔道課という部署に重複して所属させている」
「結界って、何から町を護るためのものですか」
流れるような会話は止まった。町長は一瞬、言葉を詰まらせる。この町は何かの脅威に晒されていて、そのために防御が必要だということなのだろう。そうでなければ千年ものあいだ、毎年結界を張りなおす必要は無いと思う。
「君は今まで、魔法なんて使えなかっただろう?」
そういうと、町長は自分の両手をそっと組んだ。組まれた両手に、青白い電光が光るのが見えた。喩えるなら静電気のような光だが、一瞬で消えてしまうという事は無い。絶えず町長の両手を行きかっている電光は、衰えるどころか段々勢いを増しているようだ。自分は想像したとき以外こういった力を使うことはできないようだが、町長は殆ど無意識に魔法を使っているようだ。
「はい、そうですが」
今まで想像しただけで人を燃やしたことなんて無かった。それに学校で授業中にぼんやり想像していたことも、何一つ現実として起きたりしなかった。当然だし、それが常識だと今までは思っていた。想像していたせいで怒られたことだってたくさんあった。もし想像したことが現実になっていれば、怒られるどころか褒められているはずだった、ということも少なくない。本当に、今日になって突発的に魔法が使えるようになったのだ。
「この鐘の結界には、結界の中にいる者の魔力を外に漏らさずに抑えてしまう力があるんだ。そして悪しき魔力を持った魔道士は町に入れないよう、外からの魔力も結界で弾いている。私は今こうやって無意識に魔法を使っているけれど、結界の力がまた強くなったら普通の人間と同じになるんだよ。悪しき魔力は弾かれ、善なる魔力は内に秘められる」
皺のたたまれた顔に人好きのする笑みを浮かべ、町長は組んだ指を解いた。パリッと小さく音がして、指の間を行き交っていた電光が消える。
「君も魔法を内側に押さえ込む結界のせいで、魔法が使えなかっただけだ。ご両親からもらったその力を、誇りに思いなさい。とにかく、鐘を付け直さないと。結界を張らなければ、ここは不毛の地となってしまう」
町長は一息置いて、深いため息をついた。あの鐘楼塔は、そんなに大切なものだったのか。クライドは、今更ながらそう思う。
「魔法が使えないのはつまらないけど、分かってくれるね。ここは邪神を封印した街だ。だから、あの鐘がないと大変なことになってしまう。帝王が目覚めるなんてことは、あってはいけないんだ」
「邪神? 帝王? 何のことですか、それ」
聞き慣れない単語だ。クライドが思わず聞き返すと、町長は唇をぎゅっと引き結んでため息をついた。よく見るとその指先が震えていた。
「とても、恐ろしいものだよ」
呟いた声も震えている。クライドは口にするだけで恐怖するようなものをまだ知らない。クライドより何倍も長生きしている町長が怖がるのだから、よほどすさまじい恐怖なのだろう。
町長は小さく息をつくと、ソファから立ち上がる。そして、仕事机の鍵のかかった引き出しから、古くて分厚い一冊の本を持ってくる。見れば絵本のようで、紙は厚手だ。褪せた紺色の表紙には金色の箔押しがされていたようだが、かなりの部分がはがれてタイトルも読めなくなっていた。開くように促され、クライドはセピア色に変色したその本のページを捲った。途端に、まばゆい光に辺りが包まれる。
「ちょ、町長さん、これは何ですか」
どう見てもここは役所ではない。光に包まれて気がついたら屋外にいるのだ。目を擦ってみても景色は変わらない。試しに地面に触ってみれば、ちゃんと砂の感触を捉えた。
「これはアンシェント・クロニクルという。魔法が使える者が開くと、当時のこの町を再現した魔法を見ることができる本だよ。私たちは今、この町の過去に来ている」
二人は鐘楼の広場にいるようだ。すぐにそれとは気づかないほど、今とはずいぶん様子が違う。周囲を囲う山の形だけが、ここがアンシェントタウンであることを示している。建物は今ほど見当たらず、森の面積が多い。現代で鐘楼塔がある位置には、見張り小屋のような簡素な二階建てサイズの塔らしきものが申し訳程度に鎮座していた。
時々見える石造りの家は全て平屋だったし、木で作られた粗末な家もいくつか見受けられた。建築技術がまだ未発達だったのかもしれない。金髪に青い目のラジェルナ人たちが何人か見えるが、皆麻の布を腰で縛った簡素な上着に、単純な縫製のスカートという古風な装束だ。男性も丈の長いスカートのような衣類を着ている。クライドは今、相当昔のアンシェントを見ているらしい。
「千年前のアンシェントタウンだ。この町を護った魔道士が記憶を遺してくれた」
「すごい…… 喋ってる言葉も、聞き取れないですね」
「古語だからね。これは闇の帝王が、まだ現れる前の風景だ。クライド君、ページを捲ってみよう」
そういわれると、自分が先ほどの古びた本を持っていることに気がついた。圧倒的な魔法を前にして、クライドはすっかり気持ちまで千年前に連れて行かれていた。
ページを捲ると、見張り小屋の上辺りから黒い雲が湧き出した。太陽が翳り、人々が不安げに顔を見合わせるのが見える。そして、恐ろしいことが起きた。
耳を劈くような音と共に、見張り小屋に雷が落ちる。人々の悲鳴と泣き声が聞こえ、小さな建物は簡単に崩落した。何人かそれで下敷きになり、動かなくなる。クライドは思わず後ずさったが、飛んできた瓦礫は実態を持たず、クライドの身体を貫通した。どうやら、ここではクライドの存在が無いことになっているらしい。
「始まりはこうだった。闇の帝王の襲来だよ」
渦巻く暗雲の中から、禍々しい黒いもやを纏った何かがゆっくり降りてくる。見張り小屋の崩れた瓦礫の上に降り立ったそれは、人の形をしていた。皇帝紫の長い髪に、背後から見ても分かるくらいに異常にとがった耳。白い肌はなめらかで、まるっきり人間である。胃の腑がざわついて吐き気がした。彼、と呼ぶべきなのだろうか。闇の帝王と町長が評したその人影は、真っ白なローブ状の衣類をなびかせている。インナーに着ているのはどんな素材か分からないが、鮮やかな赤に染められていた。この染色技術どころか模様を織り込む技術すらない、町の人たちの質素ないでたちとは明らかに格が違って見えた。
彼は聞き取れない言語で何かを命じた。美しい声は聞くと鳥肌が立ち、体中の血管を何かが這い回っているような不快感をクライドに与える。聞き取れない言語でも何かを命じていると断言できるほどに、帝王は堂々と瓦礫の上に立っていた。
へたりこむ人や、悲鳴を上げて逃げる人に向って、帝王がしなやかな指を向ける。そうすると、帝王の立っている瓦礫の下から、マグマのように赤い光がゆっくりと漏れ出した。その光はじわじわと染み出して、やがて四、五メートル位ある巨大で簡素な人型になった。人型は三体生まれ、どれも歪な両足と長さの違う両腕と、虚空のようにぽっかり空いた口を持っていた。地下から染み出したその物体は、できそこないのような二本足で危なっかしく歩き、そして、人を捕食する。ゼリー状の腕で捕らえられた女性の悲鳴が、人型の物体に呑まれて消えた。
「う、っ」
目を背けて胃から上がってくるものを堪える。町長がクライドの背中をさすりながら、静かに言った。
「この化物は邪神と呼ばれている。魔力の塊で、帝王はこれを操ることができる。こいつが食べたものは、帝王の力になる」
邪神が瓦礫の下を漁り、死んだ人間を掘り出して食べているのを、帝王が見ている。こちらを振り返らないので顔が分からないが、高笑いは聞こえた。
「こいつは、この男は、一体なんなんですか」
「帝王が一体何だったのかは、千年前にもわからなかったよ。負のエネルギーが固まってできたものだという人も、呪いの結晶だという人もいる。とにかく彼は、こうして私たちの街を蹂躙したのさ」
帝王は、優雅な手つきで邪神に指示を与える。死んだ人間を漁っていた邪神は、生きている人間に標的を切り替えた。泣き叫ぶ人々を、邪神は次々に食べていった。食べずに殺すだけ殺してから投げ捨てたりもしている。
明らかに楽しんでいる。そう気づいたクライドは、この惨状をこれ以上見ていられなかった。
「ごめんなさい、町長さん、俺もう無理です」
「本を閉じなさい」
本を閉じると、静かに周りの景色が消えて執務室に戻ってきた。先ほど座っていたソファから少し離れた場所にいたのは、クライドが本を見ながら動いたせいだろう。
二ページしか見なかったが、この本にはまだ続きがあった。きっともっと残虐なページが続いていたのだと思うと、クライドは気が滅入った。きっと作り物ではない。喰われていく人たちは必死だったし、帝王と呼ばれたその男の禍々しい瘴気もクライドは肌で感じ取った。
もしも鐘がなくなってしまえば、千年前の惨劇をまた繰り返す未来が待っているということになる。あの古びた塔の地下にあんなとんでもないものが埋っているなんて、クライドは想像もしていなかった。クライドの出逢ったあの泥棒男たちは、一体何を思って鐘を傷つけたのだろう。町長はゆっくりとソファに戻り、静かに腰を下ろしながら目を伏せる。
「クライド君、帝王はまだこの世界にいるのだよ」
鳥肌が立った。あんな風にまるで娯楽のように人を殺させる男が、千年前から存在しているなんておぞましすぎる。
「ずいぶん弱体化はしているが、倒しきれなかったんだ。無論、帝王の存在は、誰もが消したいと思っているとも」
今こうしている間にも、あの皇帝紫の男が鐘楼の上に現れたりしないだろうか。クライドは怖くなって、窓の外を見るのをやめた。
「千年前のこの事件は、さっきの本の続きに出てくる、アデルバリティアの若い魔道士によって終息した。彼は仲間の魔道士たちと協力し、帝王に封印をとかれないために命をかけて魔法の塔を建てた。その塔が、あれなんだ」
アデルバリティアは、今ではウィフトという国の辺りだ。北国で、一年中雪が降り続いているようなところである。ノエルの父の出身地である、ジュノアよりももう少し北だ。クライドは真っ白な雪の世界から、この町まできっと徒歩でやってきたであろう顔も知らない勇者たちを思う。本当に彼がいてくれてよかった。
「千年もたって弱体化したという噂も聞くが、それでも年間何千人も帝王の元で死んでいっている」
町長はため息混じりに言った。クライドは真面目に彼の話を聞き、ふと首を捻る。
「帝王って、塔を壊したら出てくるんですか? じゃあ、塔を頑張って護れば大丈夫ですよね」
「いいや、拠点は別にある。君が見た泥棒たちがもし帝王の手先だとするなら、塔を壊すのではなく、鐘を盗るのが目的だろう。自ら来ずに手先をよこしているということは、拠点から離れられるほどの魔力がないのかもしれないからね。あの鐘には、例のアデルバリティアの魔道士たちが注いだ全ての魔力が凝縮されている。当時の魔道士たちの全ての力と言っていいだろう。それを吸収すれば、いとも簡単に彼は鐘楼塔を破壊するに違いない。見ただろう、地獄の門から血のように沸いた邪神を。帝王はあれを使って、私たちを餌食とする」
話を聞いたら、怖くなってきた。実感はまだわかないが、世界の崩壊が近いということだろう。アンシェントタウンから順に、世界が滅びていく。人々が恐怖と哀しみに暮れる。そんな未来は嫌だ。
不安が知らぬ間に顔に出ていたのだろう。町長は優しく笑みを浮かべて、クライドの肩を叩いた。
「でも、大丈夫だよクライド君。鐘を付け直せばすぐに結界が張りなおせる。私のかわりに鐘を付け直してくれるかな? せっかく目覚めた力だ、結界が強くならないうちに使ってみよう」
にっこりと笑いながらそう言い、テーブルにおいてあったグラスを掴んで、中に入っていた飲み物を呷る町長。クライドは、鐘を付け直すぐらい造作も無いことだと思った。だからそれを承諾し、鐘を復元させようと試みた。しかし、どうしても無理だ。鐘を想像しようとすると、何かに阻まれたように頭痛がする。頭は、玄翁で殴られたようにガンガンと痛んだ。
「ちょ、町長さん。鐘が、出てこないです」
割れるように痛む頭を抱えながら、クライドは指で鐘楼の塔を指した。激痛に混じり、鈍痛も感じる。いくつもの傷みが、クライドの頭を襲った。頭を鷲掴みにされて上下左右に振り回されているような、激しい眩暈がする。
立っていられなくなり、床にへたり込むクライド。隣から、町長も鐘がそっくり消えてしまったことを確認する。彼の表情に、焦りが生まれた。
「信じられない! 鐘は…… 落とされただけでなく、奪われたというのか?」
クライドにだって信じられない。一体どうして消えてしまったのだろう? どう見ても簡単になくなるサイズではない。
「結界を張りなおせない…… 地獄の門が、開かれてしまう」
驚愕に眼を見開き、絶望的な表情を浮かべる町長。その隣で、町長に説明された邪神や結界について思いを巡らせるクライドは頭を抱える。
あの男らも魔法が使えるようだし、鐘は何らかの方法で簡単になくなるサイズにされてしまったのかもしれない。だとすると、クライドは、鐘を泥棒ごと町の外へ追いやってしまった可能性がある。まずい。
痛む頭を抱えながら、クライドはよろよろと立ち上がって壁に背中を預けた。そうすると立っていられるが、酷い眩暈に吐き気がした。
「結界を張る魔道士が必要だ。市役所の魔道士を総動員して、私も共に魔法を使い続けたとしても半年持たんだろう…… しかし、鐘はどうする?」
町長は苦しそうに呟く。確かに、無意識のうちに魔法を使えるような町長ならば、結界の維持ができるかもしれない。それなら、泥棒たちを町の外へ飛ばしてしまったクライドが探しにいくべきだ。
「あの、俺、手伝います。鐘を盗んだ奴らの人相、知ってるし」
ふらつきながらクライドは言った。帝王に鐘が渡る前にあの間抜けな泥棒を捕まえれば良いだけの話なのだから、簡単だ。ナイフ男の攻略を考えておけば、あの太ったジャスパーと疲れたジェイコブがあとは勝手に内輪もめをしてくれそうだ。町さえ出られれば、そんなに難しいことではない。
この提案を聞いて、町長は大きく首を横に振った。
「君が? だめだ、危険だよ。君が敵に回すのは、泥棒じゃなくて親玉の帝王だよ。鐘の魔力を持っていないとはいえ、帝王は手ごわい。君一人が行って何とかなるようなものじゃないんだ」
帝王は確かに恐るべき存在なのだろう。けれど、クライドは次第に怒りを覚え始めた。平和を乱して何をしようというのだろう。あまたの人々を遊びで殺して、彼が成そうとしている目的がわからない。大した理由もないのに人の命を危険に晒さないで欲しい。
大体、帝王などと呼ばれながらも彼がやっていることはれっきとした泥棒なのだ。もうそこからして胡散臭い。
「それなら、なおさら俺が行きます。俺が生まれ育ったこの街を、邪神の住処になんてさせない」
クライドは頭痛をこらえ、町長を真っ直ぐに見詰めた。泥棒とエンカウントしたのに捕縛しなかったことへの責任と、吹き飛ばして逃げるのに協力してしまったことへの罪悪感がクライドの中にあった。一度は全てを町長に丸投げして帰ろうともしていた。まだ遠くに行かないうちに、捕まえなければ。
クライドの頑固な態度を見た町長は、小さくため息をついた。諦めたようなため息だった。
「目指す方向の目印に、帝王の住む孤島を教えてあげよう。行ってくれるんだね? くれぐれも、無茶はしないようにね。仲間は多い方がいい」
「はい、わかりました」
「とはいえ、君たちに出来ることは少ない。町の外で大人の魔道士を探して、その人たちに任せて帰ってきなさい。泥棒たちが孤島に帰る前に捕まえて、帝王との直接対決は避けるように伝えて…… できるだけ、多くの魔道士にこのことを広めてほしい」
根負けした様子の町長は、壁に張ってあった大きな世界地図を剥がしてもってきた。それを卓上に広げ、大きな海の一部を人差し指で示す。クライドたちが住んでいる町から、世界半周分近く離れている。そんなに遠い場所にあるのか、帝王とやらの『ヒミツ基地』は。
町長に指差された箇所には、何もなかった。島もなかったし、大陸でもない。海なのだ。
「島、ないじゃないですか?」
怪訝に思ってクライドは言った。ずっと地図を凝視していると頭痛がさらに酷くなる気がする。少しの間、窓の外に視線を移していよう。
「いや、あるんだ。世界で恐れられた帝王の存在は、世界中の魔道士たちによって一般の人からは遠ざけられている。島の近辺には近づけないように魔法がかけられているし、帝王の一味もそれを都合よく隠れ蓑にしている」
町長は暫く地図を眺めていたが、クライドが返事をしないので一人で話を続けた。クライドは意図して返事をしなかったわけではなく、頭痛と眩暈が酷すぎて言葉を発せなかった。
「帝王の一味はテロリズムで数えきれないほどの人々を殺してきた。ソイラの毒ガステロ事件は記憶に新しいだろう、ニュースでは帝王一味は宗教団体だということにされていたね。実際のところは、手下たちが帝王に命じられて罪の無い人々を度々殺しているんだ。魔力を奪うため、あるいは単に帝王への信奉の度合いをはかるためにね」
現実味の無い話だと思う。それでも、魔法はあるし帝王はいるのだ。クライドは頭痛に耐えながら相槌を打った。
「二百年前ぐらいだったか、このラジェルナ国でも国を挙げて帝王の討伐を計画したことがある。一般の人々を刺激しないよう、表向きは軍隊として魔導師たち派遣したんだ。教科書では『テルエラ出兵』と習うかな」
頭痛で集中力が欠けている状況でも、クライドはすぐにその事件の概要を思い出すことができる。子供たちは、この件について無謀に挑んでボロ負けしたルクルス教の宗教戦争という習い方をしている。クライドは声を出すのが辛くて、頷くにとどまった。
「被害は学校で習う通りだよ。千人送り込んで一人も帰ってこなかった。それから世界中の政府は、帝王に手出しすることを暗黙に禁じた。だから本当は、こんな時に君を町外に送りたくはない」
つかのま、吐き気を覚えた。もしかすると、自分も消える運命にあるのかもしれない。だが、思いなおす。鐘を取り戻さなければ、町もろとも死ぬ運命なのだ。何もせずに街の終わりを見届けるか、何かしてその末に消されるか。クライドは絶対に後者を選ぶ。
「島は、あるのにかかれていないんだよ。この場所に、ちょうど孤島がある」
町長は、指先で地図にしるしをつけた。魔法でインクを出したらしい。印をつけたあと、町長は地図を丸めた。そして、クライドにそれを託してくれた。
街の、いや世界の未来が、町長とクライドの二人に懸かっている。町長は鐘楼塔の維持を、クライドは鐘の探求を。これは、重大な使命である。これを全うしなければ、何気ない日常が永遠に手に入らぬものとなる。 凛とした表情で、クライドは町長に頷いて見せた。
「行ってきます、町長さん」
「くれぐれも、無理はしないように。けれど今のところ、君とその仲間が我々の希望だよ」
地図を小脇に抱えて、クライドは応接間を飛び出していった。走ったせいでじゅうたんがずれたが、それも直さずにただ走る。一度だけ町長のいた部屋を振り返る。憂いに満ちた町長の横顔が見えた。




