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第三十九話 和解の足音

 グレンが戻ってくる頃には、クライドたちの仕事は終わっていた。別にクライドたちの仕事が速かったというのではない。何故か、グレンがイノセントのいる部屋からなかなか帰ってこなかったのだ。

 部屋は隅々まで綺麗になった。血痕は綺麗に拭かれ、壊れた調度品やらショーケースは物置まで運び出された。イノセントが落とした二本のナイフと、影の男が落とした拳銃も回収した。どちらも長く使い込まれたようにさび付いており、それぞれの持ち主が裏でどんなことをしているのか容易に想像させてくれた。ブリジットが落とした拳銃は、軽い修理が施されたあとで元の場所に厳重にしまわれた。

 昨日の昼ごろグレンがイノセントから没収したナイフは、戦闘用ではなかったらしい。愛用の武器は、この二本のナイフなのだろう。

 やがてグレンが戻ってきた。彼はクライドを見つけると、神妙な面持ちで歩み寄ってきた。彼は何度か言葉を選ぶように唇を動かしては止めていたが、意を決したようにこう言った。

「あのさ。兄貴、俺に向かって『ありがとう』って言ったぞ……」

 真剣な顔で、グレンはそう言った。相手がイノセントではなかったらこれは何の変哲も無い礼の言葉だ。だが、相手があの男だとなると少し意味が違うだろう。

 イノセントはグレンを殺すことをやめたのだろうか。いいや、十年以上も抱き続けた恨みがそう簡単に消えてくれるはずがない。

 きっとグレンは、死ぬまであの男に恨まれ続けるだろうとクライドは思っていた。なのに、イノセントはグレンに礼を言った。喉に何かつっかかったような感覚に陥る。

「そりゃあ凄いことだ、進歩だな」

「なあクライド、これは懐柔作戦か? それとも俺、また、兄貴と仲良くできるのかな」

 そうあってほしいという願望は強いが、クライドもイノセントを深く知っているわけではない。思わずブリジットの方を見て、判断を仰いでしまう。ブリジットは柔らかな微笑を浮かべて、クライドとグレンをしっかりと見る。

「イノセントはね、本当はあなたのことを大切な弟だと思ってるのよ」

 え、とグレンが呟く。

 きっとブリジットは、今一番イノセントを理解している。あのイノセントが、ただ一人信じている女性がこの人なのだ。だからブリジットの言うことに間違いはないだろう。

「最初、絶対本気で俺のこと殺しに来てたと思うけど」

 ブリジットを見下ろしながら、グレンが言った。納得できていない様子だ。当然のことだといえる。

 笑顔で頷きながら、ブリジットはグレンを見つめた。であったときからずっと思っていることだが、ブリジットには母親めいた何かを感じる。こんな雰囲気を母性と呼ぶのだろうかと、クライドは考えた。

「あの人は、愛し方を忘れていたの。他人も、自分もね。昨夜も随分葛藤していたわよ。大きくなったグレンが、結構自分やお父さんに似ていて驚いたって。どうしても血の繋がりを感じちゃうって言って」

「兄貴そんなこと言ってたんだ」

「ええ。何やかんやあなたの事よく見てたわよ、背が伸びて、モデルみたいな顔になっていて、友達に囲まれて楽しそうだったって」

「脚色してるだろ、兄貴そんなこと言いそうにないぞ」

 そっくりそのままよ、と言ってブリジットは笑った。イノセントはもしかすると、この笑顔に魅了されているのかもしれない。

 クライドは、頬を赤らめてそっぽ向くイノセントを想像してくすくす忍び笑いをもらした。隣にいたグレンに変な顔をされたので、苦笑する。

 ブリジットは、徐に店のショーケースから何かを取り出してきてクライドに渡した。それは、古びて茶色く変色した紙だった。書かれた文字のインクの掠れ具合が、この紙に記されたものが眠ってきた歳月を示しているようにみえる。

「クライド、あなたにこれをあげるわ」

 呪文のような響きを持った声で、ブリジットは言った。クライドは、吸い込まれるように古い紙に見入った。じっと眺めていると、この紙にはエルフ語が記されていることがわかった。

 一体何なのだろう? そうだ、エルフ語の読み方を教えてもらおう。

「ブリジット、エルフ語の読み方は解るか?」

 訊ねてみると、ブリジットはとても優美な微笑をうかべて軽く頷いた。教えてもらいたいという旨を伝えようとしたが、ブリジットはクライドをさえぎってこういった。

「あなたも読めるはずよ、クライド。お父さんから受け継いだその血に、語りかけてみて」

 そういわれて、少し戸惑った。エルフの言語能力が高いことはシェリーが実証していたが、彼女と違ってクライドは混血だ。エルフの文字は、純血でないと読めないような気がする。

 しかし、よく思い返してみればブリジットも混血だった。大丈夫、クライドにも読めるはずだ。クライドは大きく深呼吸して、気持ちを落ち着けた。そして、目を閉じる。身体に流れる熱い血潮に、精神を集中する。

 血の流れが速くなった気がする。心臓の音がうるさい。身体が熱い……

 暫くして集中力が持たなくなったので目を開けると、手に持っていた古い紙には意味のある言語が連なっていた。かすれているが、読めないことはない。クライドもエルフ語が読めるようになったのだ。

「薬の、作り方?」

 がたん、と椅子の背もたれに体重を預け、息を切らすクライド。魔力を使ったわけではないが、身体がだるい。助けを求めるようにブリジットを見ると、暖かいココアを出してくれた。礼を言って受け取る。

 紙には、貧血の薬を作るためのレシピが書いてあった。聞いたことのない植物の名が、いくつもかいてある。挿絵もあるが、見たことがない植物ばかりだ。唯一知っていたのが、月光草という薬草の一種。これは、母が趣味で庭に植えていた花だ。もしかしたら趣味ではなく、父のために育てていたのかもしれない。

「疲れたかしら? じきに慣れるから平気よ、クライド。慣れたら、いちいち精神統一しなくても読めるようになるわ」

 つややかな黒髪を手でいじりながら、ブリジットは言った。エルフ語が読めるようになったことに、クライドは感動していた。これで、父に一歩近づける。エルフの言葉がわかるようになれば、手がかりだって増えるはずだ。そう思うと、疲れなんてどうでも良くなった。

「そろそろおなかがすくころじゃないかしら、皆」

 ブリジットにそういわれて顔を上げると、いいタイミングでグレンの腹が鳴った。

 昼食はブリジットが用意してくれた。ブリジットは一人暮らしだが、イノセントがいつ帰って来ても迎えられるようにといつも大目に買い置きをするのだと言っていた。だから彼女は、冷蔵庫の中身を総動員してちゃんと四人分の昼食を作ってくれた。そういうスキルはクライドもぜひ身につけたいと思った。きっとクライドも独立して一人暮らしをしたら、急に友達を呼ぶことがあるだろう。

 三人分のランチと、イノセントの分のおかゆが食卓に並ぶ。彼が怪我をすると、ブリジットはいつもおかゆを作るらしい。

 手早く食べられて、喉に詰まりにくい物を選んだ末にこのおかゆになったのだと、ブリジットは言っていた。手早く食べられないと傷にひびくし、喉に詰まったときに咽るとたまに傷口が開くこともあるのだという。

「先に食べていてちょうだい」

 そういい残して、ブリジットは奥の部屋に向かっていった。イノセントにおかゆを食べさせるためだろう。ブリジットが帰ってくるまで待とうかと思ったが、腹が減ってきたので先に頂くことにする。

 クライドがほとんど食事を終えた頃に、ブリジットが戻ってきた。そして、笑顔でクライドを見つめてこういった。

「今日学校に出かけた友達がいるんじゃないかしら?」

 あ、と声を上げるクライドとグレン。ノエルは学校に行った。しかし、それが何だというのだろう。

 もしかすると、警察か何かに追われているのか? いや、ノエルに限ってそれはない。

「ラジオで紹介されてるわ、ノエル=ハルフォード君。この番組、生放送なのよ。サラっていう子は彼女かしら?」

 そういいながら、ブリジットはテーブルの上に古いラジオを置いた。どん、と音がする。相当重いものらしい。ラジオのスピーカーから、かすかなノイズが漏れた。電源は入っているようだ。

「……だね?」

 男性の声が、訊ねるような口調で何かを言った。

「はい」

 生真面目な、ノエルの声が聞こえた。クライドとグレンは顔を見合わせる。そうしてブリジットを見やれば、彼女は母親めいた笑みを浮かべる。

 グレンはあきれた様に笑い、クライドの方を見た。そして表情どおり呆れた口調でぼやく。

「学校はいいのかよ、ノエル」

 確かにその通りだった。しかしノエルの後ろの方で騒いでいる声が聞こえる。野次馬がたくさんいるのだろう。教師らしき人が怒鳴る声も聞こえた。

「学校で取材を受けているんじゃないのか?」

 そう言ってみると、グレンは頷いた。その後、ノエルのラジオ出演は十分近く続いた。時々サラにも話を振っているようだが、ノエルが通訳しているのでほぼノエルの出番という感じだ。

 その中で恋の話も出てきた。ノエルは、大人しくて一途な人が好みだということがわかった。サラはというと、活発な人より穏やかで知的な人がいいらしい。それはまるっきりノエルのことではないかと思ったが、口にしないでおく。

「後でからかってやろう」

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、グレンが言った。ほどほどにしておかないとノエルの返り討ちが恐ろしいということを、クライドはあえて言わなかった。

 チャイムが鳴る音がラジオ越しに聞こえ、そこで放送は終了となった。ノエルは何か一曲リクエストするように言われ、困ったようにこういった。

「僕の友人たちが作った『名称未設定』という曲がおすすめです。本人たちを連れて来たいぐらいですが、さすがにできませんね」

 ノエルはこれから昼食らしい。彼が紹介した曲はグレンが作曲してクライドが作詞したもので、グレンはこれを自身のホームページに載せている。ノエルはそのアドレスを明瞭に読み上げて、グレンの宣伝にも貢献した。聞いているクライドたちは顔を見合わせてにやっとする。

 壁に掛けられた古い時計を見ると、ちょうど十二時だった。相変わらず穏やかな声でノエルが結びの言葉を述べた後、ラジオ局に音源がないグレンの曲の代わりにサラがリクエストした合唱曲のインストが流れ出し、ラジオが放送を終える。

「ラジオデビューは大ニュースよ、クライド。良かったじゃない」

 ブリジットはいたずらっぽく笑った。

「そうだな、アンシェントじゃまずありえない」

 頷くと、ブリジットはラジオを片付けながら優しい声で言う。

「このラジオに出ると、この町で提供できるものなら何でももらえるのよ。現金と土地、建物以外ならなんでも。大漁旗とか魚とか、朝市のフルーツの詰め合わせとか」

「へえ、ノエルは何を貰うんだろうな? 図書館の蔵書全部とかいいかねないな」

 グレンは楽しそうに言い、ブリジットに出してもらったティーカップの紅茶を飲む。そうして、ふと思いついたようにカップを中途半端に持ち上げた姿勢のまま止まる。

「ん、待てよ。なあブリジット、それって現金と土地意外なら何でももらえるのか?」

「ええ、そうよ」

「ってことは!」

 グレンはたちまち満面の笑みを浮かべ、クライドの両手を掴んだ。突然のことに驚き、クライドは目を見開く。

「船が手に入る!」

 そうか。そうだった。何故そのことに気づかなかったのだろう。今、自分たちは船を欲していた。朝もそのことを話したばかりだ。これはいいチャンスである。

「ノエルのことだから、多分リクエストしてくれてるだろ」

「だよな。抜け目ないからな。学校終わる頃、迎えに行こうぜ」

「そうしよう」

 ブリジットと一緒に食器の片づけをし、午後はこのままここにいさせてもらうことにした。手負いのイノセントと女性のブリジットが一人しかいないこの家に、万が一でもまた影の男が戻ってきたらと思うと心配だったのだ。

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