第三話 隠れ家
隠れ家とは、つまるところ友達の家だった。グレンが勝手につけた名称で、面白いのでクライドも使い始めてこの呼称が浸透した。勿論、本当に隠れ家として使ったことはない。
この町で一番ファッショナブルな豪邸に住んでいるのはジュノアという北国からの移民であるデザイナーと、その妻子だ。クライドの友人であるノエル=ハルフォードは、このラジェルナ国で生まれ育った母親とジュノア出身の父親のハーフの少年である。この広い豪邸で、彼はきっと今日も本ばかり読んでいるだろう。
黒い屋根とクリーム色の外壁がおしゃれなこの家は、ベースは伝統的な石造りのデザインだ。他のどの家も判で押したように紺色の屋根と白い壁で、ノエルの家だけは違うので目立つ。とはいえ変な色になっているわけではないので浮いてはおらず、上品で格好いいとクライドは思う。家を囲っているシックな黒い鉄柵も芸術的なデザインで、門も装飾が多くて門灯の灯りを灯せば影絵が更なるアートを生む。クライドは門から家の敷地に入り、白と黒の敷石を踏んで歩いて玄関に立った。この距離だけですでにクライドの家の倍はある。
呼び鈴を鳴らしてノエルを呼ぶと、ノエルではなくアンソニーがドアを開けた。そして目が合うと、有無を言わさずクライドを引っ張りいれる。引っ張られながらドアを閉めていると、大げさな溜息が聞こえる。
「一体何があったんだい、アンソニーの言う事は全く要領を得ないよ。君から説明して、クライド」
新緑の色をした知的な目をうろんげに細め、クライドを見ているのがノエルだ。彼は穏やかな人だが、複数人で遊びに行くと大抵仏頂面で迎えてくれる。それもそうだろう、クライドはちゃんと礼儀正しく挨拶をしてから入るが(今回は別だ)、グレンなどはほぼ自分の家も同然に振舞っている。なおかつグレンは、自分らは完全に迷惑な奴らなのだとしっかり自覚してあえてそう振舞っているのだからたちが悪い。
鳶色の髪をやや苛立った仕草でかきあげるノエルに、クライドはまずは謝った。
「ごめんノエル、勝手に上がりこんで。追われていて」
クライドはそう言って、走りすぎたあとの胸が痛くて少し咳き込みながらノエルを見た。相変わらず仏頂面だったノエルだが、謝罪の一言を聞いて少し表情が緩んだ。
……ような気がしたのはクライドだけかもしれない。これまでだってノエルが優しく微笑んでくれたのはただの一回だけだったのだ。
忘れもしない、出逢ったその日だ。高熱を出して図書館のベンチで動けなくなっていたクライドを、家まで連れ帰ってくれて看病してくれたのがノエルだったのだ。彼は母親と素晴らしい連携をとり、すぐにクライドの家をつきとめてクライドの母に連絡してくれた。それから家族ぐるみで付き合いが生まれた。
そうでなかったとしたらノエルとの出会いはなかったかもしれない。なぜならノエルは町の私立学園を飛び級で卒業し、十三歳で大学生になった町で一番頭のいい少年だからだ。その大学だって、去年すべての単位をとって卒業した。彼はひとえに医者になりたくて勉強をしていたと言うが、医者になるために五ヶ国語を日常会話レベルまで学ぶ必要があるとは思えない。
ちなみに彼は、せっかく大学を卒業したのに年齢がまだ十六歳(厳密に言えばまだ十五)で十八歳から受けられる医師免許の受験資格を満たしていない。なので、実務経験はないが学会の様子を聴講したり、論文を読んだりして過ごしているという。
「それで? 鐘楼塔に立ち入った君を、男が三人がかりで追いかけたっていうのは真実かい」
「そうなんだ。きっとお前にも信じてもらえないけど、俺、魔法が」
言いかけたそのとき、玄関の扉が乱暴に開いてグレンが駆け込んできた。瞬く間にノエルの眉間に皺が寄り、アンソニーが飛び跳ねる勢いで喜んだ。アンソニーとグレンの二人がハイタッチを交わしながら会話するのを見て、ノエルはもう挨拶なしで転がり込まれることを咎める気にもならなくなったようだ。溜息をつくと、彼はクライドのほうに向き直る。
「そういえば、誕生日だね。おめでとう」
「ああ、ありがとう」
「誕生パーティーの余興みたいなものかい? 一連の騒ぎは」
「いや、違うんだ…… 本当に、俺、今困ったことになっていて」
どう言葉にしていいか分からずに俯くと、ノエルはソファをすすめてくれた。頷いて座ると、彼も隣にそっと座った。いつ来てもノエルは、クライドを追い返しはしない。そして、相談事はちゃんと最後まで聞いてくれるのだ。だからノエルは一緒にいて心地がいい。今日のことだって、親身に聞いてくれるだろう。
相談を再開しようとすると、グレンがノエルの傍まで歩いてくる。真剣な顔をしていた。
「あのさノエル、悪いけど今日は出て行けって言わないでくれ」
ちなみにクライドは出て行けと言われたことがないが、グレンはよく言われている。ノエルは不機嫌そうに頬杖をつくと、半眼でグレンを見上げた。
「納得のいく説明をしてくれるならね。グレン、部外者を引き寄せる可能性があるなら事前に……」
ノエルの言葉は最後まで続かなかった。玄関で何かをぶつけるような大きな物音がしたのだ。続いて、木が軋む音がする。アンソニーが驚き、グレンは後ろを振り返ってドアの方を見る。
大きな音を立てて、玄関のドアが蹴破られた。蹴破ったドアからこの家に不法侵入してきた者は、あの男達だった。ドアはもう、修復不能なまでにばらばらに壊されている。明らかに不自然だ、蹴っただけであんな風にはならないだろう。
その光景を目にして、ノエルが絶句した。彼は澄んだ翠色の目を見開いて、無残に破壊された玄関のドアを見つめている。アンソニーは全ての動きを止めて、怯えたように男らを見る。切れ長の綺麗な眼で男らを睨みつけながら、グレンは苦々しげに舌打ちしていた。クライドが思うことはただひとつだった。彼らは一体どうやってここを嗅ぎつけたのだろう?
「いた、ガキ!」
ジャスパーが、見えていないであろうと思われる目をクライドに向けた。目に巻いていた布にうっすら血がにじんでいる。相当酷い火傷なのだろう。
……人事のように言っているが、これは不本意とはいえ自分がしてしまったことだ。少しの罪悪感が胸をよぎるが、すぐに思い直す。喧嘩を吹っかけてきたのは、彼らのほうだ。
「うるさい」
呟いて目を閉じ、風景を思い描く。アンソニー、グレン、そしてノエルは、今この状態と同じ場所に立っている。ジャスパーたちは、竜巻によって遥か彼方へ飛んでいけばいい。アンシェントではないどこかへ、この町から見えないところへ行ってしまえ。
「帰れ、ここはノエルんちだ!」
目を閉じたまま叫ぶと、どこからか風が吹いてくるのを感じた。三人の男の叫び声と、仲間達の声が聞こえる。体感的に数分が経ち、もうそろそろいいだろうと思って目を開けるとノエルの部屋はめちゃくちゃだった。全く想像のとおりとはいかなかったようだ。ソファから立ってみると、長風呂の後のようにくらりと立ちくらみがした。
「理解が追いつかない。どうして僕の自宅が破壊される必要があったんだい」
ノエルの父がデザインした、ステンドグラスの飾り窓が床で粉々になっていた。テーブルもひっくり返り、コート掛けも支柱が折れてしまっている。カーテンは引き裂かれたようにぼろぼろになり、飾ってあったはずの家族写真もクライドからは見えない位置に飛ばされているようだ。酷い有様だった。ドア以外はほとんど、クライドの風のせいだった。
「すぐ直すよ。大丈夫。覚えてる」
完全に意気消沈しているノエルの目の前で、クライドは目を閉じて整然とした部屋を思い浮かべる。イメージが終わって目を開けると、唖然としたノエルたちと想像通り整然とした部屋があった。
「すっげえクライド! 今の何だよ」
「魔法って本当だったんだ、おじさんたち飛んで行っちゃった」
興奮した様子のアンソニーとグレンが、両サイドからクライドの肩をそれぞれ叩く。こちらを見ながら、ノエルだけは愕然とした顔のまま思考停止していた。驚異的な学力を持ったこの少年でも、この力のことは全くわからなかったらしい。
「これを見た上で聞くけど、君は今日、一体どうして彼らに追われていたんだい。君に何が起こったんだい」
ノエルはそう言ってクライドに視線を留める。クライドはどう言葉にしていいか迷いながら時計を見る。午後の三時を指していた。ノエルはモノトーンのソファに腰かけながら、真剣にクライドの答えを待っている。ソファに深く腰かけて足を組むその姿は、写真で見る町長の姿に似ている気がした。
……町長?
「ああ! 鐘楼のこと、役場にまだ言ってない。早くしなきゃ」
踊りが始まって鐘を鳴らすまでにまだ時間はあるが、役場は四時までだ。あの鐘を修理する話になるだろうから、早めに担当者の耳に入れておく必要がある。警察にはその後寄るか、そのまま役場から連絡してもらおう。
「じゃ、俺いってくる! グレン、説明任せた!」
三人が止めるのを聞かずに家を飛び出した。あの悪党たちはクライドが想像でこの街で無いどこかにやってしまったはずなので、きっと出くわさないという自信があった。