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第二十七話 帰路

 外はいつのまにか薄暗くなっていた。日照時間を考えると、ウルフガングに魔法をかけられた後、クライドは実に四時間近く寝入ってしまっていたようだ。

 クライドはここに来る前、大事なことを忘れていた。後先のことを考えず、仲間を先に帰してしまっているのだ。

 今更になって、はっとした。何ということだろう、クライドは自分が寝かせてもらっていた家を覚えていない。しかも、それに気づいてもいなかった。

「馬鹿だろ、俺」

 がっくりとうなだれるクライド。仕方ないので、おぼろげな記憶を頼りに町を彷徨ってみる。

 暫く歩くと商店街に出た。夕飯の買出しに忙そうな主婦たちが、商店の軒先で魚を値切っている。クライドと同じ年代の学生たちは下校中だ。唐突に、ふるさとの町が懐かしくなった。

 ウルフガングの住居に行く途中、この商店街は通っていない。ということは明らかに道を間違えている。引き返そうと思って振り返ると、誰かにぶつかった。クライドは反射的に謝る。

「すみません」

「クライド」

 なまりのきつい発音で呼ばれ、クライドは少し驚いた。なんだ、サラではないか。

 黒に近い濃紺の、一本線のセーラー服。ソックスは紺。清楚な感じがサラにぴったりである。セーラー服の学校はこの国ではあまり多くないが、港町だからこんなデザインの制服になっているのだろうか。

「サラ!」

「学校。私、あの」

 そこからはディアダ語が解らなくなったのか、サラは北国のウィフト語で喋った。そして小首を傾げる。クライドには意味が通じていないから、クライドも首を傾げ返す。サラは楽しそうに声を上げて笑った。何となくクライドもつられて笑ってみた。

 ちゃんとコミュニケーションらしきものは取れているが、やはり言語の壁は厚い。クライドはどうにか伝わってほしいと思いながら、ジェスチャーを交えて喋ってみる。フレーズは解らなくても単語ならいくつかわかるものがあったから、それを使ってみる。

「えっと、フェヴ。解る?」

 ウィフト語で、家という意味だ。釣りをするジェスチャーを交えて、『漁師の家』をどこか聞いてみたつもりだったのだが、サラはやはりよく解らないようだ。

「何ていったらいいんだろ…… じゃ、ノエル。ノエルどこ」

 そういうと、サラは小さく吹き出した。彼女が続けて発した片言のディアダ語で、『ノエルがあの廃墟で釣りをしている』という支離滅裂な冗談を言ったように受け取られていることが解った。

「違う違う、そうじゃないんだよ」

 手を振って否定のジェスチャーをする。サラはまた面白そうにクライドを見た。

「ここはどこ?」

「うん?」

「俺、帰りたいんだけど」

「ああ!」

 サラは楽しそうな笑顔を浮かべ、クライドの腕を掴んだ。一瞬驚くが、サラは全く気づいていないようでクライドを引っ張って歩き出す。

「サラ? どこ行くんだ?」

 訊ねれば嬉々としたウィフト語を返された。全く意味が解らない。しかし、サラがクライドを引っ張り込んだ場所で納得した。どうやら空腹だと勘違いされたらしく、ここはちょっとお洒落なカフェだった。

 窓際に席を取り、クライドはサラの向かいに座った。窓辺の花瓶にはピンクのガーベラが三輪ほど入れてある。

「ここ、私と、ノエル…… おもい、だ?」

「思い出?」

「うん!」

「サラとノエルの思い出の場所?」

 訊ねてみると、やはり少し理解が追いつかないようだが、サラは迷った挙句に頷いた。そして、優しい笑みを浮かべる。

「すみません。これと、これ」

 片言ではあるが、カフェで注文をするくらいのディアダ語ならできるらしい。艶やかな茶髪をポニーテールにした若い店員が、愛想良く笑ってクライドをちらりとみやる。そしてサラにイタズラっぽい笑みを浮かべ、親指を立ててみせる。サラは首を横に振って否定し、少し頬を染めた。

「今日知り合ったばかりですよ」

 見かねてクライドがそういえば、店員は大げさに残念そうなリアクションをした。

「残念。サラが男の子を連れてきたの、何年かぶりだったのに」

 店員は気さくに笑い、店の奥へ戻っていった。前回サラとここにきた男の子というのは、きっとノエルのことだろう。

 しばらくして店員がサラの注文したメニューを持って戻ってくるまで、クライドはサラとお互い片言で会話をしていた。

「だから、えっと、何ていったら良いかな……」

 知っている単語は数個しかなかったため、すぐにクライドのウィフト語は途切れた。しかも『家』と『友達』と『海』くらいしか、会話に役立つものはなかった。

「ノエルにウィフト語習おうかな」

「ノエル?」

「ディアダ語教えてもらってない?」

 そんな会話(ほぼ成立していないが)をしていると、店員が紅茶とケーキを運んできた。チーズケーキとチョコレートケーキだ。

「俺の分?」

 目の前に置かれたケーキを指して訊ねてみると、クライドがチョコレートケーキを選んだと思ったのか、サラは嬉しそうに笑って頷いた。そして、自分はチーズケーキを食べながらクライドの様子を窺っている。

「ん、美味い」

「んまい?」

「いや、サラは女の子だから美味しいって言った方がいいぞ」

「いぞ?」

 思わず笑ってしまう。サラは至って真剣らしいが、仕草のひとつひとつが小動物めいていて可愛い。クライドは笑いながらフォークで小さくチョコレートケーキを崩し、すくいとって口に運ぶ。

「美味しい」

「おいしい?」

 訊ねるようにクライドの発音を真似るサラに、大きく頷いてやる。するとサラは学習したのか、チーズケーキを口に運び、

「美味しい」

 ウィフト訛りの強い発音で、嬉しそうに言った。そう、それでいいんだとクライドは頷いた。そうしてケーキを食べ終える頃には、クライドとサラはお互いに新しい言葉をいくつか覚えていた。サラがひどい片言であるように、クライドもきっと意味の通じにくいおかしなイントネーションなのだろう。

「ありがとう、サラ」

「うん」

 喫茶店を出るとき、会計を済まそうとしたクライドを押し留めてサラが二人分支払ってくれた。もともとそうするつもりだったらしい。

 クライドはどうにか頑張って、再度ノエルに会いたいことを伝えた。すると、サラは頷いて道案内をしてくれた。薄暮の街を歩き、いくつか角を曲がり、港に近い住宅街に出たところでサラは足を止めた。

「ここ、フェヴ、エディ」

 前を向き直り、クライドは大きな家を見上げた。潮風に当たっているからだろうか、物干し竿が錆びている。開けっ放しの窓から見えるのは、見たことのない種類の観葉植物と、テレビだ。テレビでは今、何かのアニメ番組をやっている。多分、エディが見ているのだろう。

 クライドが一階の窓を見ていると、上階から声がかかった。

「クライド! お帰り、心配したんだよ? あれ、サラも一緒?」

 見上げると、アンソニーが手を振っていた。窓枠から身を乗り出し、落ちそうになりながら。

 危ないな、と思った次の瞬間、案の定アンソニーは落ちた。

「なっ? トニー!」

 あまりのことに驚いて、頭より先に身体が働いた。落下するアンソニーを受け止めようとしたが、この行為に意味は無かった。アンソニーは空中で静止している。

 混乱した頭でよく考え、やっと答えに行き着いた。そうか、これはグレンの手だ。

「心配させてるのはどっちだよ。いきなり落ちるなんて」

 クライドはそう言い残すと、玄関に向かった。サラははじけるような笑顔で、クライドに別れを告げて去っていった。クライドは礼を言って彼女を見送る。

 玄関には洒落たデザインの傘立てがあった。立てられている傘は少なかったが、その全てに共通して見受けられるものがある。骨組みの部分が、どれも錆びているのだ。多分、潮風の影響だろう。

 ドアにはプレートがかけられている。プレートには、丸みを帯びた可愛い文字で、リンドバーグ家の人々の名が記してあった。スタンリーとエディ、そしてエディの母親であろう女性の名だ。三人暮らしらしい。

 ドアチャイムはどこかと探していると、急に玄関のドアが開いた。

「遅かったな、クライド。腕はもう平気か?」

 ドアを開けたのはスタンリーだ。クライドはうなずいて、遅くなったことを詫びる。スタンリーは笑顔でうなずくと、クライドを家に上げてくれた。ここは、銭湯で失神したクライドが目を覚ました家だった。

 他の漁師たちは、もう帰ってしまったようだ。クライドはそっと、スタンリーの家の中を見回す。

 ソファに腰掛けて、ゆったりしていたノエルが席を立った。

「サラが一緒だって聞こえたけど」

「ああ、送ってきてもらった」

「女の子一人じゃ危ないから送ってくるよ。リンドバーグさん、失礼します」

「え、ノエル」

 微笑みを残して去ろうとしたノエルに向かってクライドが口を開いたとき、大きな物音がした。反射的に、音がした方を振り返る。

 クライド自身も、何度と無く聞いた事のある音だ。階段を転がり落ちる音である。クライドは、寝ぼけて自宅の階段から転げ落ちた経験が何度かあった。

 誰が落ちたのだろう。多分、いや絶対アンソニーだ。音がしたほうに駆けつけてみると、意外な光景が待っていた。

 うつぶせに倒れたグレンの上に、エディとアンソニーがそれぞれ無理な体勢で乗っかっている。どうやって助けようか迷った。

「クライド!」

 クライドを見たエディが、グレンの上から勢いよく跳ね上がる。その拍子に、下敷きになったグレンはうっ、とうめいた。かなり苦しそうである。アンソニーは腰を摩りながら唸っている。依然として、グレンはまだ下敷きだ。

「トニー、どいてやれ。グレンが窒息するだろ」

 腰を摩っているアンソニーに手を伸ばしながら、クライドは言った。アンソニーはクライドの手を握って立ち上る。

 やっと開放されたグレンは、鈍い動作で起き上がった。そして、恨めしげにエディとアンソニーを見つめた。クライドは、グレンに駆け寄る。

「大丈夫かグレン」

 あの音は尋常ではなかった。しかも、二人の人間の下敷きになったのだ。大丈夫であるはずが無い。

「まあ、なんとかな。ところでクライド、何でサラと一緒だったんだ?」

 グレンはいたって普通にそういうと、立ち上って服をはたいた。クライドはほっとして、にこりと笑う。

 彼の質問に答えるため、サラについて話そうとしたが、スタンリーにとめられた。

「飯の仕度を手伝ってくれ。お前が戻ってくるまで待っていたんだ」

 そういわれてはっとする。唐突に、空腹感がよみがえってきた。よく思い返すと、昼飯すらとっていないような気がする。それを思い出すと、もっと空腹感が酷くなったように感じた。

「待たせてごめんなさい。何を手伝いますか」

 クライドは謝りながら、スタンリーに続いて台所へ行く。

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