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第二十話 海の見えるまち

 ほどなくして、目の前から木が消えた。やっと、あの暗い森から脱出できたのだ。森から脱出すると、空にはまだ星が瞬いていた。しかし、夜ではない。歩を進めるごとに少しずつ明るくなっているのだから、今はきっと明け方だ。あの森に居ると、方向どころか時間の感覚さえわからなくなる。

 浜辺に出たが、まだ町までは多少距離があった。遠くに見える港には漁船が何隻か止まっていて、その上には何人か漁師らしき人影が見えた。久しぶりに見た人間に、クライドは深く安堵した。泣きそうな気持ちだ。

 少し先に見える街は広く、随分と洗練されていた。そう思ったのは、遠くからでも見える高い建物を見てのことだ。山に囲まれていた分、クライドたちの住んでいる町は世間から取り残されていたのかもしれない。何せアンシェントタウンに、ビルなどないのだから。

 辛気臭い森を抜け出せたおかげで、空気がとても澄んでいるように感じる。クライドは深呼吸して、暫く目を閉じた。目を空けて隣を見ると、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みながら、クライドがそうしたようにノエルも目を閉じていた。

 グレンはアンソニーの重たいリュックを下ろし、肩をぐりぐりと回している。栄養不足で体力が低下しているときに重い荷物を持つのは、辛かっただろう。テントがなくなったとはいえかなりの重量だ。それでもグレンは、よく頑張ってくれた。

 アンソニーもグレンをまねて肩を回している。今はとにかく、生きて森から出られた事による幸福感に浸りたいとクライドは思った。

 ふとクライドは自分の格好を見て、長々とため息をついた。自分だけではなく、皆の格好もだ。あの工場以来ずっと風呂に入っていなかったせいで、身体も服も大分汚れている。これでは、せっかく漁師町に出られたというのに追い出されそうだ。

「これじゃ町に入れないだろ」

 この状況にうんざりして、クライドは思わず言った。すると、真っ先にグレンが頷いた。彼も、自分の格好に嫌気が差していたようだ。勿論、ノエルとアンソニーも頷く。

「こいつは傑作だな、浮浪極めましたって感じ」

 ぼさぼさに縺れた髪を手で梳きながら、グレンが唸った。彼は体中汚れていて、手や足には擦り傷があった。こんなに酷い格好では、流石に彼の魅力も半減して見える。

 グレンの意見にノエルも頷いて、白いシャツの襟元を嫌そうに見る。いや、白いシャツではない。元は白かったシャツだ。土や草の汁などで汚れ、所々に穴が開いている。

 アンソニーが魔法の視力を効かせて辺りを見回して、二百メートルくらい離れたところに水が流れているのをみつけた。岩と砂の間を流れる川は細かったが、源泉は森の中にあるとアンソニーが言う。クライドは気が進まないが、せっかく出た森に入る。木々の間に目をこらしていると、確かに少し離れたところに泉を見つけた。近くには広めの池がある。ひょうたんのような歪な形をしているこの池には、一気に四人で飛び込んでも問題なさそうだ。

 アンソニーは木々の間を縫って駆け出して行った。そして、服を着たまま池に飛び込む。大きな水しぶきを上げて、彼の体が見えなくなった。見た目よりも深い池らしい。数秒後、アンソニーは水面に顔を出して息を吐いた。

「みんな、冷たくて気持ちいいよ!」

 泳ぎまわるアンソニーを見て、グレンも駆け出した。そして、グレンも服を脱がずに飛び込んだ。アンソニーが飛び込んだときよりも大きな音と飛沫が上がる。

 見ていたクライドは、ノエルと顔を見合わせて苦笑した。そして二人で川のふちまで歩いていって、靴くらいは脱いでから池に入る。透明度の高い池には枯葉が沈んでおり、グレンとアンソニーが暴れまわったせいで葉が浮遊していた。

「俺の出番かな? ノエル」

「いいや、僕がやる。君は石鹸を出して」

 ノエルが目を閉じて小さく何かを呟くと、水の透明度が更に上がる。舞い上がった落ち葉は一枚もなくなったが、どういう理屈だろう。

「少し細工して、石灰化させた。沈んで浮かんでこないよ」

「さすが。ほら、石鹸」

「ありがとう。それじゃ、身体を洗い終わったら一番最初の状態に戻す想像も頼んでいいかい」

「そうだな、石鹸をそのまま流すのは不味い」

「おっ、クライドいいもん出したな。借りるぞ」

 グレンの見えない手が石鹸を一個、掴んで持っていく。彼は脱いだTシャツにそれをこすり付けて泡立てると、ワイルドにもその場で身体を洗い始める。アンソニーもそれに倣い、服に石鹸をつける。クライドは服を脱いで水に漬けおきながらスポンジを人数分出してみたが、グレンもアンソニーも服を使って身体を洗い終えていた。

 どうせすぐ汚れるからという理由で、クライドたちは暫く前から着替えるのをやめていた。服の汚れは相当なものだったが、バッグの中にはまだ袖を通していない服が入っている。クライドはぷかぷか水に浮いている服を、想像で白く戻した。ノエルも自分の魔法でワイシャツの染み抜きをしている。

 一通り体と服を洗い終え、グレンの要望でシャンプーも出して四人で髪も洗った。見違えるほどさっぱりした。人里に近い森の中で四人で全裸を晒しているのはなかなかにスリリングな体験だったが、幸い誰も通りかからなかった。

 調子に乗って魔法を使いすぎて立ちくらみがした。池の縁に座って俯いていると、気づいたグレンとアンソニーがそれぞれ魔力を提供してくれたので立ち上がる。池の様子は二人にもらった魔力で元に戻し、しばらく木によりかかって休む。

「もう大丈夫。いこうか」

 仲間たちに声をかけて歩き始める。もう一度海に出れば、朝日が上り始めたところだった。海の上に一本の真っ直ぐな光の道を敷き、暁光が辺りを照らし出していく。ずっと見ていたくなる光景だが、足を進めた。すると、町のほうが騒ぎ出した。クライドが顔を上げると、朝日を背にして一隻の漁船が港に向かってくるところだった。

 鮮やかな原色の赤や黄色で彩られた派手な旗をいくつも飾った漁船だ。ノエルが眼鏡をずりあげてそれを良く見て、穏やかな声で『大漁旗だね』と呟いた。古いフォントとけばけばしい原色が何だか伝統的に見えるが、この旗は、元々この国では使われていなかったものらしい。もっと東の方の伝統だったらしいのだが、これを飾ってから魚が獲れるようになったという一部の漁師の口コミで最近になってこの国でもブームなのだという。ノエルの知識はすごい、学問だけでなく雑学にも詳しいのだ。

 大漁旗をひらめかせながら岸へ向かってくる漁船を見て、アンソニーが笑顔になった。そしてグレンが、クライドを振り返って言った。

「走ろうぜ!」

 騒ぎ出した街をめがけて、四人は走った。港に近寄るにつれて、観衆の数が多くなった。皆口々に、喜びの言葉を発している。そのうち、人が多すぎて前に進めなくなって、四人は足を止めた。

「ねえ、銀色の人! この町の人じゃないでしょ? 見たことないもん、そんな色の目」

 後ろから声を掛けられて、クライドは振り返った。

 背後にはクライドやグレンたちよりも年下だと思われる少年がいる。いや、アンソニーよりも年下かもしれない。背が小さくて、未だ変声期を迎える前の少年だ。子供らしい細い手足は日に焼けている。活発そうなショートカットの黒髪は、多分この少年の親が切っているのだろう。前髪や襟足のところが所々不自然に揃っている。彼は無邪気な笑顔を満面に湛えて、クライドたちを順に見回した。

「いこうよ、この町の豊漁祭はすごいんだから!」

 そう言うが早いか、彼はクライドの腕を引っ張って進みだした。人ごみをかきわけ、誰かにぶつかるたびに少年はその無邪気な笑顔を返している。彼に引っ張られているクライドは、しきりにすみませんを連発しなければならなかった。

「おいっ、クライド!」

 後ろからグレンが追ってきているのが解った。彼もまた、しきりにすみませんをくりかえしている。

 返事をしようとしたが、また誰かにぶつかった。謝ると、また誰かにぶつかった。ようやく人ごみが終わると、港の桟橋の前だった。目の前には何人か漁師たちがいて、クライドと少年に気づくと楽しそうに笑った。半袖を着るほどでもないと思うような気候の中、彼らはほぼ全員がタンクトップを着用していた。

 笑みを浮かべた漁師の一人が近寄ってきて、クライドを誘導した少年の頭を撫でながら言う。

「悪いな、うちのせがれが無理矢理引っ張ってきちまって。観光か?」

 どうやらこの男は、少年の父親らしい。クライドは首を横にふり、笑って見せた。その時、急にどたどたと足音が聞こえた。驚いて振り返ると、グレンが息を荒げながら立っていた。その後ろから、アンソニーとノエルも到着する。三人は、揃って不思議そうな目でクライドと少年と漁師を見た。目線がクライドに説明を求めている。

「 エディ、説明してやれ。俺は一旦船に戻るから」

 漁師は上機嫌でそういうと、エディ少年の頭をぽんぽんと撫でてから船の中に引き返していった。ぽっかり空いた人垣の真ん中に連れてこられてしまったので、人々の視線がクライドたちに集中している。エディはサプライズを成功させたときのように、スキップしそうな軽い足取りでクライドの前に躍り出た。

「豊漁祭のビッグイベントに君たちを招待するよ! 船から降ろした最初の魚を、君たちで陸の漁師たちに送るんだ。見て、そこにレールみたいなのがあるでしょ? 木箱に詰められた魚を、力いっぱい放るんだ」

 桟橋には確かにレールのようなものが敷かれていた。振り返ってみると、観衆の間に重たそうな木箱がいくつも見える。赤いタオルを首にかけ、その両端をタンクトップの胸元に突っ込んだ若い男がレールの先に立っていた。エディはその男に向って手を振り、男はにこやかにオーバーな動作で手を振り返す。額の真ん中で分けられた、顎まである黒髪が揺れる。

「えーっと、俺たちが、木箱を投げればいいんだな?」

 突然のことに理解が追いつかない。旅人に木箱を投げさせるイベントというのもなかなかに意味がわからないが、それにこんなにも人が集まるのが凄い。

「そう! 力加減が足りないと桟橋の途中で止まるから気をつけて。みんな魚が早く来ないかってうずうずしてるよ! 海の恵みは、最初の木箱の分だけ皆で分けるんだ」

 観衆は確かに、皆竹で編んだ籠のようなものを持っている。魚を持って帰るためだろう。港に着いた船から無償で新鮮な魚を分けてもらえるイベントとなれば、確かにこんな人だかりができるのも当然なのかもしれない。クライドはエディに対して頷きながら、グレンを横目で見る。

「いいんじゃないのか、クライド。まず聞き込みから始めなきゃならないところだし。ここで漁師と仲良くなれば、ネットワークは海の外に広がるだろ」

「一理ある。そんじゃ、乗るか」

 エディに参加の意思を伝えると、小さな少年は飛び跳ねる勢いで喜んだ。しかし、その後ろでアンソニーが複雑そうな顔をする。

「力が足りなさそうな僕らは観戦だよね、ノエル」

「二人はジェシーのところにいてよ、そこで魚を選別する係!」

 そう言いながら走って船の方へ言ってしまうエディを見送り、クライドたちは顔を見合わせて笑った。赤いタオルの漁師に頼んで漁具小屋に荷物を置かせてもらうことにして、それぞれ配置につく。

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