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第二話 追っ手

 しばらく走り続け、ようやくクライドが身を落ち着けたのは、あの塔から大分離れた公園の大樹の下だった。祭りをしている広場からも遠く離れているため、この公園には人が全くいない。たった一人で公園を占領したクライドは、目を閉じて樹の下に寝転んだ。そこでしばらく荒い息を整え、火照った身体を冷やす。夢中で走っていたら警察署とは逆方向に来てしまった。一旦落ち着いてから、あの男たちのことを報告に行こう。

「あっ! クライド」

 遠くの方で聞きなれた少年の声がする。しかし、顔を上げられるほど元気は無い。走ってくる足音がして、彼の気配はクライドのとなりに落ち着いた。それでもクライドは頭が重くて目を開ける気にならなかった。となりの気配は痺れを切らし、そのうち覗き込む形になった。鬱陶しいので目を開けると、見慣れた少年がいる。

「邪魔だぞ、トニー。踊りどうしたんだよ」

 トニーことアンソニー=ブレアは、巻き毛の少年だ。大きな目やその落ち着きの無い髪が、もともと子供っぽい顔立ちのアンソニーを余計に子供らしくみせている。落ち着きが無いと言えば印象が悪いが、その柔らかな金髪はまるで名画に描かれた天使のようだ。本人は鼻の辺りにある薄いそばかすを嫌っているのだが、クライドはそこも彼の美点の一部だと思っている。背が低く、空想好きでよく笑う彼は今年で十四歳になる。クライドよりも二つ年下の、純粋で少年らしい少年だ。

「今は休憩時間だよ。ねえクライド、今日はついに一日中いなかったよね。またサボり?」

 愛嬌たっぷりに喋る彼はまるで弟のような少年だ。クライドは一人っ子だから弟がいるという感覚が上手く掴めないが、こうやってどこにいくにもついてきて、慕ってくれるアンソニーが弟だったらとても楽しいだろう。だが、二人の間で年齢のことを話題にするのは互いに禁じている。対等な友達として、年齢差は考えないようにしているのだ。

「今日なあ……」

 どくん、どくん…… いつもより早いペースで動いている自分の心臓の音を聞きながら、ぼんやりした頭でクライドは考える。あの盗賊らしき人物たちの話はするべきだろうか。どうせ嘘だと思われるだろう。しかし、鐘を落とされたのは事実だ。この少年を楽しませてやるという目的でもいい、誰かに話さなければ。クライドはそう思い、アンソニーを見上げた。

「塔があるだろ? 鐘楼の塔」

 適当なほうを指差してしまったが、街の人なら皆知っている塔だ。アンソニーは細かい説明などせずともすぐに理解してくれた。

「うんうん」

 深く頷いて、アンソニーはクライドの話を聞いている。そしてちらりとクライドの指差す方向に目をやって、塔がないので一瞬戸惑って探してからまたクライドのほうを見た。

「その塔にさ、変な奴らがいた。変な奴らは、何か青白い火花をつかって鐘を落としたんだ」

 信じないだろうと思っていたアンソニーは、クライドの話に釘付けだ。いたく興味を惹かれたらしい。今すぐにでも塔に行って、奴らを見たいと言い出しそうな顔だ。

「二人は俺に気づかず行っちゃったけど、最後の一人が俺を見つけた」

「えーっ、それで? それでどうしたの?」

 息を呑むアンソニー。彼は真剣そのものの表情で、クライドをじっと見つめている。語り手としても、そんな顔で聞かれると話を面白く語りたくなる。ここでいよいよあの男の登場だ。

「俺は、そいつと戦った」

 自信たっぷりにいってみるクライド。たしかに戦ったといえるが、あれは不本意に起きたことである。純粋なアンソニーは、クライドの武勇伝を頭から信じ込んでいるようだ。よくイタズラに引っかかる彼は、疑うことを知らないのではないかとたまに心配になる。

「わあ、クライドが? すごい!」

 この瞬間、クライドはほんの少しだけ罪悪感を感じた。確かに敵を燃やす攻撃は凄いかもしれないが、全て不本意である。それに、たとえ敵であろうと人を燃やすなんて良くない。

「俺、敵を燃やしたんだ。何故か燃やせた」

 きっとアンソニーのことだから、こういったら興味津々と言った様子で詰め寄ってくるのだろう。だが予想を裏切り、クライドの言葉を聴いた途端にアンソニーは怪訝そうな顔をする。

「クライド? どうしたの、頭おかしくなっちゃった?」

 それを聞いて、軽くショックだったし苛立ちも覚える。頭がおかしいといわれたことが原因なのではなく、さっきまで信じてくれていたアンソニーがいきなりそんなことを言ったからだ。

「おかしいわけないだろ、俺だって意味が解らなかった。ほら、見ろよ」

 彼に信じてもらいたい一心で、クライドは手のひらをアンソニーに見せた。そして、想像する。手のひらに、真っ青な焔が燃えているところを。

「わ、わあ! 何? 何それ、何なの?」

 目を見開き、口をぽかんと開けたアンソニーが興奮した様子で叫んだ。想像通り、クライドの手のひらに蒼い焔が出現したのだ。やっと信じてもらえたようだ。

 クライドは少し起き上がろうとした。すると、アンソニーが覗き込んできて、満面の笑みを浮かべて言った。

「凄い手品! 僕にも教えてよ。それとも透明ライター?」

 起き上がろうとして少し上げられたクライドの頭は、過度の落胆のため力を失い、再びごつんと音を立てて木の根元に戻った。自分で打った頭の痛みに悶絶し、クライドは涙目でアンソニーを見上げる。

「いや、違うぞトニー。手品じゃない。何だよ透明ライターって」

 そうなのだ、タネなど無いし仕掛けも無い。ジャスパーの眼を焼き、もう一人の金髪の男など全身を焦がし、二人とも絶叫させたこの力が手品などであるはずが無い。

「俺は、この力でジャスパーの眼も焼いた。睨まれたから睨み返したら、焼けてたんだ」

 あのにらみ合いのとき、誰も鐘楼を見ようとしなかった。あれももしかすると、一種の魔法なのかもしれない。いや、魔法だって? 馬鹿馬鹿しい、そんなものあるわけがない。しかし、あの現象は魔法という以外に一体何と表現すれば良いのだろう。クライドの使っている、このおかしな能力もそうだ。

「へえ、そいつは可笑しいな。クライド、医者に診てもらえ」

 不意に樹上で声がした。アンソニーとクライドは、そろって上を見る。すると、もう一人の親友が木の上で笑っていた。今まで気づかなかったが、彼はずっと木の上で街の景色を眺めていたらしい。

 彼はかなりの美形である。この田舎にいながら、芸能人並みに垢抜けた顔立ちだ。こうして笑っている顔を見ると、あの顔で生まれた彼がなんだか羨ましくなってくる。爽やかなこの笑顔に惚れる女の子は、勿論少なくない。だが、本人はそれを快く思っていない。彼は、恋愛よりも友達とバカ騒ぎするほうが好きだ。

 彼は胸に届きそうな長さの金髪を緩くまとめて右肩へ長し、長い前髪を優雅に目の上へと流している。たまに編んだりワックスなどで固めたりしていることもあるが、大概このヘアスタイルだ。切れ長の青い目に、通った鼻筋。声も美しいし、その声で紡がれる歌はいつ聴いても感動の迫力だ。誰もが憧れる美貌をもったこの少年は、クライドやアンソニーの大事な親友だ。ちなみに彼が今着ている物は、ところどころに穴の開いたジャケットと履き古されたジーンズだ。火を使う舞踏の練習なのだから、汚れてもいいものを選んだのだろう。彼は今夜の舞踏で花形ダンサーとして最前列を飾る。

 彼はこの爽やかな美貌とは裏腹に、かなり少年的な少年だ。学校では先生たちから問題視されるほど悪戯をするし、街でもしょっちゅう悪ガキぶりを発揮している。昨日彼は、校長の頭にバケツの水を浴びせて説教を食らっていた。義務教育だから退学させられないのが無念だと、校長はしきりに嘆いている。だが、彼の悪戯は、生徒たちからは絶大な人気を誇っているのだ。

 先生が授業で使う資料をこっそりレスラーの自撮りを引き伸ばした写真にすり替えておいたり、だるまさんが転んだの要領で教卓まで近づいて生きたカエルを置きにいったりするなど、笑える悪戯だからグレンの悪戯は愛される。人の生命や財産を危険に晒すようなことはしないので、先生の中にはグレンの新しい悪戯のネタを楽しみにしている人すらいる。

「降りてきなよ、グレン」

 そう言いながら、アンソニーがにっこりと微笑んだ。クライドの大事な親友、グレン=エクルストンは木からひらりと降り立った。軽やかに着地して見せ、グレンはさも可笑しそうに笑う。

 隣で木から人が降ってきたというのに、クライドは無関心である。こうやってグレンが木から降りてくるのはいつものことなので、驚くような気力もないのだ。彼は見晴らしのいいところが好きで、例の鐘楼にも何度か忍び込もうとしたことがある。

「なあクライド、知らねえおっさんが走ってくるぞ。二人は長身で一人はデブ…… あれは」

 疲弊して眠たいクライドを刺すように一瞥し、グレンは言いかけた言葉を止めて憮然とした顔で前方を見つめていた。空色の双眸が何かを捉えて射る様な険しさを帯びる。

 クライドは閉じかけた目蓋をあけ、上を見る。柔らかな木漏れ日が心地よい。他に目を凝らしてみても、グレンがジャケットの内側にきている服の色がわかったぐらいで特に変わったことはない。

「三人の、おっさん」

 うわごとでも呟くように、クライドはそういって目を閉じた。しかしすぐに飛び起き、前方に眼を凝らした。まさしく、ジャスパーたち三人がこちらに向かってくる。

「に、逃げよう!」

 すっかり慌てふためいたクライドは、二人に背を向けて踵を返す。しかし、その襟首をグレンにむんずとつかまれた。塔で男に掴まれたのは胸倉だったが、今度は逆だ。喉に襟元が食い込んで痛い。痛いというよりは苦しい。もがきながら、クライドはグレンを見た。離して欲しいと目で訴えたが、無駄だった。

「何で逃げるんだよ。何を話したんだ、あいつらと」

 明らかに不満を持った目で、グレンはクライドを睨む。そうこうしているうちに、男らがどんどんこちらに近づいてきている。

「離せグレン、離せったら」

 アンソニーが不安げにクライドと三人組の男たちを交互に見た。グレンはクライドの二の腕を掴むと、ようやく襟首から手を離した。むせながら肩越しに振り返ると、血相を変えた男たちはもう公園の敷地に入ってきてしまっていた。

「おい、あれだ」

 全身をびしょびしょに濡らした男が、クライドの所在をジャスパーとジェイコブに知らせている。ジェイコブは目を細め、クライドたちを交互に睨む。ぴったり張り付いたシャツのおかげで、筋肉質な体のシルエットがはっきり出ている。

 そんな状況でグレンは平然としていた。アンソニーは怯えてグレンの背中に隠れた。グレンに掴まれているクライドは、勿論悠長にしている場合ではなかった。おまけにグレンがかなりの強さで握っている二の腕が、痛くてたまらない。

「なあ、俺の連れに何の用だ」

 嫌悪感と敵意むき出しな表情で、グレンは男たちを睨み返した。グレンの手にさらに力が込められ、クライドは痛みに呻いた。早くグレンを振り払って走りだしたいのに、グレンは彼らを睨みつけたままどうやらここで戦おうとしているらしい。

 グレンの後ろにいたアンソニーは、彼らに慣れたのかグレンの背後からそっと出てきた。そして、グレンの動向を横から窺っていた。

「貴様……」

「何だお前? ガキは黙ってろ、とっととそいつを渡せ」

 こちらに近づいてナイフを取り出した金髪の男を、ジャスパーが押し留める。ジャスパーは両の目をきつく布で巻いていた。言うならばそれは、目隠しのように見える。この状態でクライドをめがけて走ってこられるのは一体どういう理屈なのだろう。

「武器持ちか、分が悪い。トニー、Bルートで隠れ家だ」

 金髪男のナイフを見たグレンは、そういうとクライドの手を引いて走り出した。もつれそうな足を無理矢理動かしてクライドはそれに続く。残されたアンソニーが頷いて、ジャスパーの前に急に飛び出すのが見えた。やはり前が見えていないのか、ジャスパーはアンソニーを弾き飛ばして一緒に転ぶ。

 ジェイコブと金髪男は一瞬それに気をとられたが、それぞればらばらの足取りで走って追ってくる。

 もう後ろを振り返っている余裕はなかった。グレンはどうやら町の中心地に向って走っているらしく、狭い路地ばかりを選んで逃げた。走っているときに邪魔だと判断したのかやっと手を離してくれたので、クライドもグレンのあとを追って走る。二人とも無言だった。聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず逃げ切らなければ。

 鐘楼塔の広場にたどり着いたグレンはわざと屋台にぶつかって、陳列してあった山盛りのオレンジを派手にぶちまけて更に逃走した。男たちの前にオレンジが大量に転がり、彼らはそれを上手くよけたが通行人が転んだのに巻き込まれる。まずジャスパーが派手に背中から転び、それに足を取られてジェイコブが前のめりに転び、金髪男は避けきれずに屋台の壁に激突した。

 その隙が全てだった。

 クライドは屋台の密集する一角に飛び込み、屋台にかけられたクロスの下をくぐって裏に出る。

 さまざまな人の悲鳴や怒鳴り声が聞こえて、クライドは申し訳ない気持ちになりながらもこの混乱に乗じた。花屋とクリーニング屋の間の路地に身をすべりこませると、そのまま裏道に出て振り返る。グレンが混乱を起こしてくれたおかげで上手に撒けたらしく、男たちは追ってきていなかった。きっとはぐれたグレンも合流してくれるだろうから、クライドはアンソニーが向っているはずの『隠れ家』に向うことにした。

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