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第十九話 山を越えたら

 その午後、クライドたちは山のふもとに到着した。ようやく町を世界から隔離していたあの山を越える事が出来たのだ。そびえ立つ山を振り返り、クライドは大きくため息をついた。

 やっと山を越えられたが、これまでの道のりが途轍もなく長く感じられた。

「はあ。やっと山を越えたら、次はだだっぴろい原っぱか」

 もううんざりといった様子で、グレンが遠くを見つめる。ここは広い湿原だった。見渡す限り青草が広がっているし、所々にぬかるんだような沼地もある。

 過去にここに来たノエルの話によると、この平原を越えると森があるはずだった。なのに、木の一本さえ見当たらない。どこまでも、クライドの膝丈位まである青草が生い茂っているだけだ。

「僕がここを越えたときは、何日かかったかな……」

 当時の状況を思い返すように上を見上げ、微かに唸るノエル。それを聞いて、アンソニーががっくりと肩を落とした。クライドも、ノエルの言葉を聞いただけでうんざりした。

「進もう。とりあえず足動かしてりゃ森が見えるんだろ」

 先ほどまでうんざりしていた様子のグレンは、顔を上げてにっこり笑った。何事も前向きに取り組まなくてはいい結果が得られないというのがグレンの考えなのだという。いい考え方だ。

 ノエルはキャリーカートを背負いなおしてグレンに続いた。それを見たアンソニーも、負けじと彼に駆け寄る。クライドもグレンたちのあとに続く。こうして、草原を渡るための長旅が始まった。

 草原を出発して、三日が経つ頃にも変化が見当たらなかった。いけどもいけども、広がっているのは青草の波だ。森らしきものはまだ見当たらない。ぬかるんだ湿地のせいで靴がどろどろになり、最初の頃は想像で汚れを落としていたがもう諦めてなすがままにしている。

 こんな景色に飽き飽きして、クライドは何度もくじけそうになった。だが、仲間達と励ましあって何とか意気消沈せずに済んでいる。

 クライドの食料はすぐに尽きた。ノエルの知識を借りて野草や木の実を集め、アンソニーの視力で水のありかや獣の居場所を探してもらい、グレンと協力して狩りをする。グレンの食料もほどなくして尽きたので、二人だけは完全にサバイバル生活に突入していた。文明的なアンソニーの缶詰が羨ましく思えるし、ノエルが持参したレトルトパウチの食品も恋しいが、仕方ない。

 更に一日が過ぎた頃、随分と古い廃工場のようなものに出くわした。窓が割れている箇所が多く、屋根にもいくつか穴が見える。壁には蔦が茂り、工場内にも草が生えていた。明らかに誰にも管理されていない、人の気配のない工場だ。

 これだけ広い土地があったら工場を作るにはうってつけなのかもしれないが、きっと森を通り抜けるにあたって輸送効率が悪すぎて閉鎖になったのだろうとクライドは思った。工場に乗り込んでみたが、紡績工場だったらしく食料になるようなものは一切なかった。軍需品なのか、相当昔の軍服のシャツのようなものが作りかけて放置してある。かつてこの国が大戦をしていた頃の名残だろうと、ノエルが言った。そうだとしたら、百年ぐらい前の話だ。

 埃っぽいが屋根のある場所で眠れるのは久しぶりなので、一行はここで一泊した。工場内部の綿を洗う水槽のような場所に想像で水を張り、久しぶりに風呂にも入る。埃まみれの倉庫からここで作ったらしいシャツが大量に出てきたので、それらも水にぶち込んで洗った。あとはクライドの想像で乾かせば、着替えの調達は完了した。ズボンがないのは残念だったが、別レーンで下着を作っているようだったのでやたら古臭い簡素なデザインではあったが甘んじてそれを履く。

 風呂の後、ノエルはシャツの材料だと思われる長いサラシのような綿の布を適当な長さにカットし、水で絞って濡れ布巾を量産していた。何をしているか聞くと、また風呂のない地帯に突入するのでしばらくはこれで身体を拭くのだという。クライドも賛成し、食料が抜けて少し空きのできたカバンに詰められるだけ濡らした布を詰める。気分はさっぱりしたが、そろそろパンやスープが食べたい。起きていると腹が空くからとグレンが先に寝たので、クライドも寝た。寝具は当然見当たらなかったが、大量の在庫のシャツを床に敷き詰めて布団の代わりにした。

 翌朝、まだ暗いうちに歩き出すことになった。数本の高い木が見えてきたのだが、そこまではまだまだ遠い。とうとうノエルの食料も尽きてしまった。これで、一行の手元に残ったまともな食料はアンソニーの缶詰に限られたということになる。アンソニーはミートソースの缶をクライドたちに寄贈してくれたので、クライドはグレンが締めてノエルが血抜きをした鹿をミートソースで煮込んで料理を作った。想像でクーラーボックスを作り出し、生肉の残りはノエルの魔法で凍らせてそこに入れて保存する。それで三日くらいは四人が三食食べられた。その頃にはもう森の入口まであとすこしだった。

 四人で寄り添って、森に足を踏み入れた。鬱蒼とした、不気味な森だ。ここは、童話に出てくるような爽やかな木漏れ日の射す綺麗な森ではない。地面には暗所を好む薄気味悪い植物が蔓延り、森の奥からは恐ろしげな鳥の鳴声がした。何だか、気が滅入る場所だ。

 踏み込んだ陰気な森はどこまでも続いた。時間の感覚はかなり鈍った。恐らく、迷い始めて今日が四日目となるだろう。森に入ってから寝て起きるという動作を四回くらい繰り返したからそう思うだけであり、それ以外に根拠はない。

 森の中ではテントが張れないため、一行はグレンのハンモックなどを使って寝ていた。しばらく必要のないテントをどうするか悩んで議論を重ねたが、最終的にはノエルが分解して土に還した。あの重さの荷物を必要も無いのに毎日持ち歩くのは労力の無駄だ。また必要になったら、クライドがあの重たい鉄骨と黄色の防水布を想像すればいいという結論だ。

 グレンはハンモックを二つしか持ってきていなかったのだが、そこらに蔓延っているつる草を使って頑丈なハンモックをもう二つこしらえたのである。ハンモックの編み方は自学で身につけたのだというが、強度に問題はなく普通に眠れた。草の青い臭いだけは気になったが、ノエルが臭いの成分を分解してくれた。

 寝床は快適だとしても、食料だけはどうしようもなかった。アンソニーの缶詰はとっくに終わってしまっていたし、森に入る前に持っていた鹿肉も食べ尽くしていた。

 思ったよりも、森には獲物が少ない。およそ食べられそうな植物も見かけない上に、大丈夫そうな木の実には虫食いの穴だらけだったりした。蛇を見かけたが食べる気にはなれず、ノエルの魔法で無毒化して野生に返した。

 いつか猪か何かに出会うだろうと思っていたものの、何も食べられない日が二日も続いてくると一行は大分弱っていた。幸いなことに水だけはささやかなせせらぎを見つけたが、最後に変な味の木の実を口にしてから久しく食事にありつけていない。

 クライドはぼんやりと、薄暗い森で俯く仲間たちを見つめる。このままにしておくわけにはいかない。

「皆、俺が倒れたらシェリーの薬無理にでも飲ませてくれよ」

 ついにクライドは、魔法を使う決断をした。血を魔力に換えて、その魔力で想像を創造するのだ。自分の命を魔法に換えるのは最終手段だと思っていたが、食事が出来なくてふらついている今がその最終手段の使い時だろう。

 せめて使う血を少なくできるように植物や石、土などを寄せて山にし、それを食事に変える想像をしたい。黙々と草木をむしって積み上げていくクライドを、アンソニーが感情のない目で見ていた。ノエルは黙ってその場に座り込むと、声も出せない様子で俯く。

「やめろクライド、何する気だ」

 普段の声からはかけ離れた弱弱しい声で、グレンがクライドを止めた。掴まれた左手は容易に振り払えた。グレンはよたついて木にもたれ、クライドを不機嫌そうに睨む。さらに何か言いかけたグレンに、エルフの薬を投げて渡す。普段なら軽く片手で掴むグレンは、それを落としそうになりながら両手で受け止める。

「さて、飯の時間だ。出来たてで温かいぞ」

 絞り出すように呟けば、目の前に大きな食卓が現れた。

 邪魔な木はいつのまにか消えていた。想像の力でこのテーブルの材料になったらしい。食卓の上には、あたたかく湯気を上げるローストチキンや、焼きたてのピザが置いてある。シチューは大鍋いっぱいになみなみと入っていたし、ステーキは人数分しっかり豪華な皿に盛り付けられ、添えられた人参やブロッコリーとともに湯気を立てている。料理はこれだけではない。ゆで卵にボイル野菜、ミートローフ、ケバブサンド、各種デザートにサンドウィッチまである。クライドが今食べたいと思ったものを全て思い浮かべたらこうなったのだ。

 こんなに大量の料理を出して平気なはずが無い。自分でもそう思った直後に、酷い眩暈がして座り込んだ。

 勿論血を使ったのだが、もとから持っている人間の魔力も併用したため倒れずに済んだのだ。しかし、倒れていなくてもクライドの調子が悪いのに変わりは無い。顔から血の気が引く。自分の体が自分の意思の届くところから離れていくような気がする。

「ほら皆、食べろ。俺は大丈夫だから」

 座り込んだクライドは笑みを浮かべた。誰が見てもすぐにわかる作り笑いであると、自覚していた。

 アンソニーは無表情のまま、食器に手を伸ばした。クライドの努力を無駄にしたくないと思ってくれたのだろう。クライドもテーブルに手をかけて身体を上げると、フォークを握って久しぶりの食事を腹いっぱい食べることにした。

 隣にそっと歩み寄ってきたノエルは、サンドウィッチを掴んでひとくち齧る。その一口に時間を掛けて、いつものペースからはかけ離れた遅さでノエルはサンドウィッチを咀嚼し始めた。

 食事をし始めたクライドたちを見ても、グレンはなかなか手を伸ばそうとしなかった。おそらく、クライドの魔力を削ることに抵抗を感じているのだろう。

「グレン、死ぬぞ?」

 ハムとチーズのサンドウィッチを頬張りながら、クライドはグレンの方を振り返った。グレンは微かに唸り、首を横に振った。そして、そっと食卓から目をそらした。

「俺の食欲のためにお前の血を犠牲にするなんて、そんなの友達としてやっちゃいけねえ」

「助ける力を持ってるのに意地を張って魔法を使わなかったら、そんなのもっとやっちゃいけねえことだろ」

「俺が飢えているのは俺の行動が甘かったせいだ、お前の世話にはならない」

「あのなグレン、俺はトニーに誓ったんだよ。誰も死なせない、俺の想像で守るって。見捨てるなって言ってくれたの、お前だろ」

 黙ったまま時間が過ぎた。アンソニーは夢中で料理を食べていた。ノエルは咎めるような目でグレンを見上げていて、それに気づいたグレンは肩の力を抜いて小さくため息をついた。

「悪い、クライド」

 グレンは脱力しきった声で謝ると、クライドの左手を掴んでそっと目を閉じた。次の瞬間、掴まれたところが暖かくなる。

 まさか、という疑念が頭をよぎる。それは体内をめぐる脈動のように、波打ちながらクライドの中に流れ込んでいく。

 そう、これは魔力だ。血の力ではなく、人間の魔道士が持つ魔力である。勿論クライドにも備わった魔力だ。これは精神力や体力などと同調している大切な力である。

 そんなものを衰弱しきった人間から受け取ってしまったら、待っているのはきっと死だ。

「グレン!」

 慌てたクライドは、グレンの肩を揺さぶった。滑らかな長い金髪が、さらさらと揺れる。そのせいで表情が読めない。

「大丈夫。お前の魔力の分はちゃんと返しておいたから」

 弱弱しく顔を上げ、グレンはゆっくりと食卓に向き直った。この瞬間、グレンの中で何かが目覚めたようにクライドは感じた。

「もう遠慮はしねえ」

 先ほどの衰弱した少年とは思えないほどの元気さで、グレンは食器を手にした。そして彼は、普段のノエルよりもハイスピードで食料を平らげにかかった。よほど腹が減っていたのだろう。

 二日も食べていないと体力は勿論気力まで落ちる。一旦はどんぞこまで落ち込んだのだから、あとは這い上がるのみだ。クライドは、今のグレンの様子を見て漠然とそう思った。

 一瞬、アンソニーが驚いたようにグレンに見入っていた。しかしそれも一瞬で、アンソニーもグレンと同じようなペースで料理を平らげにかかった。呆れる反面、ほほえましい思いだ。

 ノエルは相変わらずゆっくりと食事を取っている。グレンとアンソニーがそれぞれシチューを三皿とピザを二枚食べ切るまでの間に、サンドウィッチをたったの二つしか食べていなかった。

「ノエル、遠慮するなよ?」

 クライドはステーキを切るのに難儀しながら、ノエルを振り返った。それに気づいたようで、ノエルは微笑んだ。優雅な笑みだ。

「平気だよ、クライド。久しぶりの食事だから、味わって食べないと」

 それから三十分ぐらいすると、大量にあった食事は食卓から既に消えていた。

 久しぶりに満足に食べられて、幸福感で一杯だ。また元気に歩き出せるだろう。森の中に食卓があったら不可解だが、消すのも魔力が勿体なかったのでそのままにして歩き出す。

 会話を絶やさないようにしながら、それからまた何日も彷徨い続けた。何日ではなく何週間かもしれないし、もしかすると何ヶ月かもしれない。もう寝て起きての回数を数えるのもやめてしまっていた。何度も絶望しそうになったが、そのたび少しの希望を奮い起こして何とか持ちこたえている。やがて、空色の目を歩く先へと向けたアンソニーが歓声を上げた。

「ねえみんな、海が見える!」

 飛び跳ねる勢いで喜ぶアンソニーに釣られて前を見るが、まだクライドには海は見えない。グレンが苦笑して、アンソニーの背中を叩く。

「視力使いすぎるなよ。何メートル先だ」

「三百メートルってところかな」

 そういえば、このあたりは生えている木が違う。広葉樹ではなく針葉樹だ。海風を防ぐために人の手で植えられた、防風林である。

 それだけではない。風が、潮の香りを運んでくるのだ。

 あの豪華な料理を食べてから再び満足に食事ができない生活に舞い戻っていて、弱ったクライドたちにこの風は大きな希望を与えてくれた。

「走ろう、みんな!」

 最後尾を歩いていたアンソニーが言った。頷く前にグレンが走り出していて、クライドも大股で木々の間を縫って走っていくグレンを追いかけた。ノエルが気がかりで振り返ると、彼は荷物を背負いなおしておぼつかない足取りで走り始めるところだった。

 針葉樹を一本ずつ通り過ぎていけば、海の匂いは濃くなった。ようやく、長い森の出口だ。

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