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第十七話 来襲

 ありえない。

 獣は火が苦手なのではなかったか。

 考えたのは一瞬だった。クライドはテントの前に空気の壁を作り、熊の襲撃を可能な限り防ごうとする。だが、熊はそちらには行かずにノエルが置いて行った飯ごうへと真っ先に飛びつく。

「クライド、仕留めよう」

 グレンは見えない手でテントから拳銃を引き寄せてきて、弾を込めながら言った。クライドも頷いて、音を立てないようにその場から下がる。熊は苛立ったように飯ごうを叩きつけ、蓋をこじあけると米を食べ始めた。視線を走らせると、テントの入り口でノエルが険しい顔をしている。彼は手に短剣を持っていた。最悪のことがあったら、彼は熊相手に接近戦を挑んでしまうのだろうか。

「ノエル、ダメだ。刺す前に食われるぞ」

「この刃には今、即効性の毒薬を仕込んである。銃で止められなかったら、クライドは熊の動きを止めて。大丈夫、三分あれば終わる」

 ノエルは分子構造変化の魔法で、燃えさしの炭と無害な草木から有毒な物質を作り出したらしい。それならただの剣を闇雲に突き刺しにいくよりも確実に仕留められるだろう。無茶ではあるが、無謀ではない。

「わかった」

「クライド、行くぞ」

「ああ」

 グレンは見えない手を使って、そっと空中に銃を浮かせる。彼はその手を熊の近くまで持っていき、銃口でしっかりと熊の眉間を捕らえた。これなら先ほどよりも威力が増すだろう、危ないがいいアイデアだ。

 熊は食事に夢中で銃の存在に気づいていない。グレンが小さく深呼吸して、両手で何か握る動作をした。

 ――パァン!

 クライドは目を閉じて想像する。暴れだす熊に鋼鉄の網がかぶさって、身動きを封じるところを。目を開ければ想像通りの光景が広がっていて、グレンが熊へとかけだしていた。ノエルの方から短剣が浮遊してこちらに向っているのを見ると、毒薬つきの短剣はグレンが振るおうとしているらしい。もう少し動きを止められないだろうか。暴れまわる熊を前に、クライドはまた目を閉じて想像しようとした。しかし。

 ――パァン!

 二発目の銃声が響いた。クライドは驚いて熊の方を見る。熊に当たった様子はない。振り返ると、テントの前でノエルが青ざめていた。彼は微動だにせず、テントの中を見ている。熊をグレンに任せてクライドは走り、テントの中を見る。呆然としたアンソニーの頬に、一筋の赤い血が滴っていた。彼の背後に、穴が開いた形跡がある。背筋がぞくっとした。

「う、うわあ、うわあああっ」

「トニー、大丈夫か」

「グレンが落とした拳銃が暴発したんだ。アンソニー、傷を見せて」

「うわああ、ああっ、怖いよ、怖いよおっ」

 半狂乱のアンソニーを見てクライドは足がすくんだ。ノエルは固く唇を引き結ぶと、アンソニーに歩み寄って暴れる彼を優しく抱きしめる。

「大丈夫だよアンソニー、当たってない」

 いいながらノエルは、テントに開いた穴を魔法でこっそり塞いでいた。クライドも目を閉じて想像し、アンソニーの頬の傷を無かったことにする。

「き、気のせいだぞトニー。ほら、大丈夫」

「うわああっ」

「クライド、君はグレンをサポートしてあげて。一人にしておくのは危険だ」

「わかった、トニーを頼む」

 二人に背を向けてテントを飛び出す。グレンがこちらを気にしながら、毒を塗った短剣を持って難儀している様子が見えた。誤って彼に刺さってしまったら大変なことになる。クライドは目を閉じて熊の動きを止める想像をし、背中の一部だけ鋼鉄の網がただの投網に変わるところを思い描く。想像はうまくいった。少しふらついたが踏みとどまり、グレンに声をかける。

「グレン、背中の銃の傷のところ、そこだけテグスにした」

「おう」

 グレンの金髪が焚き火に照らされて翻り、短剣が鋭く光を反射する。切れ味はそこそこなのか、短剣は半分ほど身体に刺さった。暴れ始める熊の四肢を地面に繋ぎとめる想像をし、グレンに目配せする。

 グレンは一旦熊から離れて助走をつけて走り、熊の手前でジャンプすると踵落としの要領で短剣の柄を深くまで刺した。熊は暫く吼えながら暴れていたが、やがて動かなくなった。ノエルの言ったとおり、三分もいらなかった。熊が静かになると、テントの方で泣いているアンソニーの声が気になり出す。

「……悪い、クライド」

 搾り出すようにグレンは呟いた。

「何で謝るんだ?」

「暴発させたの、俺が雑に扱ったからだ」

 責任を感じている様子はありありと伝わってきた。誰も傷を残さずに事態は収束したのだから、グレンが気に病むことはない。緊急時のこの混乱の中、グレンは本当によく働いてくれた。クライドは首を横に振る。

「気にするなよ。俺が作った空気のバリアがいつのまにかなくなっていたから当たったんだ」

「当たったのか?」

 すっと血の気が引いた。失言だった。

 うかつなことをしてしまった。グレンは問いただすような眼差しでこちらを見ている。クライドは一瞬目を泳がせてしまったが、あわててフォローする。

「頬をかすっただけだ。トニーはビビって泣いてたけど、テントにもトニーにも痕は残っていないよ。あいつほら、怖がりだろ?」

「銃弾飛んできて顔に当たったら、そりゃ怖いだろ。俺だって怖い」

「あー、まあ、な」

 返す言葉もなかった。銃弾が顔をかすったらアンソニーでなくとも泣くかもしれない。

「俺、友達を撃っちまったのか」

「事故だから気に病むなよ」

「殺してたかもしれないんだぞ」

「でもお前が撃ってくれなかったら、皆死んでた」

「悪い、一人にしてくれ」

 吐き捨てたグレンの感情の昂りは痛いほどわかったが、ここで彼を一人にしてしまったら野生動物の襲撃に遭うかもしれない。この山は普段人があまり立ち入らないところなのだ、きっとクライドたちはいるだけで相手を刺激してしまう。

「そうしてやりたいけど、今はごめん…… こいつの家族が仕返しにくるかもしれないだろ。一人になんかできるかよ」

「……じゃ、俺の荷物から紺色の袋もってきてくれ」

「わかった」

 テントに入ろうと背を向けると、グレンが森の方へ向かって歩く足音が聞こえた。クライドは振り返らずに、テントの入口を開ける。少ない明かりに照らされたノエルの緑の目が、静かにクライドを捉えた。泣き疲れたのか、アンソニーはしゃくりあげながら鼻をすすってノエルの胸に頭をべったりつけている。

「グレンは」

 ノエルがそう短く尋ねるのを、背中越しに聞いた。ノエルの方を振り返らずに、クライドも短く答える。

「頭を冷やしたいみたいだ。付き添う」

 グレンの荷物を探り、紺色の袋を見つけ出す。何かひも状の物が入っているようだが、中を開けずにクライドは袋を持ち上げる。それなりに重かった。

「僕はアンソニーが落ち着いたら、熊の死骸をどうにかしておく。グレンをお願い」

「了解、そっちは任せた。またあとでな」

 最後に肩越しにノエルを振り返ると、明らかな作り笑顔でクライドに手を振っていた。彼にも思うところはあっただろう。殺傷能力の高い武器を持ち歩いている自覚は確かに薄かったかもしれないが、ノエルだってグレンを責めるべきでないことはわかっているはずだ。

 クライドは焚き火の向こうにグレンの姿を探す。彼は森の入り口で、足を伸ばして座り込んでいた。すぐにみつかってほっとして、クライドは焚き火の輪から出る。熊が踏み荒らして消えていたところを利用したが、危険なので想像の魔法で焚き火の切れているところをすぐに補填する。また輪の内側に行きたければ、魔法で消せばいい。

「グレン、持ってきたぞ」

「悪いな」

 全くいつもと同じ様子を装って、グレンは明るい声で答える。これはほんのり引きずっている態度だということは、長年の経験上よくわかった。刺激しないよう、あえてそこには触れずにクライドは荷物を渡す。紺色の袋から出てきたのは、ロープを編んだ網のようなものだ。

「ハンモックだ。二つあるから、今夜は木の上で寝ないか」

「いいな。風が涼しそう」

「タオルケットがほしいな。後で取りに行こう」

「行こうか?」

 そう言ってみると、グレンは首を横に振った。

「いや、いい。俺、あの二人ともちゃんと話をしなきゃ」

「そっか。わかった」

 触れないようにしていたのに本人からこの件について言及してきたので、慎重に返事をした。グレンはやはり何事もなかったかのように振舞っているが、横顔が硬いので全快とまではいかないだろう。二人で森に入っていき、クライドの想像で明るい火の玉を数個浮遊させて辺りを照らす。持っている漫画に出てくる火の妖精をイメージしたものだが、グレンもそれを瞬時に理解してくれた。

「それ『エドワード・ベイルズのシークレットファーム』に出てくるウィル・オ・ウィスプか」

「そう。ペットみたいに火の玉を手懐けるの、やってみたかったんだ」

「ぶっ倒れんなよ、倒れるなら木に登ってからな」

「はは、大丈夫。血じゃなくて、人間の魔力の方を使ってるから」

「便利だよなあそれ」

 グレンはするすると木に登ると、見えない手と見えている手の両方を使って木にハンモックをかけはじめた。文字通り自分の手足のように魔法を使えるというのも、クライドからすると便利に思える。

「そういやお前のその手、現実の手と魔法の手って別物なのか?」

「難しいな。今こうやって、それぞれ別の組として動かして問題なく作業が出来てるだろ? 魔法の手は魔法の手で触覚があるし、力かけて引っ張れてる。でも元々はこうじゃなくて、リアルの手と連動したことしかできなかったんだ」

「お前はお前で進化してるんだな。トニーが熊の視力を奪ったみたいに」

 ごく短時間でハンモックが一つ仕上がった。見事な作業効率に、クライドは思わず口笛を吹いて手を叩く。

「多分このままいけば、俺、一人でバンド演奏できるようになるぞ」

「ドラムだけは無理じゃないか? 足が要る」

「それは生身の俺がやればいいだろ。ギターとベースとキーボードは魔法の手でやる」

「ナイスアイデア。やってみせてくれ」

「あの町じゃ魔法が使えないからなあ。歌手デビューしたら、都会に移り住んで誰にも見られないように練習するから待ってろ」

 笑いあっているうちに、もうひとつのハンモックも仕上がる。グレンが来いよとジェスチャーするので、クライドも木の上に上った。火の玉はペットのように引き連れて、一緒に樹上まで辺りを照らしてもらう。ちょっと愛着が湧いてきたので、消すのが惜しくなってきた。

「じゃ、タオルケット取ってくる。ここで待っててくれ」

「わかった」

 静かに木から降りると、グレンはテントの方へ向かって行った。焚き火の包囲網は頭上に出現させた自分の魔法の手を借りて、高い距離を飛び越えている。さすがの身体能力だし、自分の力を上手に活用しているとクライドは思う。火の玉がじゃれついてくるのを想像し、グレンのハンモックとクライドのハンモックを行ったり来たりしている様子を眺める。グレンが戻ってくるまでそうしていたが、ほんのり予想していた通りグレンはすぐには帰ってこなかった。だんだんうとうとしてきて、意識が半分飛びかけていたところでグレンの足音がして目を覚ます。

「おかえり」

「おう」

 短く言ったグレンは、それきり黙ったままハンモックまで上がってくる。クライドは火の玉を一匹、グレンの方へ送る。唇を引き結んで俯いた彼の横顔が、ほのかな青白い明かりに照らされた。彼はこちらを見ないまま、見えない手でタオルケットをクライドの膝にかけた。

「ありがとうな」

 黙って頷いたグレンはハンモックに寝転んで、深く溜息をついた。きっとノエルやアンソニーがグレンを責めることはなかっただろうが、だからといってそれで全て解決したと思えるほどグレンは図太くない。

「なあクライド」

 思いつめたような声に、クライドは何が来るのかと身構えながらグレンの方を見る。彼は真上の葉陰を見つめながら、滑らかな金髪をかき上げる。長い指はそのまま、不安げにその髪を握り締めていた。

「もし俺がまた、誰かを不用意に怪我させて、どうしようもなくなったらさ。お前だけは最後まで見捨てずに、俺のしたことをマシにできる想像をしてくれるか」

 言われなくてもそのつもりだった。誰かが何かを間違えて、仲間が仲間を傷つけることがあったらクライドは全ての血を使って想像するだろう。何とかできる力をクライドは持っている。最悪の状況を避けられさえすれば、各々の過ちは後からどうにでも取り返せる。

「当たり前だろ。グレンは俺が人間じゃなくても、全力で信じてくれているんだから」

 この信頼に応えるのがクライドの役目だ。珍しくメンタルにダメージを負った様子のグレンは、クライドのほうを見て少し口角を上げる。

「良かった。悪い、ちょっと弱気になった」

「珍しいな。お前がそんなふうにヘコむの」

「そりゃヘコむだろ、トニーをあんなになるまで泣かせちまった。ノエルにだって怖い思いさせた。あいつは医者みたいなもんだろ。医療器具が無いところで人が怪我したら、本来何かできるはずの自分が何も出来ないってことを凄く責めちまう」

 ぎし、とグレンのハンモックが揺れる。両手を頭の下に敷いて、グレンはややリラックスした様子でクライドを見ていた。クライドがグレンへの信頼を言葉にしたことで、少しは気持ちが軽くなったらしい。ようやく楽天的ないつものグレンに戻った気がする。

「次から気をつければいいだろ。なんて、いつもクヨクヨしてばかりの俺に言われても説得力ないだろうけど」

「確かに皆無だ。お前めっちゃ引きずるもんな」

 ようやくここで少し笑いあえた。グレンの切れ長の目元が優しく緩むのが、少ない灯りに照らされている。一匹ずつ火の玉を消して、名残惜しいが辺りを真っ暗にした。テントの周りの焚き火だけが、木々の間からほんのり森の輪郭を照らしていた。それなりに魔力も使ったし、緊張が途切れたので眠くなってきた。グレンと少し会話はしたが、いつのまにかクライドは寝入っていた。


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