第十六話 魔力を分かつ
日が沈む前に、クライドとグレンはテントを中心に薪を半径十メートルぐらいの円状に置いた。ノエルがそれを魔法で乾燥させ、そのまま発火させて火をつける。燃え上がった薪に囲まれて暑かったが、仕方ない。人里に慣れていないであろう熊が火を怖がる可能性は大いにあったが、死角は作らないに越したことは無いのだ。一度怪我をさせているので、興奮して火をなぎ倒してこちらにやってくる可能性も否めないではないか。
テントを火で囲んだことで、アンソニーはかなり落ち着きを見せた。ノエルが宥め続けてくれたおかげですっかり涙も止まっていたし、やっと彼は笑顔を見せる。
「ねえノエル、この山を越えると何があるの?」
クライドもグレンもアンソニーも街を出たことは無いが、ノエルだけは旅行で何度か飛行機を使って外に出ている。そういえば、うんと小さかったころに歩いて街を出たという話も聞いたような気がした。アンソニーの問いに、彼だけではなくクライドもグレンも興味を持っていた。
「まずは広大な湿原地帯が広がっていて、それを越えると森がある。かなり鬱蒼としている森で、一度入ったら数日、いや数週間でられないところだよ」
実際、ノエルはその森で迷った事があるという。やはり、昔聞いたノエルの徒歩での山越えはクライドの聞き間違いではなかった。
ノエルの父は奇抜なデザイナーだが、突然アイデア欲しさに歩いて旅がしたいと言い出したのそうだ。母の猛反対を押し切ってノエルの父は歩いて山越えをしようとし、案の定小さなノエルがはぐれた。その旅行以来、ノエルの一家は山越えにちゃんと飛行機やヘリコプターを使うようにしているという。
それを聞いて、アンソニーの表情が曇った。人一倍道に迷いやすいことを自覚しているのだ。確かにアンソニーは、迷路に入るとなかなか出てこられないタイプだ。アンソニーの直感は当てにならないと、クライドでさえ思う。
「ま、はぐれても魔力で分かるんだろ? 町長の話によると」
「そうだな。街に出たら、魔道士つかまえて魔力の検知の仕方みたいなのを教えてもらおうぜ」
そう言ってクライドは笑みを浮かべる。少し楽しい気分になりながら、クライドはアンソニーのリュックを探った。
「悪いな、トニー。勝手に探らせてもらうから」
暫く中を探っていたが、やがて目当ての品が見つかった。アンソニーが持ってきた、オイルランプだ。リュックからランプを丁寧に取り出すと、クライドはそれに火をともした。着火には、想像の力を使った。
もう外は薄暗く、夕陽はとうに沈んでいた。そのためテントの中は暗く、ほぼ何も見えない。互いの背丈を認識する程度しかできない薄暗がりを気にして、クライドは明かりをともしたのだった。
柔らかい、黄みを帯びた光がテントの中を満たす。その光を見ていると、何だか気分が落ち着いた。グレンがランプを天井から出ていた金具に引っ掛けてつるしてくれた。光が均一に広がり、明るくなったテント内でノエルが小さく笑みを浮かべた。
「やっぱり、光があると違うよね」
暗闇は怖くて嫌いだという、アンソニーがそう言って笑った。暗いところ、人気のないところ、静か過ぎるところ、そして幽霊が出ると噂されるところ…… それら全てがアンソニーの苦手な場所だ。
森については、その後もノエルが詳しく話してくれた。
「じゃあ、方位磁針は意味なかったんだ?」
「そうだよ。暗すぎて針が指している方角がよく解らなかった。まあ、僕の場合目が悪いから仕方なかったのかもしれないけどね。それに、木で天を覆われてるから太陽の位置もわからない。迷ったらおしまいだよ。あの森の中では、運がものを言うんだ。運が悪ければ、きっと野垂れ死に」
それを聞いて、アンソニーが複雑な顔をした。そして、テントの天井を眺めてため息をつく。しかしそれをみたノエルが、アンソニーの肩にそっと手を添えている。
「大丈夫、僕が生還できたんだし皆絶対生還できる。それに、四人なら何でも乗り越えられるよ」
ノエルはとても綺麗な微笑を浮かべる。彼がこんな笑顔を見せるなんて、数日前までありえない事だったのに。それに、こんなに仲間意識を表明してくれた事なんて今まで一度もなかった。クライドはこの変化を嬉しく思う。
「そろそろ飯にしないか?」
グレンの一言で、クライドたちは夕飯をとる事にした。今日は、一日がとても長く感じられたとクライドは思う。この調子でいくと、一ヵ月後にはどっと老け込んでもう五歳くらい年をとっているかもしれない。ひとりで考えて、ひとりで苦笑した。そんなこと、あるわけないじゃないか。
バッグの中を探ろうとすると、誰かの腕がクライドの手を掴んだ。腕時計がついているということはノエルだ。驚いて顔を上げると、ノエルはにっこり笑った。
「クライド、ついてきて。皆も、食事の支度はしなくて良いよ」
キャリーカートとクライドを引き寄せると、ノエルはテントから出た。何が何だか解らないまま、グレンとはランプを持ってアンソニーと一緒に二人の後を追う。
「見ていて?」
そう言いながらその場にどっかりと腰を下ろし、ノエルはなにやら念じ始めた。すると、草原の下からうごめきながら黒い土が現れた。暗くてよく解らないが、動き方がやや邪神に似ていてクライドは警戒する。
地面から盛り上がってきた黒い土は次第に形を成して、つややかに光り始めた。まるで鉄のような素材だ。そこでやっと思い至る。そうだ、きっとノエルは土中の砂鉄を集めて何かを作っているのだ。多分これは、飯盒か鍋だろう。
「すごーい!」
目の前で形成されていく調理器具を見て、アンソニーが大喜びした。その隣では、グレンが呆然と目を見開いてノエルを見つめている。
もしかするとノエルの魔法は、自分の魔法よりも強いかもしれない。新たに戦力が生まれたのだ。クライドはそう思った。
やがて、ノエルが何かを念じるのをやめた。先ほどまで黒い土の塊だったものは、新品同様の飯ごうに姿を変えていた。グレンもアンソニーも大喝采したし、クライドも自然に手を叩いていた。
「皆、コメは嫌いかい? 東洋の炊き込みご飯を作るんだけど」
いいや嫌いじゃない、とグレンは答えた。クライドも、グレンと同じように答えた。アンソニーは嬉々として食べたがっている。皆の答えを聞くと、ノエルは満足そうに笑った。
ノエルはいろいろな国の料理が好きで、嫌いな味付けは殆どないらしい。特に気に入っているのは、自分の国の伝統料理よりも大陸を隔てた東の方の国の料理であるとこの前聞いた。
「今から炊くのか?」
解りきった事をたずねてみれば、微笑を浮かべたノエルがクライドを見て頷く。何だか意味ありげな微笑である。まさかノエルは、ご飯に味付けをするつもりなのだろうか?
苦いものが大好きな彼の事だから、物凄く苦い料理になるに違いないとクライドは思った。ヨモギでも入れるつもりだろうか? この妄想がただの杞憂に終わる事を祈る。
「よーし、じゃあお米と水と…… アンソニー、さっきの缶詰をひとつくれないかい」
暗闇の中で、とても楽しそうなノエルのクッキングが始まった。手に汗握る思いで、グレンと目を見合す。どうやら、考えている事は同じようだ。
ただ一人、アンソニーだけはとても期待に満ちたまなざしでノエルを見つめていた。好奇心は時には命取りとなる。だが、アンソニーは何にでも好奇心を持たなければ気がすまないのだろう。
「はいノエル、サバだよ。何か手伝おうか?」
見ているだけで柔らかな気持ちになれるような、可愛らしい笑みを浮かべるアンソニー。楽しそうな事があればすぐに首を突っ込む性分であるアンソニーは、楽しそうだから料理を手伝うと言い出したのだ。けれどノエルは一人で作業したいようで、その申し出を断っていた。
料理の下ごしらえが終わったのか、ノエルはテントを囲う焚き火サークルに歩み寄って少し迷った。
「棒が欲しいね。吊り下げられる機構を作らなくちゃ」
そういうと、ノエルは目を閉じて焚き火の近くに手をかざし、なにやら呟き始めた。魔法だろう。先ほど飯ごうを作った時に比べると、苦戦しているようだ。疲れているのだろう。焚き火にかざされたその手は、かすかに震えているように見える。
汗が彼の額と頬をつたって、顎まで流れ落ちた。顔色も優れない。このままだと倒れてしまいそうだ。
ふらつきだしたノエルを見て、おそらく無意識のうちにグレンが彼の肩に手を添えていた。添えて何があるというわけでもないだろう。何か起こるという期待もしていなかった。
しかし、何かが起きた。
今まで冷や汗をかいて震えていたノエルが、顔を上げて不思議そうにグレンを見たのだ。その表情は、いたって元気に見える。先ほどまで倒れそうだったなんて思えないほど、けろっとしているのだ。
ノエルと目を合わせたグレンは、微笑んだ。一体何が起きたのか、理解できない様子のノエル。いや、ノエルだけでない。グレン以外の全員が何が起こったのか理解できていないのだ。
とりあえず、といったようにノエルは地面から鉄を精製した。その間、グレンはノエルから手を離さなかった。
ノエルの顔色は良いままだった。何故か、彼は平然と鉄を精製している。何が起こったのかわからないまま、クライドはそれを見守るしかなかった。
クライドの見ている焚き火のそばの地面から二本、鉄の杭が突き出てきた。まるで生き物のようにうねりながら、するすると鉄の杭が伸び続ける。その杭は焚き火をまたぐようにアーチ型に組み合わさると、動きを止めた。飯ごうを吊り下げるには丁度良い位置だ。
そっと手を下ろして飯ごうを杭にかけると、ノエルはグレンを振り返った。グレンはノエルの肩から手を外し、焚き火の傍に大の字に倒れこんだ。驚いたクライドは、すぐさまグレンに駆け寄る。
先ほどのノエルのように顔色が悪いわけではないが、長距離を走りきったあとのように激しく喘いでいる。今まで、こんなグレンは見たことがない。彼は疲れというものなどを知らないのだと、皆に言われているぐらいなのだから。
「グレン? 大丈夫か、グレン!」
目の前で起きた光景が全く信じられないが、グレンが倒れたのは事実だ。クライドはグレンの傍に屈みこんでしきりに名前を呼んだ。
「はあ…… だ、大丈夫。ほら、俺って頑丈だろ?」
そう言ってグレンは、握り締めた拳で自分の胸を叩いてみせる。生命の危機にかかわるような疲れではないだろうが、グレンがこんなになるなんて尋常ではない。
「その声を聞いてる限り、頑丈だなんて思えないけどな」
彼の顔を覗き込んで、クライドは苦笑して見せた。グレンも苦笑し返してくる。アンソニーとノエルが顔を見合わせ、クライドの隣に腰を下ろしてグレンを見下ろした。
「グレン、君は僕に何をしたんだい? まさか、僕に魔力を分け与えたりしたんじゃないだろうね」
心配そうにたずねるノエル。ノエルはまさかと口に出したが、クライドにとってこの予想は確信に近かった。そしてやはり、予想は的中していたようだ。グレンが笑顔で頷いた。役に立てたか? と言っているようだ。
「はぁ…… すげえな、離したとたん一気に来た」
軽く息を吐き出すと、グレンはその後息を切らしたりしなかった。切れ長の眼を憂えるように細め、彼は瞬く星をじっと見つめている。
さすがはスポーツマンだ、いつもスポーツの後にやたらとぜえぜえ喘いだりしないのはこの回復の早さによるものらしい。
「何だかさ、ノエルに力を貸してやりたいって思ったら自然に俺の力がノエルに移っていたんだ」
魔力を与えた張本人も、何が起こったか良くわからなかったらしい。だがこの一件のおかげで魔力は他人に分け与える事が可能だという事が発覚した。
ならば、味方に魔道士がいればいるほど有利になるということになる。魔力を分け合って、協力して戦えるのだ。戦法も無限に広がる。
「ご飯がたけるまで、トランプやらない?」
そういいながらグレンに手を伸ばすアンソニー。伸ばされた手を掴んで起き上がり、グレンは服についた草や土を払い落とした。
やけに笑顔だ。そうか、グレンはトランプゲームには強い。アンソニーの考えには全面的に賛成というわけか。テントに戻って四人で輪になると、アンソニーが嬉々としてトランプを切り始めた。
四人はランプを囲んで大富豪に興じ、見事にノエルが大富豪、アンソニーが大貧民に終わる。ノノエルは絶妙なタイミングで嫌なカードを切ってくるので全く歯が立たなかった。次いで上がったのはグレンで、ギリギリでクライドが三番目だった。
「負けた奴は罰ゲームだぞトニー、どうするか大富豪ノエル様に決めてもらおうぜ」
グレンのその一言で、ノエルはイタズラっぽく笑った。すでに策があるらしい。
「そうだね、次の町までアンソニーのあだ名をアンまたはアニーにするっていうのは?」
「あはははは! 最高じゃん! アニーちゃん!」
「やめてよクライド! 女の子みたいじゃん!」
大爆笑の中、グレンがやたらいい声で『アニーちゃん……』と囁いたのでノエルもクライドもツボに入ってしまう。涙目だったアンソニーもこれにはひとたまりもなく、四人でゲラゲラ笑い転げた。
「はあー、腹いてえ、そろそろ飯たけたかな……」
まだおさまらない笑いを懸命にこらえながら、クライドが立ち上がった。そして、よろける脚を引きずるようにして外に出た。
焚き火が赤々と燃えている。火の粉が吹き上がる瞬間が火山の噴火のようで、神秘的だ。飯ごうからは、篭った音が聞こえている。火から下ろすタイミングはノエルに聞かないとわからないが、匂いはよさそうだ。
「ノエル、そろそろいいころだよなあ?」
テントに向かって声をかけると、三人が出てきた。ノエルはクライドのほうを見て、こくりと頷いた。
少し逡巡するクライド。火を消してから下ろそうと思ったが、火を消したらまずいだろう。あたりが見えなくなってしまうし、熊が転がり込んでくるかもしれない。どうしようか迷うクライドのところにノエルが近づいてきて、心配ないと言って笑った。
ノエルが手を火に翳すと、飯ごうと飯ごうを吊り下げていた棒がまた少し形を変えた。飯ごうの取っ手は棒に溶接され、棒は火から逃げるように伸びた。やや虫めいた動きで、クライドのほうに向かって伸びてくる。
そして、クライドの足元に降りてきたところで棒の動きが止まった。もう棒は必要ないと判断したのか、ノエルは棒を片付けた。元の砂鉄に戻して、地中に還したのだという。
「食器あるぜ。ほら」
そういうと、グレンはバッグから紙皿を出してきた。何とも用意がいい。一人一人に紙皿を分けると、グレンは草の上に胡坐をかいて座った。
フォークぐらいなら各自で持っていたので、それを使って食べる事にする。ちなみにノエルは、東洋の民族が使っている二本の棒状の食器を持っていた。
食器の用意が済むと、ノエルが木製のヘラのようなものを持ってきて飯ごうの中身を皆の皿に取り分けはじめた。サバのいい香りが漂う。湯気を立てる暖かい食事を四人で囲めるのは幸せなことだ。各々に料理が行き渡ったので、そろって食べ始める。全員特に宗教にこだわりはないので、祈りの言葉も儀礼の仕草もなかった。
ノエルの料理は想像を絶する美味しさだった。ヨモギが入っているのではないかと疑っていたが、そんなことはない。サバ以外には特に何も入っていないが、しっかりと味がついている。毎日もそもそとラスクを食べることになるだろうと思っていたクライドにとって、これはかなりの救いだった。
「すごいよノエル! 美味しい!」
「おかわりもあるよ、アンソニー」
明るいアンソニーの笑い声が響き、クライドも笑う。クライドの隣でグレンは早速一食分の米を平らげて、見えない手を使ってノエルのところに紙皿を持っていく。
「ノエル、パス」
「君のその手、便利なんだから自分でよそえばいいじゃないか」
確かに。そう思いながら笑っていると、聴覚の隅に息遣いの音を感じた。立ち上がると、森の方から黒い獣が向ってくるのが見える。
「熊だ!」
叫ぶと、アンソニーがびくっと肩を震わせる。ノエルはグレンのおかわりを中断し、飯ごうのふたを閉めてテントに駆け込む。
走ってきた手負いの熊は、簡単に焚き火の包囲網を突破した。