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第十五話 破られる平穏

 それから数時間後になっても、アンソニーはまだ目を覚まさなかった。いくら息をしているとはいえ、流石に心配になってくる。

 様子を見に行って首筋に手を当てる。当然だが、脈はちゃんとあった。

「トニー、起きないな」

「すっかり疲れきっていたからね」

「寝かせておいてやれ。下山しだしたら、またテントを張る場所で難儀するだろうから。明日は早朝に発とう」

「そうだな。それがいい」

 ここにいて眠ったままのアンソニーを眺めていても心配になってくるので、テントから出て少し身体を動かすことにした。歩いていると森の木々のあいだに野生の実がなっているのを見つけ、興味本位で摘んで舐めてみると痺れるほど不味くて涙が出た。あまり森の中に入ってしまうと迷いそうなので、開けた範囲内を散策する。

 そのうち暇になったのかグレンも参加して、一緒に木の実を採集したり動物の痕跡を探したりした。体感的に一時間くらい遊んだところで、テントの方からノエルに呼ばれた。アンソニーが起きたようだ。

「起きないから心配したんだぞ?」

 テントの入り口からそう声をかけると、アンソニーは決まり悪そうに笑う。

「ごめん、すっごく疲れてた」

 笑いながらも、悪びれた言い方でアンソニーは謝った。それを見て、ノエルとグレンは顔を見合わせて喜び合う。嬉しい気持ちは、勿論クライドとて同じだ。

「アンソニー、君も何か食べるかい」

 ノエルにそういわれて、アンソニーは頷きながら笑った。よほど腹をすかせていたのか、アンソニーはリュックを抱えるようにしてその中身を一心に探った。

 彼の荷物からは、目を瞠るほど様々な缶詰が出てきた。スープの缶詰が四種類とフルーツの缶詰が数種に、魚の缶詰数種。

 それだけでなくもっとある。トマトやコーンなど野菜の缶詰が数種あり、ジャムの瓶とコンビーフの缶詰がそれぞれ二つずつとキノコの缶詰三種類、各三つほどある。そして何故か、生クリームとミートソースの缶詰まであった。こんなにたくさんどこに入っていたのだろう、と思わずにいられない。

「困ったなあ」

 そう言って、照れ笑いするアンソニー。何事かと思って聞いてみると、笑える返事が返ってきた。

「これだけ缶詰があっても、主食がひとつもないんだ。パンもライスもパスタもないよ」

 グレンはこれをきいて大笑いした。ノエルもくすくす笑っている。この上なくアンソニーらしい行動だとクライドは思う。

「俺も、コンビーフとラスクぐらいしかないよ。あとは飴。飴って主食じゃないけどさ」

 そういうと、クライドはラスクを一枚アンソニーに渡した。そしてコンビーフを指して、『意外とうまいからやってみろ』と言う。半信半疑のアンソニーだったが、コンビーフの缶を開けて食べ始める。彼の柔らかい頬に見る見るうちにえくぼが浮かび、空色の大きな瞳が輝いた。その反応で、何も言われなくても、彼がクライド推奨のこの食べ方を気に入ったのはよくわかった。

 育ち盛りのアンソニーがラスク一枚で足りるはずもなく、彼はクライドにもう一枚ラスクをねだった。食欲旺盛なアンソニーを見て、クライドはラスクのおかわりを渡してやる。

「トニー、今日は早めに休んで明日の早朝に下山することにしたんだ。今のうちに休んでおけよ」

 クライドがそういうと、疲れた身体を休めるためにグレンはテントの中に横になった。そして、静かに寝息を立てだす。その隣でノエルも横になっている。クライドも寝ようかと思ったが、ふと思いとどまる。

 もしも何かが襲ってきたら、寝ている二人を守れるのは誰だ? 自分しかいないはずだ。アンソニーの視力の魔法では、二人を守りきれない。

 それに彼は、武器を扱ったことなどない。喧嘩も弱い。二人を守るのなんて、到底無理だろう。

「クライドは寝ないの? 見張りなら僕がしてあげるのに」

 何をするわけでもなく二人の寝顔を見ていたクライドに、アンソニーが微笑みかけた。先ほどグレンに運んでもらってからずっと寝ていたので、今は眠くないらしい。

「大丈夫、起きているよ」

 バッグの中から飴を取り出して一粒口に入れ、首に提げたお守りを手の中で弄びながらクライドは真っ直ぐ前を見つめた。レモンの飴玉を口の中で転がしながら、何をして暇を潰そうかと考える。

「僕、外見てくる。何かあったら言ってね、クライド!」

 元気よく外に飛び出していったアンソニーを送り出して、クライドはバッグの中を探った。そして手帳に日記を書き込む。シェリーとの出会いや、その日の一日の感想を簡単に要約して書いた。

 手帳の間から写真を取り出し、じっと眺める。写っているのは、微笑む金髪の若い男性。ここから既に十数年経過しているのだから、実際の父はもうすこし老けているだろう。

 父は今生きているのだろうか。今どこにいるのだろうか。どうして父は旅に出たのだろう。父の記憶の中に、ほんの少しでも自分の姿は残っているだろうか。会いたい、会って話がしたい。

 これほど人に会いたいと思った事なんて、今までなかったかもしれない。アンシェントタウンでは、人々が近くにいすぎるのだ。離れてこそ、やっとその者の価値がわかるのだとクライドは痛感した。

 それでは、もしここにいる三人が離れてしまったらどうだろう。もしも、彼らが安否の解らないような状態になってしまったら、自分はどうするのだろう? そんな酷いこと、想像もできない。

「クライドッ!」

 外からアンソニーに呼ばれて顔を上げる。今の声は、呼び声というより叫び声だ。いや、もっというなら悲鳴に近い。クライドは咄嗟に手帳を畳んで写真を挟み込み、それをバッグに放り入れてテントから駆け出した。

 外に出た瞬間、眩しくて目が眩んだ。だが、アンソニーがいることはわかる。獣の匂いが鼻をかすめ、何が起きたか理解する前に条件反射で右に避ける。

 さっきまでクライドがいた所に、人とほとんど変わらない大きさの黒い獣が見える。さっと血の気が引くのがわかった。心臓がバクバク言い出して、冷静な思考はほぼ飛んだ。

 熊だ。

 痩せた大柄な熊は明らかに腹を空かせている。荒い息に鳥肌が立った。

 左に目を走らせ、熊越しに見えたテントからグレンが出てこようとしているのを見て、クライドは思わず来るなと叫んだ。アンソニーは腰を抜かして震えている。あちらに行く前に何とかして止めなければ。

「トニー、トニー、そいつの目を潰せ。やれ!」

「わ、わかった」

 熊がアンソニーに向かっていかないよう、手を叩いて気を引く。クライドに向かって唸りながら走ってくる熊を、想像で作った空気の壁で止める。派手にぶつかってひっくり返った熊はすぐに立ち上がったが、きょろきょろと辺りを見回しながら吠えている。見えていない、直感でそう思ってその場から離れる。

 アンソニーが無我夢中で使った視力の魔法は、彼自身の視力の強化ではなく、熊の視力を奪う効果をもたらしたらしい。だが、それによって熊は余計に暴れている。

「どうしようクライド! 混乱して興奮してる」

「どけ!」

 テントの方からグレンの声がして、クライドは反射的に飛び退いた。同時に、響いたのは肩が跳ね上がるほどの大きな銃声だった。熊が吠えながら暴れている。

 目を閉じて地面に伏せて、二発目が鳴ったのを聴く。顔を上げると血を流した熊が一目散に森の方へ走っていくのが見えた。木々にぶつかりながら、走り去る熊の唸り声が遠くなっていく。

 声が聞こえなくなり、葉の揺れる音が収まった頃、ようやくクライドはその場にへたりこんだ。エルフの良すぎる運動能力のおかげで機敏に動けたが、冷静になってからやっと恐怖が追いついてきた。唸り声が、銃声が、怯えたアンソニーの顔が何度も脳裏によぎる。

「やっば…… 立てない」

「手え貸すぞクライド」

 グレンの魔法の空疎な手が、クライドの手首をつかんだ。その手を借りて、立ち上がる。見ればアンソニーもへたりこんでいて、彼は肩を震わせて泣いていた。あの熊と初めは一人で対峙していたのだ、さぞかし怖かっただろう。

「大丈夫かい、アンソニー」

 テントから出てきたノエルがアンソニーに駆け寄った。アンソニーは大粒の涙を頬に張り付けたまま、ノエルに抱きついて声を上げる。

「っぐす、うっ…… 死ぬかと思った! 怖かったようノエル!」

「大丈夫だ、死なねえよ。俺が撃つ」

 泣きじゃくるアンソニーの背中を撫でながら力強くグレンが言うが、ノエルはアンソニーの柔らかな金髪の向こうで首を横に振る。

「危険だよ、口径が足りないから。殺傷力は猟銃と比べると弱いよ、グレン」

 尤もだった。弾は当たったのに熊を倒せず、森に逃げられたのだ。クライドたちが唯一所持していたグレンの拳銃は、熊に対しては決定打にならなかった。アンソニーの視力封じが効いているうちはいいが、動物には良く効く鼻がある。目が治ったら、熊は戻ってくるかもしれない。

「今夜は見張りが必要だな。二時間交代制で番をしよう」

 グレンの提案に、クライドはノエルと顔を見合わせて頷き合った。アンソニーは相変わらず肩を震わせて力無くノエルの胸に凭れていたが、彼が反対するとも思えない。

「それがいい。二人一組で見張りにしないか?」

「単独行動は危険だからな。あと、燃やすもんが欲しい。日が暮れないうちに、ありったけ薪を集めよう」

「そうしたら僕が乾燥させて燃えやすくする。この際、生木でも構わないよ」

 そう言うノエルがまだアンソニーをなだめているので、二人をテントの中まで見送ってからクライドとグレンで薪を集めることにした。二手に別れたほうが効率的かとも思ったが、やはりあの唸り声を思い出すと怖かったのでグレンと一緒に行動した。

「撃ったろ、グレン。どこに当たったんだ」

「一発目で背中に当たって暴れちまって、二発目は右目に当てた」

 実弾を撃ったことなどきっとないであろうグレンが、正確に熊を撃ってくれて本当に良かった。熊の向こう側にいたクライドは、グレンの射撃センスがなかったら位置的に流れ弾に当たっていた可能性がある。

「助かったよ、あんなの二人で追い払える気がしないから」

 感謝を述べると、グレンは肩をすくめた。真っ直ぐな金髪が肩から滑り、胸の前にさらりと落ちる。あの二発はグレンにとって、会心とはいえない当たりだったようだ。

「しかし、野生動物の可能性はノーマークだったな…… 出たことないもんな、アンシェントに熊なんて。クライド、熊よけの鈴でも出してくれ。ないよりマシだろ」

 その提案にクライドは賛成だった。テレビで見た熊よけの鈴を想像して四つ手の中に作ると、クライドはそれを二つグレンに渡す。

「各自ベルトループに結んでおけばいい。今は二つずつな」

「サンキュ。案外にぎやかだな」

 カラン、カランとそれぞれ高低差のある四つ分の鈴の音が山にこだました。少し安心したような気になって、クライドはグレンと一緒に薪集めを続けた。

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