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第十四話 科学的解法

 長い洞窟を抜けたところに、ようやく戻ってきた。最初にクライドたちが落ちてきた場所だ。ここなら見覚えがある。

「ねえ、クライド。この高さをどう登る?」

 そう言うと、アンソニーは遥か上を見上げた。鬱蒼と茂る木の間から、碧色の空が見える。澄んだ空気が満ちているであろうと思われる山に比べると、この穴倉は少しばかり息苦しい気がした。

「そうだなあ」

 考え込んだが策は思いつかない。確かに、どうやって登ろう? 

 ためしに手をかけてよじ登ろうとしてみたが、クライドはすぐに降りた。穴を構成する土や木の根は脆く、触るだけでさらさらと崩れてしまうので、足場になりえないのだ。ここに足をかけて登るなんて考えは捨てたほうがよさそうである。川を渡ったときと同じようにアンソニーのワイヤーを使えば何とかなるかもしれないと思ったが、それも無理そうだ。ワイヤーを結ぼうにも、グレンには穴を出た先にある木が見えない。万一もろい枝に結び付けてしまったら危ない。

「トニー、お前の目で視えるんじゃないのか?」

「あー、まってグレン、困ったことになったよ…… 木の高さと穴の深さを考えると、ワイヤーの長さがちょっと足りない」

 まじかよ、とグレンが呟いた。クライドも頭を抱えたくなった。こうなると、空でも飛ぶ意外に脱出方法がない。どうしたものか。

 クライドは、なるべく魔法を使わないようにしようと心に決めていた。安全に休める場所までは、貧血を起こす訳にはいかないのだ。だが、これは早速緊急事態だ。想像で何とかするしかない。

「ちょっと待って」

 そう言うと、ノエルは土に手をかざした。一体何をするつもりなのかと訝ったが、ノエルは微笑むだけで何も言おうとしない。

 暫くして、ノエルはかざしていた手を下ろしてクライドたちを振り返った。

「登ってみて。命綱なしでも案外何とかなることは、皆知ってるでしょう」

 クライドは不思議に思ってグレンと顔を見合わせたが、アンソニーは素直に従った。サクッ、サクッとおよそ土らしくない音を立てながら、アンソニーはするすると土壁を登っていく。グレンの青い目は驚愕に見開かれたし、クライドもまばたきすら忘れてアンソニーに見入っていた。

「一体どうなってるんだ?」

 さっぱりわけが解らない、といった顔でグレンがノエルを見つめていた。しかしノエルは意味ありげに肩を竦めただけで、背負子状にできるバンドを通したキャリーカートを背負って自分も上り始める。クライドも、グレンと一緒に慌てて後を追う。

「魔法だよ。僕にもシェリーの姿が見えたということは、何かしら魔法が眠っていることは昨日からわかっていたんだ」

 違う、それが聞きたいんじゃない。思わずそう言うと、隣にいるグレンが頷いた。どうみてもこれが魔法の仕業であることは明白なのだから、問題はそれがどんな魔法なのかという事だ。

「分子結合を動かす魔法なんだよ。魔力をエネルギーとして、本来還元とか電気分解だとか、熱を加えたりしないと動かない結合を分解して好きに動かせる。凄い魔法でしょ、知識を使って上手く使えばほぼ無敵だ。昨晩アンソニーが寝た頃に、シェリーに教えてもらった。動かせるってことは、視える…… 物体に含まれた成分が何であるか、僕にはわかる」

 いくら体重をかけても絶対に崩れない土壁を登りながら、クライドもグレンも唖然としていた。勿論、アンソニーもぎょっとした顔でノエルを見つめていた。クライドたちの視線に気づいて苦笑するノエル。

「ねえ、『けつごうをぶんかい』って何なの? 好きに動かしたら、どうしてこんな土ができるの?」

 長らくの沈黙を破り、アンソニーはノエルに好奇心に満ちた視線を送った。今まで口を開けなかったのは、分子やら成分やらが何の事だか解っていなかったからなのだろう。アンソニーのこの間抜けな質問に、グレンは大笑いした。

「おい、トニー。まさかそれで黙ってたのか?」

 クライドの問いに、真面目に頷くアンソニー。何だか、とても楽しい気分だ。ついさっきまであれほど辛気臭かった雰囲気は、既に何処かに吹っ飛んでいる。

「この土には微量だけど砂鉄が混じってるんだ。だから僕は、砂鉄と石の混合物を作ってこの辺りを固めてみたんだよ。何ていえばいいだろう、ううん…… そうだ、僕は鉄とケイ素で鉄鉱石を脆くしたような人工鉱石を作ったんだ。踏み固めれば強い足場になる」

 へえー、とアンソニーが唸る。今度は混合物やら人工鉱石の意味がよくわかっていないようだ。勿論それに気づいているクライドはくすくすと笑い続ける。やっと地上に這い上がったときは、笑いすぎて腹筋が痛かった。

「ああ、外の空気はやっぱり新鮮だな」

 実に清々しそうにそう言うと、グレンは大きく伸びをした。重たい荷物を背負ったアンソニーは、疲れたようで大きく息を切らしていた。その隣にノエルが座り込み、じっと目を閉じている。魔力の消耗のため、疲れているのだろう。クライドはそっとノエルに歩み寄る。

「大丈夫か、ノエル?」

 心配に思って声をかけると、ノエルは大丈夫だといって微笑んだ。ノエルは、どんなことがあってもポーカーフェイスを保っていられる。それゆえに、彼が本当はどんなことを考えているのか誰にもわからない。最近ではクライドもノエルのポーカーフェイスを何となく読み取れるようになってきた気もするが、まだまだ彼の笑顔や無表情の仮面に騙されることの方が多い。

「大丈夫だよ、立てる。歩けるから」

 本当に軽々と立ち上がって荷物を引っ張るノエル。心配になったが、クライドは仲間を信用する事にして歩き出した。

 すると、背後で風が吹き荒れる音がした。風は感じないが、振り返ると穴の上で風が渦巻いていた。そして、穴があったことなどわからないぐらいに落ち葉が降り積もったところで風はやんだ。

 どういう仕掛けで入り口が開いてくれていたのかはわからないが、これで本当にクライドたちは引き返せなくなった。地中の集落で一人たたずむシェリーを想う。彼女はこの地下で、きっと本当に何年でも待っていてくれることだろう。

「行こうか、先は長いよ」

 そう言って、ノエルはキャリーカートについたバンドを引っ張り上げた。彼の声に促されて、一行は再び歩み始める。

 数時間が経った頃、クライドは仲間達と一緒に山の中腹を黙々と昇り続けていた。やはりクライドは、全くといって良いほど疲れていない。貧血でもないし、頭痛もない。身体の調子は万全だから、立ち止まって呻いたりもしない。基礎的な体力はそこそこあるほうだから、貧血や頭痛等の不調がなければ山歩きは苦ではないのだ。

 クライドの隣では、グレンが涼しい顔で一定のペースを保って上り続けている。だが、問題は後ろの二人だった。

 荷物の重さと疲労により、くたくたになったアンソニー。ノエルも体力の消耗により歩調が重くなってきている。二人とも極度の疲労状態により、口がきけない様子だ。しかし、互いに目線で励ましあっている。

「ノエル、トニー。大丈夫か?」

 そう言って、クライドは立ち止まった。続いてグレンも立ち止まり、心配そうに振り返る。休憩した方がよさそうだ。無理をさせるのは気が引ける。

「だ、大丈夫」

 辛うじてノエルはそう答えたが、足元がおぼつかない。アンソニーは貝のように口を閉ざし、何も答えない。答えるだけの元気がないのだろう。

 けだるげに首を振り、グレンはアンソニーを止める。ぼんやりとグレンを見上げたアンソニーは言葉を発せず肩で息をしている。グレンはそんなアンソニーをひょいと背負った。彼は軽いし小さいから躊躇わずに背に乗せたのだろうが、しかし。

「うわっ!」

 いきなり、グレンがよろけた。ああ、そうだ。アンソニーには特大の錘がついている。よろけながら、恨めしげに背中のアンソニーを眺めるグレンにクライドは思わず少し笑った。大荷物が一緒に乗っているので、予想外の重さだったのだろう。

「クライド、悪いけどトニーの荷物持ってやってくれ。先に分岐まで行ってる」

 正直テントの骨組みはかなり重たいので難色を示したいところだが、クライドは片眉をあげて渋々頷いた。元気な人間が率先して運ばなければ。不意に転がり込んできた予想外の荷物の重さに眉を顰めるクライドの後ろで、ノエルは黙って俯きがちに歩いている。山道をキャリーカートで移動するというのはなかなかレベルの高い所業だが、ノエルのキャリーカートには簡易的な肩紐にできるベルトがついていた。明らかに背負うための構造ではないものに申し訳程度に付けられたベルトなので、傍目にも肩に食い込んで痛そうだ。それに、荷物の内容如何よりもそれを入れているカートの方が重いだろう。

 背中に一人の少年と大荷物を載せ、肩からは自分の荷物を提げたグレンは、あっというまに見えなくなった。驚異的な速さだ。きっとクライドたちがたどり着くよりも一時間ぐらいは早く、グレンは山の折り返し地点についている事だろう。

「俺たちはゆっくりいけばいい。ノエル、無理はしないようにな?」

「僕のためにスピードを落とすことなんて無いよクライド、早く追いつかなきゃ」

「こんな荷物を持って走るほうが無理だろ?」

 思ったままのことを言ってみると、なるほど、とノエルは納得した。二人は並んで歩く。テントの骨組みを入れているバッグが肩に食い込んで痛いが、これを自分より体力のないアンソニーがずっと運んできたことを考えると弱音は吐きたくなかった。

 それから何時間たっただろうか。荷物の重さと傾斜のきつさが思いのほか体力を削っていた。周りの様子や隣の親友などを気にする余裕はない。先ほどの朦朧としたアンソニーはきっとこんな感じだったのか、とぼんやり考える。右足と左足を交互に出し続けるだけの単純な機械のように、クライドは黙々と歩いていた。

「クライドー! おーい、クライド!」

 前方から何度も名前を呼ばれ、顔を上げてみるとグレンがいた。こちらに向かって大きく両手を振っている。

 ああ、助かった。別に命の危機など感じる必要はなかったが、安心した。クライドも両手を振りかえし、微笑んだ。やっと着いたのだ。時刻は昼時だろう、太陽が頭の真上にある。

「グレン! ごめん、またせて!」

 叫んだあと隣を見ると、疲れて声も出せないノエルがいた。必死に歩き続けているが、その足取りは数時間前よりも遥かに重くなっている。彼も休むべきだ。

「二人とも、大丈夫か? クライド、テントをくれ」

 ああ、やっとこの重たい荷物に別れを告げられる。そう思ったクライドの安堵が透けて見えたのか、グレンはにやりとした。クライドは苦笑を返すと、腕をさすった。あれを数時間持ちっぱなしだったというだけで、筋肉痛になっている。

 グレンはクライドからテントを受け取って、てきぱきと組み立て始めた。見えない手はかなり便利で、グレンは支えが必要な骨組みの組み立てを一人で全て行っている。

 辿り着いた分岐点には木があまり生えていない。定期的に誰かが伐っているという線は考えられない気がするので、ヘリコプターがなかった時代にあった公園やキャンプ地の跡かもしれない。伐採されて森ではなくなった部分は半径数十メートルの円形をしており、上へと続く登山道と反対側への下山ルートがあった。

 アンソニーは地べたに寝転んでいる。どうやら寝ているようだ。ここは草原だから、寝ていても痛くならないだろう。そこで、荷物を放り出してクライドも草原に寝転んだ。疲れがどっと襲ってくる。隣でノエルも珍しく寝転んでいた。

 彼が草原で大の字になって寝ているところなど、今まで想像した事もなかった。だから少し可笑しくなって、つい笑ってしまう。

「よーし、できた! おいクライド、ノエル、そこじゃなくてテントの中で寝ろ!」

 思わず寝そうになったクライドは、グレンに叩き起こされた。彼は、ノエルも引っ張り起こしている。すっかり意識のないアンソニーは、グレンが担いでテントに運び入れていた。今日のグレンは、本当によく働いてくれる。

 テントの中は日差しを直に受ける事がないので、涼しかった。暫く動悸が激しくて体中から汗が噴きだしていたが、それも十数分後には大分おさまっていた。もうこんな荷物を持って山登りをするのなんてこりごりだ。次に山を越えるときまでに、飛行機が復活していることを切実に願う。もし復活していなかったら、山越えをした感想と共に町長に直訴しよう。

「どうだ、少しはマシになったか?」

 そう言いながら、グレンがテントの中に入ってくる。ずっと外にいたらしい。クライドは起き上がると、髪をかき上げてううんと唸った。隣でアンソニーが死んだように眠っている。

 ノエルは過呼吸状態になりかけながらもどうにか持ちこたえ、息を切らして寝そべっている。その姿に一抹の不安を覚えた。これから先、ノエルは過酷な旅に耐えられるのだろうか? いや、何もノエルに限定する事はない。自分だって旅が続けられるかどうか不安だ。

「飲むか、そこに湧き水の小川があった」

 ずいっと目の前に水筒の蓋が差し出される。顔を上げれば、グレンがクライドを見下ろしている。真っ直ぐなその視線は、クライドの不安な胸中を見透かしているかのようだ。

「ああ、ありがとうグレン」

 ……マイナス思考はもうやめだ。放っておくと延々と沈みきったことを考えてしまう。水を一気飲みして蓋を返せば、グレンはそれを水筒に取り付けながら座った。

 昼時で腹も減ったことだし、何か食べる事にしよう。辺りを見回すと、親切にもグレンがクライドの荷物を持ってきてくれていた。その中をあさり、食べ物を探す。

 荷物の中からは、缶詰のコンビーフが数個と、ツナの缶もいくつか出てきた。母が結婚式のギフトでもらったものかもしれない。食べ物はこれで全部かと思いきや、手帳と財布の間に挟まって非常用にカルヴァート家で保存しておいたラスク(砂糖がついていないもの)が一袋出てくる。端の方は割れて粉になっていた。

 こんな少しの食料で次の街まで足りるのか、と自問する。旅に出るといったときの自分の考えが浅はかだったことを、今更思い知らされた。

「クライドも飯にするか? じゃあ、俺も」

 グレンの声を聞きながら、クライドはため息をついた。どうせ持ってくるなら組み合わせを考えればよかった。

 ラスクにコンビーフなんて、何とも言えない組み合わせだ。それに、とても貧相である。反対に、グレンの昼食は豪勢だった。包み紙を剥がす音に振り向いてみれば、彼は何とハンバーガーに齧り付いている。

「俺はさ、痛みやすいものもいくつか持ってきたんだ。それは最初の頃に食べられるようにな。で、痛みにくい物とか缶詰はなるべくあとに食べるってわけ。毎日缶詰続きじゃ飽きるだろ?」

 そう言って、グレンは再びハンバーガーに齧り付いた。本当に浅はかだった。クライドは、賞味期限の近いものは最初から除外して考えてしまっていた。

 持ってこなかったものは仕方ないので、あるもので食事をするしかない。クライドは意を決してコンビーフの缶を開けた。そして、中身を恐る恐るラスクの上に乗っけてみる。外見からいくと、食べるのを遠慮したいと思ってしまう。見るからに不味そうだ。

「おおっ、前代未聞の食い合わせに挑戦すんのか?」

 楽しげにそう言いながら、グレンはクライドを見る。

 これからこの組み合わせを毎日食べる事になるのか。半ば諦めも混じった気持ちで、一口だけ齧ってみる。あれ。

「うまい。案外いける!」

 暫く二人で会話しながら空腹を満たす。食事が終わる頃にノエルが起きてきて、サンドイッチを頬張り始めた。

 きっとノエルもグレンと同じ考えなのだろう。初日は痛みやすいものを食べ、あとから非常食を持ち出すというパターンだ。瞬く間に食事を終えて、ノエルは本を読み始める。

 すらすらと外国語を読み進めるノエルの隣では、まだアンソニーが横たわったままでいる。それこそ、死んだように。

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