第十一話 告白
二人が台所へ行ったので、残ったのはクライド、グレン、ノエルの三人になった。何となく手持ち無沙汰だ。これからのことについて思案し、クライドはある決心を固めた。
「なあ、グレン、ノエル。聞いてくれないか?」
二人を前に、クライドは重々しく口を開いた。グレンとノエルはクライドを見下ろし、軽く首を捻る。あえてとても深刻な声で言ってみたのだ、不思議に思って当然だと思う。クライドは、一瞬だけアンソニーも呼ぼうかと思ったがやめた。追って説明すればいいし、アンソニーの純粋な反応に傷つくことを恐れたのもある。
「俺、人間じゃないんだ」
真剣にそんなことを言ったのだから、グレンはいつものように笑い飛ばしてこない。勿論、即答で答えを返してくる。
「は?」
ノエルも眉間に皺を寄せている。不可解そうな顔をした二人を見て、クライドはため息をついた。いつもよりゆっくり瞬きをして、虚空を見つめる。言葉を選ぼうにも、どんな表現をしたところで真実は変わらないのだ。ストレートに、クライドは事実だけを呟いた。
「俺は人間とエルフの混血なんだ。だから、人間でもエルフでもない」
それを聞いて、二人は暫らく無言になる。二人には何度も銀の瞳や並外れた運動能力を不思議がられたことがあった。だが、まさか本当にクライドが人間ではないなんて彼らが思うはずはなかっただろう。
「人間じゃないって分かったって、僕にとってクライドはいつものクライドだよ」
いたって冷静にノエルは言った。彼はきっとエルフの特徴やクライドの不思議な特性から、エルフの混血児という非科学的な存在を認めてくれたのだ。ノエルが理論的に納得してくれたことで、クライドも少し肩の荷が下りた。
「エルフと人間の両方の能力を持っているなんて素晴らしいじゃないか。人間じゃないっていう響きは確かに凄く嫌だろうけど、人間界においてエルフの特性は君にしかない。君は他の誰にも出来ないことができる」
ノエルはクライドを安心させるような笑みを浮かべる。彼の説得力のある発言と包容力のある笑顔で、クライドも心が軽くなった。
「そうだな、ノエルの言うとおりだ。半分エルフだからって何が問題なんだよ? 悪いことなんてひとつもないだろ。たとえ人間じゃなくたって、俺はずっとクライドの友達だから心配すんな」
仮にクライドが幽霊だったとしても自分は友達を続けていけると、グレンは胸を張る。この男は冗談でなく本気でそう言えてしまうし、実際に今まで何があってもクライドから離れなかった。銀の目をからかわれてクラスから孤立しかけた時も、父がいないことを伝えた日も、殴り合いの大喧嘩を繰り広げた後だって、グレンはクライドの傍にいた。
よかった、緊張して損した。何だか急に、自分が馬鹿らしく思えてきた。グレンたちからクライドに向けられた友情は、そんなに脆いものではないと解っていたはずなのに。必要以上に用心する自分が情けなく思えてきた。笑いたくなるのをこらえ、クライドも楽観的に言った。
「それがさ、デメリットがひとつあるんだ。魔法を使うのに血を使うっていうのがそれ。エルフの血は魔力で出来てるんだ。だから、俺の血も殆どの部分が魔力で出来てる」
へえ、とノエルは呟いた。やはり、理解力がある。ノエルに何か言って、通じなかったことはほとんどない。
「じゃあ、君が魔法を使うのはいつでも命がけだってことだね」
そういうと、ノエルはキャリーケースを引っ張ってきて、その上に腰を下ろした。クライドはうーんと唸り声を上げ、少し微笑んだ。
「実はそうでもないんだ。俺には人間の魔法も使えるから、血を使わない魔法を使うのも不可能じゃない。あ、でもこれ便利に聞こえるかもしれないけど、魔法の制御が出来るようになったらの話だ。俺はまだ血の魔法と弱い人間の魔法をしっかり使い分けることが出来てないんだ。だから貧血と体調不良」
それを聞いて、グレンは笑った。彼の隣で、ノエルは冷静に何かを考えているようだった。そして、そっとクライドを見やる。
「仮にそれを使い分けられたとしても、魔法を使うことにより何かを失うという事実は変わらないんじゃないのかい? やっぱり、魔法は緊急時以外には使わないのが賢明だ」
そう言うと、ノエルはクライドに哀しそうな目を向ける。どうしてもクライドに魔法を使わせたくないようだ。なぜだろうと考え、ふと思い当たる。出がけに直してきた、ノエルの自宅玄関だ。
彼のことだから、そのことをずっと根に持っているのかもしれない。ノエルは、他人から何かを受け取るのに人一倍遠慮するタイプだ。
「そうだけど、血はまた身体で作られるだろう? 魔力だって、休養を取れば回復する。節度ある使い方をすれば、こんな状況にならなくたって済むんだ」
そう言ってクライドは笑って見せた。そして上半身をベッドから起こす。先ほどからまた大分楽になった。しかし、まだ頭痛と貧血の症状が酷い。
「起きられるのか?」
心配そうな顔で、グレンは言った。まだふらついているクライドを見て、ノエルも不安げに眉を寄せる。
「うん、何とか」
仲間達の心配をよそに、クライドは自分の上にかかっている布団をめくり上げてベッドから降りた。床に足をつけるのなんて久しぶりのように感じる。多分、もう寝ていなくても大丈夫だ。クライドが立ち上がって部屋を見回していると、急に怒鳴り声が聞こえた。
「クライド! まだ寝てろって言っただろう?」
何故か、シェリーがとても怒っている。その声に、クライドは一瞬だけびくっと身を竦めた。グレンとノエルが顔を見合わせ、にやりと笑っている。
二人にはわかっていたようだ。シェリーがどうして怒っているのか、クライドにも少しだけ解った。不器用な表現だが、クライドのことを物凄く心配してくれているのだ。嬉しいが、困る。
「だって、俺もう平気だって」
そう言ってクライドはシェリーを見るが、シェリーはそれに取り合わない。先ほどより更に勢いを増して、怒鳴りつけてくる。
「何言ってるんだ!」
びくりと肩を震わせるクライド、そしてアンソニー。アンソニーは喧嘩や怒鳴り声が苦手で、素直に怖がるし怯える。ノエルとグレンは微かに笑みを浮かべてクライドたちを見ていた。見ていないで助けてくれ、とクライドは思う。
「血の再生には普通の人間と同じぐらいかかるんだぞ! これを飲め、少しは楽になる」
怒るのをやめて、シェリーはクライドに透明なガラスの瓶を渡した。瓶の中には、透き通った蒼い薬が入っている。食事の前に、先にクライドのために薬を煎じてくれたようだ。
それはまるで、クライドが父から間接的に貰いうけたお守りの色のようだった。何だか、とてもよく効きそうだ。綺麗な色をした薬に見とれていると、シェリーが不思議そうな顔をする。
「飲まないのか?」
「いや、ありがとう。何か色きれいだなって思って」
きっと、飲めば爽やかな味がするのだろうとクライドは勝手に思っていた。こんなに綺麗な色をしているのだし、何よりシェリーが煎じてくれた薬だ。クライドは、疑う事もなく瓶に唇を当てた。手にした瓶が傾き、瓶の中身が唇に触れた。ひやりとした感触。誰もが注目している中、シェリーだけは気まずそうにそっと目を逸らしていた。
――その瞬間。
「うっ、ゲホッ、ゲホッ…… くっ、何だこれ!? 苦い!」
激烈な苦味が喉に絡みつき、思考を奪った。驚いて気管に入ったので無駄に苦味が残り続ける。唾液腺が馬鹿みたいに働いて、嘔吐寸前のときのように無味の唾液がとめどなく口内を満たした。
瓶の中身はまだ一口分しか減っていない。喉を押さえて眉間に皺を寄せるクライドをみて、アンソニーが何事かと駆け寄ってくる。
「クライド? どうしたの、毒でも飲んだ?」
咽続けるクライドを見て、アンソニーはおろおろと狼狽している。シェリーは悪いことをした子供のように俯いているし、グレンは興味深げな目でクライドの薬を見つめていた。そんな中、ノエルはそっと微笑んでアンソニーの肩に手を置いた。
「いや、薬だってシェリーが言ってたよ。大丈夫、毒はない…… と思う」
見ているノエルやグレンが、もしかしたらエルフにとっては薬でも人間にとっては毒なのではないか? などと本気で言い始めるほどクライドはむせる。止まらなかった。いよいよ涙もでてきた。
数分後にようやく咳が止まってきたクライドは、喉に手を当てて目を閉じた。むせすぎたおかげで喉が痛かった。クライドの様子をみて、シェリーが台所から水を持ってきてくれる。妙な話だ、水薬を飲むのに水を使うなんて。
「ごめんね。言い忘れていたけど、それはとても、とってもマズイんだ。でも、効果は高いから」
本当にすまなそうな顔をして、シェリーはコップを差し出した。勿論言い忘れたのではなく、薬の味については意図的に言わなかったのだろう。シェリーが無意識に心理的な歩み寄りをしようとするとき、言葉遣いが女の子らしくなることが時々あることにクライドは気づいた。ひょっとしたら本来は、こっちの話し方がデフォルトなのかもしれない。
コップを受け取ると、クライドはそれを一気に呷る。喉を爽やかに冷やす水に、大きなため息をつく。あの苦さは尋常ではないとクライドは思う。冷たくておいしい水を飲んだ今でも、咽すぎたせいで喉が痛かった。
「苦かった…… なあシェリー、まさかこれ全部飲まなきゃダメとか言うか?」
哀願するようにクライドは言った。この不味さは今まで飲んだ薬の中で最悪だ。とても済まなそうな顔をして、シェリーはクライドの訴えをはねつけた。我慢して飲まないと、貧血が治まらないと何度も言う。
「何か混ぜると効果が半減するからそのまま飲め。ちびちび行くと終わるまで果てしなく感じるから、一気に飲む方がいい」
がっくりと肩を落として、クライドはうなだれた。見た目と裏腹にとても不味く、一口含んだ瞬間もう二度と飲むもんかと思った液体はほぼ減らずに手の中にある。
しかし、どんなに不味くてもこれを飲まなければ貧血が治らない。貧血が治らなければ仲間に心配をかけるし、旅が出来ない。旅が出来なければ、闇の帝王があの街から邪神を引っ張り出す。そうすれば世界が終わる。この薬を飲むという行為に世界が懸かっているのだ。
この薬に限らず、全ての行動に世界が懸かっている。クライドが今生きているという事実が世界を救う、今のところたった一つしかない手立てなのだ。
「あー、もー、しょうがない! 飲むぞ!」
生きるためには飲まなければいけない。そんな気合の入れ方をしたのなんて人生で初めてだった。意を決して目を閉じ、クライドは瓶の中の苦い薬を一気に飲み干した。
口中に痺れるような苦味と渋味が広がり、喉にその強い苦味が絡む。そして、また咳が止まらなくなる。止まらない咳のせいで水が飲めない。咳き込むクライドの背後に回り、ノエルがそっと背中をさすってくれた。完全に医療従事者の手つきだった。それで少しはましになって、クライドは水を飲んだ。口内の苦味は大分緩和されたが、喉の奥に絡みついた痺れるような苦味はなかなか消えなかった。
ふと、頭に手をやる。何となくだが、頭痛が治まった気がした。立ってみると、普通に歩けた。飲んで数秒後にこんなに劇的な効果があるのだ。エルフの薬は凄い。
「どうだ? 味はともかく、効き目は凄いだろ。不味いからあたしもそれ嫌いなんだけど、貧血のときは飲むしかないんだ。また明日旅に出るだろうから、もたせてやる。不味いけど頑張って飲め」
クライドが薬を飲みきったことに安堵したのか、微笑みながらシェリーはそう言った。隣でアンソニーが眼鏡をずり上げながら空になった瓶を見ていた。どんな味がするのか、興味津々なのだろう。
「ねえクライド、その薬そんなに不味かった?」
にこにこ笑いながらアンソニーはそう言って小首を傾げた。クライドには、その顔でアンソニーの意図がわかった。少しだけ試飲してみたいのだろう。絶対によしたほうがいい。ふと見ると、グレンやシェリーがアンソニーに目線でやめろといっていた。
「今までに経験したことないぐらいの不味さだ、苦すぎて口の中が今でも悲惨。味覚変になりそう」
こう言ってクライドはアンソニーを見る。それを聞いて、ノエルは口許に手をやって不思議そうに宙を見上げた。彼が考え込むときの癖である。
ノエルは、それほどまでに苦い苦いと連発するクライドに疑問を感じているようだ。なぜならば、彼は苦いものが大好きなのだ。変わった少年である。代わりに飲んでくれればいいのに、とクライドは思う。しかし、ノエルがこの薬を飲んだところでクライドの貧血は治らない。
「さてと、夕飯だ。アンソニー、悪いけどまた手伝ってくれるか?」
シェリーの声が聞こえたので思考を停止し、少しの間クライドは何かの指示を待つ。しかし彼女はクライドたちには何の声もかけずに、アンソニーだけをつれて台所へいった。
どうやら、シェリーが一番話しかけやすいと思っているのがアンソニーらしい。いや、一番気兼ねなく使えるのがアンソニーなのだろう。クライドは病み上がりだし、彼女はグレンのことを微妙に避けている。それに、ノエルからは何となくこき使ってはいけないようなオーラが出ている気がする。高い確率で、シェリーはこれから何かをするときにはアンソニーを指名し続けようと思っているに違いない。
「シェリー、俺は何か手伝わなくていいのか?」
何も言われないことに戸惑ったのか、グレンはシェリーに声をかける。声をかけられた方のシェリーは、彼のほうを振り返りもせずに料理を盛り付けている。
アンソニーが心配そうに彼女を覗き込んでいた。ノエルは首をかしげ、クライドはグレンを見た。彼は、シェリーを睨んでいた。間違いなく、喧嘩の前兆のような雰囲気を発している。グレンは、シェリーが無視したことに対して、ひどく怒っているようだ。
「おい、何だよ無視か?」
かなり刺々しい声で、グレンはシェリーに言った。少しの間シェリーは何も言わなかったが、やがて口を開く。
「何もしなくていい。客人は座ってろ、以上」
ぶっきらぼうにそう言って、シェリーは料理の盛り付けの続きをやった。クライドは、シェリーの目に自己嫌悪の色が浮かんでいるのを感じた。やはり彼女は不器用なのだ。クライドに対しても、素直に心配していると言わなかったのだし。
「何怒ってんだよ? 俺、別に何もしてないだろ。そもそもトニーだって客人なのに」
今にも飛び掛りそうな勢いで、グレンはシェリーを睨みつけていた。これでシェリーが振り返ったら、容赦なく掴みかかるだろうと思ってしまうほどの真剣さだった。
クライドは考えていた。まとまらない思考だが、第六感がほのかな違和感をキャッチしている。おそらく無視したのが他の人間だったのならグレンはここまで怒らなかったと思う。シェリー相手に感情を伝えるときのグレンは、何だかいつもと違うのだ。
「手伝わなくていいって言ってんだ、素直に聞けよ」
冷たい言葉が投げかけられた。グレンが立ち上ろうとしたので、クライドとノエルでとっさに止めた。それから暫くノエルに宥められて、グレンはシェリーに言い返すのをやめた。無益な争いを好まないノエルは、クライドとグレンが喧嘩しそうになったときもよくこうやって止めてくれた。
少しの間、グレンは苛立ったように自分の両手を見つめていたが、やがて落ち着きを取り戻した。これ以上グレンが何も言わないだろうという予想は出来た。それに、たとえ何か言ったとしてもノエルが止めてくれるだろう。
ならばまずはシェリーの方からなんとかしよう。アンソニーに、目線でその旨を伝える。上手く伝わったかは解らないが、アンソニーはシェリーに声をかけた。
「シェリー、一体どうしちゃったのさ?」
アンソニーが声をかけても、シェリーの表情は和らいでいなかった。終始、昔のノエルを思わす仏頂面でため息をついている。きっとシェリーは、グレンに対して何か怒っているのだろう。いや、それとは少し違う気がする。
「別に、どうもしてない。ただ……」
少し戸惑うように、シェリーは俯いた。その様子を見て、グレンはそっと顔を上げる。自分の態度について、多少は反省したようだ。この場合どちらが悪いともいえないが、グレンの行為は賢明であるとクライドは思う。
「ただ?」
これはチャンス。シェリーが理由を語ろうとしている。よく聴こうとするためなのか、身を乗り出すようにしてアンソニーがシェリーを覗き込んだ。だが、その行為がシェリーの警戒心を再びよみがえらせてしまったようだ。
「ただ、疲れてただけ。人がいっぱいいて、色んな過去が見えて。いつも一人だから、キャパが足りないの」
勿論これは誤魔化しであるとクライドには分かった。しかし、アンソニーは気づいていないようだ。疲れていたら人にぶっきらぼうな態度をとるものなのだろうか? 否。
クライドは何となく気づいていた。これは、裏返しにされた好意なのではないだろうか。彼女は不器用だから、グレンに冷たく当たってしまうのだろう。きっとそうだ。
「とにかく、夕飯にしようか?」
何かを吹っ切ったように笑い、シェリーはアンソニーやクライドたちのほうを見た。それには、先ほど無視されたグレンが答えた。
「そうだな」
一瞬、交錯するグレンとシェリーの視線。弾かれたように視線を外したのはシェリーの方だったが、彼女は小さく深呼吸するとぎこちなく口角を上げてもう一度ちゃんとグレンに向き合う。
「じゃ、手伝え」
どうなることかと見守っていたが、グレンは小さく笑って頷いた。
「おう。最初からそう言えよ」
すっかり機嫌を直したグレンとぎこちなくも協調しだしたシェリーに安堵し、流れでクライドも何か手伝おうとする。しかし、シェリーは全く手伝わせてくれなかった。
「病人は座ってろ」
そう言ってクライドをベッドまで押し戻し、強制的に座らせるシェリー。一応成されるがままの状態でいたのだが、クライドの力だったら簡単に彼女を振り払うことが出来る。
いくらエルフといえど、彼女が年下の少女であることに変わりはない。力が弱くても仕方ないだろうと思う。なにしろシェリーは、この中で一番背が高いグレンと四十センチ近くも身長差があるのだ。二人が並んでいると、大人と子供みたいで何となく可笑しかった。
「だって、もう薬飲んだし」
手伝いたいという意思を強調するクライド。そして、シェリーを振り払って立ち上がろうとする。しかし、シェリーは意地でもクライドを止めようとした。それを、苦笑い気味にグレンが眺めている。
「安静にしてろってば」
こうまで言われたら仕方ない。誰かが働いているときに自分だけ楽をするのは性に合わないが、仕方なくベッドに腰を下ろした。シェリーたちは、テーブルの上に料理を持ってきた。人間界で食べているのと変わらない、普通の料理だ。実はあの不味い薬を盛られるのではないかと密かに心配していたクライドだが、この心配は杞憂に終わったようである。
五人で、楽しく食事をした。シェリーとアンソニーが共同で作った料理はとても美味しく、クライドがそれをほめたらアンソニーは苦笑いした。
「僕は材料を刻んだだけ。調理はシェリーが全部やってくれたんだよ」
確かに、アンソニーの料理の腕があまりよくないことは周知の事実だった。なのに如何してこんなに美味しい料理が作れるのか、実のところクライドは少し疑問に思っていた。
なるほど、そういうことだったか。シェリーはずっと一人暮らしだから、料理が上手いのも頷ける。
「ごちそうさま」
一番最初に食べ終わったのはノエルだった。彼は外見に似合わず異様な早食いなのである。大学時代によく同級生から散々文句を言われたから、ノエルは早食いになってしまったらしい。入学当時から同級生とは少なくとも五歳以上の年齢差があったから、いくら同級生といえど先輩扱いしなければいけないような状況だったと彼は語っている。
文句を言われたりしていたようだが、別にノエルが極度な遅さで食事をしていたわけではないことはクライドも知っていた。同級生たちにとって、ノエルは虫の好かない奴だったのだろう。確かに、自分のクラスに五歳も年下の少年がいて、その少年が自分よりも優秀だったら、クライドも少し悔しく思う。五歳も年下の少年が、自分達と同じ様に勉強するのだ。ノエルのことをいけすかないと思う人も、結構いたのではないだろうか。
ノエルは同級生たちを簡単に負かせる学力を身に着けていた。それだけでなく、授業とは関係のない雑学の知識も豊富だった。彼が知らないことなど何もないと本気で思ってしまうほど、ノエルは頭がよかったのだ。だから、食べるのが遅いなんて難癖をつけた。ノエルは同級生がどうしてそんなことを言ってきたのか全く解っていないようだったが、クライドはなんとなくそう予想していた。
それなのにノエルはそのことを本気で悩み、早食いが癖になってしまったのである。その後ノエルの同級生たちが彼に「早食い!」などと難癖をつけていれば今のノエルはなかったかもしれないとクライドは思う。
「俺も、ごちそうさま」
続いてクライドが食べ終わるが、ノエルが食べ終わった時から既に十分以上経過していた。頭痛は薬のおかげで完全に治った。体調はいたって万全だが、汗をかいたので少し不快だった。
「あーうまかった。二人とも、ごちそうさま」
この食事に大満足な様子のグレンである。彼がいつもより味わって食事をしているのには、気づいていた。汗で濡れた胸元を見ながら、クライドはため息をついた。クライドは、服を着替えるべきかどうか迷っていた。
「美味しかったあ。シェリー、ありがとね」
「アンソニーも手伝ってくれただろ?」
アンソニーとシェリーは、楽しげに会話しながら同時に食事を終えた。そして全員の食器を下げる。最初はぎこちない笑みだったのに今では綺麗な笑みを浮かべるシェリーを見て、クライドは少し嬉しくなった。彼女は最初に出会ったときと比べると、クライドたちへの見方が変わったのだろう。
「あ、そうだ。クライド、風呂入るか? 汗かいただろ」
シェリーはクライドの気分を見透かしたようにそういうと、薄暗い通路を指差した。そっちに浴室がある、そう言ってシェリーは食器の片づけを再開する。クライドは少し逡巡した後、風呂を借りることにした。
きっと『見透かしたよう』ではなく、実際に見透かされているのだ。一分前でも過去は過去だ、シェリーの魔法でならクライドの気持ちは丸分かりだ。ならば、せっかくの好意を受取らないわけにはいかない。