もしも悪役令嬢が選択を間違えたら
クリスティアナ・ラングリッジは、誰もが認める完璧な令嬢である。
ラングリッジ公爵家の令嬢にして、王国の王太子であるフランク・ゴドルフィンの婚約者だ。
賢く、美しく、慈悲深い。クリスティアナは、周りの子どもたちがまだまともに喋れないうちから分厚い本を平気で読んでいたという。
子どもの頃から大人びて、周囲からは神童であると評判だった。
父であるラングリッジ公爵は厳格で、清廉潔白な男である。ラングリッジ公爵家の令嬢であるという申し分のない身分と、彼女自身の才覚によって、クリスティアナは幼い頃に王太子の婚約者に定められた。
さて、そのクリスティアナはといえば、実のところ別の世界で生きていた記憶を持つ転生者であった。クリスティアナがその事実に気づいたのは、まさしく幼いフランク・ゴドルフィン――このときはまだただの第一王子であった――と婚約した、その瞬間だった。
クリスティアナは、完璧な淑女の笑みを浮かべたまま内心で大いに嘆いた。そして自室で一人になるなり叫んだのだ。
「これ、乙女ゲームじゃないの!」
内容はよくあるゲームだ。
クリスティアナの婚約者であるフランクは成長した先の王立学園で聖女であるヒロインと出会う。そして嫉妬したクリスティアナはヒロインに嫌がらせを繰り返し、断罪されて破滅するのだ。
「嫌だわ、もう婚約しちゃったじゃない。せめて昨日思い出していれば……」
頭を抱えて、クリスティアナはうろうろと動き回った。それはちょうど熊のような動きだったけれど、指摘するものは誰もいなかった。
はー、と大きく嘆息する。それから、決意してクリスティアナは顔を上げた。
「よし、聖女を排除しましょう」
王太子フランクと聖女の真実の愛の当て馬になるのも、ぽっと出の聖女に立場を譲るのも冗談ではなかった。そもそも聖女とはいえヒロインは平民の生まれなので、この世界では最初から王太子と結婚などできないのだ。
「何もしていない聖女には悪いけれど……」
呟いてから、クリスティアナははっと気づいた。
「あちらも転生者って可能性があるわね。早めに手を打たないと」
そう決めてから、クリスティアナはより一層、王太子の婚約者として相応しくなるよう努力を重ねた。
そもそも乙女ゲームでクリスティアナが平民出身の聖女に負けたのは、クリスティアナのあまりの横暴ぶりに人望がなかったからだ。
ならば転生前の記憶を持つクリスティアナは、未来の王太子妃として理想の淑女として振る舞えば良いのだ。元の身分があるのだから、これで周りは何も言わなくなるだろう。
それだけではなく、クリスティアナは前世の記憶を活かして商売を始めた。前世では電気で動いていたような扇風機などの家電を魔法石で再現し、特に氷魔法に頼り切りだった冷蔵機能によって国民たちの生活は飛躍的に向上した。
それだけではなく、クリスティアナは大きな災害などを次々と言い当てた。これはクリスティアナの乙女ゲームの記憶を使ったことによるものだが、そんな事情を知らない人びとはクリスティアナを《聖女》と称え始めた。
そんな人びとに、クリスティアナはおっとりと微笑んだ。
「わたくしが《聖女》だなんておこがましいわ」
そもそも乙女ゲームで起きる事件というのは、封印されていた邪竜の復活である。騒ぎを起こす邪竜と戦いながら、王太子フランクと聖女エリカは絆を深めるのだ。
邪竜の封印はもともと期限があったが、邪竜が復活するのは本来であればまだ三十年も先のはずだった。王国の想定よりも遥かに早く邪竜が復活したから、王国は対処しきれなかったのだ。
乙女ゲームのイベントなど、事前に潰してしまえば良い。だからクリスティアナは、ある早朝に真っ青な顔で両親の寝室に駆け込んだ。
「お父様、お母様!」
呼びかけてから、はっと我に返って礼をする。
「呼びかけもせずに開けるなど、無作法を致しました。お許しくださいませ」
叩き起こされた両親は怒らなかった。普段のクリスティアナがあまりに完璧であったから、よほどのことがあったのかと心配したのだ。
「どうしたんだい、クリスティアナ」
クリスティアナは真っ青な顔で、自分の手を握りしめながら口を開いた。
「ひどく恐ろしい夢を見たのです。あと数年で邪竜の封印が復活すると」
「なんだと……」
ラングリッジ公爵は眼を見開いた。ラングリッジ公爵もまた、クリスティアナの特殊な予言の力を信じている一人だった。
不安げな顔をする公爵夫人に頷き、難しい顔で口を開く。
「それがただの夢で、取り越し苦労に終わるのならばそれで良い。王家に進言しよう」
果たして、王宮の魔法士たちの調査で、太古の邪竜の封印が本当に解けかけていることが発見される。王国は最優先で邪竜の封印をかけ直し、それによって邪竜の復活は無事に免れたのだった。
これによってクリスティアナは、予言の聖女の立場を確固たるものとすることになる。
「クリスティアナ、この農地の収穫量が下がっているのはどう思う」
「クリスティアナ、水害対策を進めたいから知恵を貸してくれないか」
「クリスティアナ様、不安があるのですが、わたくしはこの婚約を受けるべきでしょうか」
大きなことから小さなことまで、クリスティアナの元には色々な悩みごとが集まった。
そういうものをクリスティアナは、前世の知識と直感によって捌いていった。
魔法を抜かせばこの世界の文明は前世の世界よりも随分と遅れているので、クリスティアナにとって質問に答えるのは難しいことではなかったのだ。こういう全てが、クリスティアナの予言によるものとされた。
さて、いよいよクリスティアナは最終段階に入った。
ヒロインであり聖女であるエリカが辺境の村で平和に暮らしているのは、すでに調べ上げたことだった。ある夜にクリスティアナは、震える声で両親に打ち明けた。
「最近、恐ろしい夢を見るのです。愛するフランク様が、とある女性に奪われてしまう夢です」
「なんだと……」
驚くラングリッジ公爵の前で、クリスティアナはぽろりと一粒の涙を零した。
「わ、わたくしに至らないところがあったからでしょうか。フランク様は別の女性を愛するようになってしまうのです」
ひどく押し殺した声で、クリスティアナは嗚咽を漏らした。
これは半分は演技だったけれど、途中からは本当に悲しくなってしまっていた。クリスティアナはこれほど何年も努力しているのに、どうして何の努力もしていない聖女に立場を奪われなくてはいけないのだろう。
ラングリッジ公爵は、夫人を顔を見合わせた。慎重に娘に向き直る。
「その不届き者の娘が誰であるのか、判っているのか」
「は、はい……」
来た。顔が綻ばないように慎重に表情を操作しながら、クリスティアナは訴えた。
「会ったことのない女性です。けれどとある辺境の村で、一人だけひどく鮮やかなピンクの髪をしていました」
さて、そのあとのラングリッジ公爵の動きは、クリスティアナの想定通りでもあったし、想定外でもあった。
ラングリッジ公爵は、未来の聖女であるエリカを彼女の村ごと焼き払ってしまったのだ。
その報告を聞いたとき、クリスティアナは心臓を冷たい手でひやりと撫でられるような気持ちがした。クリスティアナはエリカを排除するために動いていたが、貴族社会にさえ入ってこられなければそれで良かったのだ。
だというのに、ラングリッジ公爵はエリカの住む村の人びとを皆殺しにした。思わずというように、クリスティアナは父に言った。
「ほ、本当に村の人びとごと殺してしまったのですか。村には無辜の人びともいたでしょう」
「下手に関係者が生き残ると、禍根が残るだろう。丸ごと焼き払ってしまったほうが早い」
厳格で、清廉潔白なラングリッジ公爵は、いつものように顔を顰めてそう言った。
「良いか、クリスティアナ。お前の婚約者は王太子殿下だぞ。王太子の婚約に横やりを入れるのは、国家に反逆するのと同じことだ」
淡々と告げる。当たり前のことを、当たり前のように。
「村の人数は、およそ三百人。だが、もしも王太子殿下に何かがあって王国が混乱すれば、犠牲者は三百人では済まないだろう。国賊を前に、非道に徹するのは必要なことだ」
ぽん、ぽん、とラングリッジ公爵は数回クリスティアナの肩を宥めるように叩いた。
「……クリスティアナは、少し優しすぎるところがあるな」
ちょっと哀れむように言ってから、ラングリッジ公爵はクリスティアナから身を離した。
「さぁ、これで心配事はなくなっただろう。この王国に身を尽くすために、しっかりと励むのだぞ」
ラングリッジ公爵は言った。どこまでも当たり前の、事実を告げる口調だった。
それから、クリスティアナは王立学園を平穏に過ごすことになる。
フランクは浮気心を出すことなく、真っ直ぐにクリスティアナだけを愛してくれる。幼い頃から周りに優しくするように心がけていたので、友人も多かった。
そうやって、何の問題もない、楽しい学生生活を終えた、そのすぐ後だ。思いがけない話がゴドルフィンの王宮を賑わせた。
「……ガネル神聖帝国の皇太子の婚約者が決まった? しかも、既に披露を終えているだと」
大臣の一人から告げられた情報に、国王は愕然とした。
ちらりとラングリッジ公爵に視線を向ければ、首を横に振る。ラングリッジ公爵も知らなかったということだ。
「ガネル神聖帝国のいまの皇帝の婚約披露は、たしか二十八年前だったな」
「はい。そのときには、ゴドルフィン王国も招待されておりました」
宰相の額には、薄らと脂汗が浮いている。それだけ、ゴドルフィン王国にとってガネル神聖帝国に遠ざけられるのは避けたい事態なのだ。
ガネル神聖帝国は世界中に信徒を持つ巨大宗教の総本山であり、皇帝は教皇でもある教国だ。この大陸だけではなく信徒を通じて世界中に影響を及ぼすガネル神聖帝国に嫌われるのは、すなわち国際社会において死に体になることを意味している。
「何かあちらの機嫌を損ねるようなことをしたか? 大問題だぞ……」
国王がぶつぶつと言って、ぐっと唇を引き結んだ。
「仕方ない、ご機嫌伺いに使者を向かわせよう。早急に婚約祝いを用意しろ!」
そういうやり取りがあって、ゴドルフィン王国からガネル神聖帝国に使者が使わされることになったのだった。
使者として選ばれたのは王太子フランクとその婚約者であるクリスティアナ・ラングリッジだった。藁にも縋る思いで、クリスティアナの予言に頼ろうとしたのだ。
転移装置すら繋げて貰えないまま、二人は何か月もかけてガネル神聖帝国を訪れることになる。ガネル神聖帝国の者たちには、嫌がらせこそされなかったがひどく冷淡な対応を受けた。
数時間どころか何日も待たされた後に、ようやく二人は皇太子とその婚約者への謁見に通された。
ガネル皇太子の隣に立つ少女を見て、思わずクリスティアナは眼を見開いた。
そこにいたのは、ラングリッジ公爵が焼き討ちにしたはずのエリカだったのだ。エリカは傷一つなく、楚々とした様子でガネル皇太子の隣に佇んでいる。
クリスティアナは混乱した。前世で知っていた乙女ゲームに、ガネル神聖帝国などという国は出てこなかったのだ。
そうしているうちに、エリカと視線が合った。
驚きのあまりに表情を取り繕い損ねていたクリスティアナは、ぎくりとした。エリカがすっと眼を細めた。
「……その反応。やっぱり、わたくしを知っているのですね」
「何の話……」
「驚きましたか? 自分が村ごと焼き討ちにしたはずの女が生きていることを知って」
言い返しあぐねるクリスティアナの隣で、フランクが唖然としている。
「まさか! 何かの誤解ではありませんか。クリスティアナは、そのような女性ではありませんよ」
「わたくしども帝国の、正式な調査ですよ」
横合いからガネル皇太子が口を挟んだ。そうなれば、フランクは口を閉ざすことしかできない。
「五年前に、あなたがたのゴドルフィン王国にいたエリカは、住んでいた村を何ものかに焼き討ちにされました。エリカがガネルにいるのは、エリカを保護するよう教会に神託が降りたからです。ガネルは、世界で最も神の声が届きやすい国の一つですから」
ガネル皇太子がエリカと視線を合わせる。
「エリカが帝国に一歩足を踏み入れた途端に、帝国の花が一斉に芽吹きました。風に散らされた花吹雪は、腹を空かせたものの前ではパンに、具合の悪いものの前では薬になったそうです。これはエリカの力というより神からの礼でしょうが、それ以外にもエリカは様々な奇跡を見せてくれました」
にこ、とガネル皇太子が、ゴドルフィン王国の二人に微笑みかけた。
「そちらのラングリッジ公爵令嬢が、何を思ってエリカを殺そうとしたのかは知りませんし、興味もありません。いずれにせよ、我が国の未来の皇妃であるエリカを殺そうとした女性が未来の王妃になろうとしている国と、親しくすることはできません。隙をついて、また命を狙われかねませんから」
すっと、ガネル皇太子が身を乗り出した。そして、二人がゴドルフィン王国から持ち込んだ婚約祝いの品が書かれた目録を、方向を変えて二人に差し返す。
「お返しします。他国の動向を気にするよりも、先に国内を気にしたほうが良いのではありませんか?」
そういう、やりとりを、クリスティアナは追い詰められた気持ちで聞いていた。
フランクが、ひどく愕然とした面持ちでクリスティアナを見ている。
違う、と思った。エリカを殺そうとしたのは必要な判断だったし、そもそもエリカを殺そうとしたのはラングリッジ公爵であってクリスティアナではない。
ただ、自分を守ろうとしただけだ。自分の判断が間違っていたとは、クリスティアナは思わない。
思わずというように、クリスティアナは言った。
「あ、あなたは、あなたが……、あなたさえちゃんと死んでいれば!」
エリカが眼を伏せて、ガネル皇太子が肩を竦めた。顔色を悪くしたエリカを気遣い支えるようにして立たせて、自分も立ち上がる。
「話は終わったようですね」
「お、お待ちください! 謝罪を――」
フランクの制止にも、ガネル神聖帝国の二人は止まらなかった。無情にも音を立ててしまる扉を、フランクは呆然と眺めた。
そうして自失した表情のままで、クリスティアナに視線を移す。
政略であろうとも、クリスティアナはフランクを愛していた。フランクからの視線に耐えられなくて、クリスティアナは無意味に首を振った。
「違う、違うの」
それが事実のように、当たり前のように、まるで予言をするように。
「必要なことだったのよ」
初見さん避けのためにあんまりこういうタイトルは使いたくないのですけれど、走り書き過ぎて思いつかなかったので、、これでいきます。いつもの頭おかしいタイトルで釣られてくるひとたちはそれなりに頭おかしい小説にも耐性があるひとたちでしょ、と思っております
悪役令嬢小説について、皆さん気軽に聖女だの乙女ゲームのヒロインだのを追放したり処刑したりしていますが、元の身分が低い女の子が本来の乙女ゲームでは王太子なんかと結ばれるってことは、その女の子にもそれなりの理由があるんじゃないの? そんなに簡単に聖女やらヒロインを断罪しちゃって良いの?? などとわたしは思うわけでして。前にも言いましたが、『悪役令嬢小説の存在しない原作の乙女ゲーム』に思いを馳せてしまうのです
もう一つ、『悪役令嬢が何もかもぜーんぶ正しいとは限らないよなー』という考えがありまして、そういう疑問だったり考えだったりを今まで手を替え品を替え小説の形に落とし込んでいるのですが、どーーーしても読み取って貰えないのですよね、、、悪役令嬢最強という前提が皆さんの中で強すぎる
なので今回は、わりかし判り易く書いてみました。これ悪役令嬢がどうすれば良かったのかって難しいところで、何も手を打たないでいたら実はヒロインも転生者でテンプレよろしく偽の断罪されちゃうかも知れないし、大変だよねー、などと思いながら書きました
思いつきの吐き出しでございまーす! お暇潰しにDOぞ!!
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