音の無い絵
〈物語のはじまり〉
仁科ルイコがその音に引き寄せられ、辿り着いたのは…入口の塞がったトンネル。
何十にも木材が打ち付けられたソコは、周囲とは違う空気が漂っていた。
(あぁ…来るんじゃ無かった。あの声…行方不明の妹、リリコの笑い声を追って…自転車に乗り、こんな山奥にまで来ちゃった。気色の悪いココに)
カツン、カツン、カツン…
彼女の後から、足音がする。
(違う違う…きっと聞き違い。怖い怖いと思ってるから、こんな自然音にビビるだけ。私は負けない…)
ルイコは気を紛らわそうと、あの時の事を思い出していた…
〈ルイコ主観:過去〉
両親が、私達姉妹を捨てたと分かったのは…借金を取り立てに来たサングラスの男に、理不尽な暴行を加えられた時だった。
「お願い…私はいいから、リリコには」
(カラダが、勝手に…動く)
「お姉ちゃん、お姉ちゃん…エェ〜ン」
無我夢中で大暴れした後、錆びた包丁を手に…血まみれになった私を見て、泣きじゃくる妹。
「トドメ…刺さなきゃ」
ブス、ブスブスブスッ!ザクッザクッ…グヂュグヂュ…
男を返り討ちにしながら…いつの間にか笑顔になっている自分が恐ろしい。
その後、病院の精神科に拘束された私は、捕縛した胡散臭い刑事から、妹が施設に入れられた事を知る。
名前は伏せられていたけど…新聞やTVで私は有名人。
(もう、あの娘と会えないのかな…)
「悪い知らせがあります…」
そう言って、病室に無造作に入って来たのは、あまり美人ではない、中途半端に年を食った保護司の女…ソイツから嫌な話を聞かされ、興奮してしまう。
「リリコが消えたんですか?まさか誘拐っ!」
食い下がる私を看護師達が抑えつける。
(コイツが言うには、園の者が目を離した隙に妹がいなくなったって…そして)
「山中から、血のついた下着と靴が発見されたんだけど…遺体はまだ」
「死んだって決めつけないでっ!」
私は信じない、あの元気な妹がそんな事になるなんて。
(その証拠にホラ、今もあの子の笑い声が聞こえる)
「ウフフ…ハハハハハハ…」
〈病院内を俯瞰:その後〉
「うっ…気持ち悪い」
ルイコを不快にさせた女は、皆藤さとみ。面談の跡、病室の廊下で吐き気をもよおしていた。
ギギギ…ギギギギ…
(何あのイヤな音…まだ耳に響いてる)
ムニュムニュ…ブニュグジュ…
「なに?」
ふと自分の爪に目をやると、その隙間からミミズが這い出してくる…
「うわぁっ!」
思わず振った手を壁にガンっとぶつける。
接触面は紫色に腫れ上がり…
ムヂュムヂュ…グボグボ…
山のように盛り上がった部位はやがて裂け、大量の蛆虫が溢れ出す。
「ぎゃっ!ぎやっ!」
狂った様に頭を振ると、さらに頭をぶつけ…
ボロッ…ボトッボトッ…
眼球が地面に落ちる、すると裂けた額と目の穴から…無数の蠅が。
ブイィィ〜ン…
「うるさいな…」
プシュ〜!
部屋に入り込んだ蠅を殺虫剤で始末するルイコ。
でも彼女は気づいていなかった。その死んだ蠅の顔が…保護司のさとみだった事を。
〈ルイコ主観:後日〉
自宅へ帰る事を許された私は、あのいけ好かない女が自殺した事を知った…でも、ザマアミロとは思わ無かった。逆に可哀想とも、事情を知らない私がそう感じる権利は無いって思う。
(私には、リリコしかいない。あの子を探す事だけが生きる理由)
退院後すぐに立ち寄った、施設から預かった妹のノートには…
[包丁を持った笑顔の女の絵と、足元に転がる目玉の描写。文字で、ミミズとハエ]と書いてあった。それが1頁目…パタッと閉じた後、しばらくは開かない事にした帰り道。
(ん?誰かにつけられてる)
背後の電柱に気配が…
(もっと、上手くやれよ。この暑い時期にコートって…私を捕まえたあの刑事だな)
生活保護の資金で借りた安アパートに戻る。その一室で、カップ麺をすすりながら窓の外を見ると
(まだいる、ボサボサ頭の男。怪し過ぎるだろ…不審者通報したろか、警察に。なんてね)
パンパンパンパンッ!
(安っぽい音、何か煙…クッサ、タバコか?)
バタンッ
窓とカーテンを閉めきった。中までは入って来ないだろう。
〈刑事の運命:その続き〉
尾行していた刑事は、保護司の不審死の疑惑をルイコに対して持っていた。
「こちら、二宮。今、容疑者…イヤ、疑いのある娘、仁科の自宅前だ」
携帯で本署に連絡中。
ブ〜ン…
「シッシッ」
彼の回りを蠅がたかる。
チュウウウ〜!
「痛っ…」
首元にくっついたその虫は、人の顔をして…はみ出した神経を通じ、血を吸っていた。
「お、おわぁぁ!」
手ではらいながら、狂った様に拳銃の空砲を打ち鳴らす。
ゴロゴロッ
気がつくと…回転しながら、首の無い自分の胴体を、地面から見上げている。
「ギ…ギギギギ…」
男が声にもならない音を発し、救急車で運ばれた先は…ルイコが入院していた病院。
医師と看護師が遺体を囲み、検死をしている。
「CTの結果ですが…脳が」
モニターに映る刑事の頭蓋骨の中は、空洞だった。
ムチュムチュムチュ…
医師達は気づいていなかったが、彼等の足元を脳髄が徘徊している。
そしてその物体は消えた。
ジャ〜!
ルイコに妹の失踪を告げた後の時間軸…トイレで用を足していた保護司のさとみは、自分の股間に違和感を覚える。
「何?このモゾモゾ…ま、気のせいか」
便器の中を蠢く脳味噌は、繊維の様ににバラけ、ミミズ化し…下着を下ろした彼女の中へと入ってゆく。時間と空間を無視して…
病室の通路に飾ってある、壁掛けの風景画の中…古い田舎の家屋の戸から、ひとりの少女が少しずつ姿を現す。その目は閉じられ、そこから血が流れている。
「フフフ…ギギギギギギ…」
〈リリコ主観:過去〉
「何これ、きっしよく悪い」
子供の頃…ワタシが絵を描いていると、いつも姉がやって来て取り上げた。
ビリビリビリッ
「お姉ちゃんヤメてぇ、クトゥルフ様が怒るよ」
「おかしな絵ばっかり描いて、キモいんだよ」
彼女は、ワタシのイマジナリーフレンドの邪神の絵を破り、足で踏みつけ…ワタシの髪の毛を引っ張りながら、地面に顔を押しつけた。
「ゴホッゴホッ…やめなさいルイコ、たった一人の妹でしょ」
病弱な母が止めに入る。
(て言っても口だけ、ワタシを解放するだけの力を持たない役立たず)
「冷蔵庫にプリンあるから、ふたりでお食べなさい…」
「いいの、ヤッタ〜」
ワタシから手を離し、冷蔵庫を漁るルイコは意地汚い。
「ホラ、アンタの分よ」
「あり…がと」
ボトッ…
プッチンの部分を目の前で折られ、地面に中身を落とされ…グシャッと潰れる。
この時ワタシは、初めて殺意を覚えた。
その後も諍いは絶えなかったが、何とかやり過ごし、姉が中学生になった頃…両親がワタシ達を捨て、金品を持って夜逃げしたんだ。
「金、払えなきゃ…分かるな」
土足で上がり込む反社は、姉に詰め寄る。
「私さ…ヤリマンだから、つまんないよ。妹は処女だから…ね」
(この女、何を言って)
半笑いのルイコを見上げながら、背後から突き刺さる異物に…声にならない叫びをあげた。
太股から流れる血が、画力がアップしたワタシの悪魔の絵に染みる…
ドクンドクンッ!
(邪神様…このクソ女に、取り憑いて)
白目を剥いて正気を失った姉は、ゆっくと炊事場から持ってきた包丁を上に掲げ男を…
ドスドスドスドスッ!
それを見たワタシは、笑い過ぎて血の涙を流す。
〈そして現在〉
ルイコは、トンネルを塞ぐ板を外し中へと入ろうとする。
(痛っ…釘で少し指突いた)
ヌチュヌチュ…
彼女が手に持つリリコのノートに、ヌルヌルした血液が付着した。
ドクンドクンッ
心臓が早鐘を打つ…
(この感覚、あの時と同じ)
自らが殺人を犯した時の記憶と一致させ、また自意識を失うのではないかと恐怖する。
「お姉ちゃん…助…けて」
(また声、空耳?そうだ…あの時既に、妹は死んでたはず。私の身代わりに酷い目に合って、息を引き取っていた。でも私が暴走した時、目の前で泣いていたのは誰?)
ギギギギギギギギ…
(イヤな音、それとも声?)
「ワタシだよ!」
ドンッ!
ルイコの肩口に女の子の声と共に、手が乗る感触がする。
グヂュ…グヂュ…
振り向いた時、見えた手首から下は無く…切り口から無数の触手が蠢いていた。
「いゃああ〜!」
ドンッ!
彼女を突き飛ばすサングラスの男。
「間に合ったか…」
〈ルート:影男〉
退魔師の資格を持つ俺は、ある姉妹を追っていた。仁科家のふたりの娘…そのどちらかが、魔に侵食されているという依頼を両親から受け、彼等を一旦遠くへ逃し…借金取りのやくざに扮して、娘達に近づこうと考えていた。
「影男、これを」
路地裏で、女占い師の格好した師匠の霊黒が俺に神器を渡す。
「鏡…ですか?」
「真実を映す…かもね」
「かもって」
ドンドンドンッ!
「開けろっ!」
悪役を演じ、戸を強く叩く俺。
(あ〜、手が痛い)
バ〜ンッ!
(クソッ、ロックされてなかった…)
珍しい押戸の内側に吸い込まれた。
「お姉ちゃん、怖いよ」
まだあどけない姉妹が…姉は妹を庇い、抱きしめている。
(イヤ、俺ホンマの悪人やん。イカンイカン、これを…)
ピカーン
魔鏡にふたりを映して見た。
(姉は、誰も、抱きしめて…いない)
「お前…死ぬよ」
ブチッ!
その声の後…耳に激痛と、熱い感触。空間で咀嚼するその唇は…ヨダレと血を滴らせる。
(食いちぎりやがった、バケモノめ)
鏡の内側に組みまれたナイフを取り外し、透明なシルエットに口だけのソイツに突き刺した…何度も何度も、執拗に。
「お姉ちゃん、ヤメてっ!」
(そのはずだった俺は…いつの間にか入れ替わられ、姉のルイコに殺傷された、のか?)
〈再び現在〉
「オジサン…死んだはずじゃ、てか私が殺したよね」
助けてくれた男は、かつてルイコが殺したはずの、ヤクザだった。
ギギギギギギギギギギギギッ!
「オジサン?誰の事言ってんの…ワタシだよ…お、姉、ちゃんっ!」
「いやあぁぁ〜!」
男の顔は妹に変形し、首が伸び…口は頭の後ろ側まで裂け…さらに頭部が360度回転し…頭が割れ、脳味噌をブラブラはみ出しながら、目から緑色の液体を垂れ流していた。
「ゲヘヘヘヘ〜!うっ…グぇぇ〜ゲボゲボゲボ…」
笑いながら、肉塊を吐き出す。
ズルズルズル…
小さい人型をしたそれは、這い回っていた。
「オギャ〜オギャ〜」
「赤…ちゃん、おいで」
ルイコは、血まみれのソレを抱き抱えて胸に顔を埋めさせる。
「オッパイ…」
ブチッ!ブシュ〜!
左胸を噛みちぎられ、血が噴出するが。
「何で私の…緑色?ハァ…ハァ…」
ブゥゥゥ〜ン
ルイコの胸元から、蠅が数十匹飛び出す。
「ハハハハハハハハハハッ!」
笑う虫達は、二宮刑事の顔をしていた。
「もうやめてっ!リリコ…私が悪かったわ…許して…お姉ちゃんを」
(って、ナニコレ?胸が何ともなってない…それに、あの赤ん坊もいないわ。にしても、また…あの音)
ギギギギギギギギッ…
ルイコは思い出していた。幼い頃の夏の日を…
幼少のルイコとリリコは、古い茅葺屋根の祖母の家で蝉の声を聞きながら…居間でスイカを食べていた。
ふたりは次々と食べ進めるうち…最後の一個になり、妹は姉の顔を見上げた。
「コレ、リリコにちょうだい」
「ダメよ、お姉ちゃんが食べるんだから」
「ヤダヤダ…お母さん」
駄々をこねながら、母親の顔を見る。
「今度プリン買ってあげるから、ね」
「ちぇ〜」
親にそう言われ、しぶしぶ諦めるリリコ。
(何でこんな事…今思い出すの)
「はっ…」
ルイコが気づいた時、自分が普通にコンビニで買い物をしている事を自覚する。
「どうせ…また幻覚ね」
家への帰り道。
カツカツカツ…
(何でアスファルトの地面なのに、こんな足音響くんだろ)
ふと左右を見ると、壁が湾曲している。
「ここ…あのトンネルの中?」
バサッ
足に新聞紙が引っかかる。
[殺人犯の妹の少女、トンネル内で担当刑事に惨殺される]
の見出しが目に入った。
(犯人の顔…あの刑事だ)
ブィィィィィ〜ン…
新聞の顔写真から、そのまま刑事顔の蠅が飛び出した…それは三つに分身し、もう一匹は保護司、最後はヤクザ退魔師の男の顔をしている。長い舌をベロベロ伸ばし…ルイコの顔を舐め回した。
「臭いっ…グぇっ」
彼女は嘔吐する。そして頭を押さえ、うずくまっていると、背後に立つ人影が…首の無い、蠅に顔を持っていかれた三人の胴体が、手に血のついた包丁を持って彼女を狙っている。
「イヤッ…助けて…助けて…ゴメンなさい…ゴメンなさい…」
言いながら、コンビニ袋をゴソゴソするルイコ。
「これをっ!」
足元に、三連プリンを半狂乱で置く。
ギギギギギギギギッ
突如、3メートルくらいに巨大化したリリコが現れ…三人をバリバリと喰い殺す。そして、蠅を足で踏み潰した。口から血と内臓をはみ出させつつ咀嚼し…
「まっず…」
「アワワワワ…」
金縛りに合って、動けないルイコに…首を延ばしてその真っ黒の瞳と裂けた口を近づけるリリコ。
「わ〜い、三つもある。お姉ちゃん…アリガト」
子供の頃のカワイイ姿に戻ったリリコは、嬉しそうにプリンを手にしていた。
「グスッ、えっ?」
「バイバイ…」
涙を流すルイコに手を振り、光に包まれるリリコ。
「待って…リリコ…リリコぉ〜!」
彼女が手を伸ばす先の、回転する螺旋に手は届かず…妹はスッと消える。
ルイコは今現在…夜だと思っていたが、トンネルを出ると真っ昼間。ゆっくりと立ち上がった。
「さ、帰ろ…」
トンッ!
肩を叩く手…
「一個足りないっ!」
握られた包丁だけが目に入り…それが誰かを知る由もなかった。
おしまい




