痩身ダイエット
<次のニュースです。アパートの一室から血塗れの男性が遺体として発見されました。都内に住む橋本直哉さん(31)が自宅で倒れているのを帰宅した妻、環奈さんが発見したという事です。直哉さんは血塗れでしたが部屋に荒らされた形跡は無く事件性は無いと断定されましたが、環奈さんの意向もあり司法解剖をした際直哉さんのご遺体からは肺が溶けて無くなるという……>
__プチッ。
「最近のニュースは怖いわね。あ!円香ちゃん、ご飯は?!」
「食べなーい!行ってきまーす」
制服を身に纏った少女は時計を気にしながら外へと飛び出す。ご飯を食べるよう促す母親の声を無視して走り出す。
自分が別段太っていると思ってもいなかったが、高校になってから周りの友達の細さが羨ましく思うようになっていった。誰も自分が太ってるなんて指摘はしないものの、自分とは明らかに違う細さに影で何か言われている気がしてならなかった。
「はぁ、お腹減った…」
お腹を軽く押さえながら肩を竦ませ呟く。とぼとぼと歩く円香の脇を高校生達が歩いて行く。その姿を横目に自分の太腿へと目線を下げた。一度気になり出すとどうにも無視できない。
「円香、おっはよ!」
「沙織おはよう」
「えー何?なんか元気なくない?」
「ううん、ダイエットって辛いなって思っちゃって」
背中をとんと叩いて隣を歩き出す少女に訳を話すとキョトンと言う表情をされる。その後、プッと勢い良く噴き出す。
「円香、痩せてるって!大丈夫大丈夫、何も心配なく食べなよ」
「沙織は痩せてるからそんな事言えるの」
「なら、ダイエットサプリとか飲んだりするのも手かもね」
その言葉にハッとする。食事制限が辛いなら置き換えやサプリで補えば自分でも頑張れるかも知れないと思い至ったのだ。
「ありがとう、なんかやれる気がしてきた」
「それならよかった。あ、一限の予習してる?当たる可能性あるんだよね」
二人で笑い合いながら登校する。
円香は何事も無く一日を過ごし部活があるからと言う沙織と分かれ帰路に就いた。
帰路に就いた……と思っていた。お腹が減りすぎてボーとしていたのか、円香はいつの間にか駅前に居た。電車通学では無いから本来駅に向かう必要も無く、寧ろ反対方面のはずなのに何故か此処に居た。
あれ?と思いながら踵を返すと目に飛び込んできたダイエットにも有効の文字。ハッとしてその文字に駆け寄る。
「……槙島、クリニック?」
こんな所にクリニックなんていつ出来たんだろう。此処に住んで長い自分でも疑問に思いながらもダイエットの言葉に惹かれてガラスのドアを押し開ける。
「あの、すみません…」
恐る恐る声を掛ける。初めて行く病院は大病院でも個人病院でも何となく緊張する。
すると、奥の方から声が聞こえてくる。
「はい、初来院の方ですか?」
「そ、そうです」
「受付を通り過ぎて奥の診察室に来てくれますか?」
「はい」
おかしな所だ、それが第一印象だった。
受付には年配の看護師が居る。けれど、人の気配でも起きる気はないようでずっと居眠りしていた。診察室にそのまま来るように言われたから行くしか無い、と意を決して足を踏み入れる。
奥に進むと診察室と書かれた表札のあるドアがある。それに手を掛けゆっくりと開く。
「あの、すみません…」
「こんにちは、槙島クリニックの医師で槙島と言います」
「あ!はい。えっと、瀬戸円香です」
ドアの前に笑顔の女性が立っていた。年齢は三十後半だろうか、若いけれど笑顔の裏に何かを含むような圧を感じた。それでいて耳心地の良い低さの声。黒く艶やかな長髪と赤味の強いリップが印象的だ。
「瀬戸さんね、そちらに掛けて?」
「ありがとうございます」
「それで今日はどようなご相談かしら」
「えっと、表にダイエットに有効とあって、その…私、痩せたいんです」
「…普通体型か痩せ型寄りにも見えますが、女性はいつだって綺麗でいたいですからね」
「はい、もっと痩せたくて」
「分かりました。では、こちらのボディークリームを二種類お使いください。毎日夜に黄色い容器の此方をマッサージしながら痩せたい部分に塗り込んでください。そして、一週間に一度だけ赤い容器の此方を同様に塗り込んでください。…赤い容器は一週間に一度だけですよ。用法用量は必ずお守りください」
「黄色が毎日、赤色が一週間に一度。分かりました!ありがとうございます!」
「赤い方は効き目が強いので、用法用量はお守りください」
クリームの容器を手に握らせてぎゅっと包むように力を込めて念を押す。それにうんと大きく頷いて見せた。
「分かりました!あ、えっと…お会計とか受付は?」
「向こうのカウンターで受付をしますね。行きましょ」
「……はい」
嬉しさに心を躍らせながらも先程、何故受付し無かったんだろうという疑念も再度浮かんだ。それでも受付とお会計が済む頃にはどうでも良くなっていた。
受付には先程まで居た看護師の姿は無く、トイレかカウンターの奥で何か作業でもしているんだろうかと思った。それさえもどうでも良くて、早くクリームを塗りたくて仕方なかった。
「では、次回の予約は一週間後の同じ時間に」
「はい!よろしくお願いします」
ペコッと頭を下げてクリニックを後にする。値段は破格のようにも思えた。二種類のクリームと診察料でお小遣いで賄えてしまった。高い場合は母親に強請ろうと思っていたのだ。
その日の夜早速クリームを塗ってみる。ちょっと効果を試したくて右足には赤い容器のクリームと左足には黄色い容器のクリームを塗る。赤は効果が強いという話だったが流石に一日では効果は出ないだろうと踏んで塗ってみたのだ。
次の日の朝、起きて驚くこととなる。
***
「え、は?えぇ?!うっそ」
目が覚めて伸びをする。ベッドから降りてパジャマを脱ぎ姿見に自分の姿を写して体を確認するのが日課になっていた。
そこで声を盛大に上げてしまった。
鏡に写った自分の太腿の隙間が明らかにおかしい程抉れていた。
左右の足を触って尚実感する。太腿の肉の感触が全然違うことに。
「一回で、この効果?」
ダイエットに有効と銘打つだけある。
今日が土曜日で学校が休みでよかったと一安心する。こんなチグハグな足でミニスカートを履きたくは無かった。
嬉しくなってその日一日はずっと笑顔で過ごしていた。母親にはおかしな子ね、なんて言われたけれど久しぶりにきちんと朝食を食べた円香に満足顔だった。
特に予定も無い一日を過ごしたが、足が細くなったという事実にうっとりする円香。
昨日は右足に塗ったが、今夜は左足に赤い容器のクリームを塗ろうと決めていた。一週間に一度だけではあるけれど左右別々に塗ってるならそれはきちんと一度だろうという屁理屈で塗ろうとしていた。
***
塗った次の日、目覚めるのが楽しみになっていた。
クリームを貰ったあの日から毎日が楽しく、制服だけでなく色んなファッションも楽しんでいた。
そうして、一週間を過ごし次の診察の日。
「すみませーん」
ゆっくりとガラスのドアを開けて中を覗く。受付の看護師は今日もまた寝ている。
初診の時のように奥から声が掛かる。
「瀬戸さんですね?そのまま診察室まで来て下さい」
「分かりました」
受付のカウンターを通り過ぎて若干薄暗い廊下を歩く。この狭さと暗さだけは何処か不安を煽ってくると感じていた。
「失礼します」
「こんにちは。瀬戸さん、あれからどうですか?」
「スッゴく良いです!!!まさか赤い容器のクリームであそこまで変わると思ってませんでした!」
「ふふ、よかったです」
目を輝かせながら興奮気味に話す円香に対して、優しく微笑む槙島はとても良い先生に見えた。
「では、またクリームを二種類出しておきますね。予約も一週間後で大丈夫ですか?」
「はい!お願いします」
診察を終えいつも通り会計も済ませクリニックを後にする。少し歩き始めてからスマホに通知が入る。
「えぇ?!拓真くんから、デートのお誘い?!しかも、明日じゃん!急すぎるよ」
意中の相手からのメッセージに歓喜して心臓が飛び跳ねた。ただ、余りの性急さに驚きはしたものの此処で断ったら次いつ誘われるか分からないからと即行でオッケーの返事を返す。
明日のためにも万全を期そうと家路を急いだ。
***
その日の夜、円香は少しだけ悩んでいた。既に赤い容器のクリームを昨日塗っていたのだ。でも、やはり恋する乙女は少しでも綺麗な姿を好きな相手に見せたいとも思っていた。
「一日ぐらい、良いよね」
うんと独り頷いてから赤い容器を手に取る。いつもより多めに手に取るとそれを太腿へと塗り込んでいく。序でと言うように腹部にもたっぷりと塗り込んでいった。
「っ、なに?」
先程クリームを塗った足が熱を持っていくのを感じた。その熱は痛みを伴っていく。その痛みに弾かれたように視線を向ける。
赤い……血?と思考が一瞬停止する。
「え、な…何?」
太腿から真っ赤な血が溢れてくる。そこで血が出ていると認識すると急な激痛を感じ息が上がった。
溢れ出る血を止めるように太腿に手を当てると、皮膚がボロボロと肉塊になって落ちていく。訳が分からなくなり首を左右に振りその肉塊を集める。
「何、痛い痛い痛い痛い痛い痛い、やだ、私の、私の…これは何?いやぁあああ!!!!」
ドロリと血に付着しながら流れ落ちる。思考が停止したまま震える唇で叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。
叫んでいるのに家の人は誰も来ない。痛みを訴えても何も返ってこない。
息が浅くなっていく。剥がれ落ちる肉片が無くなったのか、赤い色の中に生々しい白が見えた。あれは……骨?
円香はヒュッと息を吸うと吐くことを忘れ動きを止めた。
痛みで脂汗をかき赤い血溜まりの中に蹲る円香の視界の向こう側。そこには無表情の槙島の姿があった。
槙島は赤い容器と黄色い容器を手に持ち、見下ろしながら口元に人差し指を当てる。
「だから、用法・用量はお守りくださいと言ったんです」
その一言を言い残し踵を返す。ドアが開く音も閉じる音も無いままに槙島の姿は既に無かった。
そこに残されたのは真っ赤な血の池に肉片と共に蹲る少女の姿だけがあった。




