「無能」と追放されたメイドですが、実は子爵家を支えていたのは私でした
「お前は明日付で解雇だ。荷物をまとめて出て行け」
グレイス子爵家の応接室。重厚な家具に囲まれた部屋で、私――エリーゼは、ベアトリス子爵夫人の冷たい声を聞いた。
「え......?」
思わず聞き返す。夫人の隣には、新任の執事ロベルトが腕を組んで立っている。
「聞こえなかったのか。お前を解雇すると言っている」
夫人が苛立たしげに繰り返す。
「理由を......お聞かせ願えますか?」
「理由? 決まっているだろう。お前は無能だ。地味で暗くて、何の役にも立たない」
ロベルトが横から口を挟む。
「エリーゼさん、あなたは掃除係のはずなのに、最近は勝手に色々なことに首を突っ込んでいるそうじゃないか。身の程を知るべきだ」
(身の程......?)
私は十年間、この屋敷で働いてきた。確かに肩書きは「掃除係メイド」だ。でも実際には――。
「分かりました。明日までに荷物をまとめます」
私は深々と頭を下げた。
「それで良い。給金は今月分までだ。それ以上は出さん」
夫人が手を振って追い払う。私は静かに応接室を出た。
(ああ、やっぱりこうなったのね)
廊下を歩きながら、私は不思議と冷静だった。
(むしろ、解放されたのかもしれない)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――一週間前。
「エリーゼ! また夫人様がご無理をなさって!」
料理長のマルタが、青い顔で帳簿を持ってきた。
「今月のドレス代、予算の三倍ですって! これじゃあ使用人の給金が払えませんよ!」
「大丈夫よ、マルタ。ちょっと見せて」
私は帳簿を受け取り、数字をさっと確認した。確かに夫人のドレス代が高額すぎる。でも――。
「ここの交際費、実は二重計上になってるわね。それから、この備品購入費も去年からの繰越分が含まれてる。実際の支出はもっと少ないわ」
「本当ですか!?」
「ええ。それに、先月の余剰金をこちらに回せば......何とかなるわ」
私は手早く帳簿を修正し、マルタに返した。
「ああ、エリーゼさん、あなたがいてくれて本当に助かります!」
「いいのよ。これくらい当然だもの」
(本当は......私の仕事じゃないんだけど)
私は心の中で溜息をついた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――三日前。
「くそっ、また間違えたのか!」
厨房の裏で、ロベルトが憤っている声が聞こえた。
「発注書、肉と魚の数量を逆にしてしまった......このままじゃ今週のパーティーに間に合わない!」
私はそっと近づき、発注書を覗き込んだ。なるほど、確かに間違っている。
「......失礼します、ロベルト様」
「エリーゼか。何の用だ?」
「発注書、まだ業者に届いていませんよね? 私が急ぎで修正して持って行きます」
「......そうしてくれ」
ロベルトは不機嫌そうに発注書を私に渡した。
私は急いで正しい発注書を作り直し、業者のところへ走った。
「エリーゼさん、助かります! 丁度良いタイミングでした!」
「良かったわ。これでパーティーも無事開催できますね」
(ああ、もういいや。疲れた)
帰り道、私は心の底から疲労を感じていた。
翌日、ロベルトは夫人に「私が的確に発注を管理した」と報告していた。私のことは一言も触れられなかった。
(まあ、いつものことね)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――そして追放当日。
「エリーゼさん......本当に行ってしまうんですか?」
荷造りをしていると、若い令嬢のセリーナが部屋に入ってきた。
「ええ、セリーナお嬢様。明日にはここを出ます」
「そんな......お母様、ひどいわ! エリーゼさんがどれだけ屋敷のために働いてきたか......!」
セリーナは涙ぐんでいる。
「大丈夫よ、セリーナお嬢様。私は平気です」
私は優しく微笑んだ。
「それより、お嬢様。あなたはもっと自分に自信を持って。あなたは優しくて、賢くて、素敵な方です」
「エリーゼさん......」
「きっと良い縁談が来ますよ。私、信じています」
セリーナは泣きながら私を抱きしめた。
(この子だけは......優しい子)
私は静かに荷物をまとめた。
(十年......よく頑張った)
(本当は限界だった。むしろ、解放されたのかも)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日の朝。
私は小さな鞄一つを持って、グレイス邸の門を出た。
行くあてはない。貯金は多少あるが、次の仕事が見つかるまでどれくらい持つか分からない。
(とりあえず、宿を探さないと)
王都の大通りを歩いていると――。
「危ない!」
突然、横から子供が飛び出してきた。その先には、猛スピードで走る馬車。
私は咄嗟に子供を抱きかかえて横に飛んだ。
「きゃっ!」
ドサッと地面に倒れる。痛みが走るが、子供は無事だ。
「坊や、大丈夫?」
「う、うん......ありがとう、お姉ちゃん」
子供は泣きそうになりながら頷いた。
「申し訳ございません!」
馬車が止まり、中から男性が降りてきた。
――立派な礼服。整った顔立ち。そして何より、その佇まいから滲み出る気品。
(この方は......貴族?)
「大丈夫ですか? 怪我は?」
男性が心配そうに声をかけてくる。
「はい、大丈夫です。子供が無事で良かった」
私は立ち上がり、服の埃を払った。
「あなたの勇敢な行動に感謝します。ところで......」
男性がじっと私を見つめる。
「君は......確かグレイス家の使用人では?」
(え? この方、私を知っているの?)
「はい。以前はそうでしたが......昨日解雇されました」
「なんと」
男性が驚いたように目を見開いた。
「グレイス子爵が、あなたを手放したと?」
「ええ、まあ......そういうことです」
「......信じられない」
男性は何か考え込むように腕を組んだ。
「丁度良い。我が家で働かないか?」
「え......?」
「私はアーサー・ランベール侯爵だ。実は優秀な執事長を探していたところなのだ」
(侯爵......!? それに、執事長!?)
「で、ですが、私はただのメイドで......」
「謙遜は不要だ。私は以前、グレイス邸を訪問した際、あなたの働きぶりを見ていた」
アーサー侯爵が真剣な眼差しで言う。
「あの屋敷が回っているのは、あなたのおかげだと一目で分かった。給金は今の三倍。執事長として、我が家を任せたい」
(三倍......!? そんな......)
「すぐには決められないでしょう。とりあえず、私の屋敷に来てください。詳しい話はそこでしましょう」
侯爵は優しく微笑んだ。
私は――何故か、この人の言葉を信じてみようと思った。
「......分かりました。お話だけでも聞かせていただきます」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ランベール侯爵邸は、グレイス邸の三倍はある大きな屋敷だった。
でも、不思議と威圧感がない。むしろ、温かみのある雰囲気だ。
「こちらへどうぞ」
侯爵は私を応接室に案内した。
「まず、労働条件から説明しよう」
侯爵が一枚の紙を差し出す。
「執事長としての給金は月に金貨十枚。労働時間は朝六時から夕方六時まで。休日は週に一日。住み込みの場合は個室を用意する」
(金貨十枚!? グレイス家では銀貨二十枚だったのに......!)
(それに、労働時間がきちんと決まっている!?)
グレイス家では、朝五時から夜中まで働くことも珍しくなかった。休日なんてほとんどなかった。
「こんな......普通の職場があったなんて」
思わず呟くと、侯爵が不思議そうに首を傾げた。
「普通......? これは標準的な条件ですが」
「あ、いえ......その、グレイス家では......」
私が言いよどむと、侯爵は察したように頷いた。
「そうか。あそこはブラックだったのか」
「ブラック......?」
「労働環境が劣悪だという意味だ。よく十年も耐えたね」
侯爵の声には、心からの同情が込められていた。
「で、では......私、ここで働かせていただきます!」
私は頭を下げた。
「ありがとう、エリーゼ。これからよろしく頼む」
侯爵は温かく微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――それから一ヶ月。
「エリーゼ執事長、今月の収支報告です」
会計係のメイドが書類を持ってくる。
「ありがとう。ええと......支出が予算内に収まっているわね。素晴らしいわ」
「それはエリーゼ執事長のおかげですよ! 無駄な支出をきちんと削減してくださったから」
私はランベール邸で、執事長として働き始めた。
最初は戸惑いもあったが、侯爵や他の使用人たちが温かく迎えてくれた。
「エリーゼ、少し良いか?」
侯爵が執務室に顔を出す。
「はい、何でしょうか?」
「君がいて、本当に助かっている。屋敷が見違えるように効率的になった」
「いえ、そんな......これくらい当然のことですから」
「謙遜するな。君の仕事ぶりは素晴らしい。他の使用人たちも、君を慕っている」
侯爵の言葉に、私の胸が温かくなった。
(初めて......認めてもらえた)
(私の仕事を、ちゃんと見てくれる人がいる)
「ところで、エリーゼ」
「はい?」
「最近、顔色が良くないぞ。働きすぎではないか?」
「大丈夫です。まだまだやることがありますから」
「いや、休みなさい」
侯爵が有無を言わさぬ口調で言う。
「明日は休日だ。丸一日、何もするな」
「で、ですが......!」
「命令だ」
侯爵は優しく、でも強く言った。
「君は頑張りすぎだ。もっと自分を大切にしなさい」
(自分を......大切に?)
そんなこと、今まで考えたこともなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、私は本当に丸一日休んだ。
久しぶりに朝遅くまで寝て、庭を散歩して、本を読んだ。
夕方、侯爵が紅茶とお菓子を持ってきた。
「自ら......ですか?」
「たまには良いだろう。君はいつも皆に尽くしているのだから」
侯爵が淹れてくれた紅茶は、最高級の茶葉を使った贅沢なものだった。
「美味しい......」
「そうか。良かった」
侯爵が嬉しそうに微笑む。
月明かりの下、二人で紅茶を飲む。静かで、穏やかな時間。
(こんなに......幸せな時間があるなんて)
私は少しずつ、心を開いていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そんなある日。
「侯爵様、お客様がお見えです」
「誰だ?」
「近隣のドレイク伯爵様とのことです」
私が応接室に伯爵を案内すると、彼は驚いたように私を見た。
「おや、君は......グレイス家のメイドではなかったかね?」
「以前はそうでしたが、今はこちらで執事長を務めております」
「そうか! それは良かった。実はね、グレイス家が大変なことになっているんだよ」
「......と、おっしゃいますと?」
伯爵が声を潜める。
「君が辞めてから、あの家は目も当てられない状態だ。赤字に転落して、使用人が次々と辞めている。社交界でも評判が地に落ちたよ」
(ああ、やっぱり)
私は淡々とした気持ちで聞いていた。
「ベアトリス夫人とロベルト執事は、互いに責任を押し付け合っているらしい。見苦しいことこの上ない」
「そうですか......」
「君がいかに有能だったか、今になって分かったようだが、時既に遅しだね」
伯爵は同情するように首を振った。
私は――何も感じなかった。
(私がいなくなれば、こうなることは分かっていた)
(でも、もう私には関係ない)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――さらに二ヶ月後。
季節は秋になり、庭の木々が色づき始めた。
「エリーゼ」
夜、侯爵が私を庭園に呼び出した。
「何でしょうか、侯爵様?」
「君に......話したいことがある」
月明かりが、侯爵の顔を照らしている。
彼は真剣な表情で、私を見つめた。
「エリーゼ、私は君を愛している」
(え......?)
「君の賢さ、優しさ、強さ。全てが素晴らしい。私の妻になってくれないか」
時が止まったように感じた。
「で、ですが......私は、ただの平民メイドです」
「身分など関係ない」
侯爵が一歩近づく。
「君は誰よりも賢く、美しく、強い。私はそんな君を、心から愛している」
(愛......?)
(私が......愛される?)
涙が溢れてきた。
「私......私なんて......」
「違う」
侯爵が優しく私の涙を拭う。
「君は素晴らしい。もっと自分の価値を認めなさい」
(初めて......)
(初めて、自分の価値を認めてもらえた)
「......はい」
私は涙声で答えた。
「喜んで、あなたの妻になります」
侯爵が私を抱きしめる。温かくて、優しくて、安心できる腕の中。
(ああ、これが......愛なのね)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから数日後。
「エリーゼ様、お客様が......」
メイドが困った顔で報告に来る。
「誰?」
「グレイス家のベアトリス夫人と、ロベルト執事が......」
(まさか、今更......?)
私は応接室に向かった。
そこには、見る影もなく憔悴したベアトリス夫人と、青ざめたロベルトがいた。
「エリーゼ!」
夫人が私を見るなり、すがりつくように手を伸ばす。
「戻ってきてくれ! あの時は......私が悪かった!」
「そうだ、エリーゼさん。あれは誤解だったんだ。本当は君が必要なんだよ」
ロベルトも必死な様子だ。
私は冷静に、でもはっきりと答えた。
「申し訳ございませんが、私は既にこちらでお役目をいただいております」
「そ、そんな......! 給金なら上げる! 何でもするから!」
「それに――」
私は真っ直ぐに二人を見た。
「もう、あの頃の私ではありません」
「な、何を生意気な!」
夫人が逆ギレしかけたその時。
「その辺にしたまえ」
侯爵が部屋に入ってきた。
「エリーゼは今や私の婚約者だ。二度と彼女に近づくな」
その冷たい声に、夫人もロベルトも震え上がった。
「こ、婚約者......!?」
「そうだ。来月には結婚する。グレイス家の皆様も、ぜひご招待したいが――招待状をお送りしても良いかな?」
侯爵の言葉は丁寧だが、その目は冷たかった。
「い、いえ......遠慮します......」
夫人とロベルトは、青ざめたまま退散していった。
彼らが去った後、私は侯爵の方を向いた。
「ありがとうございます」
「当然のことをしただけだ。君は、もう二度とあんな環境に戻る必要はない」
侯爵が私の手を取る。
「これからは、私が君を守る」
(ああ、もう大丈夫)
(私には、この人がいる)
その夜、セリーナから手紙が届いた。
『エリーゼさん、ご婚約おめでとうございます。あなたが幸せになると聞いて、本当に嬉しいです。私も、あなたに教えてもらったことを胸に、頑張ります』
優しいセリーナ。彼女だけは、心から祝福してくれた。
(セリーナお嬢様も、きっと幸せになれる)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――半年後。
ランベール侯爵邸の庭園で、小さな結婚式が執り行われた。
純白のドレスに身を包んだ私は、アーサーの隣に立っている。
「では、誓いのキスを」
神官の言葉に、アーサーが優しく私にキスをした。
温かな拍手が響く。
(あの時、解雇されなければ、この幸せはなかった)
(人生、何が幸運か分からないものね)
式の後、私たちは招待客と歓談した。
その中に、セリーナの姿もあった。彼女は素敵な青年と婚約したらしい。
「エリーゼさん、本当におめでとうございます!」
「ありがとう、セリーナ。あなたも幸せそうで良かった」
「はい! 全部、エリーゼさんのおかげです!」
セリーナは嬉しそうに微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、グレイス家は完全に没落した。
ベアトリス夫人とロベルトは互いを責め合いながら、地方の小さな屋敷へ移った。
セリーナは良縁に恵まれ、時々私を訪ねてくれる。
私はアーサーの妻として、ランベール侯爵夫人として、幸せに暮らしている。
時には、あの十年間を思い出すこともある。
(あの十年も、無駄じゃなかったのかもしれない)
(全てが、今に繋がっているから)
夜、アーサーが私を抱きしめる。
「愛しているよ、エリーゼ」
「私も、あなたを愛しています」
月明かりの下、私たちは静かにキスをした。
エリーゼは、アーサーの腕の中で、心から微笑んだ。
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