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「無能」と追放されたメイドですが、実は子爵家を支えていたのは私でした

作者: 夢見叶
掲載日:2026/02/10

「お前は明日付で解雇だ。荷物をまとめて出て行け」


 グレイス子爵家の応接室。重厚な家具に囲まれた部屋で、私――エリーゼは、ベアトリス子爵夫人の冷たい声を聞いた。


「え......?」


 思わず聞き返す。夫人の隣には、新任の執事ロベルトが腕を組んで立っている。


「聞こえなかったのか。お前を解雇すると言っている」


 夫人が苛立たしげに繰り返す。


「理由を......お聞かせ願えますか?」


「理由? 決まっているだろう。お前は無能だ。地味で暗くて、何の役にも立たない」


 ロベルトが横から口を挟む。


「エリーゼさん、あなたは掃除係のはずなのに、最近は勝手に色々なことに首を突っ込んでいるそうじゃないか。身の程を知るべきだ」


 (身の程......?)


 私は十年間、この屋敷で働いてきた。確かに肩書きは「掃除係メイド」だ。でも実際には――。


「分かりました。明日までに荷物をまとめます」


 私は深々と頭を下げた。


「それで良い。給金は今月分までだ。それ以上は出さん」


 夫人が手を振って追い払う。私は静かに応接室を出た。


 (ああ、やっぱりこうなったのね)


 廊下を歩きながら、私は不思議と冷静だった。


 (むしろ、解放されたのかもしれない)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――一週間前。


「エリーゼ! また夫人様がご無理をなさって!」


 料理長のマルタが、青い顔で帳簿を持ってきた。


「今月のドレス代、予算の三倍ですって! これじゃあ使用人の給金が払えませんよ!」


「大丈夫よ、マルタ。ちょっと見せて」


 私は帳簿を受け取り、数字をさっと確認した。確かに夫人のドレス代が高額すぎる。でも――。


「ここの交際費、実は二重計上になってるわね。それから、この備品購入費も去年からの繰越分が含まれてる。実際の支出はもっと少ないわ」


「本当ですか!?」


「ええ。それに、先月の余剰金をこちらに回せば......何とかなるわ」


 私は手早く帳簿を修正し、マルタに返した。


「ああ、エリーゼさん、あなたがいてくれて本当に助かります!」


「いいのよ。これくらい当然だもの」


 (本当は......私の仕事じゃないんだけど)


 私は心の中で溜息をついた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――三日前。


「くそっ、また間違えたのか!」


 厨房の裏で、ロベルトが憤っている声が聞こえた。


「発注書、肉と魚の数量を逆にしてしまった......このままじゃ今週のパーティーに間に合わない!」


 私はそっと近づき、発注書を覗き込んだ。なるほど、確かに間違っている。


「......失礼します、ロベルト様」


「エリーゼか。何の用だ?」


「発注書、まだ業者に届いていませんよね? 私が急ぎで修正して持って行きます」


「......そうしてくれ」


 ロベルトは不機嫌そうに発注書を私に渡した。


 私は急いで正しい発注書を作り直し、業者のところへ走った。


「エリーゼさん、助かります! 丁度良いタイミングでした!」


「良かったわ。これでパーティーも無事開催できますね」


 (ああ、もういいや。疲れた)


 帰り道、私は心の底から疲労を感じていた。


 翌日、ロベルトは夫人に「私が的確に発注を管理した」と報告していた。私のことは一言も触れられなかった。


 (まあ、いつものことね)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――そして追放当日。


「エリーゼさん......本当に行ってしまうんですか?」


 荷造りをしていると、若い令嬢のセリーナが部屋に入ってきた。


「ええ、セリーナお嬢様。明日にはここを出ます」


「そんな......お母様、ひどいわ! エリーゼさんがどれだけ屋敷のために働いてきたか......!」


 セリーナは涙ぐんでいる。


「大丈夫よ、セリーナお嬢様。私は平気です」


 私は優しく微笑んだ。


「それより、お嬢様。あなたはもっと自分に自信を持って。あなたは優しくて、賢くて、素敵な方です」


「エリーゼさん......」


「きっと良い縁談が来ますよ。私、信じています」


 セリーナは泣きながら私を抱きしめた。


 (この子だけは......優しい子)


 私は静かに荷物をまとめた。


 (十年......よく頑張った)


 (本当は限界だった。むしろ、解放されたのかも)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 翌日の朝。


 私は小さな鞄一つを持って、グレイス邸の門を出た。


 行くあてはない。貯金は多少あるが、次の仕事が見つかるまでどれくらい持つか分からない。


 (とりあえず、宿を探さないと)


 王都の大通りを歩いていると――。


「危ない!」


 突然、横から子供が飛び出してきた。その先には、猛スピードで走る馬車。


 私は咄嗟に子供を抱きかかえて横に飛んだ。


「きゃっ!」


 ドサッと地面に倒れる。痛みが走るが、子供は無事だ。


「坊や、大丈夫?」


「う、うん......ありがとう、お姉ちゃん」


 子供は泣きそうになりながら頷いた。


「申し訳ございません!」


 馬車が止まり、中から男性が降りてきた。


 ――立派な礼服。整った顔立ち。そして何より、その佇まいから滲み出る気品。


 (この方は......貴族?)


「大丈夫ですか? 怪我は?」


 男性が心配そうに声をかけてくる。


「はい、大丈夫です。子供が無事で良かった」


 私は立ち上がり、服の埃を払った。


「あなたの勇敢な行動に感謝します。ところで......」


 男性がじっと私を見つめる。


「君は......確かグレイス家の使用人では?」


 (え? この方、私を知っているの?)


「はい。以前はそうでしたが......昨日解雇されました」


「なんと」


 男性が驚いたように目を見開いた。


「グレイス子爵が、あなたを手放したと?」


「ええ、まあ......そういうことです」


「......信じられない」


 男性は何か考え込むように腕を組んだ。


「丁度良い。我が家で働かないか?」


「え......?」


「私はアーサー・ランベール侯爵だ。実は優秀な執事長を探していたところなのだ」


 (侯爵......!? それに、執事長!?)


「で、ですが、私はただのメイドで......」


「謙遜は不要だ。私は以前、グレイス邸を訪問した際、あなたの働きぶりを見ていた」


 アーサー侯爵が真剣な眼差しで言う。


「あの屋敷が回っているのは、あなたのおかげだと一目で分かった。給金は今の三倍。執事長として、我が家を任せたい」


 (三倍......!? そんな......)


「すぐには決められないでしょう。とりあえず、私の屋敷に来てください。詳しい話はそこでしましょう」


 侯爵は優しく微笑んだ。


 私は――何故か、この人の言葉を信じてみようと思った。


「......分かりました。お話だけでも聞かせていただきます」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ランベール侯爵邸は、グレイス邸の三倍はある大きな屋敷だった。


 でも、不思議と威圧感がない。むしろ、温かみのある雰囲気だ。


「こちらへどうぞ」


 侯爵は私を応接室に案内した。


「まず、労働条件から説明しよう」


 侯爵が一枚の紙を差し出す。


「執事長としての給金は月に金貨十枚。労働時間は朝六時から夕方六時まで。休日は週に一日。住み込みの場合は個室を用意する」


 (金貨十枚!? グレイス家では銀貨二十枚だったのに......!)


 (それに、労働時間がきちんと決まっている!?)


 グレイス家では、朝五時から夜中まで働くことも珍しくなかった。休日なんてほとんどなかった。


「こんな......普通の職場があったなんて」


 思わず呟くと、侯爵が不思議そうに首を傾げた。


「普通......? これは標準的な条件ですが」


「あ、いえ......その、グレイス家では......」


 私が言いよどむと、侯爵は察したように頷いた。


「そうか。あそこはブラックだったのか」


「ブラック......?」


「労働環境が劣悪だという意味だ。よく十年も耐えたね」


 侯爵の声には、心からの同情が込められていた。


「で、では......私、ここで働かせていただきます!」


 私は頭を下げた。


「ありがとう、エリーゼ。これからよろしく頼む」


 侯爵は温かく微笑んだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――それから一ヶ月。


「エリーゼ執事長、今月の収支報告です」


 会計係のメイドが書類を持ってくる。


「ありがとう。ええと......支出が予算内に収まっているわね。素晴らしいわ」


「それはエリーゼ執事長のおかげですよ! 無駄な支出をきちんと削減してくださったから」


 私はランベール邸で、執事長として働き始めた。


 最初は戸惑いもあったが、侯爵や他の使用人たちが温かく迎えてくれた。


「エリーゼ、少し良いか?」


 侯爵が執務室に顔を出す。


「はい、何でしょうか?」


「君がいて、本当に助かっている。屋敷が見違えるように効率的になった」


「いえ、そんな......これくらい当然のことですから」


「謙遜するな。君の仕事ぶりは素晴らしい。他の使用人たちも、君を慕っている」


 侯爵の言葉に、私の胸が温かくなった。


 (初めて......認めてもらえた)


 (私の仕事を、ちゃんと見てくれる人がいる)


「ところで、エリーゼ」


「はい?」


「最近、顔色が良くないぞ。働きすぎではないか?」


「大丈夫です。まだまだやることがありますから」


「いや、休みなさい」


 侯爵が有無を言わさぬ口調で言う。


「明日は休日だ。丸一日、何もするな」


「で、ですが......!」


「命令だ」


 侯爵は優しく、でも強く言った。


「君は頑張りすぎだ。もっと自分を大切にしなさい」


 (自分を......大切に?)


 そんなこと、今まで考えたこともなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 翌日、私は本当に丸一日休んだ。


 久しぶりに朝遅くまで寝て、庭を散歩して、本を読んだ。


 夕方、侯爵が紅茶とお菓子を持ってきた。


「自ら......ですか?」


「たまには良いだろう。君はいつも皆に尽くしているのだから」


 侯爵が淹れてくれた紅茶は、最高級の茶葉を使った贅沢なものだった。


「美味しい......」


「そうか。良かった」


 侯爵が嬉しそうに微笑む。


 月明かりの下、二人で紅茶を飲む。静かで、穏やかな時間。


 (こんなに......幸せな時間があるなんて)


 私は少しずつ、心を開いていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 そんなある日。


「侯爵様、お客様がお見えです」


「誰だ?」


「近隣のドレイク伯爵様とのことです」


 私が応接室に伯爵を案内すると、彼は驚いたように私を見た。


「おや、君は......グレイス家のメイドではなかったかね?」


「以前はそうでしたが、今はこちらで執事長を務めております」


「そうか! それは良かった。実はね、グレイス家が大変なことになっているんだよ」


「......と、おっしゃいますと?」


 伯爵が声を潜める。


「君が辞めてから、あの家は目も当てられない状態だ。赤字に転落して、使用人が次々と辞めている。社交界でも評判が地に落ちたよ」


 (ああ、やっぱり)


 私は淡々とした気持ちで聞いていた。


「ベアトリス夫人とロベルト執事は、互いに責任を押し付け合っているらしい。見苦しいことこの上ない」


「そうですか......」


「君がいかに有能だったか、今になって分かったようだが、時既に遅しだね」


 伯爵は同情するように首を振った。


 私は――何も感じなかった。


 (私がいなくなれば、こうなることは分かっていた)


 (でも、もう私には関係ない)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――さらに二ヶ月後。


 季節は秋になり、庭の木々が色づき始めた。


「エリーゼ」


 夜、侯爵が私を庭園に呼び出した。


「何でしょうか、侯爵様?」


「君に......話したいことがある」


 月明かりが、侯爵の顔を照らしている。


 彼は真剣な表情で、私を見つめた。


「エリーゼ、私は君を愛している」


 (え......?)


「君の賢さ、優しさ、強さ。全てが素晴らしい。私の妻になってくれないか」


 時が止まったように感じた。


「で、ですが......私は、ただの平民メイドです」


「身分など関係ない」


 侯爵が一歩近づく。


「君は誰よりも賢く、美しく、強い。私はそんな君を、心から愛している」


 (愛......?)


 (私が......愛される?)


 涙が溢れてきた。


「私......私なんて......」


「違う」


 侯爵が優しく私の涙を拭う。


「君は素晴らしい。もっと自分の価値を認めなさい」


 (初めて......)


 (初めて、自分の価値を認めてもらえた)


「......はい」


 私は涙声で答えた。


「喜んで、あなたの妻になります」


 侯爵が私を抱きしめる。温かくて、優しくて、安心できる腕の中。


 (ああ、これが......愛なのね)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 それから数日後。


「エリーゼ様、お客様が......」


 メイドが困った顔で報告に来る。


「誰?」


「グレイス家のベアトリス夫人と、ロベルト執事が......」


 (まさか、今更......?)


 私は応接室に向かった。


 そこには、見る影もなく憔悴したベアトリス夫人と、青ざめたロベルトがいた。


「エリーゼ!」


 夫人が私を見るなり、すがりつくように手を伸ばす。


「戻ってきてくれ! あの時は......私が悪かった!」


「そうだ、エリーゼさん。あれは誤解だったんだ。本当は君が必要なんだよ」


 ロベルトも必死な様子だ。


 私は冷静に、でもはっきりと答えた。


「申し訳ございませんが、私は既にこちらでお役目をいただいております」


「そ、そんな......! 給金なら上げる! 何でもするから!」


「それに――」


 私は真っ直ぐに二人を見た。


「もう、あの頃の私ではありません」


「な、何を生意気な!」


 夫人が逆ギレしかけたその時。


「その辺にしたまえ」


 侯爵が部屋に入ってきた。


「エリーゼは今や私の婚約者だ。二度と彼女に近づくな」


 その冷たい声に、夫人もロベルトも震え上がった。


「こ、婚約者......!?」


「そうだ。来月には結婚する。グレイス家の皆様も、ぜひご招待したいが――招待状をお送りしても良いかな?」


 侯爵の言葉は丁寧だが、その目は冷たかった。


「い、いえ......遠慮します......」


 夫人とロベルトは、青ざめたまま退散していった。


 彼らが去った後、私は侯爵の方を向いた。


「ありがとうございます」


「当然のことをしただけだ。君は、もう二度とあんな環境に戻る必要はない」


 侯爵が私の手を取る。


「これからは、私が君を守る」


 (ああ、もう大丈夫)


 (私には、この人がいる)


 その夜、セリーナから手紙が届いた。


『エリーゼさん、ご婚約おめでとうございます。あなたが幸せになると聞いて、本当に嬉しいです。私も、あなたに教えてもらったことを胸に、頑張ります』


 優しいセリーナ。彼女だけは、心から祝福してくれた。


 (セリーナお嬢様も、きっと幸せになれる)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ――半年後。


 ランベール侯爵邸の庭園で、小さな結婚式が執り行われた。


 純白のドレスに身を包んだ私は、アーサーの隣に立っている。


「では、誓いのキスを」


 神官の言葉に、アーサーが優しく私にキスをした。


 温かな拍手が響く。


 (あの時、解雇されなければ、この幸せはなかった)


 (人生、何が幸運か分からないものね)


 式の後、私たちは招待客と歓談した。


 その中に、セリーナの姿もあった。彼女は素敵な青年と婚約したらしい。


「エリーゼさん、本当におめでとうございます!」


「ありがとう、セリーナ。あなたも幸せそうで良かった」


「はい! 全部、エリーゼさんのおかげです!」


 セリーナは嬉しそうに微笑んだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 その後、グレイス家は完全に没落した。


 ベアトリス夫人とロベルトは互いを責め合いながら、地方の小さな屋敷へ移った。


 セリーナは良縁に恵まれ、時々私を訪ねてくれる。


 私はアーサーの妻として、ランベール侯爵夫人として、幸せに暮らしている。


 時には、あの十年間を思い出すこともある。


 (あの十年も、無駄じゃなかったのかもしれない)


 (全てが、今に繋がっているから)


 夜、アーサーが私を抱きしめる。


「愛しているよ、エリーゼ」


「私も、あなたを愛しています」


 月明かりの下、私たちは静かにキスをした。


 エリーゼは、アーサーの腕の中で、心から微笑んだ。

読んでいただき、ありがとうございます。


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