06話
ルーク
客人用の部屋へと彼女を案内し、一緒に部屋へ入る。
殿下の居室を出てからは一言も言葉を発さず、ただ私の横を歩いていた彼女を、ソファへと座らせた。
彼女は今し方の出来事に対して、怯えているような、不安に押しつぶされそうな、そんな表情をしていて、隣に腰掛けた私は、咄嗟にその手をとった。
常に冷静沈着であることを騎士団で評価されていたはずなのに、彼女を目の前にすると反射的な行動を起こしてしまう自分が信じられなくもある。
「大丈夫です。今は私しかいませんから」
「……ルーク様、」
彼女の手を包み込むように両手で触れると、しばらくアシュベル殿下の冷気にあてられていたその小さな手は冷え切っており、微かに震えていた。
彼女は不安げな表情のまま、ゆっくりとこちらを見上げる。
「アシュベル殿下は意識を取り戻したばかりで混乱されていたようです。あなたのせいではありません」
「……はい、」
「それどころか、あなたはまた奇跡を起こしたんですよ」
忘れていませんか、というようにあえて明るく発すると彼女は「あ……」と短い音で反応した。ようやく事実を認識して安心したのか、徐々に、その顔色が変わっていく。
「……殿下が目を覚まされて、本当によかったです」
「ええ、本当に」
「でも、あれは私の力では……」
「また、たまたまだとでも?」
「ええ……。私はなにもしていませんし」
「なにも?」
「本当に、なにも。ただお茶を淹れただけです」
一度は殿下の無事に安堵の色を見せた表情が、また少し曇ってしまう。その言葉に嘘がないことは、明らかだった。
もしそれが何かを知っているのであれば、こんな状況下に置かれる前に話しているだろうし、嘘をつき誤魔化している片鱗くらい見えそうなものだ。
彼女は自分が何をしたおかげで人が救われているかを本当に理解できていないのだから、自分を取り巻く状況に対して不安になるのも無理はなかった。
しかし、実際に昏睡状態だった殿下が目を覚まし、奇跡は二度起きた。
それを引き起こした張本人である彼女が、今後王国から何の追及もなく、すぐにこれまでと同じ暮らしに戻ることなどできるわけがない。
「とにかく、今夜はこの部屋に泊まってください。明日また話しましょう。あとで侍女を手配します」
「はい……ありがとうございます」
触れたままだった手を離し、「大丈夫です」と声をかけた。
「あなたのことは、私が守ると約束したでしょう」
「……はい」
少しでも安心してくれれば、と私が口角をあげて見せるのに、彼女は期待通り目を細め、微笑んでくれた。
本当に素直でまっすぐな、可愛らしい人だ。
こんな大変な自体に巻き込まなければ、きっと街で平穏に暮らせていけただろうに。
そう考えるのと同時に、明日も明後日もその先も、城の中で過ごすことになるならば彼女の傍にいられるのではないかと想像する自分もいた。
邪な気持ちを振り切るように息を吐くと、彼女が口を開く。
「あの、ルーク様」
「なんでしょう」
「アシュベル殿下には、あとカップ1杯ほどのお茶を飲んでいただくよう伝えていただけませんか。
あの少量で目を覚まされたので、きっと、効果があります」
「わかりました。必ず飲んでいただきます」
自分の力に確証を抱いていない彼女のその言葉は、ただお茶の効能を信じただけのものかもしれない。それでも、王宮に長年仕える練茶士さえ万策尽きていた殿下を目覚めさせた張本人がいう言葉なのだから、今はそれ以上に信頼できるものなど存在しないのだ。
「エトーリアさん」
「はい」
「あなたはゆっくり休んでください。何か食べられないものはありますか?」
「いえ、特には、」
「甘いものはお好きですか」
はい、と答えてくれたことに安堵する。
もうそろそろ行かなくてはなならない、とソファから立ち上がり、彼女を振り返った。
「慣れないことばかりで疲れたでしょう。あとで持って来させます」
「そんな、」
「いいんですよ。それくらいさせてください」
無意識に彼女の頭に手を伸ばしてしまう。
私の掌の下で申し訳なさそうにこちらを見上げる表情があまりに健気で、思わずふっと笑ってしまう。対照的に、彼女はきょとんとした顔になり、不快だっただろうかと慌てて手を離した。
「ルーク様の笑った顔、初めて見ました」
「……そうでしたか」
「はい、少し、元気が出ました」
笑わない男として認識されていたのだろうかと若干の疑念はあったが、彼女がふわりと微笑んだことでかき消されてしまった。少なくとも、私は触れて拒絶されてしまうような関係性の人間ではなかったらしいと安堵さえしている。
この先、彼女に待ち受ける運命がどんなものだったとしても、今のまま、ありのままでいてほしい。
彼女がありのままでいられるよう、そっと隣で、時には盾として傍で支えていけたら。
その笑顔に目を細めながら、明日からまた新たに変わりだす世界へと思いを馳せていた。




