05話
ルーク
ライアス殿下に事情を聞いてからの彼女の行動は早かった。
私が水差しを渡すと、持参した真鍮のポットを乗せた練茶用の湯沸かし台にマッチで火をつける。その間に机に並べた複数の茶葉を計測用のさじで掬い、丸みを帯びた木製の鉢に入れていく。
色合いも様々な茶葉がさじで混ぜられる光景は、王宮の練茶士が同じようにしているのを何度も見たことがあった。
彼女の奇跡が本当ならば、どの工程でそれが生まれているのかを見極める必要がある。
原料の茶葉そのものなのか、調合の工程やバランス、もしくは彼女自体に何か秘密があるのか。もしもこのあと奇跡が起きれば、一体なぜなのかと私は王宮の練茶士たちから事情聴取のように責められるだろう。
そのためにも、一挙手一投足を見ていなければ。
おそらくライアス殿下も同じで、言葉を発さぬまま彼女が作業する様子を見つめていた。
彼女は私たち二人の視線の先で、茶葉を混ぜていた手を止める。
茶葉の表面に右手の人差し指をあて、なにか星のような複雑な模様を描いた。
見慣れぬ動作に思わず、自分の眉間に力が入ったのがわかる。
それから彼女は両手で茶葉を掬い、目を閉じ、ふっと小さく息を吹きかけた。
ゆっくりと瞼を開いた彼女は茶葉を木鉢に戻し、さじを使ってティーポットの中へ半分ほどの量を移す。「……今のは?」と私が口を挟むと、彼女はこちらを向いて「おまじないです」と答えた。
「まじない?」
「小さい頃母に教わって。練茶の最後に、よく効くお茶になりますようにって願うんです。ただのおまじないなんですけど」
そうか、と短く返事をした。彼女の答え通りそれが特に大きな意味を持つようには思えなかったからだ。ライアス殿下に視線を向けると、同じく特に気にとめていないようだったので、それ以上追求することはやめておいた。
ティーポットに沸いた湯を注ぎ、カチャリと蓋を閉める。
「あの、先にどなたかが毒味されるのでしょうか」
「そうだね、毒味役を呼ぼうか」
「殿下。毒味なら私が」
従者を呼ぼうとした殿下を引き留めると、彼は驚いたようにわずかに目を開いた。
「彼女の作るお茶は飲み慣れていますから。私が保証します」
「あぁ、そうだったね。ではお願いするよ」
様子を見ようと少し取っていた距離をつめると、彼女が私の分とアシュベル殿下の分の2つのティーカップを取り出した。
「いつも通り、おかしなものは入れていませんから」
「ええ。わかっています」
彼女は砂時計で時間を測っており、最後の砂が流れるとティーポットから2つのカップにお茶を注いだ。「どうぞ。熱いので気をつけて」と促され、カップを手に取る。金色に光る液体にそっと唇をつけた。
普段は店で茶葉を買って帰るだけだったので、こんな風に淹れてもらうことは初めてだ。
まさかその初めての経験が、殿下の毒味役であるとは想像していなかったが。
一口含んだお茶が、体の中へ流れていく。薬効を感じる苦味を覆い隠すように、ふんわりと甘い香りが鼻に残った。じんわりと体が温まるのを感じるが、同時に驚くほどの特別な効果を感じることもなかった。
本当に、これが奇跡のお茶なのだろうか。
きっと、目の前で私の様子をどこか不安げな表情で見つめる彼女も、同じように信じきれないでいるのだろう。
「ライアス殿下、問題ありません」
「うん。では、アシュベルに」
「はい」
殿下の言葉を受けて私が頷いて見せると、彼女はもうひとつのティーカップを手に取り、新しい木さじを添えた。アシュベル殿下の眠る枕元に立ち、「失礼します」と眠ったままの彼に声をかける。
冷たい空気の中で、彼女が深呼吸をした。
いよいよだ、と彼女につられるように私の肩にも緊張で力が入る。
「アシュベル殿下、僭越ながら、私の淹れたお茶をお飲みいただけますか」
彼女はお茶に浸していた木さじを、彼の青白い唇にあてた。少しだけ掬っていたお茶を、唇を濡らすようにそっと塗っていく。
その一度の手順で彼の体内に入っていくお茶はほんのわずかだが、意識のない人間に対してお茶を飲ませることは危険が伴う。
2回、3回。
彼女がゆっくりと同じ行動を繰り返す。
わずかでも彼に変化がないかと、私とライアス殿下は顔を覗き込むように身を乗り出していた。
まだ、何も変化はない。
4回、5回。
ほんのわずかだが、温かい液体をあてられているからか、唇の色から青みが消えているように思える。
6回、7回。
やはり、気のせいではなかった。
あれほど青かった唇に、血色が戻ってきている。
ちらりとライアス殿下を見れば、同じく変化に気がついたようで、目が合った。
8回、9回。
唇だけでなく、顔色自体に変化が見られた。
心なしか、アシュベル殿下の体から発せられていた冷気も弱まっているように思える。
10回。
その時は突然訪れた。
アシュベル殿下の瞼が震えるように動き、次のさじを差し出そうとしていた彼女が手を止める。
ゆっくりと、その瞼が開いた。
「アシュベル!あぁ、アシュベル…!」
ライアス殿下が喜びの声を上げる。
思い出したように慌てて革手袋をつけ、アシュベル殿下の頬に触れた。こんな時でも、分厚い手袋をしなければ触れることもできないなんて。
「……兄貴…?」
アシュベル殿下は掠れた声を出し、それから苦しそうに咳き込んだ。早くも彼が起きあがろうとするので、「大丈夫か」とライアス殿下が背中を支えた。
呼吸が落ち着き、アシュベル殿下は私と、それから隣に立つ彼女の存在に気づく。
「殿下、彼女は練茶士です。殿下は数日意識を失った状態で、街から優秀な練茶士を呼び寄せろと王命が」
「……あぁ」
「先ほどから彼女が淹れたお茶を、殿下に少しずつ飲んでいただいておりました」
「…………そうか」
「初めてお目にかかります。エトーリアと申します」
一度ティーカップをサイドテーブルに置き、彼女はライアス殿下にしたのと同じように挨拶をする。
「あの、アシュベル殿下。差し支えなければ、もう少し飲んでいただいたほうが良いかと」
「そうだね。アシュベル、もう少し飲んでおこう」
「あぁ」と応えながらもアシュベル殿下の意識はまだはっきりしておらず、変わりにライアス殿下が返事をした。アシュベル殿下は、ベッドの頭板に、背を預けて、ここ数日のことを思い出そうとするかのようにぼんやりとしている。
「では、……失礼します」
彼女は先ほどまでよりも少し多めにさじでお茶を掬い、アシュベル殿下の口元へと運んだ。さじが彼の唇に触れるか、触れないかまで近づいた時だった。
はっとした表情をした殿下が、「やめろ!」と叫び大きく手で払った。彼女の短い悲鳴が聞こえ、ティーカップが床に落ちて割れる音が響いた。
「…も、申し訳ありません!」
彼女がしゃがみ込み、床に散らばった陶器の破片を拾おうとしたので、咄嗟にその手を掴んだ。
「怪我はありませんか、火傷は」
「だ、いじょうぶです……」
「使用人を呼びますから。あなたは触らないで」
これ以上割れ物に触れないよう、手を引いて立ち上がらせる。やはり混乱しているようで、アシュベル殿下はベッドの上で苦しそうに頭を抱えていた。
「エトーリア、大丈夫かい」
「ライアス殿下。問題ありません。一旦外へ連れて行きます」
「あぁ、頼むよ」
ライアス殿下は申し訳なさそうに私たちを見送り、アシュベル殿下に優しく声をかけていた。




