14話
エトーリア
今夜のアシュベル殿下は、お顔を見た時から様子が違っていた。
朝はあんなにお元気そうだったのに、と考えながらティーカップをひとつ、ソファに座る彼の前に運ぶ。残りのお茶が入っているティーポットと、予備のカップのセットをテーブルの端に置いた。
「一緒に飲まないか」
「……え?」
「いつも余分に淹れているだろう」
彼は立ったままの私を見上げている。どうしてそんなに寂しそうな表情をされているのだろう。
アシュベル殿下が私の力のことについてフィロー様が説明を受けた、という話は先ほどルーク様から聞いていたけれど。何か、気分を害するような内容があったのだろうか。
そもそも、殿下と並んでお茶を飲むなど、ただの練茶士としてはあり得ないことだ。いくら庶民として育っていてもそのくらいの教養はある。もしかして、彼のお茶を淹れる練茶士としてふさわしいか試されているのではという考えが頭を過ぎった。
「いえ、……仕事中ですので」
「それなら、王子として命令すればいいか?」
彼はドレスの前で組んでいた私の手をすっと取り、ゆっくりと手の甲に口付けた。
絵本の中の王子がプリンセスにしていたのと、同じだ。人生で初めての経験に、心臓がバクバクと音を立てる。
「あの、殿下、」
「……俺がそうしてほしいんだ。座ってくれないか」
彼が私を見上げる瞳はまるで縋るような色を映していて、思わず「はい、」と返事をしてしまった。彼に手を引かれるがまま、隣に座る。”はい、座りましたね。失格です”と誰かが部屋に入ってくるのではないかと考えたが、そうではなかった。
並んで座ると、彼は私を見下ろす形になる。
彼はこちらをじっと見つめて、私の頬に手を触れた。冷たいけれど、大きくて、優しさを感じる手だ。
「体はなんともないのか」
「……体、ですか?」
「フィローから聞いた。俺のせいで随分力を使っているんだろう」
「そんな、アシュベル殿下のせいでは……!」
寂しそうに、悲しそうに発せられる私を気遣う言葉に、驚きながらも必死に否定する。
フィロー様が”副作用”と呼んでいた私の体にかかる反動について彼が聞いたのだとすぐに察した。
彼の異変は機嫌が悪いとか試しているとか、そんなことではなく、私への心配だったのだと気づく。
「あの、本当になんともありません。とっても元気です」
「……そうか。お前は優しいな」
殿下は目を細め、穏やかに微笑む。それから頬に触れていた手を頭の上に移動させ、ぽんぽんとまるで大切なものを扱うように優しく撫でた。
「優しいのは、アシュベル殿下の方です。私みたいなただの練茶士を気遣ってくださって」
「俺にとっては”ただの練茶士”ではないからな」
そう言った彼はティーポットを取り、私の分のお茶を入れてくれようとする。
慌てて立ち上がり、代わろうとすると「火傷するぞ、座ってろ」と注意された。目の前にカップを置かれ、「ありがとうございます」と大きな声でお礼を伝えると、「元気だな」とふっと笑われる。
殿下にお茶を注いでもらうなど、確かに“ただの練茶士”ではありえない。
アシュベル殿下にとって、私は命綱なのだと、改めて感じた。もし私が倒れて練茶することができなくなれば、彼の病は以前のように進行してしまう。
ただの練茶士ではない、というのはそういうことなのだ。
その責任の大きさが、肩に重くのしかかるような気がした。
「そういえば、お前に渡したいものがある」
「渡したいもの、ですか?」
あぁ、と彼は短く返事をして、すっと席を立つ。腰くらいの高さの棚の天板に置いてあった小さな箱を取り、こちらへ戻ってきた。彼はその箱を、私の目の前に差し出す。
「受け取ってくれ。気に入るといいが」
心配までさせた上に、贈り物まで?練茶に使って欲しい専用の道具、とかだろうか。いろいろと想像を巡らせながら、震えそうな手で箱を受け取った。恐る恐る殿下を見上げると、彼は「開けていい」と促す。
「……これ、は?」
「今日公務で街に出たんだ。立ち寄った店で、お前に似合いそうなものを見つけて」
蓋をあけた箱に入っていたのは、シルバーの美しいネックレスだった。
先端に、橙色に近いピンクの小さな石飾りがついている。それが優しくきらりと光って、とても綺麗だった。
「あの……」
「なんだ、気に入らなかったか?」
初めて目にする繊細なアクセサリーに見惚れていた私は、殿下の不安そうな声にはっとして見上げる。いつの間にか隣に座っていた彼が、残念そうに眉を下げていた。
「い、いえ!あの、あまりに綺麗で、見惚れてしまって」
「そうか。それならよかった」
彼は安心したように表情を緩め、「あの時のティーカップの詫びだ」と言う。
「あの夜、割ってしまったのはお前の私物だったと聞いてな」
「……そんなことを気にかけてくださっていたんですか」
殿下に初めてお会いして、練茶をしたあの日。ティーカップが割れたことは確かに残念だったけれど、ただの使用人の私物を壊したくらいで、王族の方がここまでしてくださるのはきっと普通のことではない。
街では、あまり笑わないとか冷たい人柄らしいとか、第一王子の印象と比べて彼をそう言う人もいたけれど、今では間違っているとはっきりわかる。
私の目の前で微笑んでくれる、彼は清らかで優しい心の持ち主だ。重い病を抱えているが故に、体の不調を押して公務をこなしていた日だってあっただろう。
「つけてもいいか」
「え?いえ、後でアナに、」
つけてもらいます、という言葉を言い終わらないうちに、彼はネックレスを手に取り、私の首に回す。
顔と顔の距離がぐっと近くなり、直視しては失礼だと思わず目を閉じた。爽やかなハーブのような、彼の香りを微かに感じて、心臓が早くなる。
彼にそんな意図はないと言い聞かせながら、できるだけ自分を落ち着かせようと努めるけれど、彼の手が首に触れるたび、頬が熱くなっていくのがわかった。彼が、先端についた飾りの位置を整えてくれ、距離が離れるのを察して、瞼を上げる。
「……よく似合ってる」
「あ、りがとうございます」
目の前で私を見つめる彼の表情は温かく、慈しむように微笑むその眼差しから、とっさに目を逸らした。
まるで私が彼にとって練茶士以上の存在であるかのような、勘違いをしてしまいそうになる。
「早く飲まないと、せっかくの茶が冷めてしまうな」
「はい、……いただきます」
私の顔は真っ赤に染まっているに違いない。
恥ずかしさを隠すようにティーカップを持ち、一口飲んだ。殿下の隣で飲むお茶はいつもより味が薄い気がして、それほどに自分が緊張しているのだとわかる。
かちゃりと彼がティーカップを置く音に、視線を向けた。
彼と目が合い、またこちらを見て心配そうな表情をしていることに気づくと、胸の奥がずきんと痛む。
「エトーリア。もしお前に何かあったら、俺は、」
「大丈夫です、アシュベル殿下。明日からフィロー様が稽古してくださるそうですから」
「……あぁ。」
「アシュベル殿下のお体は私がお守りします」
少しでも殿下の体の心配を取り除いてあげたいと、微笑んで見せた。
せっかく元の生活に戻ることができた彼を、またあんな姿にしてしまわないよう、私が頑張らなければ。責任が重いなどと、考えている場合ではない。
「もしも体に異常を感じたら、すぐ俺に教えてくれ」
「わかりました。必ずそうします」
小さく首を縦に振った彼は、わずかに口角を上げた。




