12話
エトーリア
朝食後、部屋に設置してもらった練茶道具の前で数人分のお茶をブレンドしていた。
使い慣れた道具の手触りに、なんだかほっとする。王宮へ来てからはこれを使うのもアシュベル殿下の前で、作業中はずっと緊張していたものだから、道具たちに安心感を覚えたのは初めてのことだった。慣れない場所に自分の道具があるというのはそれだけで心強いみたいだ。
まだアシュベル殿下のお茶の時間までには時間があり、もうすぐ朝食を下げにアナがやってきて、朝一番に部屋を出て行ってルーク様も戻ってくるはず。せっかく道具があるのだから、私の世話をしてくれている二人にお茶を振る舞いたかった。
新しく与えられた自室は、居室と寝室に分かれた豪華な設計で、さらに護衛と侍女のための部屋がついている。二人の部屋も見せてもらったのだけれど、実家の部屋の広さにかなり近く、アナに「私にこちらを使わせてくれないか」と言うと叱られた。
ここでしばらく暮らすことになるとわかってはいるけれど、私はまだこの広い場所にひとりで置かれることに慣れていないし、大きすぎるベッドで眠るのも落ち着かないでいる。月日を過ごせば、徐々に慣れてくるものなのだろうか。
「エトーリア様、失礼致します」
ノック音の後、アナの声がする。部屋の扉が開くと、「朝食を下げに参りました」と礼をするアナの後ろにルーク様の姿も見えた。
「あら、練茶をされているんですか」
「はい、お二人にも飲んでいただきたくて」
「わあ、いいんですか!私、エトーリア様の練茶を初めて拝見します」
好奇心いっぱいの目をして、喜んでくれるアナを見て、思わず笑顔になる。アナがもっと眺めていたそうにしながらも朝食の食器を下げに行ってくれると、ルーク様がこちらへ近寄ってきた。アナと違って明るい表情ではないのは、きっと昨日一緒にフィロー様のお話を聞いてしまったからに違いない。
彼は茶葉を混ぜる私の右手にそっと触れて、心配そうな顔をした。指先から伝わる体温が、彼の優しさを示しているみたいだ。
「私たちのために、力を使ってはなりませんよ」
「大丈夫です。昨日のように、加減してみます」
「……そうですか」
私が微笑んで見せても、その表情は曇ったままだった。私があんな姿を見せてしまったばっかりに、ルーク様に心配ばかりかけてしまう。
せっかく飲んでもらうのだからふたりの日々の疲れが吹っ飛ぶような元気の出るものを、と思っていたけれど、もしものことを考えるとその願いは「ほどほど」にセーブした方がよさそうだと残念に思った。
彼は手を離した後も、傍に立ったまま私を見守ってくれている。願いのおまじないをかけたあと、大丈夫というようにルーク様を見上げると、彼はわずかに目を細めた。
「ルーク様、心配させてしまってすみません」
「いえ、あなたのせいではありませんから。力を使わせてしまっているのは私たちの方ですし」
「でも、ルーク様が暗い顔をされているのはあまり、見たくないです」
こぽこぽとお湯の沸く音がしている。彼は私の言葉に一瞬驚いたような顔をして、それからふっと口元を緩めた。
「あなたこそ、私が騎士団の3番手だからといって、別に態度を変えたりしなくていいですからね」
「……それは、ちょっとわかりません」
「エトーリア、」
「……はい、善処します」
自室では構わないと約束してくれてはいたものの、彼が私を敬称なく呼ぶのはこれが初めてだった。まるで妹を呼ぶように温かいそれに、嬉しくなりながらティーポットにお湯を注いでいると、いつの間にか仕事を終えていたアナに「エトーリア様、お顔がにやけてますよ」と頬をつつかれた。
いつものようにアシュベル殿下の自室を訪れると、まずソファに座っているフィロー様が目に入った。「おはよう」とひらひら手を振られ、驚いたまま挨拶を返す。
「すみません、お話中でしたか?」
「ううん。君の練茶を見学に来ただけだから」
殿下用の練茶道具は王宮側が用意したものに変わっており、私の道具よりもずっと煌びやかでこの部屋に似合っている。昨日香茶宮で触らせてもらったけれど、一目で高級とわかるガラスの素材の調合鉢を割ってしまわないだろうかとひやひやした。
これまでは練茶道具が殿下の寝室に設置されていたけれど、今日からは居室に置いてある。ということは、と考えたのとほぼ同時に、寝室へ続く開け放された扉から、こちらへ歩いてくる人影が見えた。
「アシュベル殿下、おはようございます」
「あぁ、おはよう。エトーリア」
名前を呼んでいただいたのは初めてだ、という気づきを飛び越えて息をのんだのは、初めて見る彼の立ち姿があまりにも美しかったからだ。
すらりとした出立ちで、彼の銀髪と白い肌に細身の黒のジャケットがよく似合っている。顔色も良くなったように見える。
「随分元気になられたのですね」
「お前のおかげだ。少しずつだが、今日から公務に復帰することになっている」
「そうなんですか、それは何よりです」
嬉しい知らせに笑顔になると、殿下の指先が私の髪にそっと触れた。一瞬身構えてしまったけれど、彼の穏やかな表情に安堵する。
「今日はまた違う色のドレスなんだな。似合ってる」
「え……?」
彼の口角が一瞬上がったように見えたけれど、見間違いだったみたいだ。服装を褒められて思わずどきりとした。
でもすぐに、これはライアス殿下が用意してくださったものの中から、長くここで働いているアナが選んでくれたものであるから、アシュベル殿下のお眼鏡にかなって当然だと思い直した。
殿下がただの町娘である私を褒められたのかと勘違いするところだった。思い上がりも甚だしいというものだ。
ソファから「くく」とフィロー様の笑う声が聞こえる。
「……フィロー。何もおかしいことはないのだが」
「なんでもない、気にしないでくれ」
殿下に咎められ、フィロー様は口元を手で隠し笑いを堪えている。
彼のことはルーク様から「王国の権威」と聞いていたために、かなり身構えていたけれど、昨日初めてお会いした時から彼はとても朗らかな人だった。
はあ、と息を吐いて自分を落ち着かせたフィロー様は、「さあ、練茶を始めてくれ。僕は忙しいんだから」と私に向ける表情を微笑みに変える。
「はい、すぐに」
「おい、急かすな。お前に見られてたら誰だって緊張する」
「そう?彼女は僕のことを君ほど恐れてないよ」
フィロー様の軽快な声に、アシュベル様が表情を歪めた。アシュベル様がフィロー様を恐れているってどういうことだろう。尊敬している、という意味での畏れだろうか。だとすると、私のフィロー様への態度に畏れが足りなかったということかもしれない。
少し反省した方がいいかもしれないな、と考えつつ、使い慣れない高級そうなガラスの匙で、ブレンドする茶葉を掬った。




