11話
フィロー
「テア・ヴィータ」という言葉を、知っているものはもうほとんどいないだろう。
私でさえ、数十年、いや百数十年前に本でその単語を見たのが最後かもしれない。
願いの茶を司る者。
テア・ヴィータは古の時代にとある民族の中で生まれた言葉とされていて、その民族は練茶という技術を編み出し、生活の中心に置いていたという。彼らは、民族の中で稀に生まれる特別な力を持った人物を、「テア・ヴィータ」として崇めていた。
ライアス王子の部屋を後にしてすぐ、まさか、と思いながら蔵書を漁り、しばらくの時間をかけて見つけた記述の横には「願いの象徴」として七芒星が描かれていた。
今まさに、彼女が茶葉の上でその七芒星を描いている。
驚くような効果を持つ練茶技術があるにも関わらず、その工程も使う道具も材料も極めて普通。
彼女自身から、人懐っこさ以上に何か特別な力を感じたわけでもない。
それでも、「願いは軽くていい」と伝えたにも関わらず彼女が手のひらで掬った茶葉がまるで光を放つように、あたりを照らしているのは何故なのか。答えは一つしかない。
ああ、と大きな声を出したかったが、こらえた代わりに天井を見上げて深いため息を吐いた。
こんな小柄で普通の女の子が、「テア・ヴィータ」だと?
いっそ、愛おしさを隠しきれていない視線で、彼女を心配そうにまっすぐ見つめているこの男を一発殴ってやりたい気分だ。僕のように特別な目を持たない普通の人間なのだから、彼女が放つ光も見えていないだろうに。
ああ、彼が帯剣して鎧さえ着ていなければ、僕の拳を受け止めさせたんだけど。
ルークはそんな僕の気持ちを察しているのかいないのか、「どうしました」と問い詰めるような声を出す。なにか気がついたことがあるなら教えろ、確信が持てたなら情報をくれ。
そんな必死さが伝わってくる表情にもう一度ため息を吐くと、僕らの間の(主にルークから発される)緊迫した雰囲気を切り開くかのように、「終わりました!」と彼女の元気な声が聞こえた。
「はい、お疲れさま。じゃあせっかくだから、お茶でも飲もうか」
ルーク。頼むから、僕が彼女に微笑む美しい横顔を、そんな怖い顔で睨まないでくれ。
彼女がいれたお茶は確かに、他の練茶士が同じ材料を同じ量配合したものよりも、特別な力を持っていた。茶葉が持つ本来の甘みと、旨みを最大限引き出したような味は、おそらく僕の言ったとおり彼女が「おいしくなあれ」と願ったからなのだろう。
素直に言うことを聞くなんて、いい子じゃないか。
これから自分が王やライアス王子にこの力について説明をしなければならないのだと考えると、そんな風に現実逃避もしたくなって当然だ。
「おいしい……」
「ふふ、よかった」
一口飲んで目を丸くしている護衛騎士に対して、無邪気な笑顔を見せている彼女が自分の力を知らないのも無理はない。
「いつものお茶と比べても、今日の方がより美味しいです」
「そんなにですか?いつも通りのブレンドなんですが…茶葉の質がいいからでしょうか」
庶民に比べれば日頃からいいお茶を飲んでいる(しかも彼女の店に通い続けていたのだからその味を飲み慣れているはずの)ルークが驚いているにも関わらず、彼女がけろっとしているのには理由があった。
まず、テア・ヴィータ本人には練茶の効果がない。
「おいしくなあれ」でも「病気よ治れ」でも、全部一緒だ。本人に対して効力のある練茶はできない。それが特別な力の弱点のひとつだ。
だから、彼女自身が感じているのは通常の練茶を行なったのと変わらないお茶の味で、我々が感じられるような甘さと旨みを味わっていない。
さらに、彼女が練茶した商品を飲み慣れているはずのルークが感動している理由はおそらく、彼女の力の「覚醒」にある。
これは憶測でしかないが、重病人を二度も救うほどの力を発揮して、彼女が内に秘めていた力が覚醒した。そう考えるのが最もスムーズだ。
「あの、フィロー様。先ほど、どうして”願い事は軽く”とおっしゃったんですか?」
「あぁ、そうだったね」
「君には話さなきゃいけないことがありすぎて困るよ」と僕が言うと、彼女はわずかに首を傾げた。
最初から最後まで話すのはさすがに骨が折れるし、彼女が一度に受け止められるとは思えない。
でも、これだけは今教えておかないと大変なことになる。
彼女自身にも、この国にとっても重大な事実だ。
「その力には、副作用がある」
「……副作用、ですか?」
「君の頭痛はおそらくそれだ。力の使いすぎ」
どうして頭痛が起きたのを知っているのかと言いたげに、彼女はルークを見る。僕にこっそりと話したことがバレて気まずさもあるのか、ルークは彼女を見ないまま「使いすぎるとどうなるんですか」と身を乗り出した。
「んー。最悪、死ぬかも」
「……は?」
僕が発したワードに、彼はどんどん顔面蒼白になっていく。
対照的に、当の本人は自分の話であるという実感が湧いていないのか、唇をわずかに開けてぽかんとしていた。
「まず、アシュベル王子の練茶は1日1回。朝にまとめてやること。お茶を淹れるだけならいいから、夜はそれを飲ませるといい」
「……はい、」
「あと、無駄に力を使わないこと。今みたいに軽い願いでも、確実に力を消耗していることを忘れないように」
「わかりました」
彼女は何か考えるように机を見つめ、黙ってしまう。
まあ、これだけ端折って説明されてもなにがなんやら、だろう。
国王とライアス王子に一通り説明して、あとは彼女がここへ来るたびに小出しにしていけばいいか。
そう思ってもう一口お茶を飲むと、立ち上がったルークが「何か手立てはないんですか」と僕を責めるように言う。
「彼女の体に負担をかけない方法は、」
「ないよ。力を使えば体に負担がかかる。力を使わなければ、負担はかからない」
「そんな、」
絶望の表情を浮かべるルークは、彼女の力がこれからどう扱われていくのかという想像を膨らませているのだろう。そしてそれは、おそらく間違っていない。
今後検証は必要だが、間違いなく彼女の力は国にとって重要なものとなり、彼女は力を酷使せざるをえなくなる。
取り乱す護衛に対して、エトーリアは彼の腕にそっと手を当てた。はっとしたルークが彼女を見ると、安心させるようにふわりと微笑む。
「ルーク、落ち着いてください」
「しかし、あなたの体が」
「ほら、今はなんともないです。元気ですから」
穏やかに諭されて、ルークは仕方なく再び腰を下ろした。彼らの信頼関係は僕が思うよりもずっと出来上がっているらしい。
「彼女が力を使いすぎないように、君が守ってやればいい」
「……はい」
この場にルーク一人きりだったらきっと、「できるでしょうか」と不安を見せたはずだ。
「君が適任でしょ。王宮騎士団のNo.3なんだし」
「それは関係ないでしょう」
「え、ルーク。そんなに偉い人だったんですか」
彼だけをからかおうと思ったのに、今度は彼女がガタンと椅子の音を立てて立ち上がる。
「あれ、知らなかった?偉いんだよ」
「はい、初耳です……!」
「ヒラだと思ってたんだね」
「……そんなに、見えませんでしたか」
「あ、いえ、そういうことではなく、考えたこともなくて……!」
先程までの会話よりも随分と軽い内容でルークが落ち込んでいくのを見て、彼女は慌てて否定する。僕がふっと吹き出すと、「何も可笑しくないですが」と不機嫌な棘のある声が飛んできた。




