10話
ルーク
翌朝、彼女の部屋へ様子を見にいくと、すでに昨日専属として配置が決まった侍女がいた。
エトーリアさんは既に親しげに「アナさん」と侍女に呼びかけていて、相性は悪くなさそうだと安堵する。
私が説明するまでもなく、アナという侍女は自分から、エトーリアさんの専属になることを志願したと彼女に話したらしい。
昨日、彼女に合う性格やタイプを考えて、侍女長に話を通しに行った時には既にアナが希望を出していた。
エトーリアさんがここに来てからの二日間、身の回りの世話を任せていた人物で、彼女の人柄に惹かれ、もし専属の侍女を募集することがあれば是非自分が、と話していたらしい。
「エトーリア様、体の具合はどうですか」
「まったく問題ないです、……ルーク様、いま何と?」
アナに髪を結われながら、鏡越しに彼女が私を見る表情は驚きと怪訝が入り混じったものだった。
「エトーリア様、とお呼びしました」
「なぜですか?」
「あなたの専属護衛ですから。あなたも、私のことは今日からルークと呼んでください」
敬称は不要です、と伝えると彼女は小さく頬を膨らませ、それからこちらを振り返った。同時に、アナが彼女の髪からぱっと手を離す。
「ルーク様こそ、エトーリアと呼んでください」
「敬称は不要です」と私の口調を真似るように彼女が言い返す。少し不満そうにむす、としている表情も可愛らしい、と思ってしまった。こんな顔もするのだなと貴重に感じてしまう。
「立場上、呼び方を変えるべきなのです。わかってください」
私を困らせている、と思ったのだろうか。今度は眉尻を下げ、寂しげな顔色に変わる。
ころころと変わるその表情を見て、思わずふっと息が漏れる。
「……それでも、様なんて、」
「では、こうしましょう。自室では好きなように呼んで構いません」
「いいのですか?」
「ええ。私もあなたが望むなら、敬称をつけずにお呼びします」
「本当ですか!」
今度はまるで少女のように、無邪気な笑顔になる。
「エトーリア様、私のことも”さん”付じゃなくていいんですよ。侍女なんですから」とアナが横から言う。
「じゃあ、そうします。アナだって、私のこと呼び捨てにしていいんですよ」
「ふふ、私はルーク様ほどお付き合いが長くないですから、追々にしますね」
そう言ったアナは再び彼女を鏡の方に向くよう促し、私に一瞥をくれる。なんだ、その意味深な視線は。と言いたくなるがここで揉めているとアシュベル殿下の練茶の時間に遅れてしまう。
今日は彼女を香茶宮へ連れ出してフィロー様と会わせ、その後護衛用の設備が整った新しい部屋へ移動しなくてはならないのだ。
わああ、と彼女から出た歓声に、思わず頬の筋肉が緩むのがわかった。
香茶宮のすぐそばにある茶葉園には、今日も色彩豊かな植物が生い茂り、あちこちで花が咲き誇っていた。彼女を案内するのに相応しい陽気で、その満面の笑みの背景としてはとても似合っている。
「王宮の中に、こんな場所があったんですね!」
「ええ、気に入りましたか」
「はい、とっても!」
彼女は噛み締めるように返事をしながら、一歩、また一歩と茶葉園に作られた歩道の中を歩いている。植物の種類が変わるごとに小さく歓声をあげ、時に「こんなものまで」と驚きの声を上げた。
私も彼女の様子と、王宮内の茶葉園というシチュエーションに気が緩んでしまっていた。
不意にすぐ近くで「あれ」と声がして、無意識に彼女の動作を止めるよう体の前に腕を出す。身構え、腰の剣に触れたところで、植物の間から見慣れた人物が顔を出した。
「ちょっと、僕を斬ろうとした?」
「フィロー様……!失礼いたしました!」
長いブロンドの髪は日光を受けてきらきらと輝いており、彼は私の謝罪に「熱心な護衛だね」とからかっているような声色を出す。
「で、そこの好奇心いっぱいのお嬢さんが例の子ね」
フィロー様は、慌てて挨拶をした彼女の目線に合わせるように腰をかがめ、じっと見つめる。彼女は彼の瞳に吸い込まれそうな様子で固まっていた。
フィロー様は何も言わず姿勢を戻し、穏やかな表情で、わずかに首を傾げる。
「僕の庭は気に入った?」
「はい、とっても素敵です。こんなにたくさんの種類の茶葉や花が全部生き生きと育っているなんて、素晴らしいです、初めて見ました!」
彼女は表情を輝かせ、本音を述べているのがわかる。フィロー様にも気圧されることなく、にこにこと会話していた。これが幼い頃から店を手伝ってきたために培われたコミュニケーション能力なのか、彼女が生まれながらに持つ人柄なのかはわからないが、彼女は人の心に、すっと入ってしまう。
フィロー様も、彼の立場を気にせず会話する存在が少ないためか、その顔を見るに、彼女のことは既に気に入ったようだ。
「そう。いい子だね」
彼はその綺麗な顔立ちを崩さないまま微笑んで、彼女の頭をまるで子どもをあやすようによしよしと撫でた。彼が他人を可愛がる様子など見たことがなく、呆気に取られていると「ルーク」と名前を呼ばれる。
「彼女を僕の部屋へ案内しておいて。僕もすぐに行くから」
「承知しました」
今まで彼女に見せていた柔らかな表情は幾分普段の色合いに戻っているが、それでもいつもと比べれば機嫌がいいらしい。とりあえず、初対面の第一関門は突破したと見てよさそうだ。
香茶宮は円柱状に高くそびえ立つ塔になっており、一階部分が練茶士の作業場になっていた。
壁はすべて茶葉が収納された棚がびっしりと備え付けられており、その空間は茶葉が放つ様々な香りで満ちている。
上の階はすべてフィロー様のための空間だ。2階は読書室となっていて、一度職務で上がらせてもらったことがあるが、壁一面本棚、床にもあちこちに積まれた本のオブジェが出来上がっている。その上の階を居室兼寝室として使っているらしい。
「僕の他にあと2人いるんだけど、今日は出払ってるんだ」
「そうなんですね。では、また今度ご挨拶に」
「そうね。じゃあ早速だけど、練茶を見せてもらってもいい?」
そこ使って、とフィロー様が指差した先には立派な調合台がある。彼女が店で使っていたものよりもかなり大きく、近づいてはみたものの彼女はきょろきょろと周りを見回し、どこに何があるかを把握しようとしていた。
私はフィロー様が深く腰掛けた椅子の隣に立ち、彼女には届かないほどの声量で言葉を発する。
「実は昨晩、彼女が倒れたんです。激しい頭痛がしたそうで」
「倒れた?……頭痛か、」
「ええ、一瞬ですが気を失ったようでした」
私にいつもの冷たい視線を流した後、彼はふむ、と長くて細い足を組み、ローブの裾がさらりと落ちる。その常人には計り知れない知識が収まる頭の中に、また何か思い当たることがあったのだろうか。しばらく考えた後、練茶を始めようとする彼女に向かって彼が口を開いた。
「ねぇ、君。今回は軽い願いにしよう」
「え?」
「おいしいお茶になぁれ、でいいよ」
「……はい、」
「アシュベル王子のために、1日2回、願いをかけているでしょう」
「はい、そうですが、」
なぜ知っているのだろうという顔で、彼女はフィロー様を見る。作業しようとした手が宙に浮いたままだ。
「いいから、僕の言うとおりにしてごらん。お願いは軽く、かるーくね」
もはや口調すら、彼女に向けるものは別人のそれだ。
元々中性的な言葉遣いをする人ではあるが、その口調や言葉の鋭さでフィロー様の厳格さがなりたっていると思っていたのだが、彼は多少柔らかな口調になっても威厳があった。
失礼なことを考えていたな、と少しだけ反省する。
はい、と不思議そうに返事をした彼女は、気を取り直して作業を再開する。
私とライアス殿下があの日見たのと同じ。あれから毎日、アシュベル殿下の部屋で行われている作業と、全く同じ流れだった。
最後に、彼女が茶葉の上で星を描いた時、隣でフィロー様が小さく「やっぱり、七芒星だ」と呟いたのが聞こえた。




