09話
エトーリア
ただぼんやりと、窓の外を眺めていた。
これからどうなるのだろう。
広い王宮の敷地の真ん中には丁寧に手入れされた中央庭園が広がっている。
ここはきっと客人を通すための部屋で、だからこそ景色も良いのだろう。
昨日まで身を置いていた街の音が、遠くに聞こえる気がした。空耳だと気がつくと、心に大きな穴が空いたような感覚を覚える。
不意に聞こえたノックの音に返事をすると、「失礼します」と声がしてメイド服姿で背筋をピンと伸ばした女性が入ってきた。
昨夜も今朝も顔を合わせた侍女さんだ。昨夜は湯浴みの手伝いをすると言われて慌てふためき、今朝は着慣れないドレスに袖を通すのを手伝ってもらった。
「エトーリア様、その、お一人で手持ち無沙汰でいらっしゃるのではないかと思いまして」
「……はい、」
「もしよろしければ、退屈しのぎになるようなお読み物などを、ご用意いたしましょうか?」
深みのある栗色のショートヘアスタイルの彼女は、私よりもいくつか年上に見える。
背も私より少し高く、すらりとして、スタイルがいい。
硬い言葉遣いが耳慣れないせいで理解するのに少し時間がかかってしまったけれど、彼女が自分を気遣ってくれているのだとわかり、思わず顔が綻んだ。
「ありがとうございます。ご迷惑でなければ、お願いしてもいいでしょうか」
「はい。どのような本がお好きですか?」
「そうですね……できれば、お茶にまつわるものがいいです」
私が答えると、彼女は「そう仰るかと考えておりました」と言い、にこりと笑顔になる。つられるように目を細め、本を持ってくると部屋を出ていく彼女の背中を見送った。この静まり返る王宮の中にも、彼女のような人もいるのだと思うと、少し心が温まるのを感じる。
アシュベル殿下の夜の練茶を済ませ、部屋に戻る私に昨日と同じくルーク様が付き添ってくれた。
彼は一日、自分の仕事で忙しくしていたに違いないのに、こうしてずっと私を気にかけてくれている。きっと私がここにいることで、彼の仕事量を増やしてしまっているのだろう。
ルーク様は部屋へ向かう道中で、正式に私の専属護衛となったことを教えてくれた。
「それと、専属の侍女も決まりました。明日の朝、挨拶に来るよう伝えてあります」
「そう、なんですね」
誰かが世話役として専属でついてくれるのは、国にとって私にそうする価値があると判断されたということだ。
そして私が少なくともしばらくの間、もしくはもっと長い期間、ここで暮らすということ。頭を過ぎったその考えは表に出てしまっていたようで、ルーク様は立ち止まり、神妙な顔をさせてしまう。
「エトーリアさん、……」
「すみません、なんでもありません」
微笑んで見せると、ルーク様が心配そうに肩を落とす。
私が想像するよりも、大きな事が動いているのだとわかっていた。
それが直接私に届かないということは、きっとルーク様がすべて受け止めていて、私が受け取れるだけの情報を渡してくれている。
彼とは、今まで何度も店でお客さんとして接していたからわかる。騎士という市民から一目置かれる職業でありながら、気さくに私と同じ目線で話をしてくれる。やっぱり思っていた通りの誠実で優しい方なのだと、この二日間でより知ることができた。
「ルーク様がいてくださって、心強いです」
心配させてしまったのだから本心を伝えた方が良いと口に出した言葉に、ルーク様は目を丸くして私を見つめたまま動きを止めてしまう。
「あの、……ルーク様?」
「な、なんでもありません。……ありがとうございます」
お礼を言うのはこちらの方なのに。
彼が顔を背けてしまったので、その背中についていきながら頬を緩めた。
誰も知らない場所で、どんなに不慣れな環境でも、彼がいてくれるだけでほっとすることができる。
部屋に入ると、ルーク様は扉の傍で立ち止まった。
きっと、すぐに出ていってしまうのだろう、と思うと少し寂しくなる。
「明日、朝の練茶が終わったら、一緒に香茶宮へ行きましょう」
「こうちゃきゅう、ですか?」
「ええ。王宮の練茶士たちの仕事場です」
彼は「そこにいるフィロー様という練茶士があなたに会いたいそうで」と穏やかな表情で続けた。
騎士である彼が敬称をつけて呼ぶのだから、王宮の練茶士の存在は高位なのだとわかる。フィロー様、という人はきっと私が何者なのかを見極めるために面会してくれるのだろうけれど、王宮の練茶士がどんなところで働いているのかには純粋に興味があった。
「わかりました。ちょっと楽しみです」
「そうですか。あなたの気晴らしになるといいのですが」
ルーク様がわずかに口角を上げた、その時だった。
ズキン、と頭の右側に衝撃が走る。
何か固いもので思いきり殴られたのかと思うほどの痛みだった。
視界がぐにゃりと歪み、驚いて私の名前を呼ぶ彼の顔がぼやけた。足の力を保てず、体が崩れていく。
絨毯の敷かれた床に頭をぶつける前に、抱き止められる感覚があった。
頭痛と、視界の歪みはじんわりと、徐々に消えていく。
何度も何度も私の名前を呼ぶルーク様の温かな手のひらが頬にあてられている。
「エトーリアさん、エトーリアさん…!?」
「……ルーク、様」
滲んでいた彼の顔がようやくはっきりと見えて、彼に支えられながら体を起こした。彼は血相を変え、床に膝をついている。
「……すみません、もう、大丈夫です」
「どうしたんです、具合が悪いのですか」
「いえ、……ちょっと頭痛がして。でも、もう収まりました」
どうにか笑顔を作ろうと口角を上げるけれど、彼の眉間には怪訝そうに深い皺が入っていた。
彼が私の脚に腕を添えたと認識した瞬間に、ふわりと抱き抱えられる。彼の横顔が、驚くほど近くにあった。
「えっ、ルーク様、あの……!」
「じっとしていてください」
そのまま私の体を運び、ベッドの上でそっと下ろしてくれた。
彼のまつ毛が綺麗に長いことさえもよくわかる距離に、思わず鼓動が速くなる。
「……きっと疲れが溜まっているんですね」
彼は私の額に手を当て、眉尻を下げ、こちらを見つめている。まるで、大切な家族が体を壊したのを心配するような、優しい表情だ。
自分でもびっくりするほどの異変で、さらに抱き抱えられたことに驚いたけれど、彼の手の温度を感じると少しずつ落ち着いていくのがわかる。
「あとで侍女に着替えを持って来させますから。その後はゆっくり眠ってください」
「……はい、ありがとうございます」
彼はふっと微笑み、額の手を離した。
本当は心細くて、もう少しそうしていてほしかったけれど、これ以上ルーク様に迷惑をかけることはできない。
「何かあったら、すぐに駆けつけますから」
「……はい」
「……おやすみなさい。また明日」
「はい、おやすみなさい」




