00話 プロローグ
エトーリア
窓から差し込む眩しい日差しに目を細めた。小鳥のさえずりが聞こえる。
今日もまた、忙しくも平和な一日が始まるのだと、ベッドの上で腕を伸ばし、大きなあくびをした。
身だしなみを整えて階段を降りていくと、父は既に仕事に取り掛かっていた。
大きな袋で届く茶葉を木の器で掬い上げ、じっと見つめて品質を確かめている。彼にとって、毎朝のルーティンのひとつだ。
「おはよう、父さん」
「エトーリア、おはよう」
私の顔を見て安心したように微笑む優しい父に、朝食を作ると告げてキッチンへ向かう。
私の家は、茶葉の専門店を営んでいる。お茶の文化が豊かなアルテネア王国の首都であるこの街には、数多くある茶葉店のひとつ。母は私が幼い頃に亡くなり、私が生まれる前に両親が開いたこの店を、今は父と私で切り盛りしていた。
「練茶」という文化はこの国独特のものだと、以前店にやってきた旅人が教えてくれたことがある。この国ほど、お茶の生産や消費が盛んな国はそもそも存在せず、お茶のブレンドを専門とする「練茶士」という職業すら無いだのと言っていた。
私の周りでは物心ついた時からずっと、暮らしに根付いてきたもので、皆毎日水の代わりに何杯もお茶を飲むし、体調が悪くなった時や怪我をした時にも効能に合わせてブレンドされたものを飲むことで体を癒してきた。
他国では生活の中にお茶がないなんて信じられないけれど、私は父からそんな「練茶」の技術を学び、いまは練茶士として店を手伝っている。
いつもと同じ決まった時間に店を開けようと、今日のおすすめブレンドが書かれた立て看板を手に外へ出た。澄み渡る青空が広がり、心地よい風が頬を撫でる。今日もいい日になりそうだ、と考えていた矢先。
「エトーリア!」と私の名前を叫ぶように呼びながら駆け寄ってくる女性の姿が見えた。
「ネリッサおばさん?どうしたの」
「うちの子が、大変なの」
近所に住むネリッサおばさんは、普段の穏やかな様子とは想像ができないほど顔面蒼白で、やつれていた。
「キトが目を覚まさないの」と彼女が続けた言葉に、思わず目を見開いた。
「キトが?いつから?」
「今朝よ。何度声をかけても反応がなくて…昨日まで3日間高熱で寝込んでいたの」
キトは、ネリッサおばさんの息子で、先日5歳になったばかりのまだ小さな男の子だ。生まれた頃から先天性の病気を抱えていて、街の医者には成人まで生きていられるかはわからないと宣告を受けていた。
普段は調子がいいと店まで遊びに来てくれ、私の仕事の様子をじっと見ていることもある。私のとっては親戚の子どものような存在だ。
そんな彼がすでに3日も高熱で苦しんでいた上に、
意識を失った、なんて。
「ちょっと待ってて、すぐに準備する。おばさんはキトの側にいてあげて」
不安でたまらない表情をした彼女の腕に手をあて、「絶対に大丈夫」と強く言葉をかけた。彼女は「エトーリア」と縋るように私の名前を呼び、自分を落ち着かせようと深く息を吐く。
それから、「ありがとう、先に戻っているわ」と言い残して、私に背を向けた。
すぐに店内へ戻り、材料棚から思いつく限りの茶葉をかき集めて調合台に置く。
おばさんは自宅にうちの茶葉を常備しているから、きっとこの数日間熱を下げるお茶をキトに飲ませ続けていたはずだ。それよりも効果が高く、さらにキトの意識が戻るほどの強い覚醒を起こさなければならない。早く、どうかよく効くお茶を。焦る気持ちを抑えながら、茶葉をブレンドする。
最後に、母に教わったおまじないをかけながら願いを込めた。
キトのために。
どうか、目を覚まして、またあの笑顔を見られますように。
この時の私は、これから起こる奇跡も、それが呼び起こす人生の転機も、なにひとつ想像していなかった。
ただ目の前の命が、どうか助かりますように。
そんな一筋の自分の願いが、今よりもずっと広く、大きな世界を動かしていくことになるなんて。




