家族と婚約者に虐げられ続けた悪役令嬢は、全てを失ってもなお笑顔を選んだ結果、落ちぶれた彼らを見下ろしながら隣国の完璧王子に溺愛されて幸せを掴む物語
クラリッサ・エルメロード公爵令嬢は、誰からも愛されなかった。
生まれながらに華やかな美貌と、誰よりも努力を惜しまぬ心を持ちながら――家族にとって彼女は「都合の良い娘」でしかなかったからだ。
「クラリッサ、また舞踏会の準備をしておきなさい。どうせあなたは誰にも誘われないでしょう?」
「姉上のように輝けない妹を持つと、恥ずかしくて仕方がないな」
父と姉から浴びせられる冷たい言葉。
母は彼女を見ても、ただうつろな瞳でため息をつくだけだった。
――それでも、クラリッサは笑顔を崩さなかった。
虐げられても、心が痛くても。彼女が笑っていれば、いつか家族も振り向いてくれると信じていたからだ。
しかし、それは愚かな夢だったと証明される日が来る。
煌びやかな王宮の大広間。
そこで開かれたのは、婚約者である王太子ユリウス殿下主催の夜会だった。
クラリッサは緊張しながらも、誇らしげに微笑んでいた。
今日こそ、彼が自分を隣に立たせてくれるはずだと。
だが――。
「クラリッサ・エルメロード。今日をもって、君との婚約を破棄する!」
大勢の前で告げられた冷酷な宣言。
彼の隣には、甘ったるい笑顔を浮かべる伯爵令嬢セレーナが寄り添っていた。
「君のような冷酷で醜い令嬢は、王妃にふさわしくない! この優しく気高いセレーナこそ、私の真の伴侶だ!」
どよめきが広がり、嘲笑が会場を包む。
クラリッサの家族は、まるで待っていたかのように叫んだ。
「ご覧なさい、これが本性よ!」
「恥知らずな妹め、家門の名誉を傷つけおって!」
誰も彼女を庇わなかった。
クラリッサはただ一人、孤独の中に立ち尽くした。
――ああ、やっぱり私は、必要とされていなかったのね。
胸の奥で何かが音を立てて崩れ落ちた。
婚約破棄の翌日、クラリッサは実家を追い出された。
持ち出せたのは、小さな鞄ひとつ。
豪奢なドレスも宝飾もなく、ただ古びた外套を羽織っただけの姿で、彼女は街を彷徨った。
「行くあてなんて、どこにもないわ……」
涙は出なかった。
長年虐げられてきたせいで、心が凍り付いてしまったのだろう。
だが、天は見捨ててはいなかった。
ある夕暮れ、路地裏で震えていたクラリッサに、ひとりの青年が声をかけた。
「こんなところでどうしたんだ、令嬢?」
振り向いた先にいたのは、夜の闇を溶かすような蒼い瞳を持つ青年。
整った顔立ちに、気品あふれる立ち居振る舞い。
一目で只者ではないとわかる。
「……私は、すべてを失った身です。関わらない方がいいですよ」
「すべてを失った? なら、これから取り戻せばいい。君には、その価値がある」
優しく差し伸べられる手。
クラリッサは戸惑いながらも、その温もりに触れた。
「俺の名はアレクシス。隣国ルーヴェリアの皇太子だ」
――その名を聞いた瞬間、彼女の運命は大きく動き出すのだった。
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アレクシスに手を引かれ、クラリッサは隣国ルーヴェリアへと渡った。
華やかな王都の景色に目を奪われながらも、彼女の心は落ち着かない。
「……なぜ、私なんかを助けてくださるのですか?」
「“私なんか”と言うな」
アレクシスは厳しく、しかし温かな声音で告げた。
「君は誰よりも美しい。毅然としていながら、優しさを失わない。その姿に、俺は心を奪われた」
思わず頬が熱くなる。
これまで罵倒しか受けたことのないクラリッサにとって、それは信じがたい言葉だった。
「……私は、ただの厄介者です。家族にとっても、婚約者にとっても」
「ならば、俺にとっての宝物になってくれ」
アレクシスの真っ直ぐな瞳に見つめられ、クラリッサの胸に温かいものが広がった。
長い孤独が、ゆっくりと癒されていくのを感じる。
6
ルーヴェリア宮廷での日々は、クラリッサにとって夢のようだった。
王宮の侍女たちは彼女を敬い、アレクシスは公務の合間ごとに彼女を訪ねてきた。
「クラリッサ、今日は庭園で一緒に昼食をどうだ?」
「また? 殿下はお忙しいはずでは……」
「君と過ごす時間の方が大切だ」
耳元で囁かれる甘い言葉。
赤面するクラリッサを見て、アレクシスは嬉しそうに微笑んだ。
そんな彼の溺愛ぶりは、宮廷中の噂となった。
だが、クラリッサは未だに不安を拭いきれなかった。
「……私が殿下にふさわしいのかしら」
「君以外、考えられない」
アレクシスは即答した。
その確信に満ちた声に触れるたび、クラリッサの心は少しずつ解きほぐされていった。
7
一方その頃、クラリッサを追い出したエルメロード公爵家と王太子ユリウスには、破滅の兆しが訪れていた。
セレーナを新しい婚約者に迎えたユリウスは、彼女の甘言に溺れ、国政を顧みなくなった。
贅沢と浪費に耽り、王宮の財政は傾き、民の不満が募っていく。
さらにエルメロード家は、ユリウスを後ろ盾に権勢を振るおうとしたが、彼の信用を失った時点でその地位は危ういものとなった。
やがて、贈収賄の証拠が明るみに出ると、あっけなく失脚した。
「まさか、私たちが……こんな末路を迎えるなんて……」
没落していく家族は、嘲笑と軽蔑に晒されることになる。
クラリッサが必死に支えていた家――彼女を虐げてまで誇った家名は、砂の城のように崩れ去ったのだった。
8
その報せが届いた夜、クラリッサはアレクシスの執務室で報告書を手にしていた。
「……本当に、滅びてしまったのね」
「君をあれほど蔑ろにした報いだ。天が裁いたのだろう」
アレクシスは淡々と告げた。
クラリッサの胸に複雑な感情が渦巻く。
哀れみ、悔しさ、そして――不思議な安堵。
「私、もう戻る場所はどこにもないのですね」
「ならば、ここが君の居場所だ」
アレクシスは椅子を立ち、彼女の手を取った。
「クラリッサ。俺の隣に立ってくれ。愛しい人よ、俺の妃に」
涙が頬を伝う。
かつて望んでも得られなかった言葉を、今、心からの想いとして受け取ったのだ。
「……はい。私でよろしければ」
その瞬間、アレクシスは彼女を強く抱きしめた。
クラリッサは初めて、自分が誰かに必要とされている幸福を噛みしめた。
9
やがて盛大な婚儀が執り行われた。
豪奢な純白のドレスをまとったクラリッサは、祝福の鐘に包まれながら王宮の大広間を歩む。
その姿はまさしく、シンデレラそのものだった。
「……夢ではないのですね」
「夢なら、永遠に覚めなければいい」
アレクシスは笑い、彼女の手に口づけた。
列席した各国の貴族たちは、羨望と敬意の眼差しでふたりを見守った。
もう誰も、クラリッサを虐げる者はいない。
10
婚儀から数か月後。
バルコニーから街を眺めるクラリッサの隣で、アレクシスが囁いた。
「君が微笑むだけで、人々は幸せになる。君はもう、“誰かに踏みつけられる存在”ではない」
「……私が、幸せになっていいのですね」
「いいどころか、俺が必ず幸せにする」
力強く抱き寄せられ、クラリッサは小さく笑った。
虐げられても、踏みにじられても、なお優しさを失わなかった彼女。
その心が、今ようやく報われたのだ。




