第百二十話 イリーナの思惑
ポート・ノーウェアの港を離れた船は、夜の海を順調に進んでいた。甲板に立つコウ、メイファン、ホアキンは、夜風に吹かれながら、街の光が遠ざかっていくのを見ていた。コウの心は、まだこの街で起こったことの余韻に揺れていた。イリーナの支配、クロエとマルタとの攻防、そしてタスクの死。すべてが嵐のように過ぎ去った。
「…大丈夫か、コウ」
メイファンが隣に立ち、静かに尋ねた。彼女は、コウが何かを深く考えていることを感じ取っていた。
「ああ。…ただ、まだ実感がわかないんだ」
コウは、掠れた声で答えた。
「俺は、本当にベネズエラに帰れるのか?」
ホアキンが不安げな声で言った。
「ああ。ジェイクがそう言った。信じろ」
コウは、ホアキンの肩を叩き、安心させた。
その時、ジェイクが船内から現れた。彼の顔には、安堵の表情が浮かんでいる。
「コウ、お前たちを助けられてよかった。…だが、あの女たちは何者だ?」
ジェイクは、クロエとマルタのことを尋ねた。
「イリーナの部下だ。俺を、イリーナの支配下に置こうとしていた」
コウは、ジェイクに全てを話した。イリーナの支配、バルドとの戦い、そしてタスクとの出会い、そしてクロエとマルタの複雑な関係。
ジェイクは、コウの話を黙って聞いていた。そして、最後に静かに言った。
「…イリーナ…。あの女が、この街を裏で操っていたとはな。…だが、なぜお前を狙ったんだ?」
ジェイクは、コウに疑問を投げかけた。
「…わからない。俺は、ただのサラリーマンだ。俺を仲間にするメリットが、どこにあるんだ」
コウは、首を振った。彼は、イリーナの真意が、まだ分からなかった。
その時、ジェイクのスマホが震えた。見ると、知らない番号からメッセージが届いている。
『ジェイク。準備はできた。』
メッセージを読んだジェイクは、顔をしかめた。
「どうした?」
コウが尋ねた。
「…いや、何でもない」
ジェイクは、そう言って、スマホをポケットにしまった。
一方、ポート・ノーウェアの港に残されたクロエとマルタは、イリーナのオフィスに戻っていた。彼女たちは、イリーナに、港での出来事を全て話した。
「…コウは、タスクを殺し、ジェイクと共に船で逃げました」
クロエが、イリーナに報告した。
「そう…。やはり、そうだったのね」
イリーナは、クロエの報告を聞いて、小さく笑った。
「イリーナ様…? なぜ、笑っているんですか?」
マルタが尋ねた。
「マルタ、クロエ。あなたたちは、私に逆らったコウを、なぜ殺さなかったのですか?」
イリーナは、マルタとクロエを、冷たい目で見た。
「それは…。コウが、私たちを…」
マルタは、言葉を詰まらせた。
「…いいでしょう。あなたたちを、罰することはありません。…ですが、あなたたちは、私の期待を裏切った。私の計画を、台無しにした」
イリーナは、そう言って、クロエとマルタに背を向けた。
「イリーナ様の計画…?」
クロエが、尋ねた。
「ええ。コウは、私の支配から逃れることはできません。私は、彼を、この街の支配者として、利用するつもりでした。彼を、私の右腕として、この街の平和を、完全に掌握するつもりでした」
イリーナは、そう言って、窓の外の街を見つめた。
「ですが、コウは、私の支配から逃れた。そして、私の計画は、全て台無しになった」
イリーナは、そう言って、グラスに注いだワインを一気に飲み干した。
「…ですが、イリーナ様。コウは、ジェイクと共にベネズエラへと向かいました。もう、彼を捕らえることはできません」
マルタが言った。
「…いいえ。そうではありません」
イリーナは、そう言って、ニヤリと笑った。
「ジェイクは、私の部下です。彼が、コウを、私の元へと連れてくるでしょう」
その言葉に、クロエとマルタは、驚きを隠せないようだった。
「…ジェイクが…!?」
クロエが、叫んだ。
「ええ。私が、彼を雇ったのです。コウを、この街に連れてくるために」
イリーナは、そう言って、再び笑った。
一方、船の甲板では、ジェイクが、コウに、この街で起こったことの真実を話していた。
「…コウ。実は、俺は、イリーナの命令で、お前を助けに来たんだ」
ジェイクは、コウにそう言って、全てを打ち明けた。
「…ジェイク…!? なぜ、そんなことを…!」
コウは、驚きのあまり、声も出なかった。
「イリーナは、お前を、この街の支配者として、利用するつもりだ。俺は、お前を助けるために、イリーナに協力することにした」
ジェイクは、そう言って、コウに全てを話した。
コウは、ジェイクの言葉に、絶望的な表情を浮かべた。彼は、イリーナの支配から逃れることはできないと悟った。
「…ジェイク…! お前…!」
コウは、ジェイクに掴みかかろうとした。しかし、その時、ジェイクの背後から、銃声が聞こえた。
パン!パン!
それは、ジェイクの護衛たちの銃声だった。彼らは、コウとメイファン、そしてホアキンを、銃で脅していた。
「…ジェイク…! なぜ、こんなことを…!」
コウは、そう叫んだ。
「コウ、すまない。だが、これが、俺の仕事だ」
ジェイクは、そう言って、コウに謝罪した。
コウは、ジェイクの裏切りに、絶望的な表情を浮かべた。彼は、再び、イリーナの支配下に戻ることを、覚悟した。




