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星読み令嬢はすがらない ~婚約破棄されて奴隷落ちしたのに、皇帝に溺愛されました~


 神様は(あまね)く全てをご覧になっている

 幼い頃から私――ジョセフィーナはそう教わり、そしてそう信じていた。


 もっとも、私のその信仰は少し風変わりだとよく言われる。


「神様は私達を助けてくださるけれど、だからといって何も考えず、ただ祈りにすがるだけではいけないと思うのです」

「ほう、それはどういうことだ?」


 父――辺境伯ジェームズが、私の言葉を聞いて微笑んだ。

 彼は豪胆な戦上手として名高いが、それ以上に奇抜なものを面白がる気質がある。


「神様は私達を導いてくださる。それでも、自ら考え、足りぬ知識を学び、行動してこそ、神様は救いの手を差し伸べるのではないでしょうか」

「ははは、なるほど! お前は本当に面白い考えを持つ子だな」


 こうして、私は父に愛されて育った。

 星読みの才があると見なされたのは、私がごく幼い頃のこと。

 世には多くの占星術士がいて、王国では【神の意志を星によって読み解く者】として尊ばれる。

 けれど私は、むしろ星々の動きと、そこから紐解ける世界の現象に興味を持っていた。

 さらに、隠しているわけではないが……

 占星術だけではなく、自分の推理や論理的思考を組み合わせて未来を「当てる」のが得意なのだ。


「父様、先日の戦は想定よりも長期化するでしょう」

「うむ。わたしもその可能性を考えている。理由は?」

「そちらの領主が兵糧の備蓄を怠っていますから、雪解けまで籠城できないはずです。ならば破れかぶれの出撃に出る可能性が高く、拮抗が崩れぬまま混乱が長引くのではと」

「なるほどなあ。……戦のことはともかく、お前の指摘は的を射ているかもしれない。この情報は我が軍の戦略にも役立てよう」


 そして、彼は私をさまざまな学者や軍師たちに引き合わせた。

 占星術の名家からも指導者を招聘した。

 数学や天文学、それから政治や歴史に至るまで、私はひたすら叩き込まれた。

 おかげで退屈しない日々を過ごした。


 けれど、私を疎ましく思う兄姉がいるのも事実。


「ジョセフィーナばかりが父上にチヤホヤされているわ」

「まったく。あの子は『実験道具』のように色々与えられているのだな」


 けれど兄や姉の視線など、気にしている暇はなかった。

 私が努力するほど、父はますます面白がってくれる。

 ついには私の占星術師としての名を領内に轟かせようとする。

 小さい頃からの夢は、『神様の言葉を人々に届ける占星術士になること』だった。

 そして、いつしかその名声は王都にまで届いた。


◇◇◇◇幼少からの婚約者◇◇◇◇


 わが国には三人の王子様がおられる。

 そのうち、第三王子アルベルト殿下はどこか内省的なタイプだと風の噂で聞いていた。

 彼と私には、幼少の頃から政略的な婚約が結ばれている。

 もっとも、実際にお会いしたことはほんの数度。

 王子様は私のことをどう思っているのだろうか――

 父は「気にするな。そのうち嫌でも邂逅の機会はあるさ」と言って、具体的な説明はしてくれない。


「父様。アルベルト殿下はどんな方なのでしょう。私、ちゃんと王宮でやっていけるか不安です」

「優秀な娘が弱気だな。心配はいらん。王子とはいずれ正式に結婚し、王家とわが辺境伯家の絆が強まれば、互いに利もある。お前ならきっとうまく立ち回れるだろう」

「そうでしょうか……」


 神様は見ておられる。

 神様は私を助けてくださるだろう。

 だけど、与えられた運命にただ身を委ねるだけでは良くない。

 占星術で得られる啓示を信じるのはもちろんだが、その先を読み解くのは私自身の頭だ。

 今後、王宮へ召し上げられた後のことに思いを馳せる。


「……ジョセフィーナ。婚約の話を聞いて、不安というよりは好奇心が勝っているのだろう?」

「う……はい、少しは」

「ははは、やはりな。さあ、もうすぐ王都に招かれる。お前の力で、どうか王国を栄えさせてみせろ」


 こうして私は辺境の地から王都へ向かう準備を進めていった。

 占星術と推理、そして信仰心を胸に。


 神様は見ておられる――ならば自分の道を見失わず、最善を尽くすだけだ。


◇◇◇◇悪意ある噂◇◇◇◇


 私が招かれて王都に滞在しているある日のこと。妙な噂が一気に広まった。


「ジョセフィーナは悪魔の眷属であり、神の名を(かた)って民衆を惑わせている」


 という内容。悪質で荒唐無稽(こうとうむけい)流言飛語(りゅうげんひご)

 けれどこういう噂は、一度火がつくと簡単には消えない。


「お前の星読みは本当に神の御心によるものなのか、それとも悪魔の仕業なのか」


 顔見知りの貴族からさえ、そんな嫌味を言われる。

 どうにもきな臭いと思っていたら、父の不在を狙ったかのように、兄姉が私を揶揄(やゆ)するような言動を繰り返し始めた。


 まるでその噂話を、あえて王都中に振りまこうとしているかのように。


「兄上たちが噂の出所のようではありませんか」

「ジョセフィーナ、まさか私たちを疑っているの?」

「疑っている、というより……何か私に恨みでもあるのですか?」


 私がそう尋ねると、兄姉は苦々しげな顔をした。


「お前ばかり父上に可愛がられて、我々はいつも二の次だった。お前は占星術士として優秀かもしれないが、そんなもの……邪道に手を染めているからだ」

「邪道ではありません……でも、そうですか。つまり私を通して父を困らせたいわけですね」

「……その言い分も、生意気で気に食わんな」


 どこまで本気なのかは分からない。

 しかし、彼らが私を疎ましく思っていることだけは間違いなかった。


◇◇◇◇アルベルト王子との面会◇◇◇◇


 王宮に招かれた初日の夕刻、私は謁見の間で第三王子アルベルト殿下と面会した。

 幼い頃にお会いしただけの婚約者。


 けれど、その印象は私の記憶とは大きく違っていた。


「ジョセフィーナ。そなたが噂の占星術士か?」


 アルベルト殿下がそう問いかけたので、私は礼を尽くして答えた。


「はい。幼少の頃より星読みと学問を学んでおります」


 すると殿下は、私の顔をじっと睨みつけるように見た。


「星読みであるのは結構。しかし『悪魔の所業』と噂される輩を妃に迎えるなど、正気の沙汰とは思えぬな」

「……何のことでしょう」


 とっさに不安が胸を走った。

 まさか、私に関するあのような根拠のない誹謗中傷を気にしているのか。


「そなたは神の目を騙り、自らの恣意で未来を操る『妖女』らしいな。噂では、人々の運命すら弄ぶのだとか」

「そんな、滅相もございません」

「では証明してみろ。そなたが本当に神の加護を信じているならば、王家を惑わす悪女ではないと、ここで潔白を示してみせよ」


 私は言葉を失った。

 父のもとで育ち、多くの学問を修めてきたのも、すべては人々の助けになるため。

 けれど、ここで何をどう弁明しても、最初から私を「悪魔」と決めつけている人には通じまい。


 しかも……この言葉遣いに漂う苛立ちは、私個人に対するものというより。

「変わり者」と評判の婚約者を押しつけられた殿下自身の焦りが混ざっているように感じられた。


「……アルベルト殿下。私は星読みとして、できるかぎり誠実に生きてきました。いずれ真実をお示しできる日が来ると信じております」

「は。気障なものだな。……だが、そんな茶番を待つ気はない」


 アルベルト殿下は私へと歩み寄り、鋭い視線を投げつけて言う。


「望まぬ政略結婚を解消するには、そなたを排除するのが手っ取り早い。つまり婚約を破棄し、二度と口を開けぬようにしてやればよい。それが最善だと思わぬか?」

「……婚約破棄、ですか」


 まさか、こんな形で口にされるとは思わなかった。

 私は呆然として殿下の言葉を繰り返す。


「そうだ。そして、そなたはここで終わりだ」


 私は殿下が何を言っているのか最初は理解できなかった。


 ――しかし、次の瞬間には背後から冷たい金属音が響き、複数の男たちは私を取り囲んだ。

 明らかに、剣を持った暗殺者たちだ。


「殿下? これは――」

「問答無用。今ここで消えてもらう。そなたのような『妖女』には『不慮の死』がふさわしいのだろうよ」


 彼の瞳には迷いの色がない。

 もしかすると、本当に妖女だと恐れているのかもしれない。

 あるいは、ただ苛立ちに任せた行為なのかもしれない。

 どちらにせよ、私の命を断とうとする意志だけは確固たるものだった。


 暗殺者たちは一斉に刃を向けてきた。


 私は必死に逃げ回り、その手を振り払う。

 運よく古い廊下を抜けると、どこか裏庭のような場所へ出た。

 王城の庭園とは思えぬ、人目のない茂みが生い茂る場所である。


「くっ……神様、どうか導きを」


 声を殺しながらも、私は祈った。

 けれど神は私を救ってくださるだけではない。

 自分の足でここから逃れなければ――と、状況を分析しながら先へ進む。


 だが追手は多く、私の小さな抵抗をあざ笑うかのように四方からじわじわと包囲してきた。


(ここで捕まったら終わりだ。ああ、兄姉が広めたあの噂のせいで、殿下の疑いがますます強まってしまったのだろうか……)


 悔しくて、情けなくて、涙が滲んだ。

 けれど、私は神様を信じている。

 だからこそ、祈るだけでなく、自ら道を切り開く。

 その思いで、必死に低い茂みの間をかいくぐる。

 そこには正門に通じる小道はなく、日頃は使われていない裏門があるのみだった。


 私は無我夢中で駆け抜ける。


「いたぞ! 逃がすな!」


 遠くから兵たちの声が追う。

 私はその裏門を押し開き、まるで夜の闇に呑まれるように王城を脱出した。


 ――だが、そこにはさらなる絶望が待ち受けていた。

 外にいたのは、野盗とおぼしき男たち。

 彼らは私を見つけるなり、にやりと笑った。


「これはいい獲物が転がり込んだぜ。おい、お前、静かにしろよ」


 私は口を塞がれ、後ろ手に縛られてしまう。

 馬車に押し込まれ、慣れた手つきで縄を強く締められた。

 抵抗する間もなく気を失いかける。

 最後に聞こえたのは男たちの嘲笑だった。


 ――こうして私は、暗殺者の手を辛うじて逃れたものの、人攫いに捕まってしまった。

 私が連れ去られた先は、生臭い空気漂う闇商人の拠点。

 衝撃と絶望に呑まれつつ、気を失ってしまう。



 一方、王城には私の姿はなく、辺境伯の兵たちも必死に捜索した。

 得られた情報は「野盗の襲撃で殺されたらしい」という噂だけ。

 父は真偽もわからない報せに狼狽する。

 兄姉たちは父の叱責が怖く、自分たちの発した悪意がここまで事態を動かしたと知られぬように、ひたすら沈黙するしかなかった。


◇◇◇◇帝国の奴隷◇◇◇◇


 気がついた時には、王国とは違う場所へ連れ去られていた。

 そこには蒸気機関が林立し、魔導科学の技術が王国よりも格段に進んだ匂いが漂っていた。


 ここは隣国・ジグラート帝国。


 その帝都の一角で、私は奴隷競り市に出されてしまったのだ。


 ジグラート帝国の首都は、王国とはまるで別世界だった。

 高層のレンガ造りの建物が立ち並び、あちらこちらから白い蒸気が噴き出している。

 人々の往来は活気に満ち、馬車ではなく蒸気機関を利用した貨物車が道を走っている。

 まさに今、急速に力を伸ばしている国なのだろう。


 「おまえ、新入りか。名前は?」


 声をかけてきたのは、帝国軍の将校と思しき壮年の男性だ。

 いかにも鍛え上げられた体躯の持ち主で、周囲の者に威圧感を与えている。


「……ジョ、ジョゼ……」

「ジョゼだな。もういい、フルネームなんぞどうでもいい」


 そのまま彼は私の顎をぐいっと掴む。

 当時の私はジグラート帝国において、『奴隷』として売られる立場にあった。

 私が生きていると分かれば、王子がまた暗殺者を差し向けて来るかもしれない。

 そう思い、身分を隠していたのだ。


 その男――カシウス近衛隊長は私を見つめると、驚いたように眉をひそめた。


「妙だな……帝国語は流暢だし、いかにも育ちが良さそうだが、貴族ではないのか?」

「そ、そんなわけ……ありません」

「まあいい。女の奴隷はほかにもいるが、おまえは妙に品がある。余計なトラブルを抱えたくないだけだが……面白い。買い取ってやろう。私の屋敷で使い道を探すとするか」


 こうして、私はカシウスの下で使われることとなった。

 帝国皇帝近衛隊長である彼の私邸に移されたのだ。

 扱いは奴隷だが、一般的な農場送りや鉱山送りと比べれば、数段良い。


「おまえ、何か得意なことはあるか?」

「得意……」

「例えば語学や、織物の技術、音楽は? 私の屋敷にはそこそこ客人が来る。もてなせる技術があれば使い道も増えるだろう」

「そうですね……私は『星を読む』ことができます」


 カシウスは噴き出すように笑った。


「奴隷のおまえが星読みだと? 貴族の娯楽占いを真似しているのか? はは、笑わせる」

「いえ……本当に、得意なんです。私の故郷ではある種の占星術士として……」


 私が王国の正統な占星術士だと知れたら、アルベルト殿下の暗殺者が来る可能性もある。

 そう思い、私はそこで押し黙る。


「……そうか。ならば占ってみせろ。まずは私の部下の一人、明日の警護隊の行き先を当ててみろ。噂では、反乱軍の残党が森に潜んでいるらしいが……」

「ええと……そうですね。星の位置と……」


 私は占星術の『フリ』をしながら、占い始める。


 先日の市街や周囲の地理情報、さらに帝国軍の動向などを頭の中で組み合わせた。

 彼らはどの陣地へ移動するか。

 蒸気機関の輸送がどのあたりまでカバーされているか。

 そういう情報は、奴隷市で聞いた会話の断片から推理できる。


 ――ああ、ここだ。市街の北東側、反皇帝派が一時逃げ込んだ廃村。そこが最有力だろう。


「……明日の警護は、北東の廃村近辺になるのではありませんか? 蒸気運河の警備も兼ねて、あちらに出向くかと」

「なに? どうしてそこまで分かる?」

「それは……星々の導きです」

「ふん。外れたら屋敷から叩き出すぞ、いいな?」


 そして翌日。

 私の推測どおり、警護隊は北東で反乱軍の残党が出没するという通報を受けて鎮圧へ向かった。

 カシウスは、私が言ったとおりになったことに驚き、同時に私への興味を深めていく。


「おまえは本当に、ただの占星術だけで分かったのか?」

「……神の導き、というよりは……いえ、私に言えるのはそれだけです」

「フッ、おもしろい女だ。よし、今度は屋敷の経営を見通してもらおうか。近衛隊長としての給金は悪くないが、部下たちをやりくりするにも金がかかる。配下の商人との取引にも注意が必要でな……」


 そう言われて私は屋敷に出入りする商人やその経歴、商品の相場などを聞く。

 そして帝都の経済推移を総合してアドバイスした。


「ここ数ヶ月は小麦が値上がり傾向にあります。原因は降雨量の偏りと、近隣の輸入制限。それが続くなら、年末には別の穀物に需要が移るでしょう。裏作を活用できる地域の買い付けを早めるべきかと」

「なるほど……。まるで長年の商人のようだな。本当に星を見ただけか?」

「星を見て、神に祈りを捧げて、然るべきことを考えました」


 私は少し笑ってごまかした。

 カシウスはそれ以上詮索せず、むしろ「適切な助言だ」と納得した様子だ。

 そのまま私を屋敷の管理にも携わらせてくれた。


 こうしているうちに、私は奴隷の身ながら徐々に屋敷で信用を得ていった。

 配下から相談を受ければ「星読みに聞いてみろ」と持ちかけられる。

 そうして私は次第にカシウスの側近のような立場へと昇進していく。


「隊長、失礼します。例の『星読み』が一通り、倉庫の在庫を整理し終えました」

「うむ、ジョゼはどう言っている?」

「仕入れのバランスが悪いから見直せと……彼女の言う通りにすると、これほどまでに経費を削減できるとは驚きです」

「ふっ、そうか。やはり侮れん女だな」


◇◇◇◇皇帝の呼出◇◇◇◇


 さらに数ヶ月後。


「陛下が私を……召し出す?」


 突然、カシウスが神妙な顔で告げてきた。


「噂を聞きつけられたんだ。『星読みの奴隷が、屋敷経営を浮かび上がらせた』とな」


 私の星読みが、思った以上の反響となっていたらしい。


「……正直、おまえの行いが注目されている」

「私などが、陛下へと進言しても良いのでしょうか……」

「いずれにせよ、皇帝陛下のご命令だ。断る権利はない」

「わかっています。行きます。私が逃げられる場所など、もうどこにもありませんし……」


 そう、私は覚悟を決めた。

 王国で暗殺者に追われ、帝国に売り飛ばされた私が、なぜか今は皇帝の耳にまで届いた。

 良いことか悪いことかはまだ分からないが、ここで怯えていても仕方がない。


 そうして私は宮殿へ。

 拝謁する皇帝レオンハルトは威厳に満ち、漆黒の瞳に底知れぬ孤独を宿しているように見えた。


「おまえが噂の『星読み』か? ……ほう、まだ若い娘ではないか」

「ジョゼと申します。お目通りの栄誉を賜り、感謝いたします」

「ああ、聞けば、星を読むだけでなく、実践的な知識も持っていると聞く。それがお前の手腕か?」

「はい。一般の奴隷よりも、多少の知識がございます」

「そうか。では、早速だが、余が毎夜見る悪夢の正体を探ってもらいたい」

「悪夢……ですか?」

「理由は分からんが、悪夢が真実を告げるのではと気にかかる。おまえにその原因が分かるか?」


 私は逡巡した。


「恐れながら、星の示す啓示と……私なりに集めた情報から推測してまいりたいと存じます」


 そう言うと、陛下は低く笑った。


「ならば、余の過去や国が置かれた状況もお前なりに調べるがいい」


 ――私は時間をもらい、城にある図書室や資料庫を少し閲覧させてもらった。

 地質学や農学、過去の飢饉の記録、天候異常の軌跡などの『断片』が見つかった。

 星の推移だけでは説明しきれないが、陛下の見た悪夢が示唆するものは……


「……皇帝陛下、結論を申します」


 静まり返った謁見の間で、私は一礼し、言った。



「来年は大豊作になります。その後――再来年には大飢饉が起こるでしょう」



「なっ……!」


 周囲は騒然となる。


「星が照らす未来は、帝国を苦境へと導く脅威の到来です。けれど、いま備えれば被害を最小限に抑えることもできるはず」

「……どう備えろというのだ?」

「ジグラート帝国には蒸気機関と魔導技術がございます。運河を活用し、今年や来年の豊作の際に余剰分を買い上げ、穀倉都市を拡張して備蓄するのです。そうすれば、再来年の飢饉が到来しても帝国内は凌げる可能性が高いでしょう」


 これが私の推論。

 星が示す暗示――神の導きが、私の脳裏にそう告げている。

 皇帝レオンハルトは驚きながらも、私の言葉に大きく頷いた。


「……よし。カシウス、並びに宰相らと協議し、すぐに大規模な備蓄計画をスタートさせる」

「はっ」


 私の読みが、皇帝の心に響いた瞬間だった。

 もちろん、一抹の不安はある。もし外れたら……

 その責任は誰より私に降りかかる。

 だが、逃げるわけにはいかない。


 こうして、帝国全体を巻き込んだ「備蓄計画」が動き出した。

 運河建設や穀倉都市の整備のために、帝国中から技術者や職人が集められる。

 蒸気機関を利用した大工事が次々と始まるのだった。


◇◇◇◇星を継ぐ者◇◇◇◇


 大飢饉への備えを進めるため、私は正式に宰相府へ出入りするようになった。

 周囲には奇異の目で見られたが、カシウスが私を庇ってくれて、何とか仕事を続けられた。

 私が提言した運河整備と穀倉都市の建設は、蒸気機関の技術を動員して驚く速さで進んだ。

 私自身も、いくつかの地域を視察し、地形や水利を調べるのに奔走する。


「まさか奴隷風情が宰相の一角に口を出すとはな」

「皇帝陛下が興味を持っているからって、調子に乗るなよ」


 ささやかな嫌がらせは少なくなかった。

 それでも私はひたすら職務に没頭した。

 そんな中、心のどこかで家族との懐かしい日々を思い出す。

 いつか父のもとへ戻りたいとも思うようになった――


 そして迎えた翌年。

 私の言った通り、穀物は大豊作を迎えた。

 宰相府に加担していた貴族たちは大いに喜び、帝国全体が豊かな気配に沸き立つ。

 人々の顔に余裕の笑みが広がり、消費も増大する。


「今こそ外に売り出せば大儲けできるのでは? 商人たちは皆そう言っていますよ」

「確かに今は大豊作ですが、来年には気候が激変する可能性が高いのです」


 余剰分を売り払う前に、帝国全土の備蓄量をしっかり確保しておかないと……

 こうして、私は執拗なくらいに「備蓄を優先せよ」と訴え続けた。

 短期的には売り払ったほうが利益が出ると考える貴族や商人を、カシウスや重臣が説得した。

 結局は皇帝の勅令で大規模な備蓄体制が敷かれる。


 そして、次の収穫の時期。

 私の推測は的中した。

 周辺諸国で深刻な飢饉が発生し、凶作や疫病が相次ぐ。

 そんな中、帝国ジグラートは充実した備蓄によって国民を飢えから守ることができた。

 さらに、余剰の穀物を求めて諸国が次々と支援を乞う。

 帝国は、その外交カードを大いに活用することとなった。


「……これが、貴様の読み通りの未来、か」


 レオンハルト陛下は大きく息を吐き、私を見やる。


「予測どおりになってしまったのは喜ばしいことではありませんが……」

「とはいえ、帝国の民は救われた」

「はい。帝国が飢餓を逃れ、多くの人を救えたのなら、きっと神様もお喜びになるはずです」

「神……か。ふっ、お前は時々、星や神の話をするのだな。理屈だけでなく、信仰もあるということか」

「はい。私は神様が遍く全てを見ておられると信じています」


 私がそう答えると、陛下は興味深そうに頷いた。


「お前は奴隷だったが、もはや宰相も同然の働きをしている。この功績、しかと報いねばならん。……ジョゼ、いや、ジョセフィーナと言ったか。お前を正式に『星を継ぐ者』と呼び、帝国の宰相に任じようと思うが、異論はあるか?」


 思わず目を見張る。

 帝国は、確かに王国よりも実力重視・実利重視の風土がある。

 しかし、まさか奴隷の私に宰相の地位まで与えるなんて――


「恐れ多いお言葉ですが、それほどまでに評価いただけるなら……喜んでお引き受けいたします」


 こうして私は正式に「宰相ジョセフィーナ」として、帝国中に名を知られることになった。


◇◇◇◇再会◇◇◇◇


 飢饉の影響が深刻な地域から次々に使節が帝都を訪れ、救いを求めるようになった。

 食料を求める行列は絶えず、帝国の門前でひれ伏している。

 その中には――私の祖国、あの王国からの使節団の姿もあった。


「アルベルト王子と……お兄さま、お姉さま……」


 私は思わず息を呑んだ。

 彼らはかつての婚約破棄と暗殺未遂を画策した張本人。

 私の兄姉も、私を悪魔の所業と嘲り、危険な目に遭わせた存在。

 

 ――今はどういう心境なのだろう……


 使節の中に混ざっていた兄姉たちは、浮かない顔をしている。

 そしてアルベルト王子は、明らかに周囲への責任転嫁を考えているようだった。


「帝国の宰相様は、星読みの術でこの飢饉を予見していたという…… いやはや、王国にはそうした占星術の文化が乏しくて……」


 愛想笑いを浮かべているが、虚勢と保身ばかりが透けて見える。

 一方、兄姉たちは目に涙を浮かべていた。


「あの子――ジョセフィーナの占星術があれば、こんな飢饉にはならなかったかもしれないのに……」

「まさか、殺されるとまでは思わなかったんだ……」

「ジョセフィーナは……もし生きているなら、また会いたい……会って謝りたいんだ……」


 部下からそう報告を受け、私はもう抑えきれない気持ちになった。

 私を陥れた兄姉だけど、その瞳には深い悔恨があると感じた。


「……彼らを、帝都の城へ案内してください。私が直接会いましょう」


 そして、帝都の城の大広間。

 皇帝陛下が見守る中、私は姿を現した。


「……みなさま、お久しぶりですね」

「え……?」

「ジョ、ジョセフィーナ……!?」


 兄姉が目を見開き、ガタガタと膝を震わせている。

 アルベルト王子も青ざめた顔で絶句していた。


「あの夜、私は暗殺者に襲われました。そして奴隷としてジグラート帝国に売られたのです」


 そう告げると、兄姉は「ああ……」と泣き崩れて後退りした。


「ごめんなさい、ジョセフィーナ……私たちが嫉妬などしなければ、こんなことには……!」

「ジョセフィーナ……ごめん、本当にごめん……」


 兄姉の涙を見た瞬間、私の心も激しく揺れた。

 私を殺そうとした実行犯はアルベルト王子と暗殺者だが、それを引き金にしたのは兄姉の嫉妬。

 だが、その嫉妬の裏には父様の偏った愛情があったことも分かっている。


 私は静かに彼らのそばに近付き、震える手を優しく握った。


「神様は私たちの信仰を見ておられる。私はそう信じています。兄上と姉上は悪しき心で過ちを犯しました。しかし、神様はそれを私の試練として、多くの人を救うきっかけになさいました。だから、もう責めたりしません」


 そう言って私は彼らを抱きしめた。

 兄と姉もこらえ切れず、声を上げて泣き始める。

 共に涙を流し合うと、これまでのわだかまりがゆっくりと溶けていくようだった。


 周囲の人々が見守る中、わたしは家族という絆を取り戻したのだ。


 その光景を黙して見つめていたのは、帝王レオンハルト陛下。

 いつもは冷静沈着な彼だが、どこか寂しそうにも見えた。

 後に聞いたところによると、陛下自身も幼少にして家族を失い、孤独を抱えてきたのだという。


 一方、アルベルト王子に視線を戻すと、彼は冷や汗をかきながら口を開いた。


「ジョセフィーナ、私は……その……国の事情があって、お前と結婚できなかっただけだ。お前を殺そうなどというのは誤解だ。今からでも婚約をやり直そうではないか……」


 明らかな虚飾。

 私は目を伏せ、静かに口を開く。


「殿下、私を本当に求めてくださっていたのなら、なぜあのとき暗殺など…… 私はもう、王家との婚姻によって己の身を縛るつもりはありません」


「い、いや、それは……」


 言い訳を並べようとする王子を、私はそっと手で制した。


「どうか、王国をお救いください。そのための援助はいたします。ですが、二度と私の前に立たぬよう……これが、婚約破棄の真価です。あなたには失ったものが何だったのか、よくお考えになってください」


 私の言葉に、王子は蒼白になったまま、一言も発せず頭を垂れた。

 こうして王子と兄姉は、帝国からの支援を受けられることになった。

 ひとまず王国の食糧危機は乗り切れるだろう。

 兄姉は再び私に謝罪を繰り返しつつ、「父様にも早く伝えなければ」と言って帝都を後にした。


 私はその背中を見送りながら、胸にある重荷が少しだけ軽くなったような気がした。

 苦難を経ても家族は家族。

 私は神様に、兄姉の魂が救われるよう祈らずにはいられなかった。


 それを横目で見守っていたレオンハルト陛下は、ふと小さく息を吐いて私のほうへ近づいた。


「お前はずいぶんと優しいのだな。暗殺までされかけたのに、許すのか?」

「憎しみに囚われることは、神様も喜ばれないと思うのです」


 私がそう言うと、陛下は目を伏せ、寂しげに笑った。


「……お前が抱く家族への愛、少し羨ましい」


 私はその言葉の奥底にある孤独を思い、胸が締め付けられるような気持ちになった。


◇◇◇◇星の下で結ばれる未来◇◇◇◇


 帝国による食糧援助と引き換えに、王国は私の故郷である辺境伯領を割譲することになった。

 父は自らの領民を守るために帝国への合流を決断し、家族を連れて帝都へと移住してきた。

 わたしは一報を受けると、逸る気持ちを抑えきれず、すぐに父のもとへ駆けつける。


「父様……!」

「ジョセフィーナ……! 生きていたのか……!」


 父の声は震えていた。

 私の姿を見つけるなり、すがりつくように抱きしめてくれる。

 かつては『豪胆な戦上手』として王国中から畏れられた彼の腕が、こんなにも震えているなんて。

 私は胸がいっぱいになり、言葉も出ないまま父に抱きついた。


「すまない……野盗に殺されたと聞かされて、わたしは……お前を、諦めかけていた……」

「父様が悪いわけではないのです。私こそ、ご心配をおかけしてごめんなさい」


 こうして長きにわたるすれ違いは解け、私は家族と再会を果たした。

 皇帝レオンハルト陛下はその光景をそっと見守っていた。

 しかし、やがて私のもとへ歩み寄り、神妙な面持ちで口を開く。


「ジョセフィーナ。そなたの推理と信仰が、わたしの帝国を救ったのだ」

「勿体なきお言葉でございます。全ては、神様がお望みになった結果です」

「そして、そなたの心根を知り、深く感銘を受けた……ゆえに、わたしはそなたに正式に求婚したいと思っている」

「え……!」


 まさか、皇帝レオンハルト陛下の求婚。

 私は驚きと喜び、そして戸惑いで胸がかき乱された。

 かつては婚約を踏みにじられ、奴隷として売られた身。

 こんな私でもいいのだろうか。

 戸惑いの色を隠せないわたしの手を、陛下がそっと取る。


「わたしは帝国を治める皇帝であるが、同時に一人の孤独な男でもある。そなたの存在が、わたしに新たな光をもたらしてくれた。ここにいる父君も、そなたを帝都でわたしと共に導いてほしいと願っていることだろう」


 父は涙ながらに頷いている。

 兄や姉も後ろでうなずき、わたしの背を押してくれる。


 神様は見ておられる。

 かつて踏みにじられた政略婚より、はるかに温かい愛の申し出が今ここにあった。

 私は深く息を吸い込み、レオンハルト陛下――いや、レオンハルト様の瞳をまっすぐに見つめた。


「陛下……いえ、レオンハルト様。私は奴隷から宰相となり、そしてこうして家族の愛を取り戻すことができました。それでも、まだ心が追いつかないほどの幸せに戸惑っています」

「わたしも同じだ。孤独の中で手探りしてきたところに、お前という光が現れたのだから」

「……わたしでよければ、お支えいたします。この国を、神様の導きに沿って共に築いていきたい」


 レオンハルト様はほっとしたような、安堵の笑みを浮かべ、私の手をぎゅっと握る。


「ありがとう。ジョセフィーナ。では、近々、正式な婚礼を執り行うとしよう」


 私は父や兄姉と抱き合い、祝いの涙を流した。

 かつて破談になった婚約などもはや遠い過去。

 今、私の目の前にあるのは、愛する家族と、信頼できる皇帝。

 そして帝国に生きるすべての人々への希望だ。


◇◇◇◇


 婚礼の儀は帝都の大神殿で荘厳に行われ、わたしは皇帝の后となった。

 その後の晩、わたしはレオンハルト様と並んで高い城壁の上に立ち、夜空の星を見上げていた。


「星空はいつも変わらぬな」


 そう呟くレオンハルト様の横顔を見つめ、胸が温かくなる。

 私もそっと手を伸ばし、彼の手を握る。


「王国にいたときも、ジグラートに来てからも、星は同じ姿で導きを示してくれました。神様は見ておられます。だからこそ、私は歩むべき道を見失わずに済みました」


「ジョセフィーナ。これからはわたしと共に、この帝都を、いや世界を照らしてくれ。お前の知恵と信仰があれば、きっと多くの民を救うことができる」


「私も、レオンハルト様に力を貸していただきながら、星の声に耳を傾けます。……これから先、どんな困難があっても一緒に乗り越えていきましょう」


 そう誓うと、レオンハルト様は私の肩を抱き寄せた。

 星々のきらめきを浴びながら、永遠の愛を確かめ合う。


 かつては占星術師としての名声を得ることが夢だった。

 けれど今は、レオンハルト様と手を携えながら、帝国のすべての人々を守り導く。

 ――それこそがわたしの新たな夢なのだ。


(私は私の頭と信仰を尽くして、この幸せを――人々の未来を守り抜きます)


 夜空にまたたく星々を仰ぎながら、わたしはそう心に誓った。

 奴隷として売られた日から宰相、そして皇帝の后へ――長い道のりだった。

 しかし、神様の目の前で得たこの結末こそが、わたしの運命の果て。


 今宵、帝都の空には祝福の星が輝いている。

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