ホワイトデーに告白するのは難しい
バレンタインデーに上司の花沢さんにチョコをもらった。
「最近チョコ作りにハマっちゃってね。たくさん作りすぎちゃったからもらってくれる?」
美人上司に華やいだ笑顔とともにチョコが入った袋を渡されれば、俺でなくとも胸を高鳴らせるに違いない。
もしかして花沢さん……俺に気があるのか?
そんな淡い期待は、目の前で同じ部署の連中にチョコを配りまわっている花沢さんを見ればすぐに打ち砕かれた。
しかも男性だけじゃなく、女性にも配っていた。明らかに義理とわかる渡しっぷりである。
彼女にとってのバレンタインデーは、男も女も関係なくチョコを楽しめるイベントなのだろう。
「ありがとうございます! 花沢さんのチョコ……大切に食べさせていただきます!」
「島内くんは大げさだねぇー」
彼女がどう考えていようが関係ない。チョコはチョコだ。バレンタインデーチョコなのだ。
俺はホワイトデーに素敵なお返しをして、花沢さんを振り向かせてみせると心に誓うのだった。
◇ ◇ ◇
俺は二十六歳。花沢さんは二十九歳。
俺より年上であるのだが、上司になって部下を持つ年齢としては若い彼女。
転職して会社に入ってきたにもかかわらず、どんどん出世する花沢さんに、最初は嫌な顔をする連中が多かった。
けれど持ち前の明るさと人懐っこさで、花沢さんは次々と部署のみんなの信頼を得たのだ。
何より仕事に対しての熱量が凄まじい。能力が高いのもそうだが、決して責任を放り出さない姿勢が部下からの尊敬を集めているのだろう。
最初は俺もその部下の一人だった。
でも、いつからか彼女に対して尊敬以外の感情を抱くようになった。
いつも笑顔で一生懸命で。仕事に対して誠実で、周りに目を配ってフォローして……。
だけど、その笑顔の裏では頭を抱えていることもあって。上からの無茶ぶりや部下の尻拭いをして、つらい思いもしんどい思いもしてきたことを知っている。
花沢さんがそんな風に誰にも弱音を吐かず、物事を真面目に取り組む人だからこそ、きっと俺は惚れてしまったのだ。
「なんでホワイトデーに限って飲み会なんか開くんだよ……」
ホワイトデーに気持ちを伝える。そのために準備を重ねてきた。
気合を入れて三月十四日という日を迎えたのだが、間が悪いことに部署内での飲み会が開催されていた。
しかも飲み会を主催したのは、花沢さん本人である。
よりによってホワイトデーに飲み会をするのってどうなんだ? もうちょっとさぁ……お返しを期待してくれてもいいじゃないかよぉ……。
「やあやあ島内くん、飲んでるかな?」
花沢さんは上機嫌な様子で俺の席に来た。
俺だけじゃなく、一人一人に声をかけているのだろう。気配りばかりする人だからな。
「飲んでますよ。花沢さんは飲みすぎじゃないですか? 顔赤いですよ」
「そう? みんなとワイワイするのが楽しくってねー。無事にプロジェクトも終わったから、解放感があって最高にハイって気分だよ」
花沢さんは「イエーイ!」と声を上げながら俺のグラスに自分のグラスを打ちつける。
小気味の良い音に満足したのか、笑顔で酎ハイらしき中身をゴクゴクと飲み干す。
「ちょっと! 一気飲みして本当に大丈夫なんですか!?」
「だいじょーぶだいじょーぶ! 酎ハイくらいで酔わないって……」
明るい調子で手を振っていた花沢さんが、急にうずくまった。
「うぅ、ヤバイ……は、吐きそう……」
「言わんこっちゃない!」
女性社員に助けを求めたいところだったが、全員べろんべろんに酔っぱらっていた。酔っぱらいすぎたせいで悪ノリして男性社員を困らせている。あれは近づけない……。
うちの部署の女性陣は酒が好きなのだった。花沢さんはその中でも、あまり酒に強い方ではなかったんだっけ。
「吐くならトイレに行きましょう。俺、連れて行きますから」
「ごめん島内くん……」
それ以上しゃべると本当に吐くかもしれない。
俺はできるだけ早足で、なおかつ彼女を揺らさないように気をつけながら店のトイレへと向かった。
「ごめんねごめんね……。せっかくの楽しい飲み会なのに面倒をかけて……本っ当にごめんっ」
「気にしてないですよ。落ち着くまではゆっくりしていてください」
トイレで出すものを出した花沢さんは、明るい調子から一変していた。
すすり泣きながら何度も謝罪を繰り返している。部下の手を煩わせて、申し訳ないとでも思っているのだろう。
俺はそんな彼女の背中を摩っていた。出すものは出したけど、まだ気持ち悪さが残っているようだ。
ホワイトデーに、お返しとともに花沢さんに告白をする。
そんなことを計画していたはずなのに、どうしてこうなったのだろう……。
「私いつも失敗ばっかりで、みんなに迷惑かけすぎだよね……」
たそがれたい心境になっていると、花沢さんがそんなことを言い出した。
「そんなことないですって」
「でも、今回のプロジェクトだってもっと上手く進んだはずなのに……。結局ギリギリまでみんなの時間を取っちゃって……。私の要領が良ければもっと楽だったはずだよ……っ」
花沢さんは鼻をすすりながら、自分の至らなさを零す。
あれだけ頑張っても、自分を認めてあげられないのだろうか。
彼女は頑張っている。誰よりも時間を使い、みんなの進捗状況を把握して、的確に仕事を振り分けていた。
なのに、花沢さん自身が自分を認めてあげられないのが……とても悔しい。
「花沢さんが上手くできないって言うなら、俺なんかもっとダメダメですよ」
「え?」
俺はなんでもないと言うように、明るく笑ってみせる。
「花沢さんみたいに仕事できないし、要領悪いし、顔も悪いし」
「そ、そんなことないわよ? 顔も、良い方だと思う……」
花沢さんに顔が良いって褒められた! 思わずガッツポーズしそうになるくらい嬉しい!
じゃなくて! 今は俺のことではなく花沢さんだ。
「ま、まあ花沢さんが自分を責めると、俺みたいなダメダメな奴は立場がないんですよ」
「ご、ごめん……」
「このくらいで謝る必要はありません。いいんですよ迷惑かけたって。迷惑をかけながら、それでも信頼できるのが仲間ってもんでしょう。それとも、俺なんかじゃ信頼できませんか?」
「そんなこと……ない、よ……」
クサいこと言ってんなと、自分でも思う。
だけど今日は、そういうクサい日なのだ。
ついでとばかりに、俺は小さな箱を取り出した。
「これ、あげます。プロジェクトが終わったお祝いってことで」
「え? わ、私に? あ、ありがとう……」
花沢さんは涙に濡れた目をぐしぐしと袖で拭う。
化粧とか汚れとか気にしないのかなと思ったが、今日は飲んで騒いでストレスを解消する日だ。細かいことを指摘するのは野暮というものだろう。
「開けてもいい?」
「どうぞ」
緊張が声に表れないようにするのが大変だ。
「これ……」
箱を開けた花沢さんが、小さく驚いたのがわかった。
本当はもっとおしゃれな場所で、良いムードになった時に渡そうと思っていたのだけど。
「綺麗……」
飲み屋のトイレの前、彼女が出すものを出した後という、全然ロマンチックじゃない場面なのだけど。
俺がプレゼントしたイヤリングを、うっとりとした表情で喜んでくれたから。まあいいかと、すべてを流せた。
「でもこれ高かったんじゃないの?」
「丁度安く手に入ったんで気にしないでください。バレンタインデーのお返しということで」
「あ……」
本当は俺の給料じゃ高価な買い物すぎたけど。
ホワイトデーに告白するつもりで気合を入れた結果だ。後悔はない。
「さあ、そろそろみんなのところへ戻れそうですか?」
「うん。おかげさまで元気になっちゃった」
花沢さんが、いつもの笑顔を見せてくれる。
そして彼女は俺の手を取って、前へと進んだ。
「は、花沢さん? もう一人で立てるんじゃ……?」
「私、気づいたらフラフラしちゃうから。島内くんに、一緒にいてほしいな……」
握られた手が熱い。
俺も好きな人と手を繋げて、顔の熱を増していく。
残念ながら、ホワイトデーに告白しようという俺の計画は失敗してしまった。
けれど、花沢さんという素敵な上司がほんのちょっぴり俺に寄りかかってきた気がして、少しは頼られるようになれたかと誇らしくなった。