小寒から立春へ
その日の夕方、庭に出てきた彼がいつものように一通りの点検をして、最後に僕の顔を見たとき、ぶっと噴き出して大急ぎで家の中に戻っていった。そして、彼は大笑いをしながら彼女の腕を引っ張って僕の目の前まで連れてきた。わかってる。この男がこういう反応をするだろうことを僕はあらかた予想していたから、なにも驚くことはない。ただ、彼女がどういう反応をするのか少し怖かった。鳥に頭にのられて、さらに三角の足の形までくっきりと残されるなんてかっこ悪いだろうと思われないか。彼女が僕に幻滅したらどうしよう。そう考えると気が気じゃなかった。
彼女は彼に引っ張って連れてこられて最初は何事かと驚いていたようだけど、僕の頭の三角の足の形を見て、にっこりと笑った。木のような笑い方でもなく、彼のような大笑いでもなく、彼女は僕を肯定するようににっこりと笑った。そして、三角の足の形を元に戻すどころか、なんと形がはっきりと残るように指で溝の部分を補強した。僕は彼女のこの行動に少なからずショックを受けたが、その理由はすぐにわかった。彼女は僕の頭を真ん中にして彼とスリーショットで写真を撮ったあと、頭のへこみを治してくれた。彼女は事あるごとに写真を撮ることが多々ある。これも想い出の1ページになるなら、こんなアクシデントも悪くないと思えた。
風がびゅうびゅうと吹く日が多くなって、太陽の出番が短くなったころ、彼女と彼は二人揃って僕に挨拶することが少なくなった。さらに、いつものようにおしゃべりを楽しんでいたかと思えば、どんどん二人の表情が険しくなって、さらに彼女は怒って家の中に戻っていったこともある。慌てて彼は追いかけていったけど、きっと彼が何かしでかしたんだ。いつもニコニコ笑っていた彼女があんなに怒るなんて、そうに違いない。
そうして彼は時々、一人で椅子に座ることが多くなった。一人のときのコーヒーの匂いは、いつもよりずっと苦かった。こんな苦いものを飲むなんて、よっぽど辛いに違いない。別に認めたわけじゃないけど、彼が一人でコーヒーを飲んでいるときは、僕が側にいてあげようと思った。
ある日、彼女が僕の頭に毛糸の帽子を載せてくれた。その帽子は僕の頭のてっぺんにちょこんと載るぐらいの小さなものだったけど、青い毛糸一色の帽子を被ると僕の心は一気に華やいだ。彼女の手編みらしい帽子は、何度もやり直したあとがみえた。彼女が帽子の位置を真ん中にするか、少しずらしたとこにするか真剣に考えている横には、一緒に笑っている彼もいた。よかった、これからまた二人でおしゃべりを楽しむんだろうと思っていた矢先、彼女がぱたりと姿を見せなくなった。
今までも風が強い日は窓の中から僕を見つめていた時もあったけど、その気配もすっかりない。彼はたまに箒を持って僕や木の周りを掃除していたけど、その横に彼女の姿はなかった。どうしたんだよ、と彼に問いかけてみたけれど返事はなかった。木も心配しているらしく、枝を揺らして彼を励ましていた。
そうして、いつの間にか、びゅうびゅうと吹いていた風がおさまって、代わりに柔らかい空気を運んでくるようになった。最初、僕はその柔らかい空気に気付かなかったんだけど、木はそれを待ち望んでいたらしく、すっかり葉が落ちて裸同然になっていた体を思いっきり伸ばして全身でその空気を受け止めようとしていた。僕はというと、その柔らかい空気が増えるたびに、身体が少しずつ小さくなっていくのを感じた。彼か彼女が気付いてくれたら、小さくなっていく身体を元通りにしてくれただろうに、彼女はおろか、彼も僕の前に姿を見せることが滅多になくなった。
僕の体の変化は、まずまゆ毛に現れた。きりりと逆八の字だったまゆ毛は少しずつ下にずれ落ちてきて、左右がアンバランスになってしまった。このままだと、目と鼻もずれてしまうのは時間の問題だ。せめて、最後に一目、彼女に会いたいと思っていた僕の願いが叶ったのは、僕の体が一回り小さくなった頃だった。
久し振りに裏口のドアが開いて、彼女が姿を見せた。左右アンバランスの目が彼女たちの姿を捉えたとき、あまりにも驚きすぎて、今度こそ僕は左の目を落としてしまった。彼が慌てて付け直してくれた両目が見たのは、彼女の腕の中ですやすやと眠る小さいヒトだった。それはあまりにも小さくて、それこそ風が強い日なんか吹っ飛ばされてしまいそうだ。でも、彼女がしっかりと両腕で包み込んでいるから、そんな心配はご無用だ。
きみはこの家の新入りだな。僕も木もきみを歓迎するよ。なんてったって、きみは僕とお揃いの青い毛糸の帽子をかぶっているんだ。あいにく僕はもうすぐ消えてしまうようだけど、また必ずここに戻ってくるよ。きっときみはこれからもっと大きくなるんだろう。今はずっと眠っているみたいだけど、歩けるようになったら一緒に遊んでやってもいい。僕がきみのお兄さんになってあげるよ。
その日、彼と彼女は、アンバランスだった僕の顔を元通りにしてくれた。身体は小さくなったままだけど、それだけで僕は充分に満足だった。きりりとした逆八の字まゆ毛を撫でながら、彼女が僕に最高の笑顔を見せてくれた。
「またね、スノーマン」
また帰ってくるよ。なんたって、僕は立派な名前をもらって一人前の男になったんだから。