3. 榊原夏樹
話を聞けば聞くほど、俺はむかついていた。
どうして上月の彼氏は結婚しないんだろう。
前に写真を見せてもらったことがあったけど、お世辞にも男前とは言えず、かといって特別不細工というわけでもなく、中途半端、というかなんというか。
派手でもなく地味でもなく、ただ平凡そうな普通の男、って感じだった。身体もガリガリっぽいし、ごりごりに鍛えている俺の方がよっぽど良いんじゃないかと思った。
惚気たりはしないものの、上月がその彼氏のことをちゃんと好きだということはよくわかった。なんといっても、出会って六年目になる同期だから。
正直、入社式で初めて見たときは可愛くてびっくりした。
狙おうか、でも同期で付き合って別れても気まずいしなぁ。なんてうじうじ考えている間に、すぐに彼氏ができたと聞かされ、そのうち別れるだろうと思っていたらこの有様だ。
もし俺が先にちゃんとアタックしていたら、今頃彼女が悩むこともなく、俺と結婚していて子供もいたかもしれない……と考えてしまうのは、傲慢だろうか。
上月の今日の酒のペースが異常に早いことには、すぐ気付いた。
「飲み過ぎじゃね?」
「そうですよ!飛ばしすぎですよ〜」
どう見ても人のことを言えた状態じゃない鈴木が言う。
「これ以上ベロベロになったら、榊原先輩に持って帰られますよ〜」
「はぁっ?!」
いきなり何を言い出すんだ、この後輩は。いくら酔っているからって調子に乗りすぎだ。
「お前なぁ、そういうのは冗談でも」
「いいよ、別に」
「え」
びっくりしすぎて、箸を持つ俺の手が止まる。
上月、今、なんて言った?
「いいよ。もう、なんでもいい」
今にも泣き出しそうな目で、やけくそに彼女は呟いた。
そしてまたごくんんとハイボールを飲む。だからやめとけって……。
さすがにそんな上月の異変に気付いたのか、鈴木が困ったように俺を見る。
「……まぁ、今日は飲もう」
同期として話を聞くくらいしかしてやれないけど、それで少しでも上月の気が晴れるなら俺はいくらでも付き合うつもりだ。
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そんな状態でも会計はちゃんと自分の分を払おうとするあたり、しっかりしていると感心した。
「じゃ、僕はこれで帰りますっ!お疲れ様でした!」
後輩の鈴木は店を出るなり、ぐーんと両手をあげて気持ちよさそうに伸びをし、颯爽と駅の方へと去ってしまった。
俺と、ベロベロの上月を残して。
帰り際、いたずらにウインクしてきやがった。
さて、この酔っ払いをちゃんと家まで送り届けるか……こいつの家、どこだっけ。
「二軒目行くぞーっ!」
俺の腕をぐいっと掴み、上月はすたすたと歩き出す。
何度もよろけるから、自分の方へぐっと寄せてやった。
「ダメだ。飲みすぎ。帰るぞ」
また上月がよろけたせいで、俺達の顔と顔がぐっと近付く。
ほんのり赤くなった顔で無防備に俺を見上げる上月が可愛くて、今キスしても無罪なんじゃないかと変なことを考えてしまう。
そんな俺の頭の中なんておかまいなしに、彼女はぱっと離れて前を歩き「今日は飲もうって言ってくれたじゃん!」と駄々をこねだした。
「……子供かよ」
「はぁ?さっ、行くよ!」
頼りない早足の後を、仕方なくついていく。
無意識なのかわざとかわからないが、さっきから俺は上月に手を繋がれていた。全身の熱が、繋がれた右手に集中してしまう。
すぐ近くにあったバーに連れて行かれ、そこで彼女はさらに三杯もウォッカを飲んだ。そしてもっと酔った。
俺はジントニックを一杯だけ、ゆっくりと水をはさみながら飲んだ。
ちゃんと家まで送り届けるというミッションを果たすために、自分までも酔ってはいられない。
というか、もしこれ以上飲めば、もう後には引き返せないようなことをしてしまいそうだったからだ。
このまま酒の勢いで……なんてことはよくない。いくら好きとはいえ大切な同期であり、なにより彼女には恋人がいる。
浮気相手になんて、なってたまるか。
そんな覚悟も虚しく、気付けば自分の家に上月と二人でいた。
バーを出た瞬間、少し冷たい春の夜風に吹かれて彼女の酔いも少し冷めただろうと思ったら大間違いだった。
「うわーなんか寒い!」と叫びながら、腕を絡ませてきた。柔らかい胸が俺の腕にぴったりと当たり「ねぇ、家行っていい?」と甘えた顔を近付けてきた。
そんな上月を見たのは初めてで、どう考えてもおかしくなっているのはわかっていたけど、我慢できるわけがなかった。
「……いいけど」
呟いたときには、彼女はすでにやってきたタクシーに手を上げていた。
タクシーの中でもずっと上月はぴったりくっついてきて、俺の膝の上で恋人繋ぎで指を絡ませてきた。
好きな女にこんなことをされて、理性を失わない男がいるだろうか。
彼氏へのあてつけなのか、寂しさを紛らわすためなのか。何を考えているのか全然わからないけど、どうにでもなればいいと思ってしまった。
そして俺は、上月と寝た。