22. 篠崎風香
いつもは昼頃まで寝ているけど、今日はちゃんと朝に起きた。
聞き慣れないアラームの音で目が覚めた瞬間、現実に引き戻された。
目の前にある、太陽くんの大きな背中。こうして同じベッドで眠るのも今日が最後だと思うと、寝起き早々涙が込み上げてくる。
ぎゅっと抱きつくと、温かかった。。あたしはもう、この温もりなしでは生きていけない。
「んん……」
「太陽くん、起きて」
「……おはよう」
こちらを向いた太陽くんは、眠そうでまだ目が開いていない。その周りにこびりついた目やにをとってあげた。
全てが愛おしい。大好き。とりあえずは別々になってしまうけど、また絶対一緒に暮らしたい。
キャバクラのバイトは、ちゃんと辞めた。
そうしたら今度は、家賃が払えなくなった。
次は何をするべきだろう、あたし。
朝ごはんに焼いたパンを一緒に食べて、一緒に歯磨きして、着替えて、最後の荷造りを軽くして、やがて引越し屋さんがやって来た。
どんどん物がなくなっていく、あたし達が一緒に暮らした部屋。
ずっと涙が止まらなかった。引っ越し屋さんが変な目で見てきたけど、気にしない。太陽くん以外、どうでもいいから。太陽くんさえいてくれれば……。
引っ越し屋さんが全ての荷物を運び終わって行ってしまった後、空っぽになった部屋であたし達は二人きりになった。
「……太陽くん」
「うん」
ちょうどソファがあった位置に、あたし達は向かい合う形でぽつんと座る。
太陽くんの目がなんとなく潤んでいると思うのは気のせいだろうか。
「今まで、ありがとう」
「俺の方こそ、ありがとう。楽しかったよ」
「あたしも、すっごく楽しかった!……って、まだ別れるわけじゃないけどね」
「……はは」
やっぱり気のせいじゃなかった。太陽くんの瞳から、涙が一粒だけ流れた。
彼が泣いているところを見るのは、初めてだった。
太陽くんも、ちゃんとあたしのことを好きでいてくれて、あたしと離れることを寂しいと思ってくれている。それがただただ嬉しくて、また涙が溢れて止まらない。
「絶対、また一緒に暮らそうね」
「……そうだな」
「……ねぇ、本当に思ってる?」
さっきからうつむいたり窓の外を見たりで、一向に目が合わないから不安になってきた。
「うん」
「本当?」
「……うん、ありがとうな」
誤魔化すかのように近付いて来て、ぎゅっと抱きしめられた。
あぁ、やっぱり大好きだ。
あたしの全てを包み込んでくれるような、優しくて大好きな匂い。悔しいけど、好きで好きで仕方がない。太陽くんがあたし以外の子と一緒にいるところを想像しただけで、もう狂ってしまいそうなくらい好き。
どうか、ずっとあたしのモノでいて。風香だけの、太陽くん……。
あたしはその胸の中で、嗚咽を堪えずたくさん泣いた。
こんなに寂しくて、切なくて、でも愛おしいって思うこと、人生で初めてだ。そしてこれからもきっとないだろう。
**
実家に帰るのは、ずいぶんと久しぶりだった。
静寂な住宅街の中にある、大きな二階建ての一軒家。太陽くんと暮らしていたあの部屋よりもずっと広くて、だけど落ち着くのはやっぱりあの場所だった。
パパもママも、弟も、みんながあたしの出戻りを喜んでくれた。これからは家賃も光熱費もかからない。でも、大きな問題が一つあった。
「おかえり。これからは家でゆっくりしなさいね。無理して一人暮らしすることないんだから」
手料理のクリームシチューをあたしの前に置いて、ママが言った。
みんなはすでに食べ終わっており、あたしだけのために用意してくれた。
「うん、ありがとう」
向かい側に座り、テーブルに両肘をついて手に顎を載せ、にっこりと優しく微笑むママに、勇気を出してあたしは聞いた。
「ねぇ、ママ」
「うん?」
「門限って、もうないよね?」
そう、あたしは一人暮らしをするまで、十二時の門限があった。
それは絶対で、彼氏とお泊まりをするときは友達の家に泊まると言って嘘をついていた。
一人暮らしを始めてからは自由にやっていたし、太陽くんも入れ放題だったのだけど、実家となればそうはいかない。
ママから笑顔が消え、急に厳しい顔になる。じっとあたしを見つめる。
「付き合っている人がいるの?」
「うん……いる」
「そう。でも今まで通り、十二時までには帰る約束よ。お泊まりは絶対にダメ」
「うそ、ちょっと待って。風香もう二十三歳だよ?もうすぐ二十四になる!」
「風香、そういう問題じゃないの」
「嫌だよそんなの」
ママが大きなため息をつく。
「あのね、あなたは女の子なの。もっと自分を大事にしなさい。朝まであなたを連れ回すような男、ママは絶対に認めないからね」
そして席を立ち、台所へ行ってしまった。
あたしは頭を抱えた。ほんの少し期待していたのが間違いだった。
ママは変わっていない。
こんなことなら、女の子に生まれてこなければよかった。でもそれなら太陽くんとは恋に落ちていないか。それは絶対に嫌だな。
自分を大事にするって何?あたしにとって、太陽くんと一緒にいない方が自分を苦しめてとっても辛いんだよ。
クリームシチューを一口食べた。大好きだったはずなのに、全然味がしなかった。
『やっぱり門限、十二時だって』
太陽くんにLINEを送る。でもなかなか既読にならない。
お泊まりができないなんて、最悪すぎる。太陽くん、愛想尽かして浮気しちゃったらどうしよう。
考えれば考えるほど不安が止まらない。
『ねぇ、最悪だよ。もうあの家に帰りたい』
『まじつらいー、、』
返信がこない。どうして?
あぁ、一緒に暮らしてたらこんな不安感じなくて済むのに。これからやっていける気が到底しない。
諦めてお風呂に入って、久しぶりに自分の部屋のベッドで横になった時、やっと返信が来た。
『マジ?それは詰んだ』
たったそれだけのメッセージでも、繋がっているとわかっただけでかなり救われる。
就職したときからだから、かれこれ二年くらい実家を出ていたわけだけど、あたしの部屋は相変わらずちゃんと掃除されていて、布団も洗いたてみたいでふかふかで気持ちが良い。
でもあたしは、散らかったあの部屋で太陽くんと二人でいる方がたまらなく幸せだった。
あぁ太陽くん、早く会いたい。
我慢できなくて、電話を掛けた。
『……もしもーし』
眠たそうな声だった。
「あれ、寝てた?」
そんなわけないよね?ついさっき返信してくれてたもん。
『んー、寝かけ』
「ごめんね、嫌なタイミングでかけちゃった。実家はどう?」
『まぁ、普通だよ』
「そかそか。ねぇ、早く会いたいよ。寂しいよ」
『……だなー』
「次、いつ会う?」
『うーん、平日は厳しいかなぁ……』
「うそ。じゃあ一週間後?そんなの待てないよ」
『……うーん……』
「ねぇ、聞いてる?ちゃんと考えてる?」
『風香、眠い……』
時計を見ると、まだ十時半だった。
「早くない?」
『……俺、明日も仕事なんだよ』
「……あっそ」
『寝るわ』
「……」
なにそれ、なにそれ、なにそれ。
太陽くんはあたしに会いたいとか、寂しいとか思わないの?意味わかんない。大っ嫌い。
……うそ、大好き。
このまま電話を切ってやりたかったけど、またすぐに自分から掛けてしまうことが目に見えているのでできない。
『風香?切るよ』
「……」
『おーい、風香ー』
「……好きって言って」
『……好きだよ』
「本当?」
『本当だってば」
前は、こんなことせがまなくても太陽くんの方から言ってくれてたのに。
冷房の効いた、居心地の良いこの部屋。でもあたしは、太陽くんと二人であの蒸し暑い部屋にいる方がよかった。
「風香も大好き。浮気しないでね」
『おう』
「浮気したら、殺すよっ」
『……大丈夫だよっ』
「ふふふ」
その言葉だけでも、とりあえず許すとしよう。
大人しく電話を切って、寝ることにした。
だけど、昼前になって目が覚めたとき、当たり前だけどやっぱり太陽くんはそこにいなくて、寂しくてたまらなかった。
こんな生活、多分本当に耐えられない。
スマホのメモ機能に書いた、太陽くんとの約束のページを開いた。
毎日絶対に電話する、を加えてもいいなと思った。
これからはさらに、この約束を徹底していこう。
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