21.上月沙耶
もうすぐ夏が終わろうとしているのに、蝉はこれでもかというほど煩く泣いている。
一週間で終わるやつらの命。それに比べてわたしと亮は五年も続いたのだから、立派なものだ。
別れた後は、まだ寂しさは残っているけど、なぜかすっきりしていた。
ずっと重くのしかかっていた錘が取れたように、心が軽くなった。
やっと自分の人生を生きることができる、そんな気がした。
今までわたしは、きっと全てを凌に委ねすぎていた。だけど最後は、自分の思で気持ちを聞いて、決断した。
みっともないことを沢山してしまったけど、とりあえずは自分を褒めてあげたい。
「げーっ!上月さん、そんなメンヘラだったんすか!」
その前に、この無礼な部下を殴るべきか。
今日は珍しく鈴木とサシ飲みだ。
わたしと榊原の間に何かが始まりそして終わったことを、なぜかいち早く察したらしい。社員食堂ですれ違ったとき、周りに他の社員達がうじゃうじゃいるにも関わらず「ちょっと、何があったんすかー!」と大きな声で聞いてきやがった。
誰にも話したくなかったけど、誰かに聞いてもほしかった。だからこうして飲みに行くことになったのだ。
「え、ちょっと待って。わたしってメンヘラ?」
「メンヘラじゃないっすか、しかもかなり重度の!いやー人は見かけによらないなーやっぱり」
「えー、マジ?」
たしかに自覚はあった。わたし、いつからこんなにメンヘラになったんだろうって。でもこうしてあらためて人に言われると反論したくなってしまう。
「そうか、上月さんもメンヘラか……それはさすがに見抜けないや。そうかそうか、マジかぁ」
赤らんだ顔で一人でぶつぶつ言っている部下に、わたしはシンプルに尋ねた。
「ねぇ、メンヘラってどこからがメンヘラ?」
「えー、どこからが?」
「うん」
普段から頼りない鈴木だけど、今だけは縋るように彼を見つめてしまう。
「まぁ基本的にメンタルがヘラヘラなのがメンヘラでしょ?で、自分勝手で、わがままで、すぐ発狂する、みたいな?束縛もしてくるし。俺の勝手なイメージですけど、束縛してくる子に限って浮気とかしちゃうんすよね。……あ、違いますよ!決して上月さんのこと言ってるわけじゃないですからね!」
「いいよ、別になんでも」
今さら変に気を遣われても困る。
わたしは笑って顔の前で手を振った。そしてハイボールをぐびっと飲み、店員さんを呼んでおかわりを頼んだ。
「まぁついでに言うと、わたしべつに束縛とかはしないからね」
「わかってますよ。ただー」
「ただ?」
鈴木はビールをぐびっと煽った後、変に真面目な顔でわたしを見た。
「ただね、見えない束縛っていうか、なーんか縛られてる気がする、みたいなんもあるんすよねぇ。言葉で言われてるわけじゃなくても、空気がもう縛ってきてる、みたいな……あ、これは自分の経験談です」
言い終わると酔っ払いらしくにやっと笑い、また一口飲んだ。
「……なるほど」
たしかにわたしは、見えない束縛というものをしていたかもしれない。
言葉では言わずとも、態度や空気に出していないかと言われれば否定できない。
そしてわたしのそういうのが、凌や榊原を無意識に息苦しくさせていたのだろうか。
と、そこまで考えて急にふっと息が抜けた。もう、どうでもいいや。考えても仕方がない。
「もうなんでもいいや。とりあえず、生きてりゃいいじゃん、なんでも」
「え、いきなりどうしたんすか?!あ、店員さんおかわりください!」
「なんか悟り開いてきた」
「えぇ?」
テーブルに置いてあったアイコスを取り、深く吸って吐いた。うん、美味い。
「もうさ、人と人、ましてや男の女なんて、多分どれだけ話し合っても分かり合えないんだよ。一生」
「それは間違いないっす。けど、いきなり悟り開くの面白すぎっしょ!ははっ」
店員さんがハイボールとビールを持ってきて、わたし達は揃って勢いよく煽る。
「ま、わたしの話はもう終わり!それより、次はあんたの話よ」
「あー、俺っすか?」
「そう。別れたの?別れてないの?」
今日のテーマは、もう一つある。
居酒屋で待ち合わせて早々「俺も色々あったんすよねー」なんてやけに思い詰めた顔で言うものだから、気になっていたのだ。
鈴木はジョッキをテーブルにやや強めに置いた。
「結論から言えば、別れてないです」
「あ、そうなの?」
「……っていうか、別れてくれない状況です」
「なるほど」
わたしの話のときはあんなに元気だったのに、今は首をうなだれ疲れ切っている。あらためてよく見てみると、なんだか老けたような気もする。
「待って、白髪ない?何本か」
「え?あぁ……ストレスっすね。はぁ」
春の始まり、笑顔で恋に恋していたあの鈴木はどこへ行ったのだろう。
ろくな恋してないな、こいつも。
普段は生意気でうざくもあるこの部下がなんだか哀れに思えてきて、立場は全然違うけど同情した。
それから始まった鈴木の彼女“風香ちゃん”の話は、想像以上に強烈だった。
束縛、号泣、発狂。ニートになったかと思えばキャバクラのバイトを始めたり。部屋が汚く、だらしない、など。
自分のことは置いておいて、聞いているだけでダメな子だと思った。
「メンヘラじゃん……」
「上月さんもね」
「いやまぁ、そうなんだけど」
チャンジャを多めに箸で掴み、口に入れた。辛さがハイボールと絶妙に合う。これは酒が進む。
ここでふと、率直な疑問が頭に浮かんだ。
「てかさ、そんなに束縛やばいし重いのに、今日大丈夫だったの?いくら上司とはいえ女とサシ飲みって。発狂するんじゃない?その子」
どうして他人のこととなればこうも冷静に言えるのだろうかと、顔をしかめている自分に内心つっこみつつ。
「そうなんです、バレたら殺されるっす」
「はぁ!?やめてよ、巻き込まないでよっ」
あまりにもあっけらかんと言うものだ。
好きでもなんでもないただの後輩の鈴木、そのメンヘラ彼女に変な逆恨みをされて刺されでもしたら最悪だ。
「大丈夫っす!ちゃんと隠せてますから」
「へぇ〜」
もう隠さないといけない時点で、その恋はやっぱり終わっているのだろう。
そして鈴木の彼女がつくったルールとやらを読まされた。読んでいるこっちが恥ずかしくなるような、幼稚でバカな内容だった。
世の中下には下がいるなと、自分の方がまだましだと感じた。
「やばいね、別れた方がよくない?」
「だから別れられないんですってば……。一応、もう家賃払えないからいったんお互い実家に帰ることになったんで、とりあえず同棲は解消っすけど」
「あ、そうなの?え、家賃って二人で払ってるんじゃないの?」
「俺は毎月三万渡してます」
「え?」
「え?」
「三万渡してる、だけ?それ以外の家賃とか光熱費は彼女持ち?」
「当たり前じゃないっすか。風香の家だもの」
呆れて何も言えない。
このときばかりは、メンヘラ彼女に同情せざるを得ない。
さっきから偉そうに彼女のことを愚痴っていた鈴木が急に滑稽に見えてきた。そういえば「あいつも早くちゃんとした社会人になってほしい」とかもほざいてたな。
「……なるほどねー」
煙を吐きながら、風香ちゃんこそこんな男と別れた方がいいのにと思った。
「あと一週間っよ、俺達の解散まで」
「え、もうすぐじゃん」
「寂しくないと言えば嘘になりますね」
「なんだそれ」
「たしかに風香は可愛いし、エロいし……メンヘラじゃなかったら最高なんだけどなぁ」
「ふーん」
それからも鈴木は、風香ちゃんがどれだけ重いかとか、昼間はずっとダラダラしていて情けないとか、自立してほしいだとか、お前はそんなに偉いのか?と聞きたくなるほど言いたい放題だった。
適当に相槌を打ちながら、世の中にはこんな男に全てを捧ぐ女子もいるのかと思うと、人それぞれだなぁとあらためて思った。
「はぁ、わたしも早く幸せになりたいな……」
「え、俺の話聞いてます?」
再び空になったジョッキを掲げて、店員さんにおかわりを頼んだ。
飲まなきゃやってられない。
ちなみにこの日の会計は「すみませんマジで金ないんす」と言われてわたしの奢りだった。
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