16. 鈴木太陽
夏になった。
蒸し暑いこの部屋で、クーラーを付けてはいけない。その代わりに扇風機がただ右へ左へと揺れながら風を送ってくる。
二週間前、風香は仕事を辞めた。
給料が安いのと、労働時間が長いのが原因だという。正直俺には、甘えているようにしか聞こえなかった。
俺達は半同棲、というかほぼ同棲の生活を送っている。
しかしあくまでも俺が風香の家に入り浸っているという形なので、家賃や光熱費その他もろもろは彼女が払っている。
しかし俺も一緒に住んでいるのでさすがにそれではただの居候になってしまう。だから毎月三万円、渡すことにしている。
それに加え、実家暮らしを完全に捨てたわけでもないので、前と変わらず母親にも二万円を渡している。
つまり俺は、毎月五万円の生活費を払っている。友達と遊びに行ったり、たまに風香にご飯を奢ったりしていると、もちろん給料はあっという間に底をついてしまう。
そして、無職になった彼女。俺達はこれからどうすればいいんだろう。
起きたら昼過ぎだった。隣を見ると、ニート風香も爆睡していた。
俺は今日、休み。風香はずっと休みだ。
トイレへ行った。便座を開けて、思わずため息を吐いた。トイレットペーパーが流されずにそのまま残っている。
仕方ない、これも俺達二人が決めたことだった。少しでも節約するために、トイレの水を毎回流さないと。
でもさすがに、用を足した後のトイレットペーパーがそのまま浮かんだ光景を見るとげんなりする。
けれど節約のためだから仕方ない。今の俺達には、お金がないから。
俺はそのまま用を足し、最後にまとめて流した。
部屋に戻ると、どうやら目を覚ましたらしい風香はベッドの上でスマホをいじっていた。それが俺のスマホではなく彼女自身のものだったことにほっとした。
最近は俺が寝落ちしたら必ずといっていいほど勝手に見ている。別にやましいことは何もないからいいんだけど……。
ふとあらためて周りを見渡すと、ちらかった衣類や食べた後のカップラーメンのゴミが散らばっていた。しばらく一緒に生活して気付いたけど、彼女はかなり片付けができないタイプのようだった。
「おはよぉ……」
「おはよう」
眠たそうに目をごしごし擦りながら起き上がった彼女を見ると、比べるのもおかしな話だが初めて出会ったあの日とは別人みたいだと思った。
そしてふとモデルの元カノを思い出し、あれは今思っても最高だったなと
「今、何考えてた?」
ぎくっ。
どうしてバカなのに勘だけは鋭いんだろうか。
訝しげに俺の顔を覗き込む風香に、ぎこちなく笑いかける。
「いやぁ、今日も可愛いなぁって思ってたんだよ!」
「絶対嘘だ」
そして、ぷいっとその視線は再びスマホへ戻された。
ふぅ。と、心の中だけでとどめるはずが無意識に声に出してしまい、風香に睨まれた。
俺の風香へ対する気持ちが下落していることには気付いていた。
そりゃそうだ。勝手にスマホを見られ、重い言葉をたくさん言われ、節約のためとはいえ用を足した後のトイレットペーパーの光景などを毎日見ていたら出会った頃のあの気持ちに戻れと言われても無理な話だ。
……それでも俺の愛はこんなものじゃない。と、なぜか意地を張るように俺は風香にしがみつこうとしていた。この恋こそ、最後の恋にする。そう覚悟した自分を、まだ裏切るわけにはいかない。
「風香さぁ、キャバクラで働こうと思ってるんだよね」
「は?」
あー、やっぱり厳しいかも?
「……なんでキャバクラ?」
「だって時給いいじゃん。次の仕事見つけるまでの繋ぎみたいなものだよ。すぐに辞めるし」
あまりにも淡々と話すその瞳の無知さに、眩暈がしそうになる。
「あのなぁ」
そして俺は自分の持っている知識を思う存分聞かせてやった。
大学生の頃、四ヶ月ほどキャバクラでボーイをバイトをしていたから、その世界のことはそれなりに知っている。知っているからこそ、彼女である風香がやるのは嫌だと思った。
キャバ嬢という仕事をけなしているとかそういうことじゃなくて。男に夢を与える、気持ちよくさせる、とても立派で尊敬できる職業だと本気で思っている。身近で見ていたキャバ嬢達はみんなとても魅力的だった。
ただ、あくまで俺の感覚として、自分の彼女がおっさん相手に愛想を振り向いたりイチャイチャしているところを想像するだけで反吐が出そうだった。
「な?だからやめとけ。それとな風香、お前は向いてないよ。キャバクラって簡単に思えるかもしれないけど、頭も気もつかう仕事なんだよ。それに覚悟もいる。絶対に稼いでやる、みたいな熱い気持ちがお前にあるか?そんな中途半端な気持ちでやるならやめといた方が絶対にいいから」
「……なにそれ、あたしの頭が悪いって言いたいの?」
「そういうわけじゃないけど」
……よくはないだろう。とは言えないが。
そもそも、安易に次の仕事を見つける間だけと言ってキャバクラで働こうというその考えに腹が立つ。
それならさっさと仕事見つけて、ちゃんと真面目に働いてほしい。
あー、なんかイライラしてきた。
「働くから。だって、このままじゃここの家賃払えないし。もう前みたいな安月給は嫌だし」
「そうだけどさぁ」
「……なに、嫌なの?」
「……わかったよ、働けよ。好きにしろ」
「うん、好きにする」
俺が色々と諭したことが逆効果だったのか、やけに前向きになってやがる。
まぁいい。いざ働いたら俺の言った通りだとわかってすぐに辞めるだろう。
そして風香は本当にキャバクラのバイトを始めた。
**
家から五駅先にある繁華街のキャバクラ“Elegant”で風香は働くことになった。やはり顔は可愛いしスタイルも良いので、面接の時点で即採用だったらしい。
「ねぇ見てこれ」
「……おぉお」
いわゆる宣材写真。一眼レフで撮られて若干加工の入った写真をスマホで見せられた。
そこには胸元の大きく開いた、ぴちっとしたネイビーのワンピースを着た風香が映っていた。かなり短いようで、パンツが見えそうなくらいだった。そこから伸びる長くて細い脚はとても綺麗で、自分の彼女ながらとてもセクシーだった。
写真の中の彼女はきょとんとした上目遣いでこちらを見つめていて、素直に可愛いと思った。
「すごく良い」
「本当!?」
「うん。風香ならすぐに客つくよ」
「へへっ、そうかなぁ」
両手を頬に当て、嬉しそうに微笑んでいる。
バカだけど、やっぱり可愛いんだよなぁ風香は。
そして俺はこう思い直すことにした。キャバクラで働かれるのはたしかに嫌だけど、こうして宣材写真まで堂々と見せてくれるくらいオープンな感じなのだからまだいいか、と。変にこそこそ働かれるよりはましだろう。
それに、お金を払ってでしか風香と会えないおっさん達がいるのに対して俺はちゃんとした恋人であり、もちろんタダで風香といつでも会える。そう思えば優越感すら感じられるんじゃないか、と。
「あと、しつこいようだけど」
「うん」
「簡単な世界じゃないからな。根性持って、ちゃんと頑張れよ」
「わかった!」
ふと、これまでと全然違う自分になっていることに気が付いた。
営業成績だって良くないし、どちらかといえば怒られることが多い俺。そんな俺が、風香には偉そうに社会の先輩らしいことを言える。そして風香は素直に頷いてくれる。
これは結構、気持ちが良いかもしれない。
俺は俺で、変な沼にハマり始めてしまった。
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