15. 上月沙耶
凌を見送った後、腹が立って仕方がなかった。
どうして、鍛えてほしいと言ったのにジムに入会しないのか。
どうして、ブラックの缶コーヒーにそこまで聞いてこないのか。
どうして、明日友達と遊ぶからって泊まっていかないのか。
どうして、わたしを駅まで見送らせるのか。
考えれば考えるほど腹が立って仕方がなかった。人に期待してはいけないとわかっていても、凌にはつい期待してしまう。そして毎回こうして裏切られ、一人で悶々とするのだ。
わたしはその帰り道、榊原に電話を掛けた。
『はいよー』
声を聞いた瞬間、安心した。
「今何してる?」
『家だけど。どうした?』
「今から会えないかなって思って」
『今から?今朝別れたばっかなのにもう会いたくなってんの?』
からかうような笑いの交えた声に、もう完全に彼の方が優位に立っていると知った。そして胸がぎゅっとなった。
「……そういうわけじゃないけど!暇だから」
『へぇー。まぁ明日も休みだからいいけど。っていうかどうだった?ブラックコーヒー置いてみた作戦の結果は』
「全く。一応聞かれたけど、全然気にしてなかった」
『ほーん。なるほどね』
何がなるほどね、だよ。
わたしが飲まないブラックコーヒーを冷蔵庫に置いて反応を見てみたら?と提案してきたのは榊原だった。少しでも彼の気を引けるようにと。
そんな変なアドバイスを受け、まんまと実践しているわたし。やっぱりこれは変な関係だ。
そして反応しなかった凌にも、普通にアドバイスしてきた榊原にも、腹が立つ。
『どうする、今から家来る?』
「……行く」
さっきまで凌といた家に戻り、簡単な支度をしてわたしは榊原の家へと向かった。
いつも会うのは榊原の家だ。さすがに彼を自分の部屋に入れることはできない。たとえば榊原と朝までいたベッドでその後凌と寝るなんて、さすがのわたしも罪悪感に押し潰される。
買ってきた缶ビールやらを二人で飲みながら、凌と今日観た映画を一緒に観た。
自分でもおかしなことをしているとわかっている。でもどうしても、凌との記憶全てを榊原で上書きしたくなるのだ。わたしは狂っている。
自分一人では拭いきれない不安や怒りが、榊原に抱かれるとすうっと消えていく。
そしてわたしは今日も、彼に抱かれる。
ねぇ榊原、わたし、あんたに全てを委ねていいかな……?
「この関係を終わらせたい」
激しくわたしを抱いた後、ベッドに仰向けになりおでこに手を当て彼は言った。
その大きな手のせいで隠れて、どんな表情をしているのかわからない。
「……え?」
なんと言われたのか、なんと言えばいいのか全くわからない。
「もう終わらせよう、上月」
「……は?」
起き上がり、布団で裸の身体を一応隠しながら、隣に横たわるこの男に戸惑いを隠せない。
「なんで」
「……彼氏に悪いし。いつまでもこんなことしてるわけにもいかないだろ。……な?」
手を少し上げ、わたしを見上げる彼の顔はどこか哀れんでもいるようだった。
……こんな屈辱なことが、あるだろうか。
「なんで!!あんた、わたしのこと好きだったんでしょ!!」
自分でも抑えられないうちにわたしは立ち上がり、もう身を隠すことなく彼に向かって叫んだ。
両方の拳をぎゅっと握っているせいか、爪が食い込んで痛い。でもそんなの、気にしない。
「……好きだったけど、色々、考えた結果……だよ」
言いにくそうに、一つ一つ考えながら言葉を発していやがる。なんなのいったい。
「……面倒臭くなっただけなんでしょ」
「違うよ」
「違わない!!」
あぁ、もうダメ。制御できない。
わたし、いつからこんなにおかしくなっちゃったんだろう。でもあんた達が悪いんだから。
「……風邪ひくぞ。服着ろよ」
妙に冷静でいやがることに腹が立って仕方がない。
許せない。榊原も、凌も、みんなみんな。
傷付けるくらいなら、最初から近付いてこないでよ。好きにならないでよ。……どうせ嫌いになるくせに。
「うぅっ……ひぇっ……」
また子供みたいに、わたしはその場にしゃがみこんで泣いた。もうこんなの情けないどころじゃない。人生終わり。消えてしまいたい。
「泣くなよ」
彼がさっきまで愛撫していた、でももうわたしを見捨てようとしているその手で肩に触れようとしてきたから振り払った。この前と同じようなことをしている。
「沙耶」
最近榊原は、こうしてたまにわたしを名前で呼ぶ。ずるいよ、こんなときに。
「もういいっ……」
もういい、本当にいい。もう終わりなんでしょう。
「……絶対、幸せになんかならないでね」
それは地獄のようなわたしの声だった。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。好きな人の不幸を願うような娘に育ってしまって。
「……おう」
あぁ、どうしてあんたはそんなに冷静でいられるの。余計にわたしがばかみたい。
いっそのこと、一緒に感情をぶつけ合えれば幸せなのに。
榊原はそのまま眠ってしまった。なんでこんな状況で平然と寝られるのだろう。わたしは彼の横で、明け方までずっと眠れなかった。
午前五時、まだ眠っている彼を起こさず、わたしは部屋を出た。
もう二度と来ることはないだろう、ほんの一瞬だけ偽りの快楽と安らぎをくれたこの部屋と、わたしは別れた。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます!
面白い、続きが読みたいと思っていただけたら、↓にありますブックマークと⭐︎評価、お願いいたしますm(*_ _)m
作者たいへん喜び、励みになります……!




